I124 嘗て
ロゼッツェルとハンスは、少なくともゴボウに対しては、まともな対応をしていたらしい。
わざわざ俺にそれを返しに来たことも、それを裏付ける証拠になっていた。
『今はまだ、答えを出さなくていい。……どの道、お前は俺達の持っている『神具』の三つを手に入れなければ、そいつの封印を解く事はできない。俺達は、お前の持っている『真実の瞳』を手に入れなければ、そいつの封印を解く事ができない。俺達は、言わば運命共同体だ』
ペンディアム・シティで起こった騒ぎは、瞬く間に世間へと広まった。無名の新米ギルドが、あの有名ギルド『荒野の闇士』に勝った、という噂は――――既に、セントラル・シティにまで広まっている事だろうと思う。
砦を手に入れて、今更決めていない事に気付いたギルド名。反射的に『ビギナーズラック』なんて、出たとこ勝負みたいな名前を付けてしまった。
『俺は、ハンス。ハンス・リースカリギュレート……お前を、『魔王城』で待つ。魔界に来い、ラッツ。『真・魔王国』ではないから、注意して欲しい……古い、『魔王城』だ。そこでお前を待つ』
それだけ伝えて、ハンスは逃げた。攻城戦の魔法陣が効果を消滅させる頃、思い出し草を使った。
『そこで、結末を決めよう。俺達二人と戦うか、俺達に協力するか』
俺は手に入れたペンディアムの砦で、ベッドに横たわっていた。石造りの部屋の中には簡素なものしかなく、広いベッドにスタンドライト、キャビネットがある程度で、他には何もない。テーブルすら無いのは、『荒野の闇士』が使っていた状態のままだからだ。
すうすうと俺の腕の中で眠るゴボウの髪を、俺はくしゃりと撫でた。あれから、引っ付いて離れなくなってしまった――……少女の手に握られているのは、彼女の封印されていたゴボウ。
『神具』が集まってきた事で、彼女も幾らかの復活を果たしたらしい。……ということは、ロゼッツェルとハンスはまだ、比較的近くに居るということなのか。
……いや、ゴボウでは、ない。
後に、ガングが語った。この世にある、五つの神具のことだ。それは『真実の瞳』、『深淵の耳』、『百識の脳』、『虚言の口』、そして『決断の指』だと。
どうやらこれは、『決断の指』だったらしい。
指、て。
…………長すぎるわ、あほめ。
朝焼けが差し込んでいた。随分と早い時間に起きてしまったらしい。考え込んでしまい、しかし思考の渦に巻き込まれ、行っては返りの繰り返しで、答えなど見付かりそうもなかった。
ダークブラウンの美しい髪を持つ少女は、ぞっとするほど白い肌をしていた。
その肌を、撫でる。
「…………ん」
薄っすらと目を開き、少女が目を覚ました。
最早『ゴボウ』ですら無くなってしまった彼女を呼ぶ言葉を、俺は知らない。名無しと呼べば良いのか、それともちょっと気を利かせて、ゴンベエなんて呼んでみるか。
……それなら、ゴボウでいい。
愚にもつかない事を頭の中で悶々と考えていると、少女は俺を見て、はにかんだ。
「おはよ、ラッツ」
「……おはよう」
どう反応して良いのか分からなかったが、とりあえず挨拶は交わす事にした。ゴボウは俺の胸に甘えて、ぐりぐりと顔を埋める。久しぶりの毛布に包まれる時のような顔をして、もう一眠りしようかといったような、微睡んだ顔を見せた。
どうしよう。
これはやっぱり、事情を自ら話してくれるまで、何もしない方が良いのだろうか。
「主よ……我が主よ。逢いたかったぞ……生きていて、良かった……」
いつの間にか俺は、ものすごく好感度を高めていたらしい。……かと思えば、少女はぼろぼろと涙を零し、今にも命燃え尽きそうな顔をして、俺を睨みつけるのだ。
「もう、二度とあのような事をしてくれるな。……二度と、だぞ」
「お、おう。……悪かったよ」
どうにも、不安定だ。
スカイガーデンでの一件は、もう俺にとっては遠い過去のようにすら感じられた。だが、この少女の中で最後に見た俺の記憶と言えば、あの『ガスクイーン』と戦い、<凶暴表現>を発動させたのが最後なのだ。そしてそれは、少女の心に深い傷を与えてしまったらしい。
そのせいで、どこに行くにも一緒に付いて来る。ついに朝になるまで、俺達は一緒だった。まさか、あのフィーナが気を利かせて撤退するなどという状況が、この世に訪れるとは思わなかった。
「主が一人で死ぬくらいなら、私が主を殺して、私も死ぬ……」
何故、俺なのだろうか。
この少女は、一体心の奥底で、俺に何を求めていると言うのだろう。偶然宝箱で出会って、偶然付いて回るようになった。たったそれだけの、関係の筈ではないのか。
