I129 今を良しとしない者達の戦い
咄嗟に目は動き、現在の状況を確認しようとした。
一体でさえ、四人掛かりでどうにか倒したゴールバードの鎧。それが十体以上にも及び、堅牢な壁に囲まれた広場で自由に動いていた。
なるほど、その姿は俺が戦ったモノとは、若干の違いを持っている。腕が無い物もある。球体ではないものもあった。巨大な人の姿を模している物もあったし、空を飛んでいる物まである。
…………嘘だろ。
これらが全部、ゴールバードの造った化物だって言うのか。
俺に向かって飛んで来たハンス・リースカリギュレートは、既に腹を貫かれていた。その悲惨な光景に、思わず息を呑んだ。
見れば。周りの連中も殆ど似たような死に方をしていた。……何だ? 『反乱軍』全員、喧嘩を売ってから今までの間に、もうやられてしまったのか……?
この程度の傷なら、まだ<ハイ・ヒール>、<ラスト・ヒール>辺りで回復することもできるだろう。
幾ら何でも、まさか『反乱軍』に回復要員が居ないってことは――――…………
自然と、ロゼッツェルと目が合った。
俺がハンスを抱えている状況を確認すると、ロゼッツェルは歯を食い縛った。おそらく今まで、大層な時間を掛けて準備してきたであろう『反乱軍』。それが、ものの数分で壊滅状態になっていた。
それら全て、目の前に立ち塞がる化物――ゴールバード・ラルフレッドの『鎧』――故に、だろうか。
その向こう側を、目を凝らして見詰めた。
既に、ロゼッツェルは駆け出していた。大将を射止めれば、どんな状況でも逆転できると。それに、賭けたように見えた。俺はその向こう側に居る人物を確認して、そして。
やめろ、と言おうとした。
だがハンスを抱えている俺には、ロゼッツェルを止める事が出来なかった。ロゼッツェルは黒いジャケットのポケットから、何かを取り出した――――あれは、薬?
それと、幾つかの爆弾。
「止まれ……ロゼッツェル……」
僅かに漏れたハンスの呟きは、遥か前方を走っているロゼッツェルには届かない。
俺はその場にハンスを寝かせると、後を追いかけて来るガングとフィーナに視線を向けた。遠くに居る彼等にも分かるように手を振って、真下のハンスを指差した。
「頼む!!」
フィーナが走りながら頷いた事を確認して、俺も動き出す。
無茶だ。ロゼッツェルの行動は、全く理に適っていない。そんな事は、一目瞭然だった。最早、ロゼッツェルは裸の大将。どれだけ死に物狂いで足掻こうとも、化物だらけのこの場所で、敵将を仕留められる訳がなかった。
撤退だ。その二文字しかない。俺だって、これだけの数で攻められたら、押し切る自信なんてない。
一体一体が、信じられない程の強さなのだ。まとまらない思考は『ロゼッツェルを救出する』という意識で埋め尽くされ、俺は走り出していた。
助けて、そして、問い詰めなければ。
ロゼッツェルが追い掛けているのは、灰色の単調な壁に覆われた建物。その上に居る、小さな人影だった。
<イーグルアイ>によって向上した視力で、その先に居る男を視界に捉える。
リンガデム・シティで一度出会い、それきりだった男。フォックス・シードネスとも繋がっているようだと、たったそれだけの情報しかなかった男が、その戦争の光景を見て、ほくそ笑んでいた。
ぎり、と音がしたのは、俺の歯茎の音だった。漆黒の髪は相変わらずオールバックにしていて、屈強な体格と、スマートさを併せ持ったような体型。毒々しさの目立つ、黒いスーツと紫色のシャツ。
戦うような格好ではなかった。ゴールバード・ラルフレッドの手前には、二人の人間が立っていたから、なのかもしれない。
一人は、白髪に僅かな緑色を含めた髪の毛を持った、どことなく薄幸な雰囲気のある少年だった。ダークブルーの瞳は建物下の俺達と化物共を見下ろし、腰に剣を据え、両手を複雑に動かしていた。
もう一人は、金色の巻き髪を持ち、白と赤を基調にしたフード付きのドレスを着た、小さな少女だった。ガングと似たような濃茶のスーツケースを持ち、黙々と焼き菓子を食べていた。だが、やはり空いている手は動いている。
二人に共通して言えることは、どちらも鎧を見ていたことと、まるで凍り付いたかのような、意志の感じられない瞳を向けていたことだった。
……なんだ、この死んだような目は。濁っているようにすら感じられる。
「ざけんじゃねーよ…………!!」
ロゼッツェルはポケットから取り出した薬を、口に含んだように見えた。どうにか鎧軍団を抜けたらしきロゼッツェルは、既にゴールバード・ラルフレッドに近い場所に居た。
俺は未だ、扉を抜けた少し先。当然のように、巨大な鉄の化物が俺目掛けて攻撃を仕掛けてくる。
「<暴走表現>!!」
制限時間は一分。どうにか、この鎧の猛攻を抜けて行くしかない。……この自然災害のように圧倒的な攻撃力と、聖職者の守護のように信じられない程の防御力を誇る奴等を、一人で相手にしなければならないのか。
大量の魔族が壁になれば、あの場所まで行くことも出来たかもしれない。だが、今の俺は一人だ。ここからロゼッツェルの居る場所まで到達できたら、大したものだろう。
俺だって、リンガデム・シティで初めて戦ってから今まで、何の努力もして来なかった訳じゃない……!!
