I130 驚くほど呆気ない終戦
化物の攻撃は、止んでいた。俺は強化された肉体能力で建物の屋上へと跳躍し、ロゼッツェルの前に立った。
ゴールバード・ラルフレッドは、広場を見ている青年と少女を、俺の側へと向けた。……やはり、当然のようにこいつらもゴールバードに操られているのか。全身に湧き上がる怒りが、俺の平静さを奪っていく。
戦争が、終わった。その場には、嘘のように静寂が訪れた。嵐の前の静けさのような――……
立ち止まり、パニックを起こさないよう、意識に呼び掛ける。
あの巨大な鎧を動かす核となっているのは、フォックス・シードネスも持っていた、赤い宝石で間違いないだろう。今分かっている事は、あれは沢山の魔族の保有している魔力だか生命力だかを、変換させることで作られるということだ。
ゴールバードは、おそらく俺が冒険者アカデミーに居た時から、この計画を進めていた。魔界の種族という種族から優秀な人材を寄せ集め、魔力の高い者を選び抜き、実験材料に仕立て上げる。同時に、保有している魔力を利用する。
『真・魔王国』は、それを達成させる為に必要だったからこそ、作ったものだ。キュートの両親のように、優秀な能力を持つ魔族を寄せ集め、国を偽って研究所を作っていたんだ。
圧倒的な質量・魔力量を誇る、巨大な化物。その実力を試すために、ゴールバードは二度、それを人間界に送り込んだ。
ひとつは、スカイガーデン。
ひとつは、リンガデム・シティへと。
やっぱり、リンガデム・シティそのものは、転移されていたんだ。どういう方法かは分からないが、おそらくこの男は街ごと『魔界』と入れ替える為の魔法公式を、知っている。
だから化物を倒した後に、廃墟となったリンガデム・シティが現れた。
それで、間違いない筈だ。
「おや、ラッツ。その男は、お前とは敵同士だったと聞いているが?」
ゴールバードは、俺の後ろで倒れている男など、まるで見向きもせずにそう言う。
「ああ。…………それが、どうした」
「いや、失礼。君は本当に、関係のない話に首を突っ込むのが好きだな」
<暴走表現>、<ホワイトニング(+10)>。その効果時間は、間もなく切れる。
だが、俺の堪忍袋の緒の方が、先に切れそうな気配だった。
「ゴールバード・ラルフレッド。てめえは……狂っている」
俺が、そう言った瞬間の事だった。ふと、ゴールバードの表情から笑みが消えた。
「そうだな――――しかし、君の祖父が言った事だ。私はそれを、忠実に実行しているに過ぎない」
予想もしなかった言葉が、俺の耳に届いた。俺は眉をひそめてゴールバードを見詰め、その言葉の真偽を把握しようとした。
俺に隙を作らせるための、ブラフか? ……しかし、先程までとは違う。ゴールバードは挑発するでもなく、俺を目を冷静に見て、言葉を紡いだ。
屋上に吹き荒ぶ風が、俺とゴールバード・ラルフレッドの間を通り抜けた。まるで石化の魔法を受けたかのように動けなくなった俺は、しかし。
「人間は、この星にとって『害悪』でしかない――――そして、もう手遅れである以上、人の手で終わらせなければならないのだ」
信じない。
俺はそんな事を、俺の爺ちゃんが言っただなんて、絶対に信じない。
「そうだろう?」
――――違う!!
魔力が、吹き荒れる。俺は自身から放たれる魔力量を制御せずに、ゴールバードに向かって駆け出していた。
瞬間、俺を取り巻いていた<暴走表現>が消滅する。それが、どうした。俺が自身に掛けている<キャットウォーク>や<イーグルアイ>は、まだ生きている。
リュックから取り出したのは、短剣。両手に構え、俺は疾風の如き一撃をゴールバードに向ける。
「<ソニック――――」
異変を感じて、構えを止めた。ゴールバードが手のひらを下に向けて右手を差し出すと、その目の前に巨大な鉄の壁が、突如として出現したのだ。
<ニードルロック>か? ……いや、それとも違う。俺は舌打ちをして、その壁を蹴って横から回ろうとした。
ノーモーションで魔法だと……!? いや、トリガーが無いスキルなんて、この世には存在しない……!!
