A13 失われたリュックを探そう
フィーナが去ってから、俺はリュックを失った森まで足を運んだ。
当然のように、そこにリュックは無かった。アイテムカートに入っていたのだから、当たり前だ。あんなに重い物、誰かが運ぶとも思えなかったが――――
実際は、盗まれた。
驚きのあまり、固まって動くことができない。盗んだ奴に必要なものなんて――例えば財布とか――これっぽっちも入っていないが、あの中にはアカデミー時代の聖書とも言える、貴重な本やら武器やらのアイテムがぎっしりと詰まっているのだ。
それに……お気に入りの、ゴーグルも。
ついにリュックを発見出来なかった俺は、今更ホテル・アイエヌエヌに泊まる気にもなれず、真っ白な頭で酒場へ向かい、ぼんやりとラムコーラを注文して、ちびちびと飲んでいた。
「ラッツ様……大丈夫、ですか?」
なんて、馬鹿な事をしてしまったんだ。誰も盗む訳が無いと思っていたが、あれだけ大きなリュックと、その重み。中に良い物が入っているかもしれないなんて、考えそうな事じゃないか。
とりあえず盗んでその場を離れてから、じっくりと中を確認する――そんな思考回路も、十二分に考えられる。
既に夢も希望も無くなった俺は、ラムコーラをテーブルに少し力強く置くと、がっくりと頭を垂れた。
「……俺の馬鹿……」
隣でフルリュが、相変わらずの茶色いローブに顔を隠して、俺を励ました。
「ラ、ラッツ様! 悲観しないでください! 私も一緒に探しますから!!」
フルリュが連れ去られなかった事が、せめてもの救いだろうか。まあ、ずっと一緒に居たから当たり前なんだけれど。
あんなに大きな荷物、返しになんて来ないだろうし……俺の手元に残ったのは、護身用の初心者用ナイフが一本、あと財布。
……これからどうしよう。
「ラッツ様、今日のお宿はどちらにしましょうか! 私、手配をしてきましょうか!」
健気にも気を使ってくれるフルリュに、乾杯。
呆けてすっかり魂の抜けた顔で、俺はラムコーラを飲んでいた。酒場は和気藹々としていて、俺なんかの事情とは何の関係もなく盛り上がっている。
いっそ、俺も盛り上がれたら楽しいだろうか。馬鹿騒ぎして、明日からゆっくりと考えようか。
「フルリュ、今日の宿は温泉にでも泊まろうか。幸い、金はあることだし」
「は、はいっ! ラッツ様の調子が良くなる所で――――」
その時、勢い良く扉が開く音がした。
あまりの音の大きさにだろうか、辺りで騒いでいたオヤジ達も少し、その声量を落としたように感じられた。酒場のマスターは扉の先を見て、俺とフルリュも入って来た男の姿に目を丸くしてしまった。
「――――ラッツ!」
俺を見て、飛び跳ねるようにこちらへと向かって来る男は――――レオ・ホーンドルフ。
何やら、妙に熱り立っている。鋭い眼光は真っ直ぐに俺を見据え、それにどことなく怒っているような――……その姿はボロボロで、見るに耐えない程顔が腫れていた。
え? あれ? 俺、何かした? ああ、レオには色々やらかしたけど。レオの名前を語って、二度も冒険者バンクでミッションを受けたり――――
あれ? もしかして、バレた?
俺はガタン、と音を立てて椅子から立ち上がる。……くそ。ただでさえ災難続きだってのに、まだ追い打ちを掛けられるのかよ。レオはギルド・ソードマスターに入る時にこしらえたのだろうか、明らかに業物だと分かるロングソードを腰に据え、バリバリの戦闘着でこちらへと向かって来る。
「ラッツ!!」
レオは叫んだ。
え、えええ違うんだごめんよ!! どこかのギルドに所属していないとミッションが受けられないみたいな雰囲気だったから、仕方なくお前の名前を使ってだな!!
やばい――――やばいやばいやばい!!
