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十九章


十九章


隼人が犯人の名を挙げてからの静寂は、私には1時間とも2時間とも感じられた。実際は1分も無かっただろうに。しかし、その静寂を破り青柳康弘が声をあげる。

「妻が……、江上佐知子を殺した犯人?……」

「残念ながら……」

「……な、何を言ってるんだ。そんなわけがないだろう。妻はその日は家で寝ていたんだぞ。江上佐知子を殺せるわけがないじゃないか……。それに、仮に妻が江上佐知子に会いに行ったとして、妻は一体何の用事があって江上佐知子と会う約束をしたんだ。その理由さえ分からないじゃないか」

 青柳康弘は興奮している。当然だろう。自分の妻が殺人事件の犯人などと誰でも信じたくはない。

「……これは私の推測ですが、江上佐知子は夫との離婚における手続きや裁判などの相談をするために、あなたの奥さんと会う約束をしたんじゃないでしょうか」

「なに……」

「クリスマスパーティの席で、江上透と江上佐知子は不倫を巡って大ゲンカになった。その際に、2人を同じ家に置いておくのは危険と、青柳響子は自分たちの家に江上佐知子を泊めるように彼女に勧めて泊まらせた。間違いないですね」

「ああ」

「その江上佐知子があなたの家に泊まっている時に、おそらく奥さんはこう江上佐知子にもちかけたんだと思います。もし、離婚を考えているようなら私が相談に乗る。私の夫は弁護士だ。いろいろと力になれるかもしれない。でも夫に直接離婚の話をするのは気が引けるし恥ずかしい気持ちもあるだろう。だからはじめは私が相談に乗ると……」

「!……」

青柳康弘は声を出せない。

「で、案の定、しばらくして彼女から離婚に向けて相談したいと連絡があった。それで今は自分も夫の秘書として事務所で働いているから忙しくて会う事ができない。そこで、夫が出張で東京に行っている間を利用して相談に乗りたい。昼間に会えばいろんな人の目に留まることもあるので変な噂が流れるかもしれない。だから深夜ならどうだろう。という感じであの日に会う約束を取り付けた」

 隼人は青柳響子に向けて言う。

「何か違う所がありますか?」

 青柳響子は黙って一言もしゃべらない。弁解すらしない。今気がついたが、ここに来てから彼女は一言も言葉を発していない。もしかしたら彼女はこうなることを予測して、黙秘をするつもりでいるのかもしれない。


 *          *          *


パン、パン、パン


 突然誰かが拍手をした。江上透だ。

「すばらしい推理だよ朝倉探偵。いや推理ではないかこの場合。あなたは探偵よりも小説家の方に向いているんじゃないんですか。物語を創る能力に秀でておいでだ」

「俺の話した内容に何か異論でも……?」

「異論というか……、ただ君の話した内容には決定的に欠けているものがある。それは証拠だ」

「……」

「飽くまでも君の話は彼女なら殺人が可能だったことを、物語としてつづっただけに過ぎない。証拠が無ければそれはただの物語であり妄想だ」

「証拠ですか……」

「そうだ、あるのかね?」

「実は……」

 隼人は周りを見渡して得意げに言う。

「ありません!」

 隼人は自信満々にそう答えた。皆の緊張が落胆で一瞬解ける。しかし怒ったのは私の隣にいた御手洗君だ。

「なんだと!ここまでご高説たれておきながら、今さら証拠は無いだと。そんな言い訳が通るか貴様!」

「そんなに興奮するなよ、おてあらい」

「私の名前は御手洗だ!何度言ったらわかる!それにこれが落ち着いていられるか!」

 御手洗君は今にも隼人に飛びかかりそうな勢いだ。でも怒っているのは御手洗君だけじゃない。証拠が無いと聞いて、周りにいる刑事達も隼人を怒りのこもった目で見ている。期待が裏切られた気分なんだろう。