「独りは嫌だ……独りは怖い。もう、記憶を失うのは嫌だ……」
なんとなく。
そこかしこに散らばった話が、俺の中でひとつに成ろうとしていた。
木製の扉を叩く、鈍い音がした。瞬間的に少女はびくんと痙攣して、飛び跳ねるように起きる。まだ朝方、誰も起きていないような時間に発生したノックの音に、少女の頭から生えた二本の角が僅かに動いた。
扉が開き。
ガツンと、扉の上部で音がした。
「おや、これは失礼」
そして、何故か自分がぶつけた扉の枠に謝っていた。
「失礼。いやー、こんな朝早くに失礼。ご迷惑でしたか?」
お前本当は失礼だと思ってないだろ。
現れたのは、全身に包帯を巻いた男。右手に花瓶を抱えた、ガング・ラフィストだった。左目の代わりとなっているレンズを、左の親指と人差し指で調節する。キュキュ、と何かが擦れるような音がして、ガングは部屋の中を歩いた。
気が付けば少女はベッドから降り、空中で腕を組んでいた。……どことなく、気張ったような表情を見て取る事が出来る。
「お早うございます。いやー、あなたもお目覚めでしたか。気分は如何ですか?」
「……う、うむ。悪くはないぞ。……しかし貴君よ、その包帯はどうしたのだ? 怪我でもしたか?」
ガングは真っ直ぐに小さな少女へと歩くと、その巨大な手で、わっし、と少女の頭を掴んだ。そのまま、乱暴に頭を撫でる。
「きっ……!? 貴様ァー!! なにをするやめろ!!」
ものすごい反応だった。……あれ? さっき俺が撫でた時は、何も無かったのに。
珍しく、ガングの表情から優しそうな笑みを見る事ができた。いつも何を考えているのか分からないのに、こんな風に感情を全面に出す事は、本当に珍しい。
やっぱり、この人も何かを隠しているんだろうな。……いや、この元・ゴボウ少女と同じように、記憶が失われているのか。どちらかだ。
でも、記憶を失っているだけではないように感じる。
「出会えて、いやー、嬉しいですよ。まさかもう一度、生きているうちにその顔を見る事が出来るとは」
「……なに? 貴様、名を名乗れ」
「ガング・ラフィストと申します」
少女は理解していない。
やっぱり、少女の記憶は失われているんだ。ガングは少女の表情を見て満足したのか、右手に抱えていた花瓶をキャビネットの上に置いて、それを眺めていた。
何でまた、花なんて。その問いに答えるでもなく、ガングは包帯巻きの手を腰に据えて、ふう、と溜め息をついた。
「いやー、しかし、ラッツさんが『神具』をねェ。……私ゃ驚きましたよ。驚き過ぎて目玉飛び出ましたよ」
ねえじゃん、目玉。
「やはり、因果というものはあるのですかねえ……」
俺はベッドから降り、立ち上がった。ガングの態度に、いい加減黙っていられなくなった。そもそもガングは、初めて出会った俺に、こう言ったのだ。
こんな所で、出会うとは。お会いできて嬉しい、と。
初めから、俺の存在を知っていた。エト先生が紹介しようと思ったのも、それでなんだろう。そこから推測できる事は、たった一つだ。
「なあ、ガングさん。聞いてもいいかな」
「はて……?」
「惚けてないでさ。……知ってるんだろ、俺の爺さんのこと」
そう言うと、ガングは笑った。その左目のレンズは笑っていても形を変えなかったが、堪らずおかしくなった、といった様子だった。
「いやー、ユニークで、素直で、洞察力が鋭い。毅然と見せた嘘より純粋な瞳こそ、愛は正義に打ち勝つというもの。血は争えませんね」
…………何を言っているのか、さっぱり分からん。
かと思えば、ガングは個性的な帽子を深く被り直して、窓から外を見た。そこの窓はペンディアム・シティとは反対側。見渡せば、セントラル大陸とユニバース大陸を両端に眺める事が出来る。
ガングはそれを眺め、ふむ、と腕を組んだ。そこからどのような単語が飛び出すのか、俺は予想もしていなかったが――――
「嘗て」
と、ガングは口にした。
「……魔王と勇者が種族の運命を賭けて戦っていた頃。魔王が封印されし頃に、天より舞い降りし『紅い星』現れ、生物を喰らい尽さん」
少女が目を丸くして、ガングの言葉を聞いた。ガングは少女を見ると、暫し沈黙した。その無機質なレンズの奥に、何らかの感情を秘めているように視えた。
「貴女は、貴女だけが、この呪いにも似た言葉を発言する事を封じられ、虐げられて来ました。反射的に話そうとしても、決してその先を話す事は出来ない――――貴女が、そう『仕組んだ』のですよ」
そう、仕組んだ?
