I127 男達の決戦前夜
予想通りの古びた室内には、城を取り囲むように組まれた階段がある。
『魔王城』、一階。俺達はその、あまりに広い空間を見ていた。城の一番上まで突き抜ける空間は階段の為だけに用意されたもののようで、言わばこれは巨大な螺旋階段なのだろう。
嘗て閉じ込められた『セントラル大監獄』と広さは比べ物にならないが、これもまた大した迫力だ。
ハンスが階段を上がっていくに連れ、俺達も階段を上がる。外も薄暗い為なのか、光は僅かにしか差し込まない。室内がよく見えるのは、時折響く落雷の光が建物の中に入ってきた時だけだった。
螺旋階段を登りながら、周囲の音に耳を傾けた。
……どうにも、不気味だ。魔王城の中には人も魔族も居ないのに、その建物の裏ではあまりに沢山の――おそらく、魔族が――何かをしている。フィーナは不安に思っているようだったが、ガングは全く何も感じていないようだった。
「ハンスよ、荒っぽい方法は良くない。どうにか和解は出来なかったのか?」
ハンスの隣でそう聞くのは、左手に『神具』を握り締めて歩く、元・ゴボウ少女だ。ハンスは自分の身長の半分程度しかない少女を見下ろすと、頷く訳でも首を振る訳でもなく、言った。
「キュート・シテュに関して言えば、それは不可能です」
「そうか……。ハンスがそう言うのであれば、そうなのだろうな」
何故か、元・ゴボウ少女の信頼を勝ち取っているハンス・リースカリギュレート。俺にしてみれば、未だ何を考えているのかさっぱり分からない存在ではあるが――……しかし話していくうちに、俺の中でもハンスという存在の印象は少しずつ変わっていた。
悪人ではあるかもしれないが、少なくとも馬鹿ではない。……まあ、それは初めから分かっている事だったが。なんというか、その悪さというものが、単に人々を苦しめたくて行っている訳ではないと、薄々気付き始めていたのだ。
ふと、気付いた。階段を上がり切る手前、先に続く部屋が見えた瞬間のことだ。拳を握り締め、叫んでいる男の声がした。
「――――時は満ちた!!」
月明かりを見るために設置されたのかと思えるような、外へと向けて配置された椅子。部屋の中は広いが窓はなく、その紅色の椅子以外に取り立てて何かがある様子はない。
「『真・魔王国』に異議を唱え、そして儚く散って行った者達よ!! 今ここに、古き良き魔界を取り戻す為の、反乱の戦旗を掲げよう!!」
歓声が上がった。
椅子の向こう側はベランダのようになっていて、柵で囲まれていた。あの場所の先には、おそらく広場のようなものがあるのだろう。その全貌を、見渡す為の設備なのかもしれない。
雨は降っていないが、風は強い。窓のない部屋は魔王城の天辺にあるのだろう、時折入り込んで来る風は、容赦なく身体を打ち付けた。そのために、物を置くことが出来ないのか。
「俺達は知っている!! 誰も、奴に『魔界』の支配を許していないということを!! 誰も、奴に『魔界』を弄ぶ権利を持っていないということを!!」
紅色の椅子から立ち上がり、広場に向けて演説をしている男。まさかこのような場所で見ることになるとは思わなかった、黒いジャケットを来た黒ずくめの男。
その腰に、長く大きな二本の剣を構えていた。
「唸れ男達よ!! 我ら反乱軍の名の下に、真なる王をこの世界に呼び戻し、元の平和な魔界を取り戻す事を、ここに誓おう!!」
紫色の髪。それと同色の、キュートに比べると幾らか発達した耳。
噎せ返るような熱気を感じた。部屋に入って少し奥を見れば、予想通りに存在した広場には、収まり切らない程の様々な魔族が居る事が分かった。あれらを統一しているのが、目の前に居る男だということだ。
「この『ロゼッツェル・リースカギュレート』が、お前達を導くッ――――――――!!」
大味な事をやる男だと思っていたが、まさかこれ程とは。
ロゼッツェルは汗を振り払い、巻き起こる歓声を前にして、広場から背を向けた。ハンスを見付けると、すぐにハンスへと向かって小走りで近寄った。
「こっちはもう大丈夫だ。お前も準備して休め、ハンス。出発は夜明けだぞ」
「ああ。分かっている」