「まだ俺の説明は終わっていない。私が言いたいのは飽くまでもこの事件に関しては証拠が見つからなかったということだ。でもそれで事件が解決できないわけじゃない」

「同じことだろうが。証拠がなきゃ誰だろうと逮捕はできねえんだよ」

 興奮する御手洗君を押しのけて1人の人物が前に進み出た。本部長だ。

「残念だが、御手洗君や江上透氏の言う通りだ。朝倉探偵の推理が例え真実であっても、証拠が無ければ我々は何も手出しはできん」

「心配しなくていい本部長、最後まで聞いてくれ」

 そして隼人はまた話を始める。

「証拠が無いとはいえ、彼女、青柳響子が江上佐知子を殺した犯人であることに私は確信しています。だが、それで事件が片付くほどこの事件は単純じゃない。何より彼女が犯人だとすると、それはそれで大きな問題がある。それは動機です。前にも説明した通り、この事件は怨恨ではなく、営利目的の殺人です。ゆえにそこには怨恨ではない営利目的の動機が存在しなければならない。しかし、青柳響子さん、彼女には江上佐知子を殺す動機が全く無い」

「……そうとも、なぜなら妻は犯人ではないのだからな」

「確かに彼女には動機が無い。だから警察も彼女を犯人だとはマークしてこなかった。営利目的の殺人なのに、何の利益も被らない人物が犯人なんてありえないですからね。しかし、これはその盲点を突いた殺人なんです」

「……というと」

本部長がその意味を問う。

「このパズルを解くのはちょっと厄介でしたが、ある仮定を当てはめればこのパズルは解けます。答えは意外に簡単なものです。つまり彼女はただの実行犯で、別に黒幕がいると考えればよいわけです」

「!……」

「そう、この事件の黒幕は別にいる。そしてその人物が青柳響子に江上佐知子を殺させ、事件のかく乱を行ったのです。そしてその人物は、皆が想像していた通りの人物です」

 隼人はその人物の方を向く。

「そうですよね江上透さん。あなたがこの事件の黒幕だ」


*          *          *

「……」

 黒幕として名指しされたが、江上透は眉ひとつ動かさずただ黙っている。

「つまりこの事件は江上透と青柳響子の共謀による殺人だったと……、そういうわけか」

 本部長が隼人に確認する。

「そうです本部長。江上透が黒幕、そして青柳響子が殺人の実行犯。これがこの事件の真相です」

 隼人は江上透に向き直る。

「江上透、あなたはこの殺人のために青柳響子をサポートし、警察の捜査のかく乱を行った。彼女を守るために、自分に嫌疑が向けられるように様々な工作を行った。わざわざ自ら行く必要の無い会議に出席するために出張をし、家に帰れる距離であったにも関わらずホテルに泊まった。しかも従業員に自分を印象づけるためにわざと赤い派手なスーツとコートを着て。そしてホテルも夜に抜け出して、わざと疑われるようなアリバイを作り、警察の目を自分に引き付けようとした。しかし、その過程であんたは一つだけミスを犯したが……」

「ミスだと……?」

江上透は聞き返す。

「そうだ。それはあんたが赤い服を着てホテルに泊まった事だ。あんたは出張先の岩上鉄工所では普通のスーツを着て会議に出席していた。ならば当然仕事が終わってから赤い服に着替えたことになるが、コートだけでなく、スーツまでホテルにチェックインする前に着替えていたのは不自然だ。ホテルではシャワールームが使われた形跡があった。ならば普通、愛人に会いに行くために赤い服に着替えるのだとしたら、着替えるのはその後だろう。シャワーを浴びる前に赤い服に着替える理由は無い。その理由があるとすれば、それは派手な服を着る事によってホテルの従業員に自分を印象付けるためだ。それで俺は確信したんだ。このアリバイは江上透、あんたによって作られたアリバイだとな」