「あ、いや、違うんだレオ!! あれはその、止むを得ない問題で――――…………」
そしてレオは、俺の肩を掴み。
「『ソードマスター』、辞めてきた!!」
――――――――えっ。
はっきりと、レオはそのように口にした。覚悟を持った瞳は俺の瞳孔を射抜き、筋骨隆々な逞しい腕が俺の肩に力を込める。
その表情は、苦いものを噛み潰すかのように歪んでいた。これ以上無いほどに怒った眉は、アカデミー時代から考えても一度も見たことがない程に殺気を放っていた。
正直、このマッチョな赤髪ビンビン男にそんな顔をされると、俺的にはかなりコワい。
「俺はもう、あいつら許せねえんだっ……!!」
おいおいレオ、一体どうしたよ。正義感に溢れるお前を、誰がそんなに怒らせたんだ。……ダンドか。そうだな。そうに違いない。
「また、お前んとこのリーダーは何かやらかしたわけ?」
「ラッツ。……すまないんだが、お前のリュック盗んだの、俺の元リーダーだ」
瞬間。俺は目を丸くして、レオをまじまじと見詰めてしまった。
「……あの、俺がボコボコにしちゃった彼?」
「そうだっ……!! あいつら、あれからお前の背後をネチネチネチネチ追い掛けて、仕返しをする隙を探してやがったんだ。それで、お前が森の奥に消えた後、荷物だけ残っていたアイテムカートから、リュックを……」
あっぶねえっ!! フルリュと飛び立つところは見られていなかったか!!
しかし、後を付けられていたのか、俺……。俺にストーカーなんざ付くはずがないと思っていたが、世の中には奇特な人間も居たもんだ。
あのダンドとかいう男、俺の想像以上に厄介な奴だな。
「俺、あんなパーティーの中に居るくらいなら、もう冒険者を辞めようと思って。戦って、勝てなかったけど……俺にもラッツのように無属性ギルドの一員になる程の力があれば、リュックを取り返せたんだが……ごめん!!」
「あ、いやあ……ハハ」
ダンドと闘ったのか。レベル差があるにも関わらず、大した根性だな。
しかし、こいつはいつまで勘違いを続けるんだろう。……完全に俺のせいだけど。
レオは固く拳を握り締めて、いつになく大きな声で語った。その目尻には、薄っすらと涙まで浮かんでいる。
――あ、やばい。俺は直感的に、そう気付いてしまった。怒るとか、泣くとか、レオって一度感情が昂ると極端になる癖があるのだ。
徐々に、レオの声量が大きくなっていく。
「ラッツ、すまんっ……!! 俺はいつか、お前の隣に立てるような男になることを目指して、『ギルド・ソードマスター』に入ったんだっ。それなのにっ……!! あんな、あんな野郎にラッツの邪魔を……!!」
やばい。何がやばいかと言うと、周りの視線が俺とレオに集まってきた。ここにはフルリュも居るのに。
「何だ何だ……? 酒場で喧嘩か……?」
「いや、そこで飲んでるアイツに、頭を下げているみたいだぜ……」
レオはふと、俺の隣で寄り添っているフルリュに目が止まったようだ。……そりゃあそうだ、俺が誰かを連れて歩いている事など滅多にない。アカデミー時代だって、自分を訓練することで頭が一杯だったからな。いや、誇らしげにしている場合ではなくて。
茶色のローブに触れ、レオはフルリュの顔を覗き込む。
「貴女も、ラッツのギルドの方ですか」
「え、ええ!? あ、いやあの、私は……」
レオは申し訳無さそうな顔をしていた。いや、今のお前の行動の方が、余程俺にとっては迷惑なんだが。本人は欠片も気付いていないみたいだけど、フルリュの姿がバレたら周りがどんな騒ぎになるか……
「どうか、貴女にも謝りたい!! そのフードを取って、顔を見せてはくれな」「あ――!! ちょっとちょっと、ストップ!!」
俺は叫び、フルリュの手を引いた。レオの肩を叩いて、外へと向かう。
「とりあえず、ここを出よう。話は外で聞くよ」
「いや、しかし……」
「良いから黙って付いて来い。……な?」
気まずそうに、レオは俺から目を逸らした。……熱くなると周りが見えなくなる癖は相変わらずのようだった。
○
「……ギルドに、入ってない?」
酒場から出て、俺はセントラル・シティのリゾート施設、真ん中温泉まで来ていた。仕方がないのでレオの分の宿代も出してやる事にして、俺はレオにこれまでの経緯を打ち明ける事にしたのだ。
何でも、レオは武器屋のオヤジの家に住んでいて、しかも屋根裏がレオの席なんだそうだ。相変わらずその逞しさには関心するところだが、人が居てはこんな話もできない。
「そうなんだ。だから、気にする必要はないよ」
「でも、じゃあ、そこの女性は……」
フルリュが不安そうに、俺を一瞥する。俺は微笑むと、フルリュに頷いた。
そうして――フルリュが、茶色のローブを外す。
レオが、目を丸くした。
「ぎっ――――――――」
何叫ぼうとしてるんだこの馬鹿が!!
