F98 無様な漢の生き様
円柱に足を掛け、上階への道を探した。その場に居る限りでは、上階はまるで屋根のようにも見えたが、少し円柱の外に身を乗り出してみれば、さらに上に何かがあることが分かった。不自然にも、屋根の上に柵があったのだ。
人が立ち入らない場所であれば、柵など必要ないだろう。
落ちても大丈夫なように、天井近くまでは内側を登って行く。足を掛けるだけの窪みは充分にあり、特に苦もなく柱を登った。
まるで梯子のようだが、これは塔の外観がそうさせているのだろう。
しかし、上に辿り着いても扉がないとは。考えてみれば、塔をクリアする目的で到達した人間がコフール一族に用などあるわけがなく、繋がっている必要性はないのだ。
ならば、もし何らかの影響で転移の魔法が使えなくなったら、やはり閉じ込められるのだろうか。もしかしたら、何か別の手段を持っているのかもしれない。
などと考えているうちに、天井付近まで辿り着いてしまった。
「…………落ちたら死ぬなあ、こりゃ」
外側に回ると、その高さに唖然とした。セントラル大監獄で一度、似たような気分を味わっていたので、特に恐怖したり、足が馬鹿になったりということは無かったが――――それにしても、一体ここはどれだけの高さなのだろう。
すぐ近くに、柵がある。落ちないようにするためのものだろう。ということは、この上は庭かベランダか、そのようなものがあるということだ。
俺は、ふとフォックスが地上で言っていた事を思い出した。確か、外からの侵入には結界が張ってあるんじゃなかったか。
円柱にしがみ付いたままリュックを外し、柵の上に向かって投げてみる。リュックは弧を描いて、柵の内側へと落下した。
…………特に、魔力の反応はなかった。
辺りは至って普通、穏やかだ。魔法公式がどこかにあるということになるが――……辺りを見回すが、そのようなものは見当たらない。
まさか、ブラフか? いや、わざわざそんな嘘を付く必要は……無いとも言い切れないが……
「……ああ、そうか」
俺は既に、結果の内側に居るんだ。外から入ろうとすれば弾かれるが、この屋上から上まで向かう事は可能と言えば、可能。そういうことなのだろうか。
そもそも、フォックスは俺に『塔を登らなければフィーナには会えない』と言った。俺がここまで来ることを予想していなかったとすると、まあ手薄にもなるのだろうか。
恐る恐る柵に手を触れたが、特別何か危険な反応があるわけでもなかった。今度はしっかりと柵を握り、力を入れる。
柵に捕まる右手に体重を掛けて、上へ――――
瞬間、柵が小さな音を立てて、外れた。
「おわっ――――!?」
慌てて柵を手放し、柱の窪みに手を突っ込んだ。ガランガランと、塔の外壁にぶつかりながら、柵は奈落の底へと落ちて行った。
…………フォックスめ。
『安心したまえ、ラッツ・リチャード。無事クリアすれば、そこから上に行くことは可能だ――君に残された道は、この塔を登ることだけだ』
万一塔をクリア出来たとして、そこから上に続く道がない。ともすれば、俺がこの柱を登って来る事は明確だ。魔法による防御をしなかったのは、一瞬油断させておいて、俺を地上へと落とすためか。
確かに、事前に把握していたとすれば。もしもフォックスに伝えられていなかったとしても、自然と慎重になる塔の外壁で、俺が結界の有無を確認することは明らかだ。結界を破る手段を考えるかもしれないし、突破もしてくるかもしれない。
だから、結界の話を事前にしておいたのか。
上がってみると、意図的に柵が壊された形跡があった。一度安心させてしまえば、『まさか柵が外れる』なんて思わない、という計算だったのだろう。……自らの手を煩わせない、楽な手ではある。
だが、破ったぞ。
傷だらけの両腕に力を込め、踏ん張った。地を這いつくばる虫のような気分だが、それでも上に行く事が出来たなら、それでいい。
そもそも、この柵にフィーナが寄り掛かったらどうするつもりだったんだ。……と思ったら、テープのようなものが柵に巻いてあった。裏側に回ると、『立入禁止』の立て札も掛かっている……用意周到なこって。
「まあ、いいか」
独り言を呟いて、俺は立ち上がった。振り返り、目の前に広がる幻想的な家を見た。
レオの隠れ家に行った時も、なんとも神秘的だと思ったが――――これはまた、別格だ。雲よりも高い位置にある、大きな一軒家。セントラル大陸の中でも古風な作りになっている木造の三階建てで、二階には大きな、半円形のベランダが作られていた。
