I132 死んだ剣は二度立ち上がる
フィーナ達には、先に休んで貰っている。ハンスも今は、下でフィーナの看病を受けている。本当は俺もこの場から立ち去るつもりだったのだが、キュートに止められたので様子を見ていた。
『朝が来れば、どうにかなります。……それまで、どうか安静にしていてください』
それだけ残して、フィーナは王座の部屋を降りて行った。
寒くもなく、また暑さもない。湿気も感じない…………最適だ。本当はハンスも、この場所で一夜を過ごしても良かった。
だが、ハンスはロゼッツェルの提案を拒否した。おそらく、ハンスには分かっていたのかもしれない。だから、キュートとロゼッツェルを二人にしたのだろう。
分かっていたのだ。
…………もう、朝は来ない。
煌々と輝く月だけが、二人の道標だ。
「なんだ。……じゃあ、人間の姿になる魔法を利用して、髪の色を変えてたの?」
キュートは穏やかに笑って、ロゼッツェルに水を飲ませていた。少しはしゃいだような、高い声だった。気付かず、そのような声を出しているのかもしれない。
ロゼッツェルは水を一口飲み込むと、思い出したように笑った。
「そうなんだよ。ウォルェは当時、アサリュェにはほんと、厳しかったからなあ。……どうしようかと思って、気付いた。でも、最初はウォルェに住むつもりはなくて。ウォルェの向こう側に、あれの管理してたゴミ溜めがあったろ。そこで、ハンスと出会ったんだ」
キュートは、最後まで笑っていられるようにと、俺に残って欲しいと提案したのだ。
第三者が居なければ、きっと耐えられないだろうと。
「どいつもこいつも、『王国招集』でボロボロになっちまった。ハンスは東の島国から流されてきた子供で、とあるウォルェの家族が好意で養ってたんだって。それも連れ去られたら、ハンスには後ろ盾がなかった」
「……それで、ゴミ溜めに捨てられたの?」
「そうだよ。アサリュェだって、当時はピリピリしてたろ。……このままじゃ、いけないと思った。それで、家を抜け出したんだ」
淡々と、ロゼッツェルは語る。年端も行かない就寝前の妹に、童話を聞かせるように。低く落ち着いたトーンは、まるで子守唄のようだった。
「どうして?」
「ハンスに聞いて分かったんだ。『王国招集』は、招集された魔族以外を破滅に追い込む為の作戦なんだって。誰も、新しく現れた王の権力に勝てない。戦力でも――――…………ハンスは知ってた。真王は誰も知らない技術を利用して、魔族を殺すための『機械』ってやつを、作ろうとしてるって」
「機械?」
「ああ。……でも明かりとか銃とか、俺達が知っているような、小さなものじゃないって。ハンスは人間だったから、アサウォルエェでは最も警戒されなかったから……奴等の会話を、聞いたらしい」
その言葉の中には、俺も驚くような内容が、ぎっしりと詰まっていた。
「このままじゃ、まずかった。きっと連中は何か恐ろしい武器を生み出して、魔族を殺しに来るだろう。そうなった時、最初に狙われるのはアサリュェとウォルェだって、ハンスは言った」
「……それは、どうして?」
「都合が良いんだ。魔力を持っている魔族は無数に居るけど、魔力量が少なくて、体術に秀でる種族で筆頭に上がるのは、俺達獣族だったから……明らかだよ。俺達が敵にならないなら、少なくとも体術ではどの魔族も太刀打ちできない」
そうか。……ということは、もし仮にロゼッツェルが先陣を切って突っ込まなかったとしても、アサウォルエェが今もまだあったかどうかは、限りなく怪しいということか。
寧ろ、ゴールバードにとっては都合が良かった。公然にアサウォルエェを潰すための道筋が、一つ生み出された事になるのだから。
だが、ロゼッツェルが立ち上がらなければ、どの道アサウォルエェは攻撃されていた。
そういう事だったのか。
「でも、アサリュェに居た『ロゼル・シテュ』が――街の人達にしてみれば子供の俺が、『真・魔王国』に挑むなんて聞いたら、誰も本気にはしないだろう。それは、よく分かっていたよ」
寒いのだろうか。ロゼッツェルの声は、震えていた。キュートが慌てて、何か巻き付けるものを探した――――俺はジャケットを脱いで、キュートに投げてよこした。
キュートはそれを、ロゼッツェルに掛けてやる。
…………血が、足りないんだ。
「だから、名前を捨てたの?」