「!……」

 御手洗君の問いに隼人がそう答えると、僅かに江上透は肩を震わせた。

「しかもそのアリバイの内容は不確実且つ不自然なもので、わざと自分に警察の嫌疑を向けさせるような内容だ。そんなアリバイをわざわざ作る理由は一つしかない。それは真犯人を庇うためだ。つまり捜査の目を自分に向けさせて捜査をかく乱し、江上佐知子を殺した犯人である青柳響子を警察の目から逸らすためだ。江上透、あんたは警察の目を自分に向けさせるためにそれ以外にも様々な工作を行った。まずは非常口の壊れているホテルを見つけてそのホテルに泊まる。壊れている非常口からホテルを抜け出せば、フロントの前を通らず、防犯カメラにも映ることなく、ホテルの外に出歩くことが可能だ。当然そのことは知っていたんだろう。ホテルの従業員も別に口止めされていたわけではなかったらしいので、不特定多数の者が鍵の事は知っていたということだ。あんたのことだ。偽名を使ってそのホテルに事前に泊まって、本当に抜け出せるかどうかリサーチも行ったかもしれないな。しかも非常口のドアノブの指紋は綺麗に拭き取られていた。警察があんたを疑うのも無理はない。さらにあんたはホテルを抜け出し、車で走り去る所をわざと近隣の住民に目撃させた。そうすることで自分のホテルに泊まって寝ていたというアリバイはあたかも嘘であるかのように見せかけたんだ。確かに嘘だった。ホテルに泊まったというアリバイはな」

「あの目撃者の爺さんも江上透がわざと目撃者に仕立てたっていうのか」

 本部長は目撃者も作られたという隼人の言葉に驚いたようだ。

「ああ、おそらく間違いない。おてあらいに確認したが、車の方からは自動販売機の前にいた俺たちが、まる見えだったと言っていた。つまりそこに人がいることを確認して、わざとその前を通ったんだ。これが作られたアリバイであるなら、この目撃者も作られた目撃者と考えるのが妥当だ。知っていたんだろう。夜な夜なあそこの自動販売機の前であの爺さんが奥さんの目を盗んで酒を買いにくることを」

 江上透は目を瞑りながら隼人の推理を聞いている。先ほど少し肩を震わせたが、まだ余裕があるのか。至って冷静だ。

「そして、あんたはさらに策を練っていた。警察に追及され、あんたはその後ホテルを抜け出したことを認める。そして今度は愛人である速水蘭のマンションに行ったと供述する。これも実は計画通りなんだろう。ホテルに泊まったというアリバイが偽りならマンションに行ったというアリバイも当然警察は疑ってかかるからな。しかも、そのアリバイの証人は愛人である速水蘭だけだ。警察は当然やっきになってあんたのアリバイ崩しに力を入れるわけだ。だが、今度のアリバイは崩せるはずがない。その日、速水蘭のマンションに行ったというあんたの今度の供述はまぎれもない真実だったのだからな」

 隼人は本部長に言う。

「本部長、江上透と速水蘭の証言から食い違いを見つけ、矛盾点を見つけ出そうとしていましたが、見つかるはずは無かったんです。なぜならそのアリバイは本当の事だったから。真実のアリバイに矛盾など見つかるはずは無い」

 本部長も黙って隼人の推理を聞いている。

「そうやって江上透は、自分のアリバイは不自然で、しかも不確実である事を警察に示し、あたかもアリバイ工作を行い、本当は自分が自宅に帰って江上佐知子を殺した犯人であると警察に思わせたんだ。そして実行犯である青柳響子を捜査の対象から外させた。しかし、1つだけ例外が起こった。それはこの俺が現れたことだ。あんたは最初に俺と江上グループの社長室で話をした際に、捜査の対象が外部犯に向けられることを聞いた。あんたは内心焦ったはずだ。もしかしたら青柳響子に捜査の手が伸びるかもしれない。そこで一計を案じた。交友のあった暴力団の組員に頼んで俺を襲わせた。上手く行けば俺を本当にこの事件から手を引かせる事が出来るかもしれないとも考えたんだろうが、本当の狙いは別だ。背後関係を調べさせ、この事件で疑わしいのは自分だと、俺に印象づけるのが本当の狙いだったのだろう」

