A12 ウォーターリバーの不思議なお水を売り付けよう
さて、からくりを説明しよう。
俺はサウス・ウォーターリバーで、五百ミリリットルの『リバーウォーター』を十本程買い漁った。普通は一本二百セルほどの値段なんだけど、色々探して最も安い、百セル付近で十本落とした。
さて、この『リバーウォーター』。セントラル・シティでは、ことさらに流通が少ない。距離は近いのに、間に挟まっている『迷いの森』なんて分かりやすい名前のダンジョンがあるせいで、行ける人間が限られているからだ。
『リバーウォーター』は普通の水と違って僅かに魔力が込められているため、使用者の体力と魔力が若干ながら回復する。まあ、これだけならパペミントとカモーテルを持ってりゃ良いだろって話になる。
最も素晴らしいのは、その込められた魔力によって、聖職者の消費アイテムである『聖水』を作ることができるのだ。
聖職者は『聖水』をセントラル・シティでは作ることができないため、『迷いの森』を抜けてサウス・ウォーターリバーに訪れるか、この辺りでは険しい山を二、三個も越えなければならない村が二つある程度。
「十本で五キロあるけど、重くないか?」
「先程に比べたら、全然。違いなんて感じられないほどですから」
フルリュの背中にしがみつき、俺は『リバーウォーター』を担いで空を飛ぶ。向かう先は、セントラル・シティの外れ――少し森林を抜けた所にある、『聖なる社』。これも、聖水を作るために必要な場所だ。
セントラル・シティという恵まれない土地に仕える『ギルド・セイントシスター』は、その重要な消費アイテムである聖水の入手を――魔力が含まれている水の入手を、他者に頼らざるを得ない。
かといって、『リバーウォーター』そのままでは大した金にはならない。精々、五百ミリで二百から四百セル程度だろう。
ところが一本の聖水は百ミリリットル辺り、相場一万二千セル。高すぎると思うだろう? 実はこの『聖水』、作るために特殊なスキルが必要なのだ。
『聖なる社』に辿り着くと、俺はすぐにフルリュから降り、社の前へと向かった。銅像の前に組まれた魔法陣は、他の聖職者が聖水を作るために、予め書いてあるものだ。
「……それでラッツ様、このお水をどうやって?」
「まあ、そこで見てなよ」
そう。聖水一万二千セルってのは、聖職者が聖水を買うために必要な金額じゃない。聖職者はガテン系の冒険者から魔力を含んだ水を通常の倍額ほどで買い取り、その水から聖水を作るのだ。そして、他のギルドに高値で売るというシステムになっている。
聖水を作ることは出来ないが、聖水を必要としているギルド。まあ、多くはアイテムエンジニアだな。
「さあ、偉大なる神、ウルグランドよ。大地より授かりし恵みの水に、新たな力を与え給え…………!!」
さて、この聖水を作るスキル。
俺、使えるんだよね。
『聖なる社』の魔法陣が淡く光り、程なくして光が治まる。魔法陣の中央に配置したリバーウォーターは、僅かに光を放っていた。
俺はすぐにリバーウォーターと聖水を入れ替え、再び魔法陣の前に立つ。
「大地より授かりし恵みの水に、新たな力を与え給え……」
まだまだ!
「新たな力を与え給え……!!」
もいっちょ!
「あたえたま……!!」
踊り狂え!