ロゼッツェルは、奥に居る俺達に目を留める。すると――眉をひそめて、怪訝な表情を浮かべた。
「…………おい、待て。何でこいつらがいる」
やはりか、と頭の中で考えていた。ハンスはともかく、ロゼッツェルは俺を嫌っている側の人間だ。事前にハンスから『ロゼは嫌がるかもしれないが』という言葉も聞いていたし、ロゼッツェルの管轄外で行われた出来事なのだということは、理解していた。
ハンスは城の柱に背中をもたれて、腕を組む。後ろからロゼッツェルに向かって声を掛けた。
「こいつも、修羅場を潜って来た人間だ。居れば助かると思い、声を掛けた」
ロゼッツェルはその言葉を聞いて、大袈裟に溜め息を付くと、頭を掻き毟った。
「……なあハンス、余計なことすんな。俺はお前以外の人間は信用しねえっつったろ」
ゆらゆらと俺に向かって歩き、そして。
ロゼッツェルは、俺に向かって左の拳を振るった。
俺は右腕で咄嗟に、ロゼッツェルの拳をガードした。別段大した攻撃ではない。ロゼッツェルに殺意も見られない――……
残虐を内に秘めたような顔をして、ロゼッツェルは俺に薄気味悪い笑みを浮かべた。
「お前も、よくのこのこと現れたもんだな。俺様に殺されるとは思わなかったのか?」
「もし殺すような状況なら、そんな無駄口叩いてないよ、お前は」
舌打ちをして、ロゼッツェルは俺を無視して通り過ぎた。ガングとフィーナにも、敵意を込めた視線を向けていく。……やっぱり、この男と打ち解けられるとは、どうにも思えない。
どうにも思えない、が。
がしゃん、とすぐそばで音がした。気になって振り返ると、ロゼッツェルが持っていた二本の剣のうち、片方が捨てられたようだった。
身軽になったロゼッツェルは軽く飛び跳ねると、俺に背を向けたままで言った。
「……ラッツ。お前との決着は、どうやら付けられそうにない。俺様のブラックリストから外れた事を、精々喜ぶんだな」
そう言って、走り去った。
ハンスはその一部始終を見て、ようやく動き出した。
「悪いな。……どうやら、無駄な移動をさせてしまったらしい。じき、この場所は空ける。自由に使ってくれ」
自由に使ってくれと、言われてもな。
○
魔王城には幾つもの部屋があり、窓が無いのは天辺にあった、あの椅子の部屋だけのようだった。おそらく、あれは『王座』のようなものだったのだろう。
俺達はそれぞれ、部屋を割り当てた。夜が来ると雲は晴れ、月明かりが部屋の中に差し込む。昼間よりは、少しだけ明るくなっていた。
使用人が使っていたのか、俺の入った部屋にはベッドやテーブルなど、一通りの物が揃っていた。代わりに埃は積もっていたので、少しばかり掃除をしなければならなかったが――……随分と時が経ったと言うのに、未だ城として機能している。崩れていないのは、すごいことだ。
一通り城を回ってみると、地下へと続く階段もある事が分かった。その先は宝物庫になっているのか、扉には鍵が掛かっていて、中へと入る事は出来なかったけれど……まあ、宝物庫だとしたら当時の宝になど、大した興味はない。
「主よ。……ロゼッツェルとハンスは、『神具』を集めて私の封印を解くつもりだったらしいのだが」
掃除したベッドに腰掛けた神具の少女が、明かりの点かない暗い部屋で、光る紅の瞳を俺に向けていた。
「なんだ?」
「私には、どうにも理解出来ぬ事がある。確かに私は『魔王』についての情報を握っているが、それは『呼び戻す』ようなモノではないし、復活させることもできない。……筈だ」
筈、ってことは、彼女の封印された記憶の中に、『魔王』の情報があるということか。今は朧気に思い出す事ができる、その程度のモノなのだろう。
『神具』を集めるのは、おそらく『失われた魔王』とやらを呼び戻すため。……しかし、元・ゴボウ少女は『魔王』が二度と復活しないと思っている。……確かにそれは、おかしな矛盾だ。
なら、どうして連中は『真なる王』を呼び戻すなどと、のたまったのか。
いや、そうか。『真なる王』とは言うけれど、それが『魔王』だとは一言も言っていないんだよな。
ならばロゼッツェルが新たな王となり、魔界を支配する…………?