「ちょっとまて、襲われた?そんな報告は受けておらんぞ」

「本部長、それは……」

「君も知っていたのか水上刑事、ならばなぜ報告しなかった」

「本部長、水上は何も悪くない。俺がこの件に関しては上に報告しないよう頼んだんだ」

「何故だ」

「作為的に感じたからさ、チンピラを使って俺を襲わせるなんてあまりにも単純すぎる。これには何か裏があると俺は思ったんだ。だから報告するのは待ってくれと水上に頼んだ」

本部長はまだ納得のいかない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。

「そうしてあんたは警察の目をくらまし、本当の殺人者である青柳響子を警察の目から逸らした」

 すると突然江上透は大声で笑い出した。

「あははははははははははははははははははは!」

 部屋に響き渡るほど大きな声だ。皆唖然として江上透を見つめている。しばらく江上透は笑っていたが、又余裕の笑みを浮かべて隼人に話しかけた。

「いやいやいや、先ほども言ったが見事な推理だ」

「それはどうも……」

「勘違いしないほしいな。皮肉の意味で言ったんだよ。なぜなら君の推理には大きな穴がある」

「……聞かせてもらおうか」

「青柳響子さんが実行犯で私が黒幕?そして彼女が疑われないように私が様々な策を講じて、自分に捜査の目が向けられるように警察の目を欺いた?面白い、本当に面白い物語だ。だが、肝心な事が抜けている。さっきも言ったが君の話には証拠が何一つ無い」

 江上透は不敵に笑っている。

「証拠を示さない以上、あなたの推理はただの仮説に過ぎない。それとも何かあるのかね、それらを指し示す証拠とやらが。でも先ほど君は、証拠は無いと言っていたな。証拠も無く私や響子さんを犯人扱いするのならこちらもそれ相応の対処はさせてもらう。もちろん法的な意味でな」

「俺からも少し言わせてくれ」

 それまでずっと黙っていた長島刑事が言葉を発した。

「江上透の言う通り、証拠が無いという事もあるのだが、今の朝倉探偵の話を聞いて、どうにも腑に落ちないことが1つある。それは黒幕である江上透と、殺人の実行犯である青柳響子との関係だ。はっきり言おう。青柳響子が江上佐知子を殺すメリットはなんだ」

「メリット?」

長島刑事の隣にいた優子が尋ねる。

「そうだ。例えば江上透が、江上佐知子が亡くなったあと、青柳響子と結婚する予定なら何も問題は無い。しかし、江上透は別の人物、こちらの速水蘭と結婚する予定だ。結果青柳響子には何の得も無い。にも関わらず、江上透のために殺人まで犯した2人の関係とは一体なんだ。どんな策を講じたところで殺人はやはりリスクが大きい。自分に何も得が無いのに、そんなリスクを抱えて殺人を犯すとは俺は思えねえ」

「いい質問です。そしてそれがこの事件の最大の謎でした。今、長島刑事が言った通り、殺人を犯すのは、どんなに策を講じてもリスクは必ず付いてきます。にも関わらず、そのリスクがあるのを承知で、青柳響子が江上透のために江上佐知子を殺した理由は何なのか、……これは私の予想ですが、江上透は青柳響子とも不倫の関係にあったんじゃないでしょうか」

 隼人がそう言った際、わずかに江上透の眉が釣り上った。

「しかし、それだけでは理由としてはまだ弱い。それは青柳響子さんの性格が活発なタイプだからです。いくら不倫相手の頼みといえ、何の見返りも無く、彼女がただ言われたままに殺人をするとは思えません。長島刑事の言った通り、そこには何かしらの見返りがあったはずです」

「金か?」

本部長はそう呟いた。

「確かに見返りとして真っ先に思い浮かぶのは金です。しかし、その可能性はないでしょう。江上透から青柳響子に金が行き。それを警察に調べられた場合、共謀が真っ先に疑われます。おそらくはもっと別の形の見返りです」

「別の形だと……」

長島刑事が聞き返す。

「殺人に対する見返りで金以外のもの、殺人の見返りの対価として対等のもの、それは……」

 隼人は一瞬間を置いてから言う。

「それは……殺人です」

「……なに?」

「―――つまり、江上透のために青柳響子が殺人をする。その対価として青柳響子のために江上透もまた殺人をする。殺人の見返りとして殺人をする。殺人の交換……これがこの事件の真の真相です」