俺が上がって来た場所は庭で、円形の池に噴水まで設置されている。煉瓦色の屋根はよく見る三角形。民家の風貌ではあったが、塔の内側と同じだけの面積を誇る家は、一軒家と言うよりは城と表現した方がしっくりくる。
植え込みを避けて、俺は歩いた。玄関前に描いてある魔法陣は、おそらく地上とこの場所を行き来するためのものだろう。
俺は、その魔法陣を通過した。
さて、囚われのお姫様を助けに行くとしようか。
「…………扉に、血がついちまうな」
中央から両側に開く、ウォールナット材の開き戸に手を掛ける。力を入れると、すんなりと扉は開いた。
瞬間。
ざあ、と風の吹き抜ける音がした。開いてみれば全くの城で、広い階段が扉を開いてすぐ目の前、中央にあった。奥にはどこまでも廊下が広がっているようで、一体いくつの部屋があるのか分からない。
だが、階段を上がった奥に、銀色の頭がちらりと見えた。
フォックスの姿は、まだ見えない。ならば――――仕掛けるなら、今。
魔力は。ほんの少しだけ、回復した。……回復したということは、時間もそれだけ過ぎたということだ。
大丈夫だ。俺なら、やれる。
「<計画表現>」
床一面に敷き詰められている高級な真紅の絨毯を、俺は走った。血だらけの俺には似合わない、圧倒的な清潔感。そして、俺を除いては誰も居ない場所。二段飛ばしで長い階段を駆け上がる。
すぐに、息が上がってしまった。限界などとうに越えている身体は、既に痛みを感じる領域にはなかった。
気力だけで、立っている。自分でも、よく分かっていた。
「ラッツさん」
そして。
「――――お待ちしておりましたわ」
俺は、その人を見ていた。
長い銀髪は特に結われる事なく、そのまま降ろされていた。雪のように真っ白な肌は病弱を思わせるが、気丈な立ち姿が育ちの良さを思わせる。
真っ白なワンピースに身を包み、俺に向かって微笑んでいた。
――――ああ、まったく。
俺は、思わず苦笑してしまった。
「元気そうだな、フィーナ。フォックスはどうした?」
「私、決断したんです。……もう、誰か他人に自分の道を委ねるのは辞めようって」
「…………そうか」
ならば、フォックスは既にフィーナの手によって、この場所を離れたということなのだろうか。
二階は広場になっているのか。大きなガラス窓の向こう側に、俺が手前で見たようなベランダが見える。俺が庭で見たものとは、位置が違う――――反対側にも、同じようにベランダがあった。中央にある階段を除いて、左右対称になっているようだ。
そして、フィーナはベランダの光を避けるように、手前に居た。
俺はふらふらと、フィーナに近寄った。広場には、何もない。俺とフィーナを除いて、真紅の絨毯とベージュの外壁があるだけだ。
フィーナが俺に向かって、不安そうな表情で両手を差し出した。
「大丈夫、ですか……? 回復魔法を掛けます、すぐにこちらへ……」
俺の声は、まだ聞こえるだろうか。或いは、きちんと喋る事は出来ているだろうか。いかんせん、既に意識はどこか遠くを彷徨っているようで、心と身体とを繋ぎ止めている不確かな何かは、少しずつ消滅しているのではないかと思えた。
もう少し。もう一歩、前へ。
あと少しじゃないか。
「…………あァ、いいんだ。どうせもう、回復魔法を掛けたって治るような段階じゃない」
「いえ、でも……」
「それよりさ。約束してくれよ」
気を抜くな。どこかから、フォックス・シードネスが現れるという展開も有り得る。例えそれが夢のような空間でも、最後まで絶対に気を抜いてはいけないのだ。自分にそう言い聞かせながら、俺は腹を押さえて走った。
目をひん剥いて、既に馬鹿になっている顎に力を込める。フィーナへと近付く。せめて、その近くまで行くまでは。
絶対に、油断するな。
フィーナも手を伸ばし、こちらに駆け寄ってくる。
「ラッツさん!! はやく、こちらへ!!」
近寄って来るフィーナ。
俺は、決死の思いで、力を振り絞り。
「必ずもう一度会えるって、約束してくれ」
躊躇なく、フィーナの腹を蹴り飛ばした。
こういう幻覚魔法の類は、実際にはその場から動いていない場合が殆どだ。俺は意識の渦中に巻き込まれ、まるで俺が求めている夢を見ていた。
つまり、そういう魔法なのだとしたら。
夢を見せる幻覚魔法は、意識を朦朧とさせる効果がある。だから、引きずり出すしかない。
「クソ執事がああああああああ――――――――!!」
俺自身を、夢という名の幻覚から。
世界が反転した。
「おわっ……とっとっと!!」
一歩先には、足場がなかった。