俺はレオの口を左手で塞ぎ、右手の人差し指を口元に。部屋の壁に押しやり、全力でレオを制する。
「馬鹿やめろ大丈夫だ心配ない。別に襲い掛かって来たりしない」
レオは俺とフルリュを交互に見て――――いくらか、冷静になったようだ。
「ま、魔物……ラッツ、お前一体……」
「ちょっとした事情でな。こいつの手助けをしてる」
「ラッツ様には大変お世話になっております。フルリュ・イリイィと申します」
深々と、フルリュが頭を下げた。それを見て、レオは悪い事ではないと判断したらしい。慌ててフルリュの前に行き、頭を下げた。
「れ、レオ・ホーンドルフです。ラッツのアカデミー時代の同級生で……剣士です」
律儀な奴だ。
さて、事情は共有した。レオもギルド・ソードマスターを辞めてしまった事だし、事情は俺と一緒。このままなら、俺達はただの根無し草だ。
俺は腕を組み、レオを見据えた。
「それで、お前はこれからどうするんだよ。俺はどうにかやっていけるが、お前は一人じゃまだ戦えないだろ」
「それは――……」
全力で『俺は冒険者として一人前だ』アピール。仮にも首席で卒業したんだ、アカデミー時代の同期にくらい胸を張りたかった。
いや、俺はお前の名前を勝手に使ってミッションを受けてたんだけどね。
……小物、俺。
だが、言うべき事は言わなければ。
「どうして、街中で襲い掛かったり魔物の子供を捕らえたり、セントラル・シティに波乱を呼び寄せそうな奴が『ギルド・ソードマスター』で、お前は『ニート』なんだよ」
「そ、それは……」
「おかしいだろ? あいつが魔物の子供を捕らえた事で、例えば明日にもセントラル・シティにハーピィの大群が襲って来るかもしれないんだぜ。普通はそっちをギルドから追放だろ」
レオは何も言えなくなり、苛々としながら部屋に胡座をかいた。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ……」
さあな。それが思い付けたら、とっくに俺が動いている。まあ、俺よりもレオの方がダンド事情には詳しいのかもしれないけれど。
リュックが無くなったせいで、俺もナイフによる戦闘しか出来ない。色々な武器が使えるならともかく、ナイフ一本でダンドと戦ったらどうなるかは分からない。
「ダンドは、今どこに?」
「あいつら、まだ魔物の子供を捕らえたままで、今度はそれを囮に使ってダンジョンマスターに喧嘩を売ろうとしてるんだ。……今日一日掛けて、『迷いの森』を抜けて『サウス・ウォーターリバー』に。それから、『嘆きの山』に向かってる」
その言葉を聞いて、俺とフルリュは目を丸くした。
「……え? 魔物って、売ったんじゃないの?」
「それも嘘だよ。……あの時は、裏切る訳にいかないかと思って黙ってたけど」
なんてこった。じゃあ、今でもハーピィの子供は、奴等に捕まったままで――……いや、もしかしたらフルリュの妹かもしれないのに。
フルリュは膝をついて、蒼白になってレオの肩を掴んだ。
「そんな――――その子、私の妹かもしれないんです!! 囮って、本当なんですか!?」
「なっ……そんな、妹……?」
俺は立ち上がった。いつものゴーグルはここには無いけれど、カーキ色のジャケットを羽織る。まだ温泉には浸かっていないけれど、この際仕方がないか。
金はたっぷりとあるので、また泊まりに来ればいい。
「ラッツ……?」
「フルリュ、支度しろ。俺達も、後を追いかけるぞ」
おそらく、フルリュは俺とレオの二人を担いで飛ぶ事は難しいだろう。だとするなら、俺とフルリュの二人で向かうべきだ。『嘆きの山』のダンジョンマスターにフルリュの妹が差し出される前に、そいつを取り戻しに行かなければ。
俺も実際に見たことは無いけれど、あのダンジョンのダンジョンマスターは、やばい。かなりやばい。
レオとフルリュは、揃って顔を上げて、俺を見た。俺ははっきりと、表を親指で指差して、言った。
「先に『迷いの森』を抜けて、妹を救出しよう」
レオが驚いて、慌てて立ち上がった。
「えっ……!? お、俺も行くよ!!」
「いや、お前は駄目だ。足手まといになるし、フルリュは二人抱えて飛べないだろう」
「でも、俺にも責任はあるし……」
やれやれ。レオの責任感の強さが、こんな所に響いてくるとは。俺は頭を掻いて、溜め息をついた。
「いや、あのな――――」
――――その時、不意に鍵の掛かっていなかった、部屋の扉が開いた。
全員、咄嗟に扉を見る。
濡れた白銀の髪をタオルで拭きながら、色っぽい浴衣姿で現れた女性は、俺を見てにっこりと微笑んだ。
「あらー? ……何やら、面白そうな事をしていますね」
…………げえ。