ゴールバードは俺に向けて、今度は右手を構える。
見える。
その手のひらに、魔法陣が描かれている。
「戦え、我が下僕。五分やろう」
一瞬の判断。ゴールバードの手のひらに描かれている魔法陣が、一体何を示すものなのか。それは俺には分からない事だったが、とにかくあれが何かの秘密になっている事は確かだ。
屋上を滑り、爪先で踏ん張ってスピードを殺した。屋上から落ちる前に俺は止まり、ゴールバードの前に立ち塞がった二人を見据えて、足下に魔法陣を描いた。
特殊な技術を用いるスキルを、そう何度も連発は出来ない。ならば、開花した俺の魔力を余す所なく使う戦い方がいい。
「<限定表現>!!」
色素が薄い髪色の青年は、剣を構えている。巻き髪の少女は、茶色のコートを羽織っていた。
男は剣士、女はアイテムエンジニアか。……しかし、明らかに普通ではない無表情。操られている事は確実だ。
何れにせよ、武器とアイテムさえ奪ってしまえば、こいつらは機能停止する。
「ゴールバード!! ……メアリィ……!? そういう事ですか……!!」
叫んだのは……ガング、か?
剣士の青年が放った攻撃を、短剣で受け止める俺。その頭上を、黒い円盤がフリスビーのように回転しながら通過する――……その円盤は扉のように真下へと開き、穴からフィーナとガングが現れた。ガングはハンス・リースカリギュレートを抱いている。
いつになく、ガングは怒っているようだった。ロゼッツェルの状態を確認し、憤りを隠せずに殺気を放ったガング。ロゼッツェルの近くにハンスを横たわらせると、ゴールバードと対峙していた。
フィーナは真っ直ぐに、俺に向かって走って来る。
「<ラジカルガード>!!」
俺に向けて放たれた爆弾の攻撃を、フィーナが巨大な盾を出現させてガードする。俺達は剣士の青年とアイテムエンジニアの少女に囲まれ、背中合わせになった。
「ラッツさん、一度『魔王城』まで戻りましょう……!! 今戦うのは危険ですわ!!」
フィーナの言葉がすぐには飲み込めず、焦った。しかし、ロゼッツェルの横に寝ているハンスを見て、俺は意味を理解した。
腹の傷が、塞がっていない。
剣士の青年が放つ重い剣撃を、どうにか二本の短剣で受け止める。先程剣を交えた時も思ったが――――こいつ、強い。そして、どことなくその戦い方には見覚えがあった。
青年は突きを放つような構えで、低く腰を落とす。瞬間的に重い攻撃が来ると分かった俺は、フィーナと位置を入れ替える。
フィーナを、剣士の青年へ。俺は、巻き髪の少女を相手に。
「<計画表現>!! <レッドトーテム>!!」
こっちはこっちで、大変な事になっていた。アイテムエンジニアの少女は、爆弾をメインとする戦い方のようだ。
囲うように放たれた爆弾を、目の前に蛇を出現させるかのように変則的な軌道を描く<レッドトーテム>で防ぐ。火に弱い爆弾は、俺とフィーナに影響が無い場所で引火し、全て爆発した。
フィーナの方も、防御仕切ったらしい。
「……治らないのか?」
俺が問い掛けると、フィーナは振り返らずに返答した。
「魔力による治療は無理でした。……ごめんなさい、まさか<ラスト・ヒール>が効かないとは思わず、医療器具が『魔王城』に……」
そういうことか。二人共、血を流し過ぎている。このままでは、危ない。
「私の目の届かない魔界で、こんな事をしていたのですか……!! オリバーは一体、何をやっているんだ……!!」
フィーナが、<マークテレポート>をロゼッツェルとハンスの真下に描いた。ゴールバードは……ガングが抑えてくれるのか。既に、二人の間で算段は付いているらしい。
俺とフィーナは、ロゼッツェルとハンスに向かって走り、<マークテレポート>の上に乗った。
目の前から、ゴールバードとガングの姿がフェードアウトしていく。顔馴染み……か? ガングの話し方は、どうにも初対面のようには見えなかった。
ゴールバードは両手を広げると、ガングを嘲笑して、首を振った。
「話すまでも無いことだ。魔力を失った今のお前に、何かを決める権利などないのだから……そうだろう? ガング・ラフィスト。不死に成れない、哀れな老害よ」
その言葉を最後に、俺とフィーナは『魔王城』へと戻った。