「そう。俺は、少しの間だけでも『英雄』になる必要があった。アサウォルエェの人達が持ち上げてくれる人物でなければ、魔族の街に声を掛けて、金を得る仕組みが作れない。俺達には金が必要だった……当時から、目星を付けていたんだ。『反乱軍』に必要なのは、『真・魔王国』に恨みを持った奴等。……つまり、『真・魔王国』にたてついて、『魔王国監獄』に閉じ込められた魔族。ならアジトにするのは、『魔王城』で決まりだろうって」
少しの間だけでも、『英雄』に。
俺は、二人に背を向けているから分からない。キュートは今、ロゼッツェルに――いや、兄であるロゼル・シテュに――どんな顔をしているだろうか。
ロゼッツェルは、妹であるキュートにどんな顔をしているだろうか。
笑顔なのかもしれない。
だが、それは胸が引き裂かれる程に辛いことだ。
「あいつは……真・魔王は、油断していた。金があれば、買い取る事が出来るって言った……絶対に、その鼻を明かしてやろうと、決めたんだ。ハンスの国の言葉で、『リース』は家族……『カリギュレート』は信頼……だった。家族を最も大切にする者として、俺は戦う事を決めた。……絶対に、『真・魔王国』から家族を取り戻すんだって」
『家族』を護るために『家族』の絆を壊し、最も最悪な手段でさえ選択し、先へと進む。
「……その時に、思い付いたんだ。アサリュェとウォルェを一つにして、皆から金を巻き上げる方法を」
その為に利用する事を決めたのが、キュートのばあちゃんが持つ、魔法陣の存在だったのか。
「震えたよ。……いつかは、俺のやる事はばれるだろう。そうなった時、もう俺に帰る街はない……それでも、良かったんだ。『ロゼル・シテュ』はもう、どこにもいない。俺は、『ロゼッツェル・リースカリギュレート』だった。似たようなもんだって。英雄も、極悪人も。誰かを護るために、何かを犠牲にして――――…………」
ロゼッツェルが、咳き込んだ。
「も、もう、喋らなくていいよ!! 治ったらで、いいから!!」
……血を、吐いたのかもしれない。ひゅうひゅうと、呼吸困難に陥っているかのような音が聞こえてくる。
「お前が街の皆に憎まれでもしなきゃ…………お前を、街から追い出す術なんて、なかった…………」
旅には出ない。理由もない。ましておばあちゃん子のキュートを、どうやって『アサリュェ』から、追い出すのか。もしかしたら、それはロゼッツェルにとっても一つの『賭け』のようなもの、だったのだろうか。
最低の、賭けだ。
どう転んでも、誰かが傷付く。ただ、最悪だけは免れる。
…………本当に、最低の。
「キュート。……もう、魔界に安全な場所はない」
ロゼッツェルの言葉には、鬼気迫るものがあった。キュートの肩を、ロゼッツェルが掴んでいるのだろうか。声の反響の仕方が、先程とは僅かに違うようだった。
「お前は、逃げろ」
「…………え?」
少しだけ、キュートに近いような。
「どこでもいい。……絶対に、足を止めるな。逃げて、逃げて、その居場所を、絶対に悟られるな。間違っても、『真・魔王国』に歯向かおうなんて思うんじゃない。……お前には無理だ」
生き残った獣族が居ると知れれば、連中はキュートを殺しに来るだろう。
そんな事は、分かっている。
「何、言ってるの……?」
「隠れろ…………隠れて…………ああ、婆さんにはほんと、悪いことしちまったなあ…………くそっ」
何で、見てもいないのに。キュートとロゼッツェルが、今どうしているのか、分かるんだ。
手を、握って。ロゼッツェルは、キュートに伝えようとしている。
「幸せに……………………」
俺は無心のまま、夜空を見詰めていた。
魔王城から見える夜空は、驚くほどに星が綺麗だ。セントラル・シティで見るもののように、霞んでいない。それはきっと、この辺りに大きな明かりを放つ建物が、ひとつも無いからだろう。
「…………『お兄ちゃん』?」
はじめは、驚き。その一瞬の静寂が、まるで悠久の時のようにさえ感じられた。
改めて、人の住む街というのは、異常だ。誰かが事切れる瞬間の静寂も、そしてリアリティさえ、大衆の人の目には薄くなってしまう。
「なんで……? やっと、会えたのに…………なんで……」
この場所のように、圧倒的な『死』という存在を、感じることは。
だからこそ、良いのだろうか。大衆の目には、この世を去るという事を曖昧にすることで、その寂しさのようなものを、誤魔化しているのだろうか。
月は、まだ当分落ち切る事は無いだろう。太陽もまた、当分は昇る事はない。
朝は、まだ来ない。
ロゼッツェルにとっては、もう――――…………。