「な、何を言っているんだ。……俺は信じない、信じないぞ!」

 青柳康弘は顔面蒼白だ。隼人が言っていることの意味が彼には分かっているに違いない。

「青柳康弘さん。3ヶ月前にあなたのお父さんは、新潟の八甲田山でつり橋から過って谷に落ち、転落死したそうですね。あなたの家に行って話を聞いた際にもその件についてあなたは話してくれました」

「う……」

「あなたにとってこれはつらい事実かもしれないが……、あなたのお父さんが転落死したのは事故じゃない。あなたのお父さんは、あなたの妻である青柳響子と江上透によって、つり橋から突き落とされたんです。殺人の交換ならば、この事件で直接に手を下したのは江上透。動機はおそらく遺産と保険金が目的でしょう」

「そ、そんな馬鹿な……」

青柳康弘は信じられないといった顔だ。

「いいかげんなことを言うな!」

 ついに江上透は今までの冷静な仮面を脱ぎ棄て、大声で怒鳴った。

「私はその日はずっと家にいたんだ。八甲田山になど行ってはいない!」

「ほう、あなたは数ヶ月前の、しかも事故として認定されたはずの青柳康弘さんの父が亡くなった日のアリバイを覚えているのですか、それはそれで不自然ですな」

 長島刑事はそう江上透に言う。

「い、いや……」

「そしてこの事件があなたたちの命取りになるんですよ。水上、あれを持ってきてくれないか」

「あれ?」

「ほら、俺が抱えていたダンボールあっただろ、あれだよ」

「ああ」

 私は1人の捜査員に命じ、車に置いてきたダンボール箱を取りに行かせた。1分かそこらで捜査員はダンボール箱を抱えて戻ってきた。そのダンボール箱を机の上に置く。

「さっきも気になっていたが、それは何だ」

本部長が聞いてくる。

「これは青柳康弘の父が、新潟の八甲田山で転落死した際に所持していた遺留品です。青柳さんの家に行った時に、確か新潟県警にまだ取りに行っていないという事でしたので私が取りに行きました」

「……な!」

青柳康弘は驚いている。いや私も驚いた。

「勘違いしないでください。これは借りただけです。後でちゃんと青柳さんに返します。新潟県警も私が朝倉隼人だと知って、事件解決に必要だと言ったら喜んで貸してくれましたよ」

 本当だろうか……、彼の事だ。嘘八百並べ立てて借りてきたんじゃないだろうか。

「それより、青柳康弘さん。ちょっとこちらへ来てください」

「何だ……」

「あなたにこのダンボール箱の中身を確認してもらいたいのです。おそらくこの中に、あなたのお父さんの持ち物でない物が1つ含まれています。それを確認してもらいたいのです」

 そう言って隼人はダンボール箱を開ける。そして関係者の人達に見えないようにして青柳康弘に中を確認させた。私も興味があったので箱の中を覗き込んでみる。箱の中にはタオルやペットボトル。雨具やライトといった登山用具が置いてある。青柳康弘はその1つ1つを確認していった。そこで、彼はあるものに目を止める。

「……これは」

「どうしました。」

「父がこんなものを持っていたとは―――」

「それはどれですか」

「これです」

 そう言って青柳康弘はそのダンボール箱の中にある、あるものを指差した。

「確認しますが、あなたはこれを父が持っているのを見かけたことがありますか」

「いや、1度もありません」

「つまりこれはあなたの父のものではないと……」

「確証は持てませんが、多分……」

「いや、結構、大変参考になりました」

 青柳康弘は隼人に促され、また席に戻る。

「今、青柳康弘さんに確認した結果、青柳康弘さんの父の所有物ではないと思われるものが、彼の遺留品として含まれていました。ちなみにその遺留品は青柳康弘さんの遺体のすぐそばに落ちていたそうです。ではその遺留品の本当の持ち主は誰か、彼の持ち物でないのなら本当の所有者は決まっています。……それは青柳康弘さんの父を殺した犯人のものです。つまり江上透、あなたのものです」

