H113 その『弱さ』を利用しろ
足下を流れるマグマの川には、シャドウフレイムの影は映らなかった。それはマグマ自身も発光しているからであり、下から照らされていた為、影が出現する余地がなかったのだ。
しかし、現在はマグマの川を遮る足場の上に位置し、シャドウフレイム自身の炎による光が、頭蓋骨分の影を作り出している。炎を移動させれば、影は自由自在に位置を変え、その影から攻撃も繰り出せるというわけだ。
ロイスの<ブルーカーテン>は、正解だったな。こいつの鈍足さが幸運だった。マグマの川があるからどうなっていたか分からないが、仮に崖際に影を作り出されていたら。その時点で、終わっていたかもしれない。
実際、頭蓋骨の周りにある炎は奴の生命線なのか、炎の中を移動するにはそれなりの時間が掛かるようだ。影から出現した黒炎は瞬間的に俺の蹴りを遮る程の速度を持っていたが、身体の炎は自由自在とはいかないらしい。
黒炎の防御だ。こういうタイプは、出来れば近距離戦で距離を詰めて戦いたいところ。どうすれば鉄壁のガードに隙が出来るのかということを考えていかなければならない。
だが、それは難しいだろうな。
シャドウフレイムはモーションもなく黒炎を立ち昇らせ、それぞれ別の場所に居る俺とロイスに黒炎の弾を飛ばして来た。
「くそっ……!! <ブルーカーテン>が使えりゃあな……!!」
「おわああああ――――!! 魔法は!! 魔法は勘弁してくだせえ!!」
リュックから盾を取り出して攻撃をガードする俺と、頭を抱えて逃げ惑うゴン。ロイスはと言うと、崖を駆け上がり、三角飛びでシャドウフレイムの攻撃を避けたようだった。
その時、異変に気付いた。ガードした盾が、溶け始めたのだ。
「うわっちっ!?」
反射的に手を離すと、盾はごろり、と転がる。あっという間に、ただの鉄の塊になってしまった。すぐに手を離したので火傷する事は無かったが、転がった盾にはまだ、黒炎が残っている。
見れば、崖の岩も燃え出していた。……なるほど。こいつは、<ブルーカーテン>なんかで防げるようなモノでも無さそうだ。
ロイスは俺達に向かって走って来る。走りながら数本の<ハイドロ・アロー>を放ったが、全て頭蓋骨の影から伸びた黒炎に遮られてしまい、ただの鉄屑となってしまった。ロイスは舌打ちをして、強く地面を蹴り、高く地面を跳躍。シャドウフレイムの真上で、弓を構えた。
「<パラレル・アクション>!! <ホークアイ>!!」
俺も既に、走り出している。この手の鉄壁防御を持っている魔物というのは、どこか一方向へのガードしか出来ない、というのが通例だ。かのビッグ・トリトンチュラも、横からの攻撃をガードする事しか出来なかった訳だからな。
弱くてもいい。それなら、その弱さを逆手に取ってやればいい。そう気付いたのは、たった今の出来事だったが。
リュックから引き抜いたのは長剣だ。短剣よりも攻撃範囲が広く、リーチも長い。シャドウフレイムの黒炎は、盾が駄目になってしまうほどの攻撃だ。ならば、武器破壊はされるものだと思っておいた方がいい。
「スキルは強いが、小回りが利かねえんだよな……!!」
ロイスよりも速く、俺はシャドウフレイムに向かっていた。頭蓋骨目掛けて、大きく横薙ぎに一発。当然、シャドウフレイムは俺の攻撃をガードに掛かる。
ガードを誘発させるためなら、弱い攻撃の方が良い。何故なら――――
攻撃する振りをして、その場で立ち止まった。シャドウフレイムの反応が一瞬遅れる隙に、ロイスはもう攻撃モーションに入っている。
「<スマッシュ・アロー>!!」
放たれた矢は、水を纏っていなかった。鋭く発射された矢の攻撃は、至近距離でシャドウフレイムの頭蓋骨に着弾し、幾らかの余波を伴って炎の身体から弾き飛ばされる。
地面に頭蓋骨が激突する、乾いた音がした。そのまま跳ね返り、シャドウフレイムの頭蓋骨は光を失い、マグマへと落下していく。
ロイスは空中で翻り、方向転換をしてゴンの前に着地した。シャドウフレイムの残り火は衰弱し、勢いを弱める。
やがて、着地と共に光の粒となって霧散した。
「<スマッシュ・アロー>か、ナイス機転。もうちょい、手こずるかと思ったけどな」
ドロップは――……紫色に光る、菱型のネックレスだった。……あまり、見たことがないアイテムだな。ダンジョンマスターのドロップだから、そこそこ高価な装備品だったりするのだろうか。