「<ホワイトニング(+10)>!!」
速度が同列になったからといって、化物の攻撃を防ぐ手段が無いんじゃ、どうにもならない。対等に戦う事が出来るだけの、攻撃力と防御力が欲しい。
だから、俺が使ったのは<ホワイトニング>だった。瞬間、横から襲い掛かる巨大な人型をした化物が、俺の全身程もあろうかという大きさの拳を突き付けてきた。
その一瞬に、身体は動く。
「<堅牢の構え><堅牢の構え><堅牢の構え>ぇぇぇ――――っ!!」
何度もスキルを唱えたって、意味はない。だが、意識の外ではやはり恐怖が上回っていた。……結局リンガデム・シティでは、ついにこの化物を打ち破る事は出来なかったのだ。
喰われて初めて分かる、敵の弱点。今回はそう都合良く行く訳がない事など、よく分かっていた。
強化された俺の全身から、透明なオーラが溢れ出す。スピードでは対抗出来ないが、<堅牢の構え>を取った今の俺は、ドラゴンの攻撃だって素手で防御してみせる自信があった。
左の肩をめり込ませるように化物の拳に向け、右腕でその拳を抑える。勢いは止まらず、俺はその拳に押され、靴裏を滑らせて数メートル程も移動した――――…………
化物の拳が、止まった。
「ラッツさん!!」
フィーナが、ハンスの所まで到着していた。……大丈夫だ。冷静になれ。この程度の攻撃なら、今の俺なら弾き返す事だって出来る。体格的な差が出てしまうのは、どうしても仕方のない事ではあったが。
しかし、それは不幸中の幸いに過ぎない。見れば、既にロゼッツェルは不気味な灰色の建物の屋上に居た。俺は人型の化物が放った拳をすり抜け、ロゼッツェルに向かって走った。
「やめろ、ロゼッツェル!!」
叫ぶが、言葉は届かない。
「<タフパワー・プラス・プラス>!!」
ロゼッツェルは、そう宣言した。くそ、化物の攻撃が止まない。次から次へと、俺に向かって攻撃が続いていた。何しろ、広場に立っている標的は俺一人だから、どうしようもない。
しかし……何だ? 俺を打ち取る攻撃とは思えない。単調だし、どうにも、手を抜かれているような――……
殺気が見えない。俺は、屋上を見た。
剣士の青年と金髪の少女が、ロゼッツェルを見ている。
……なるほど、魔力増幅の類を持つ薬、か。
全身から、炎が噴き出しているのではないかと思える程だった。ロゼッツェルの赤い魔力は吹き荒れ、その見た目をも変えてしまっていた。どことなく優雅な雰囲気のあったロゼッツェルは一変し、全身の毛を逆立て、獰猛な野獣のように変化してゴールバードを見ていた。
「ほう…………!!」
面白い、と言わんばかりの声色で、ゴールバードがそう呟いた。<暴走表現>で覚醒された脳が、遠方の小さな声を拾っていた。
ロゼッツェルの髪色は、紫色から茶色へと変わっていた。<タフパワー・プラス・プラス>のためだろうか。
「お前を殺す為だったら、俺は悪魔に魂を売ったって構わない……!!」
泣いて、いるのか。
ロゼッツェルの頬から、一筋の紅い糸が垂れた。それは限界を超えたロゼッツェルの目から流れた血なのか、それともロゼッツェルの涙だったのか、それは分からなかったが。
「返せよ!! 俺の『故郷』!! 俺の『仲間』!! 俺の『両親』!! 今すぐ揃えて、俺に返せっ――――!!」
唐突に俺は、キュートの言葉を脳裏に蘇らせていた。
アサウォルエェの連中に俺が怒りを見せた時、キュートが一言、民衆にこう言ったのだ。
『……おばあちゃんがね、私に言ったの。おばあちゃんは喋れないから、魔法の説明が上手く出来ないんだって。だから、私にだけ教えるって言ったの。私とおばあちゃんは、言葉以外の方法で話ができたから――……お父さんもお母さんも、『王国招集』で帰って来なかったから』
あいつも、ゴールバードの犠牲者だったのか。
知らず、拳は握り締められる。
俺の、思い過ごしであることを願う。それは単なる、予想に過ぎないと。初めてアサウォルエェでロゼッツェルと対峙した時に行われた出来事――――その、本当の理由というものが。
そんなにも悲しい理由でないことを、心の底から祈った。
「捨て身になるな……!! それで、全てを終えるつもりか……!?」
炎を纏うロゼッツェルの剣は、しかし的確に、真っ直ぐにゴールバードを狙っていた。黒いレザージャケットが光り、その位置を俺達に教えていた。
どうしたら、ロゼッツェルを救える。……いや、救う必要は、無いのか? もしかして、勝ててしまう可能性もまた、あるのか?