…………どうにも、しっくりこない。
「魔王っていうのは、死んじまったのか?」
俺が問い掛けると、少女は頷いた。
「その筈だ。あまり覚えていない事なのだが、『魔王』そのものが生きていたのは、本当に昔の事なのだ。事故ならともかく、寿命で死んだ者をこの世に呼び戻す事など出来んよ」
「もし、事故だったとしたら?」
「そうだな……事故で死んだとして、それを生き返らせるとしたら――――何れにしても、『神具』ではどうにもならん」
「魔王って、誰だったんだよ」
「だから、昔の事だと言うておるだろう。思い出せないのだ」
そうか……。この少女が思い出せないんじゃ、『魔王』についての情報は手に入らなさそうだな。
「使えねえ……」
「使えないって言うな!!」
直接聞ければ話は早いのだが、ハンスはまたどこかに消えてしまった。ロゼッツェルとは直接話が出来ない状態で、俺達は燻っていた。
期待されていないのなら帰ればいい。それは確かなのだが、残された『神具』をロゼッツェルとハンスがバラバラに持っている以上、俺はどうにかして二人から『神具』を回収しないといけない。
それが少女の封印を解く、俺達の約束だったからだ。
「お前、名前とかないのかよ」
「……分からん。あったような気もする」
それじゃあ、呼びようがない。なんとなく、今まで通りに『ゴボウ』と呼ぶのも、気が引けた。
だってあれは、ゴボウではなかったのだから。
「――実は『神具』が戻る事で、姿だけではなく、記憶も少しづつ戻り始めているようなのだが」
少女はベッドに座ったままで、自身の身体を抱いた。
恐怖を感じているようだった。その小さな身体にどれだけの知識を詰め込み、この世界の何を知っているのか。流石の俺も、そろそろ気になる所ではあった。
少女は、<凶暴表現>で死んだかと思われた俺を、ずっと待っていたのだ。その心には、俺も応えなければならないと思う。
「分からないのだ。……思い出す事を、身体が拒絶しているような……。私の身にあのとき、何が起こったのか」
ベッドから立ち上がった、少女は。
意を決したのか、窓際で月を眺めていた俺の所まで歩いた。両手をきつく胸の前で握り締め、僅かに頬を上気させて、眉を怒らせる。
小さな身体は月明かりに照らされて、まるで人形のように白く光った。
「ラッツ。もしかして、もしかすると、だぞ」
鬼気迫る表情で、俺に迫る少女。月明かりに照らされて、潤んだ瞳が光を反射した。
どことなく、妖艶だ。……思わず、喉を鳴らしてしまった。
「……あ、ああ」
「嘗て私は――――」
次の、瞬間。
ばふん、と謎の音がして、少女の着ている服が砕け散った。
何が起こったのか、理解出来なかった。それは少女も同じのようで、一瞬目を丸くして、呆然としていた。
事態を確認して、今の自分の状況を把握するまで、十秒。
「くわあああああああ――――――――っ!?」
奇声を上げて、少女がベッドに逃げて行く。突然のハプニングに固まってしまった俺は、しかし少女の裸体が脳裏に焼き付いて離れなかった。
これを見るのは、イースト・リヒテンブルクの宿に泊まった満月の夜以来か。しかし、あの時はまるで見当違いな指摘をされた気がするが。
少女も少しは大人になったんだな……うん。
「なっ……!? なぜ……!?」
俺が聞きたい。
ああ、そうか。封印された記憶に触れるワードは出せないんだったか……。しかし、俺の意識が操作出来ない場合は、こんなハプニングが起こるのか。
何が良くて、何が駄目なのか。どうにも線引が曖昧なのは、少女の感情がそうさせているのだろうか。
……あれ? この少女が伝えようとしている事って……ずっと、同じじゃないか?
唐突に湧いて出た疑問は、しかし深く考えるだけの材料を持たず、頭の中から消えていった。
…………別に、未発達な少女の裸体を見た所で、何を思う事も無いのだが。
胸が痛い。
「敵襲ですかっ!?」
隣から恐ろしい勢いで扉が開かれ、中からフィーナが顔を出した。鬼神のような表情で俺を見て――――そして、ベッドで毛布に身を包んでいる少女の姿を視界に捉える。
ボロ泣きで毛布に包まろうとしている、全裸の少女。
俺を見る。……少女を見る。……俺を見る。……少女を見る。……俺を見る。
あ、やばい。
「ラッツさん? ……これは、どういう事ですか?」
フィーナが物凄い剣幕で、俺に向かって歩いて来た。いや、しかし、俺にも一体何がどうなったのかさっぱり分からんのだ。……ここは、素直に告白するしかない。
「いや、実は話してたら、どういう訳か服が破けてさあ」
「そんな冗談が通じるとでも思ってるんですか!?」
あれ。
おかしいな。
俺はありのままに真実を伝えただけなのに、フィーナの背後に見える龍が消えない。寧ろ余計に怒りが増したのか、紅い炎は青白い炎になり、その火力を上げて俺を見下した。
これはいけない。……軽蔑の眼差しに、変化してきている。
ようやく、自分自身に危険を覚えた。フィーナがどうやら物凄い勘違いをしているという事と、その誤解を解く術が今の俺に無いという事。決まってピンチを救ってくれるお助け要員のガング・ラフィストが、何故かこの場には現れないということ。
俺はフィーナに笑顔を浮かべたまま、固まってしまった。
よく見れば、扉の端から僅かにレンズが顔を覗かせていた。……あの野郎。
「押しても引いても響かないと思ったら、やっぱり幼児体型とか、そういう趣味があったんですね!?」
「いや、どっち方面で怒ってるんだよ!! っていうかやっぱりって何!?」
「もう黙っていられません!! ラッツさんがおかしな趣味に走る前に、私がラッツさんを引き取ります!!」
フィーナは俺の首根っこを掴んで、部屋から出て行く。抗う事も出来ず、俺はフィーナに引きずられていった。
……また、夜通しフィーナの誘惑に耐えなければならないのだろうか。
「私は子供ではないぞ……」
人知れず、元・ゴボウ少女はショックを受けていた。