「えたま……!!」
十五分後。
「お疲れ様です、ラッツ様」
意外にも、反復運動というものは疲れるものだ。俺は聖水に変換させたリバーウォーターを前にして、肩で息をしていた。
……何にしてもこれで、準備は整った。俺はリバーウォーターこと聖水を担ぎ上げると、フルリュに合図した。
「さあ、アイテムカートまで戻るぞ、フルリュ」
「はいっ!」
しかし、アカデミー時代に俺には全く無関係な『聖水取得』のスキルを手に入れておいたのが、こんな所で役に立つとは。
基礎スキルもあながち、バカに出来ないもんだ。
○
セントラル・シティの一角にある、露天商オーケーの自由販売地。
「さあさあ! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! ラッツ・リチャードの聖水露店の始まりだ!!」
俺は手を叩いて、アイテムカートの前に露店を出した。普通は商人以外が露店なんて出すことは殆ど無い。名前が無いと通り掛かっても怪しがって売れないし、大体知り合いの商人が居るから、売り子を頼む。
だが、俺は出す。
商売学は冒険者アカデミーで一応勉強したし、こんな怪しい露店をチークに頼むわけに行かないからな。
「一本、特別特価で一万セルで売るよ!! 全部で五十本、早いもん勝ちだ!!」
ウォーターリバーで手に入れた五百ミリリットル十本の『リバーウォーター』を、百ミリリットル五十本の『聖水』に加工して売る。
商人が売る聖水ってのは、大体『ギルド・セイントシスター』と繋がりがある事が殆どだ。だから、一万二千セルの相場価格を下回る事が出来ない。
聖水は聖職者にとって、神への貢物。そんなものを安売りされてしまっては困るのだ。
商人は聖職者から聖水を買い取る形で売るから、聖水を安売りなんかしたら赤字になってしまって商売上がったりだ。
だが、俺は出す。
自前で作ることが出来るからだ。
「……本物か? 一万セルだと……」
ほら、早速アイテムエンジニアっぽい、いくつもの試験管やら瓶やらをコートの内側に括り付けた、ロン毛の兄さんが寄ってきた。
普通、聖水取得のスキルなんか覚えた日には聖職者にならないと、他のギルドからは弾かれる事が多い。聖水取得って、スキル取得までに時間が掛かる割に、役に立つ場面が少な過ぎるからだ。
俺は夏休みを返上して聖水取得のスキルを覚えたんだけどね。
まあ、お陰でどこのギルドにも入れなくなったけどさ……
「全く本物。変なモンも混ぜてないぜ。聖水に不純な水なんか混ぜたら、瞬く間に光を失っちまうだろ」
「まあ、それはそうだが……しかし、安過ぎる」
アイテムエンジニアの兄さんを皮切りに、辺りに少しずつ人が群がってきた。俺は横目でその人影を確認しながら、ロン毛の兄さんに不敵な笑みを浮かべた。
「製造方法は企業秘密。嘘だと思うなら、買わなきゃいいってだけの話さ」
「……一本、くれ。まともだったら次も見付けて買う」
「まいどーっ!」
ロン毛の兄さんは俺に金を差し出すと、聖水を手に取って確かめているようだった。確か、なんとかっていう攻撃用のアイテムを作るのに聖水が必要なのだ。
ふと、ロン毛の兄さんはアイテムカートの中に鎮座しているフルリュに気が付いた。フルリュにはとりあえず、俯いて座っていろと命じてある。
「……後ろのヤツは? まさか、アイツが作ったのか?」
びくん、とフルリュが反応した。大丈夫、返事はしなくていい。俺はそっと、ロン毛の兄さんに顔を近付けて、耳打ちした。
「いや、ちょっと全身火傷して、身体を隠してるんだ。あまり触れないでやって欲しい」
ロン毛の兄さんはフルリュのローブ姿をじっと見詰め――……
「……そうか。それは、早く良くなると良いな」
まあ、他人事情なんてこんなものですよ旦那。
買って行ってくれたお陰で、次々と人は寄ってくる。露店でアイテム漁りなんて、アイテム制作の本職であるアイテムエンジニアが殆どだから、売りやすいのなんの。
「こっちにも一本くれ!!」
「おい、こっちは三本だ!!」
「はいはい、順番に並んで並んで」
さて、露店を出してから僅か一時間。俺はシートを仕舞い、札束を数えた。アイテムカートからフルリュが降りてきて、すっかり人気の無くなった俺の隣で札束を覗き込んだ。
「お、おおー!!」
一、二……ちゃんと、五十万セルある。往復一時間の水購入時間と、たった十五分の聖水取得スキルを使って、五十万セル……笑いが止まらない。
俺はそそくさと財布に五十万セルを突っ込み、懐に大切に仕舞った。
「美味しすぎる……!! この商売で家が建ちそうじゃないか……!!」
「お、お家が建ってしまうのですか!!」
フルリュも目を輝かせて、俺の顔を覗き込んだ。俺はフルリュの頭を撫でて、微笑んだ。
「フルリュが空を飛んでくれたお陰だよ。ありがとう」
俺がそう言うと、フルリュは顔を赤らめて俯いた。
「そんな……。わ、私はただ、言われた通りに空を飛んだだけですから……」
ああもう、可愛い。この場でローブを脱がして、抱き締めてやりたいぜ。こんなに健気な魔族が居るもんかね。
この場でそれをやるとセクハラ認定されてしまいそうなので、頭を撫でるに留めているが。
とにかく、これで当分金には困らないだろう。収入源が確保出来たのは大切なことだ。
「みーちゃった」
「ヒイッ!?」
至近距離で声を掛けられ、俺は背筋に悪寒を感じて飛び上がった。振り返ると、白銀の美しい長髪と、桃色のシスター服を来た女性の姿が。
――――フィ、フィーナ・コフール!?
口が裂ける程に横に広がり、邪悪な笑みを浮かべる。
「神への冒涜に近い行為。しかと見届けさせて貰いましたよー?」
やばい。やばいやばいやばい。他の聖職者に声を掛けられたらどうにか騙くらかすつもりで居たが、こいつは駄目だ。規格外だ。
いや、それ以前にどうしてこんな所をうろうろしているんだ。暇なのか?