俺はそれを拾い上げて、リュックに詰めた。後で冒険者バンクに行って、換金して貰おう。
「いえ、僕の作戦にいち早く気付いてくれたラッツさんのお陰ですよ。<ハイドロ・アロー>では、また避けられるかと思ったので」
頭蓋骨にクリーンヒットする攻撃でなければ、ダメージを与える事は出来てもワンショットキルは難しかっただろう。それが分かっていたからこそ、ロイスは<スマッシュ・アロー>を選択したのだ。
俺の攻撃をロイスが止めた時、至近距離で放たれた<スマッシュ・アロー>にも関わらず、シャドウフレイムは避ける事をしなかった。その光景を、覚えていたのだろう。
「良いコンビネーションだぜ、ロイス。やっぱ、ギルドに入らないなんてのはナシだろ」
「……はは。ちょっとだけ、自信持てますね」
そうして、俺とロイスは手を合わせ、ハイタッチをした。
思い出し草を使う手前まで、その戦いの一部始終を見ていたゴン・ドンジョが、何とも言えずに傍観していた事だけが、何故か気になった。
呆気に取られた、といった様子だった。
○
それきり、ゴン・ドンジョとは別れた。本当に何もせず、ただ見守って終わったゴンだったが、何を考えていたのかはよく分からなかった。
とにかく、ハバネロフラワーを手に入れてペンディアム・シティに戻って来た俺は、衝撃的な光景を目にする事になった。
ロイスと二人、ペンディアム・シティ中央にある水上の宿に戻って来た時だった。思い出し草は宿の手前でメモリーしていたので、戻るのに苦労する事はなかったが――……
時刻、夕方。夕日に染まる宿の入口手前には、見覚えのある銀髪娘の姿があった。
「なっ…………なんで…………?」
夕日をバックにしているのが、燃え盛る炎のように見えた。いつになく検相な表情で俺を待っていたフィーナは、腕を組んで鋭い眼光を俺に向けていた。
俺よりも背が低い筈のフィーナが、何故か巨大に見える。宿の窓から、フィーナとキュートが俺の姿を見ていた。
目が合うと、苦笑された。
おい。どうしろと言うんだ。
「どこに行っていたんですの…………?」
エト先生、ちょっとしっかりしてくださいよ。俺が復活する前に居場所を教えたら、ここに来るのは明確ですよね? ……当然、好きで教えた訳ではないんでしょうね。もしかしてこれ、事情を釈明しなきゃいけないアレですか?
釈明しないといけないアレ、ですよね。
「あー、ああっ。ちょっとガング・ラフィストって人に会いに行って。俺の『魔孔』を治して貰おうと、さ。してたんだよ」
フィーナはにっこりと笑うと、俺の足を踏んだ。
「ああ、なるほど。それで私に相談もせず、ダンジョンに行ったのですね」
――――バレている!?
じりじりとフィーナは俺と距離を詰めて来る。何か、強い嫉妬のようなものを感じた。嫉妬? いや、これは……何に対する怒りだ?
「ラッツさんは、今の自分がどういう状態なのか、分かっていらっしゃらないのですね?」
「い、いや、そんなことは……」
「まあ治しに行くのは良いとして、私を置いていくのはおかしいですよね?」
「いや、一応動けるようになるまで介抱して貰ったわけで……」
別に動けたし、無事に帰って来たんだから良いじゃないか。……いや、そこは大した問題じゃないのか。
フィーナを置いて行った事が問題なのか。
「私を置いていくのはおかしいですよね?」
「いっ……ちょ、痛っ……」
フィーナはぐりぐりと、俺の足を踏みにじった。……痛い。痛いよ。貼り付けたような笑顔が怖いよ。
直後、憤怒の形相になったフィーナは舌打ちをして、小さく呟いた。
「……ちっ。あのジジイ、ラッツさんの性格を分かっていて解き放ちましたね。後で半殺しにしてやる……」
漏れてる、漏れてるよ!! 周りには聞こえてないかもしれないけど、俺にはばっちり聞こえているよ!!
やばい。フルリュとキュートとロイスを連れて行った俺が無鉄砲だったかどうかはさておいて、この執着心マックスなお嬢様は自分が置いて行かれた事そのものに強い怒りを感じていらっしゃる。
ここは、何はどうあれ謝るのが吉だ!!
「すんませんっしたァ!! ほんと勘弁してください!!」
土下座すると、目の前の女神が少しだけ微笑んだ気がした。
圧力が弱まり、ほんの少しだけ開放される。良かった……!! もしかしたら、謝り倒したら許してくれるかもしれない!!