ガングの言葉は、興味深いものだった。なんとなく、その話は聞く気になれず、無視してきたけれど。……それは、少女の仕組んだものだったのか。
「……何故だ?」
少女は、そう呟いた。
「起こっている現実から、目を逸らす為です。……私が覚えているのは、それだけ。その時に何が起こったのかも、よく覚えていません。……忘れて、しまったのです」
「どうして?」
今度は、俺がそう聞いた。しかし、ガングは首を振る――どうやら、本当に覚えていないらしい。ガングの中にも、ぽっかりと記憶に穴が空いたような状態になってしまっているのか。
――――あれ、それって、つまり。
俺が気付く程度の事は、きっとガングも気付いているのだろう。だが、それ以上先には進めない事をガングは知っているのだ。この世にそれを知り得る者は居ない。それだけは、知っていたから。
つまり。
ガング・ラフィストは、『紅い星』とかいうものに、挑んだのではないか。
「気が付いたら、私は全身の四肢を奪われ、腰から下を切断されて、ユニバース大陸の外れに転がっていました。生きているのが不思議な程でした……何も視えず、何も聞こえない。でも、生きている事だけが分かるんです。……いやー。それは、堪らなく怖かった」
まるで何事も無かったかのように、或いは自分自身に起きたことではないかのように、ガングは語る。
「私はアイテムエンジニアでしたから。死ぬまでの時間を延長するよう、アイテムを使っていたのでしょう。生きろと、言われているように感じました。動くのは口だけだった……助けを呼びました。おーい、誰か。誰か、居ないかと。そうしたら、運良くアイテムエンジニアの仲間に出会う事が出来たのです。いやー、あの時は嬉しかったですよ」
それは、昔の話なのだと。
今なお身体を蝕んでいる、その造られた両腕両足と、左目のレンズを持って。剰え魔力を失い、それでも昔の話なのだと、ガングは言った。
「覚えているのは、次元の裂け目に入った時。四人、戦いに挑みました。私と、お嬢さんと、時空を操る若者。変なパーティーでしたね……おかしいと思いませんか? 四人で戦いに行った事は確かなのに、私は三人分の顔しか思い出す事ができない」
まさか。
「多分私は、『救われた側』だったんですよ」
俺はガングに近寄り、そのべらぼうに高い身長を見上げた。ガング・ラフィストをそこまで追い詰め、傷付けた者の正体。そして、瀕死のガングを助けた、ブラックボックスの存在。
それって、まさか。
「……ガングさんは、……ガングさんは、『紅い星』を倒しに行ったのか」
だが、ガングはその問いに、首を振った。
「分かりません。何しろ、自分が何と戦ったのか、それさえ奪われてしまいましたから……ただ、ね。ラッツさんのお爺さん、トーマス・リチャードは、この世界では『伝説の大泥棒』なんて呼ばれているそうじゃないですか。私はね、何故かは分かりませんが、それが許せないんですよね」
ガングは、遠くを見詰めていた。そのレンズ越しの瞳に何が映っているのか、俺には分からなかったが。俺の爺さんと仲良くしていたガング・ラフィストは、今この世界について、どう思っているのだろうか。
「それだけお話しようと思い、こんな朝早くに来てしまいました。いやー、すいませんでしたね。朝食にしましょうか」
宙に浮いた少女が、ガングを見て泣きそうな顔をした。
きっと、ガングが話した言葉の欠片も理解出来なかったのだろう。だが、ガングの話の中に少女は登場していた。それが何より、不気味だったのかもしれない。
少女を見て、ガングはふと穏やかな微笑みを浮かべ。
「……貴女の封印を解く事は、先へと進む事です。だから、怯えちゃいけない。それは、私にも分かっています。……ですが、誰が封印を解いても良い訳ではない。私も知らない本当の記憶を取り戻した貴女がどうなるのか、私にも分からない」
そう、言った。
「朝食に、しましょう。下で待っていますよ」
名前も知らない少女は、ガングの言葉を聞いて驚き、そして。
何も知らない自分を、悔いているようだった。