○
ガングが戻って来たのは、俺とフィーナが二人の治療を始めてから少し後だった。どうしようもなく憔悴して、スーツケースから折り畳みの椅子を広げると、腰掛けて溜め息をついていた。
フィーナはロゼッツェルとハンスの救出に、全力を尽くした。俺も手伝ったが、ハンスの貫かれた腹もロゼッツェルの傷も、どういう訳か魔法公式が効かず、治療は困難を極めていた。
魔界には水道もない。城の近くにあった井戸から水を汲んでくると、フィーナは汚れた手を洗っていた。
魔王城の裏には、誰も居ない。俺は張り詰めたような顔をして、黙々と手を洗っているフィーナを見ていた。
「…………治りそうか」
問い掛けると、フィーナは首を振った。
「<ラスト・ヒール>は、本来自力では修復することの出来ない傷を塞ぐためのスキルです。……それが使えないとなると、血を止める手段がありません」
しかし、フィーナの顔には後悔の色など、欠片も見られなかった。今は、自分が出来る事を全てやり尽くすのだと。そういった覚悟をしているように見えた。
既に、時刻は夜だ。昼間は曇る魔王城も、夜は月明かりが見える。フィーナは月を一瞥すると、清潔な布巾を絞り、バケツの中の水を組み替えた。
「魔力を防ぐ魔法が掛けられています。……もう、それを打ち破るための方法は見付かりました」
今は無き、空の島『スカイガーデン』。先住民族マウロの遺跡で、フィーナはガスピープルの毒相手に、何も出来なかった。
あの時、フィーナは悔いることが何の役にも立たない事を、理解したのだろう。颯爽とバケツを握り直すフィーナは、とても心強い存在に見えた。
「……ただ、<ラスト・ヒール>を再び掛けられるようにする為には、時間が掛かります。ハンスさんはまだ傷が浅いので、どうにかなると思います。でも、ロゼッツェルさんは……」
言い淀み、目を閉じて、フィーナは俺の前を通り過ぎる。
「いえ、体力次第です」
俺もまた、空を見上げた。
寧ろ、ロゼッツェルに至っては何故即死ではなかったのか、不思議なくらいだった。全身を余すところ無く撃ち抜かれた。その弾丸は、心臓も狙われていた。撃ち抜かれれば、とっくに息を引き取っていてもおかしくはなかった。
……なんて、ザマだ。あれだけの兵隊を用意して、あれだけの計画をして、驚くほど呆気無く、反乱軍はやられた。リンガデム・シティが廃墟になった時と、同じように。
ゴールバードが言ったことは、気にするべきではない。ゴールバードに話を持ちかけたのが、俺の爺ちゃんだなんて――――そんな事は、ある訳がない。
爺ちゃんは、『紅い星』と戦いに行ったんだ。……それは、この星の生物を助ける為にやった。それだけは、確かな筈なのだから。
気が付けば、俺は広場とは反対側にある、入り口の門まで来ていた。
ガツン、と音がした。
それは、他でもない俺の拳だった。俺は魔王城の外壁に、力強く拳を突き立てていた。
擦り剥いた右手から、僅かに血が垂れる。
「くそっ…………!!」
ゴールバード・ラルフレッド。
あいつが居る限り、人間界にも魔界にも、平和なんてものは訪れやしない。裏で繋がり、権力を持ち、ギルド・チャンピオンギャングのリーダーであり、様々な人間を手玉に取る。
セントラル・シティは既に、奴の支配下にあると言っても過言ではない。リンガデム・シティも、何れは……
ロゼッツェルの<タフパワー・プラス・プラス>は、確かに発動していた筈だ。
ならそれは、『魔力無効化空間』と呼ぶに相応しい何かが発動しているということ。奴は、何らかの形で人や魔族の生まれつき持つものを、停止させる術を持っているということだ。
俺達は魔力を使えず、ゴールバード・ラルフレッドだけが魔力を使える空間、だと。
「ふざけるなよ…………!!」
言葉は口から漏れ、そして大気に混ざり、消えていった。
絶対に、あいつの計画を破綻させてやる。
そう誓った時、目の前に現れた人影があった。
目を見開いた。ボロボロになった髪と、涙でぐちゃぐちゃに潰れた顔。その人影は俺を見ると、ふらふらと目の前まで歩いて来た。
そうして、俺の目の前で崩れ落ちる。
「…………お兄ちゃん」
戻って、来たのか。