 江上透は何もしゃべらない。だが、これまでのような余裕はもう彼には無い。落ち着かない様子でそわそわしている。

「おそらく突き落とした時にあなたもこれを落としたことは気づいていたでしょう。しかし、取りに行けば自分の足跡などを死体の周りに残すことになってしまう。だから、その場から立ち去るしかなかった」

 隼人はダンボール箱からそれを手に握りしめて取り出す。

「しかし、あなたも馬鹿な殺人犯だ。殺人現場にこんなものを残していくなんて」

隼人は手に握りしめたそれを軽く振ってみる。するとチャリチャリと音がした。

「この事件が事故として処理されたのはあなたにしてみれば運が良かった。でもただそれだけだ。あなたはただ運が良かっただけで、もしも事件として扱われていたら言い逃れは出来なかったでしょうな。こんな証拠を現場に残していたのだから」

 隼人は笑いながら江上透に話しかけた。明らかに彼を馬鹿にして挑発している。

「うるさい!だまれ!」

 江上透は突然大声をあげて立ちあがった。

「それが私のものだという証拠がどこにある。そんなアニメのキャラクターのストラップ、どこにでも売っているだろう。そんなものが何の証拠になる!」

 彼がそう言い放った瞬間、……この事件は解決した。


*          *          *


 江上透は興奮して息が荒い。だが途中で彼は気がついた。周りの空気が変わっていることを、みんなの自分を見る目が変わっている事を、特に刑事たちの自分を見つめる目は明らかに今までと違う。それは、彼らが犯罪者を見つめる目だった。

「な、なんだ、一体どうしたんだ。」

周りの雰囲気が変わっている事に気づき、江上透は周りをキョロキョロしながら完全に落ち着きを失っている。そこにはもう、二代目江上グループの社長として、切れ者として名高い若社長、江上透の姿は無かった。そこにいるのは気が度転して慌てふためいている1人の犯罪者だ。私はそんな彼に言った。

「あなたはなぜ、それがアニメのストラップだと分かったの?」

「は……?」

彼は私の言っている言葉の意味が分からなかったのだろうか、聞き返してきた。もはや他人の言葉を満足に聞くことも出来ないくらい気が動転しているようだ。

「なぜ、朝倉探偵が手に持っているものが、アニメのストラップだと分かったのかと聞いている」

今度は本部長が質問をする。江上透はようやく質問の意味が分かったようだ。

「なぜって、見えたからにきまっているだろう。さっきからそいつが手に持っているじゃないか」

 隼人はゆっくりと握りしめていたものを見せた。隼人の手の中でチャリチャリ音がしていたものはストラップなどではなく、……鍵だった。

「!」

「これはな、俺の東京にある事務所の鍵なんだ。あんたの言うアニメのストラップはあっちだ」

 ほかの捜査員がダンボール箱の中からストラップを取り出す。つまり、隼人はダンボール箱からストラップを取ったように見せかけただけで、手に握りしめていたのは自分の事務所の鍵だったというわけだ。

 江上透はその時、自分が隼人の仕掛けた罠にはまったと気づいた。そしてその場で力なく床に座り込む。それはまるで魂の抜け殻のようだった。

「江上透、あんたの言った事は当たっているよ。このストラップがあんたのものだという証拠は何1つない。父が持っているのを息子である青柳康弘さんが知らなかっただけかもしれないし、他の登山客の誰かが落とした物かもしれない。しかしなぜ、あなたは、私の握っているこれが、アニメのキャラクターのストラップだと分かったのか。そのことについて、あなたが犯人で無いなら明確に答えられますか」

江上透は床に座り込んだまま、ただ目の前の床を焦点の合わない目で見ていた。隼人の言葉が耳に入っているかどうかも疑わしい。ただ、そこにもうあの自信にあふれた江上透の姿はなかった。


*          *          *


「……ふふふふふ」

 突然誰かの笑い声がした。

「あははははは」

と、思ったら突然大声で誰かが笑い出した。笑いの主は青柳響子だ。ここへ来てから一度も口を開かなかった青柳響子が大笑いしている。そして数分間彼女は大笑いした後、態度を一変させ吐き捨てるように江上透に言い放った。