「ギルド・セイントシスターに喧嘩を売る行為だと見なしても、よろしいのですね?」
「あ、い、いや、これは――――」
俺が慌てて手を振ると、フィーナはくすりと笑って、上目遣いに俺を見た。
「冗談ですよ。……本当、面白い方ですね。聖水はご自分で作られたのですか?」
……いつになく、優しい笑みだ。
「すまんな。どうしても金が入用で」
「ええ、私はなーんにも見ていませんよ。例え見ていたとしても、もう『ギルド・セイントシスター』ではありませんし、関係無いですわね」
「え……? 昨日の今日で、もう辞めたのかよ?」
「むーっ! 今朝のセントラル・ニュースを見ていないのですね? お姉さん、嫉妬しちゃいますよ? ぷんぷん!」
なんか緩いノリで怒られた。……すまんな、ホテル暮らしでニュースはあんまり見てない。
「本日の早朝をもって、『ギルド・セイントシスター』を退団させて頂きましたわ。もう、これからはギルドリーダーでも何でもない、ただのフィーナ・コフールですので。以後、よろしくお願い致します」
「あ、ああ……」
「よろしくお願いされたくない方が、一名ほど居らっしゃるようですが」
……ん? そういえばゴボウはともかく、後ろがやけに静かだ――俺は、後ろを振り返った。
フルリュがいつになく険しい表情で、じっと俺とフィーナの様子を見ている。……何やら、背後に炎らしきものが見える気がするんだけど、気のせいだろか。
「あの、今まで私、教会に住まいを確保していたのですけど、今回退団をきっかけにお部屋を借りましたの。ラッツさん、お住まいは今どちらに?」
「ああ、俺はホテル、だけど」
わざとらしく両手を叩いて、フィーナは花のような笑みを浮かべた。
「まあ、良かったですわ! なら、暫くご一緒しません?」
「だめ――――――――!!」
俺の腰に手が回され、ぐい、と後ろに引っ張られた。フルリュがしっかりと俺の背中を捉え……胸が。
「駄目です嫌です!! ラッツ様はこれから、私の妹探しに付き合って下さるのです!! 貴女の入り込む余地はありません!!」
「まあ……嫌われたものですわね」
「ラッツ様を危険な目に合わせる人なんて、嫌われて当然です!!」
怒涛の剣幕でフルリュがフィーナに抗議すると、フィーナは頬に手を当てて、溜め息をついた。……またしても、わざとらしい。
「あれはラッツさんの実力を試すための、試験のようなものでしたのに」
その試験で、俺は軽く殺され掛けたんだけどな。
やっぱりこのタヌキ女、信用するにはちと早過ぎるようだ。
フィーナはずい、と身を寄せて、俺の胸を人差し指でなぞった。ぞくぞくとする感覚に、思わず声が出そうになる。
俺の胸に頭を預けて、フィーナは上目遣いに俺を見上げた。長い睫毛がより際立つ。
「私、ラッツさんとの『ご同棲』を、心よりお待ちしておりますので……そこの魔族に嫌気が差したら、いつでも私の所に来てくださいね?」
……このタヌキ女、どうしてこんなに色っぽいんだ。
肩を捕まえようとすると、するりとフィーナはすり抜ける。俺から数歩距離を取り、俺とフルリュに手を振った。
「それでは、またお会いしましょう」
「二度と会うもんですか!!」
フルリュ、こいつには随分言うようになったな。
フィーナは背を向けて、去って行く。滑らかな銀髪が風に揺れ、珍しくも露店に突如として現れた桃色の聖職者は、自分の居場所へと戻るように歩いて行った。
ふと、フィーナは立ち止まり、俺に振り返った。
「あの、ラッツさん。つかぬ事をお伺いしますが――――」
その表情は、純粋な疑問に満ちているようだった。俺は何を聞かれるのかと、首を傾げる。
「貴方のいつも持ち歩いている『リュック』、どこかに置いてあるんですか?」
人差し指を唇に当て、フィーナは俺に問い掛ける。
「ああ、それはホテルに――――――――」
思わず、俺は反射的にそう答えようとして。
……固まった。
フルリュもまた、はっとしたように目を丸くして、その場をきょろきょろとし始めた。俺も、その場を見回すが――――あるわけがない。露店通りに来た時から、俺はリュックを担いでいなかった。
なんて事だ!! 聖水売りに夢中で、リュックの存在をすっかり忘れていたのか!?
あのリュックには、意味の分からない喋るゴボウが刺さって……どうにも静かだと思ったぜ!! いや、それはどうでもいいが…………
――――誰かに、盗まれたのか。