何しろ、今まで介護役にフィーナを任命していたのは俺だ。勝手に外に出たら、怒られても仕方ない。……束縛されそうな気がしたから、故意に置いてきたというのは秘密だ。
「……仕方ありませんね」
俺は顔を上げ、目の前の女神の微笑みを見た。
「じゃあ、これから魔孔が治るまで私のそばに居られたら、これを返してあげましょう」
その手には、俺の――――ゴーグル。
一体いつから持っていたのか、俺は目を見開いた。女神の微笑みは、いつの間にか小悪魔の微笑みに変わっていた。
「おまっ……!? どこに行ったのかとずっと思ってたんだぞ!? 『流れ星と夜の塔』に置いて来たんじゃなかったのかよ!!」
手を伸ばすと、すぐにシスター服の首元を引っ張り、中へ。するりと、フィーナの胸元へと入った……この場でそんな所に手を伸ばしたら、俺は犯罪者である。
フィーナは人差し指を立てて、頬の前で振った。色っぽく流し目を送って、俺に微笑む。
頬の筋肉が痙攣して、治まりそうにない。
「次、魔孔が治る前に私のそばから離れたら……これを躊躇なく……ハ・カ・イ」
「やめろォ―――――――!?」
女神の微笑みは、悪魔の微笑みだった。
冗談じゃないぞ。共に苦楽を乗り越えてきた、大切な仲間なんだ。……俺のゴーグル。
「それともー、手を入れてみます? 頑張ってまさぐれば、取れるかもしれませんよ……?」
俺がそんな事は出来ないのを、分かって言っている。……悪魔だ。勝ち誇ったようにフィーナは笑って、目の前で乳を抱いてみせた。
ちくしょう、いい乳しやがって……
「あ、ラッツさん!! ここに居たんすね!!」
声がして、駆け寄ってくる足音があった。その足取りは重く、そして遠目に見える姿は小さい。背の低い、太った武闘家。ゴン・ドンジョだった。
俺の胸に寄り添っているフィーナを見て、ゴンはぎょっとして、立ち止まった。
「す、すんません!! どうもあっし、邪魔してしまったようで……」
「いや、邪魔ではないけど。……どうしたんだ? ギルドに戻ったんじゃなかったのかよ」
「折り入って、ラッツさんにお願いがありやして……!!」
俺がそう言うと、ゴンは初めて、手に握っていた紙を広げて……なんだ? あれは。目の前まで走って来ると、俺に頭を下げた。
……土下座だった。
その手に握られていた紙の内容が、視界に入る。これは……ギルドの、入団登録用紙だ。ギルド名は、『荒野の闇士』。……そうか。本当に、有名な無属性ギルドのギルドリーダーだったのか。
「あっしのギルドに、入って貰えやせんか」
夕暮れの日差しが、ゴンの横顔に濃淡を加える。
急に、辺りが静まり返ったように見えた。状況の分からないフィーナは目をぱちくりとさせ、離れた場所で様子を見守っていたロイスが駆け寄ってきた。先程までは俺とフィーナの様子を見守っていた周囲の人々が、今度はゴンに視線を向ける。
ペンディアムには、海に浮かぶ街独特の、波の音が絶えない。会わせるように鳴く鳥の音が、沈み行く夕日のバックミュージックになっていた。
「正直、ラッツさん。あんたの強さに惚れやした。……肉体的な強さだけじゃねえです。心の強さ……武闘家として、冒険者として、なくてはならないもんを持っている。ダンジョンに入った時、無謀だと思ったんす。でも、魔法が使えない状態でありながら、あっさりと苦難を乗り越えてみせた」
何か、切羽詰まったような感情を、背景に読み取る事ができた。只ならぬ決意。どういう事情があるのかは、俺には分からなかったが。
「今、『荒野の闇士』はギルド設立以来の危機的状況なんでさあ。……後生に後悔はさせやせん。あっしと一緒に、『荒野の闇士』を支える冒険者になっちゃあくれやせんか」
事情の分からないフィーナが、俺とゴンとを交互に見詰めた。フィーナの表情には、幾許かの不安も読み取る事ができた。事情が分からずに、困っているのだろう。
心配すんなよ。
俺はフィーナに笑みを返し、頭を地に付けているゴンへと、一歩、前に出た。
「ゴン、だったよな。あんたの名前。……悪いけどさ、俺も自分の仲間達と、ギルドを始めようかと思ってるんだ」
顔を上げたゴンは、しかし悲痛な顔色ではなかった。どことなく、俺がそういった返事を返すことを、初めから分かっていたかのような様子だった。
「だから、『荒野の闇士』には入れない。……ごめんな」
唯一無二とも言える有名ギルドに誘ってくれたのは嬉しいけれど、俺には俺の仲間が居る。やり方がある。だから、何十名も居る『荒野の闇士』に一人で入る訳にはいかなかった。
ゴンはふと寂しそうな笑みを浮かべて、立ち上がった。
「……そう、っすよね。すいません、そこの弓士の嬢さんと大した連携だったもんで、そうだとは思っていたんですが。……出直します、どうもありがとうございました」
それだけ言って、ゴンは夕日に照らされて去って行った。その背中には、どことなく哀愁を感じる事ができた。
「僕は男だ……」
そしてロイスの呟きは、夕暮れの海に紛れて消えた。