だが、ゴールバードはどうしようもなく暗い、闇のような笑みをロゼッツェルに向けていた。遠慮も、また躊躇もない。……その表情を見て、俺は確信した。
今のロゼッツェルがゴールバードに勝てる可能性など、万に一つもない、と。
「ロゼッツェル!!」
叫んでいたが、鎧は俺を阻むように動いていた。……ゴールバードは、俺の方も見ている。
――――くそが。
俺に、ロゼッツェルの末路を見せているつもりか……!!
「返せ――――――――!!」
ロゼッツェルは、剣を振るう。
やめろ。
そいつは、絶対にロゼッツェルが勝つ事の出来ない、隠し球を持っている。
言葉はなく、俺はただ、そう思った。我を忘れたロゼッツェルは、前方に居る『敵』目掛けて、大上段から炎を纏う剣を振り下ろした。
キン、と、小さな音がした。
「断る」
俺の目が、おかしくなってしまったのだろうか。
薄ら笑いを浮かべたゴールバードは、ロゼッツェルの剣を避ける事をしなかった。ゴールバードの服は斬り裂かれ、確かにその本体へと、攻撃を通したように見えた。
間違いなく、ロゼッツェルが持てるだけの能力をありったけ詰め込んだ攻撃だった。そんな事は、俺にも分かった。
――――なのに。
「君は、誰だったか。あー……思い出せないが」
冷静に、しかし残酷な笑みを携えて、男は言う。
あれは、何だ。ゴールバードの胸が、銀色に光っている。まるで、身体に鎧を詰めたかのように。
その心臓は、化物と同じ色の光を反射していた。ロゼッツェルが驚いたように、小さな呟きを漏らした。
「私を、殺すと言ったな。……残念ながら私は、『死ねない』んだよ」
それが、世界の縮図なのだと。
強者は、弱者に喰われるだけの生命でしか無いのだと。
先程まで限界に目を剥いていたロゼッツェルが、ふと我に返って自身の構えている剣を見詰めていた。炎を纏っていた筈の剣は剥き出しの鉄となり、また<タフパワー・プラス・プラス>という名称のスキルを使った筈のロゼッツェルは、どういう訳か全身を纏っていたオーラを失い、その場に立ち尽くしていた。
警報が、頭の中に鳴り響いた。囲うように動いている化物の腕を全力で振り払い、俺は走り出す。
何か、とてつもなく恐ろしい攻撃がロゼッツェルに放たれる事を、俺は直感的に理解していた。ロゼッツェルの周囲から突如として消えた魔力反応が、ロゼッツェルの希望に沿っていない事は、一目で分かったという事もあった。
良いじゃないか。……もう、ロゼッツェルが敵わないという事は、分かったじゃないか。勝負はついた。『反乱軍』は負け、ゴールバードの構える化物が勝った。既に結末は、そこにあった。
そこに、あったのに。
「やめろ――――――――!!」
連続的に、乾いた音が鳴り響いた。
俺は目を見開いて、その場に立ち止まった。
ゴールバードの構えた右手から、瞬間的に魔法陣が描かれ。
一瞬にして、右手が銃に『変化した』。
何の準備も必要なく、何の隙も生み出さなかったその魔法は、しかし確実にロゼッツェルの全身を余すところ無く打ち抜く。
ロゼッツェルが、血を吐いた。