○
結局、月が落ち切って太陽が昇り始めるまで、俺はそこにいた。
王座は、静かだ。それはもう、この世界に今は『魔王』なるものが存在しないことを、教えていた。
いや、そもそも初めから、『魔王』などというものは存在しないのかもしれない。そんな事を、俺は考えていた。
何が、『魔界』。『魔』の王なのか。魔族などと呼んで罵るのは、魔族以外の種族がそう呼んだからに他ならない。それはつまり、『人間』だ。
当たり前の事だったのかもしれない。魔界から人間界へと行く手段は多いが、人間界から魔界へ行く手段は限られている。それは、人間が魔族を――――心ない『魔物』と呼び、恐れているそれを、殺しに掛かったからではないのか。
良いじゃないか。『魔族』なんてものは必要ない。この世に生きとし生けるものは、全て生きる事を許された者達だ。ならばそれは、『種族』だったのだ。
何かが出来る不思議な力。これは、別に『魔力』でもいい。だがそれを扱うことに長けた者達を、『闇に生きる者』だなどと呼ぶのは、馬鹿げている。
なら、この世界には『王』がいたんだ。
人間以外を統べる、確たる王の存在。ロゼッツェルはそれを、復活させようとしたのかもしれない。
圧倒的な能力を持ち、そして最も賢い種族。ただ、人間にとっては悪魔のように立ちはだかる……いや、それこそ『人間』が悪魔なのではないか。
自らの恐怖に駆られ、食べる為でもなく、無差別に生物を駆逐する者達を、『正常』と呼ぶべきなのか。寧ろ、『魔族』は人間族の方ではないのか。
…………なんて。
答えも出ない事を、考えた。
「おや、起きていらっしゃったのですか。いけませんねえ、夜更かしは」
聞き覚えのある、少ししわがれた声。俺は背中にその存在を感じながら、問い掛けていた。
……ならば、本当に俺の爺ちゃんは嘗てのゴールバードに、そう言ったというのか。
人間は、この星にとって『害悪』でしかない、だなんて。
「なあ、ガングさん。……ゴールバードのやっていることは、正しいと思うか」
魔族を利用する事はともかく、やっている事は人間の街を侵略することだ。アサウォルエェは例外だったとしても、実際にゴールバードは『スカイガーデン』に『リンガデム』と、人間の街ばかりを優先的に襲っている。
魔族を殺す事が先なのか後なのか、やる気があるのかは分からないが。少なくとも、ゴールバードは人間を殺すつもりだ。
いや、それは『滅亡』させるつもりなのか。
俺が問い掛けると、ガングは笑った。
「何が正しくて、何が間違っているのかなど、大した問題ではありませんよ。ただ、我々に目的があるとすれば、それは『生きる』為ではないでしょうか。ならば、それを平和で幸せにしたいという願いは、また生物が持つ当たり前の感情なのかもしれませんね」
ガングの言葉を聞いて、安心した。
ならば、先程唐突に覚悟を決めたかのように『魔王城』から飛び出して行ったキュートのことも、また当たり前の感情なのかもしれない。
……間違っても、『真・魔王国』に向かおうなんて思うな、か。
立ち上がり、俺は振り返る。今はロゼッツェルの隣にある、刃の殺された長剣を手に取った。
「そっか。……そうだな。ところで、フィーナはどうしてる?」
「今は、ハンスさんの手当を。ようやく、魔力無効化の魔法公式を打ち破ったそうですよ。あの人も、大したものだ」
なら、ハンスは無事だ。……まだ、『想い』は繋がっている。
「そっか。例の少女は?」
「フィーナさんと共に居ます。自分が出来ることはないと、分かっているのでしょうね」
その剣を、鞘に収める。カチン、と音がした長剣を、俺は腰に括り付けた。リュックから指貫グローブを取り出して、装着する。額にお気に入りのゴーグルがある事を、触れる事で確認した。
「分かった、ありがとう。ところでさ――――」
俺はガングを見ると、笑うでもなく言った。
「『真・魔王国』潰しに行こうと思うんだけど、ガングさんはどうする?」
問い掛けると、ガングは笑った。
「潰すって……二人で、ですか?」
「ああ、二人で。まあ、俺は一人でも行くけど」
ゴールバードと共にいた、アイテムエンジニアの少女。もしかして、あの少女の名前が『メアリィ』だったのではないか、なんて。
今更、気付いた事だったのだが。
「良いですねえ。……実は、ちょうど私も久しぶりに怒りなど覚え、同じことを考えていた所でしてね」
キュートが行った場所は、明確だ。
俺達も、向かおう。