気が付けば俺は、壊れた柵の近くまで歩いて来ていた。慌てて背後に飛び退き、その場に尻餅をついた。
全身を、得も言われぬ恐怖が襲う。何もしなくても息は上がり、傷だらけの全身に響いた。
「はっ……はっ、はっ…………」
肩で息をすると、やがて落ち着いてくる。一体いつから、幻覚魔法に掛かっていた? 柱を登る時は、柵の向こう側に結界が張られていない事は確認した筈だ。なら、どうして――……
何か、トリガーはあった。俺は立ち上がり、背後を振り返った。今度は走って家に向かい、手前でぴたりと立ち止まる。
「…………これか」
地上へと続くと思われた、魔法陣。はっきりと見なかったが、こいつが俺に幻覚を見せる魔法陣だったようだ。見たことのない魔法陣だったが。
今度はそれを、避けて通る。
結界のブラフ。崩れる柵。幻覚の魔法陣。……ふざけたブービートラップだ。幾重にも重ねられた罠は、しかし俺を殺すには至らない。
――――いや、待て。
ふと、思った。殺せるかどうか分からないトラップを幾つも設置することで、俺を間接的に殺そうとしている? ……直接的に俺を攻撃することは最後の手段だったとして、あまりに数が多すぎるのではないだろうか。
どうせ、こんなものを幾つ設置したところで、このように俺が回避してしまう可能性は幾らでもある。その可能性を、奴が考えない筈が無いのではないか。
自然と、走る速度が上がった。
ならば、時間稼ぎをする必要があったのだ。俺がある程度の階層までは上がって来る事を承知で、或いは頂上まで到達することも視野に入れた上で、俺への時間稼ぎとして設けたであろう、何か。
いや。……間違いなく奴は、俺が最上階まで登る事を想定していた。或いは、期待していた可能性だってある。
今度は現実的な感覚のある、真紅の階段を登る。俺の血は絨毯の赤に隠れて見えないが、しかし俺は、その絨毯の向こうに、ある一つの可能性を見出していた。
幻覚と、全く同じ部屋構成。
時間稼ぎ。上方からの結界。君に残された道は、この塔を登ることだけだ。
俺に、『流れ星と夜の塔』を攻略させた、本当の理由。
「フォックス・シードネス!!」
階段を上がった先の広間に、フォックスは居た。フィーナの背に手を添え、いつものように黒いスーツを着ていた。
その左手には、いつか見た赤い宝石が見えた。禍々しい光は、艶やかな宝石の表面をより滑らかに見せていた。そのアイテムには、見覚えがあった――――いや、忘れられる筈はなかった。
ゴールバード・ラルフレッド。巨大な球体の中にあったモノ。
まさか、こんな所で共通点を発見するなんて。
「止まれ、フォックス!!」
俺は叫んだ。……振り返ったフィーナが、俺に向かって柔らかな微笑みを浮かべた。
その眼に、光は灯っていない。
全身を寒気が襲った。どこまでも吸い込まれるような暗黒の瞳に、一瞬だけ我を忘れそうになった。
「…………フォックス、私、疲れているみたい。また、ラッツさんの幻影が見えるの」
これが、フィーナか?
「違う!! 俺だ!! 本当に、ここまで上がって来たんだ!! 目を覚ませ!!」
頼む。
俺を見てくれ。
期待も虚しく、フィーナは俺から目を逸らしてしまった。フォックスが薄笑いを浮かべて、フィーナの肩に手を添える。
「お嬢様。ラッツ・リチャードは死にました。地上で見たものも、今、目の前に見えているものも、全てはお嬢様の作り出した幻想。幻影です」
「…………そう、よね。私、フォックスを信じるわ」
違う。
「大丈夫です。『お嬢様は、私の言う通りにさえしていれば、もう何も怖い事はありません』」
――――違う!!
どうして、クール・オウルが黄泉より舞い戻ってまで、俺に助けを求めたのかが分かった。このままでは、コフール一族は全滅する。それが、俺に確かな奇跡を齎したのだろう。
ならば、期待に応えなければ。期待に応えるということは――――つまり、今ここでフィーナの目を覚まさせる事じゃない。
目の前のこいつを、倒すことだ。
「少し、お休みください。……さあ、私がベッドまで連れて行ってあげますから」
フォックス・シードネスは、フィーナの口元にハンカチを当てた。頷いたフィーナは、すぐにその意識を失い、フォックスに体重を預ける――――睡眠薬か。フォックスはフィーナを座らせる。柱を背もたれに、フィーナが崩れ落ちないようにした。
軽く手を払う。
そして、俺の方を向いた。
その表情に、笑みは見えない。はっきりとした敵意の眼光が、俺を貫いている。
喉を鳴らした。
「随分と、速く登って来たものだな。…………ラッツ・リチャード」