「まったく、とんだ大馬鹿だ」

「響子?……」

 青柳康弘は突然変わった妻の態度に、信じられないと言った顔で妻の顔を見る。青柳響子は隼人の顔を見据えて言った。

「あんたの言う通り、江上佐知子を殺したのはあたしだよ。代わりに透には亭主の父親を殺してもらったがね」

「殺害を認めるんだな……」

長島刑事が確認を取る。

「ああ、透が逮捕されたら私も終りだからね、認めるよ」

「お前、……なぜこんなことを」

 青柳康弘はか細い声で青柳響子に話しかける。

「―――なぜって?金のために決まっているじゃないか、そこの探偵の言う通り、あんたのおやじの遺産と保険金が目当てで透に殺してもらったんだよ。まあ私も彼のために佐知子を殺したがね、でもね、別に遊ぶ金がほしかったわけじゃないよ。全ては事務所のためさ」

 青柳響子は亭主の青柳康弘に向き直る。

「あんたは裁判で負け続け、そのくせギャンブルに手を出して、私たちの家は火の車で破産寸前だったんだよ。父を殺して金を受け取るより他に仕方がなかったのさ」

「あんたの事情はどうでもいい。―――で、この計画を持ちだしたのはどっちだ」

本部長が尋ねる。

「透の方からさ、探偵の言う通り、彼は私とも不倫関係にあってね、関係はもう2年以上も前から続いているよ。で、ある日この計画を持ちかけられたのさ、彼は私たちの家の経済状況を知っていたからね」

 江上透は何も答えない。というより何も耳に入っていないのだろう。呆けたままだ。

「でもね、朝倉探偵、あなたは一つだけ勘違いしているよ。私が佐知子を殺した本当の理由は……」

「―――憎かったんだろ、彼女が」

 青柳響子は先に言われて少し戸惑った。

「何となくだがそう感じていた。あんたは目立ちたがりだ。そんなあんたが小、中、高と一緒で学級委員や同じ演劇劇で主役を張っていた彼女を内心快く思うはずがない。それに本当に友人として大切な存在なら、たとえ金が必要だろうとその友人を殺すはずはない。だから俺は、もしかしたらあんたは江上佐知子を憎んでいたんじゃないかと、そんな気はしていた」

「そこまで見抜かれたんじゃ何も言う事は無いよ。そうよ、私は彼女が憎かった」

 青柳響子は淡々と話す。

「昔から私は彼女よりも上にいた。勉強も、運動も、全て彼女より上だった。でも何をやるにしても世の中は彼女を選んだ。学級委員も、劇の主役も、その理由は彼女が江上グループのお嬢さんだったから。私の方が全てに勝っていたのに、大学も彼女は推薦で東京の有名私立大学へ、私は彼女より頭は良かったのに、家庭の事情で大学に行くことすら許されなかった。私の家は貧乏だったからね。悔しかった。生まれた家の違いで私はいつも彼女の引き立て役だった。透と不倫したのも私から彼を誘ったのよ。彼女の旦那を私が一時奪っている。それだけでいい気分に浸れたわ。彼女を殺した時も本当はあと5,6発殴ってやりたかった。ただ今回の殺害計画には、営利目的の犯罪である事をわざと警察に知らしめて、容疑者を透と思わせる事が計画の一部だったから結局やらなかったけどね。……でも私が彼女を憎んでいたことまで見抜かれちゃ……完敗だね」

 青柳響子は立ち上がると本部長の前に行き、静かに両手を差し出した。本部長は彼女の手に手錠をかける。

「しかし失望したわ、この男に」

 彼女はまだ座り込んでいる江上透の顔を睨みつけた。

「何が私の計画は完璧だ―――よ、全て見抜かれていた上に、最後は自分のミスで犯人だと暴露して、しかも今のこの姿。まったく反吐が出るわ」

 彼女はそう言うと、複数の刑事に連行されて部屋を出ていった。これから署で本格的な取り調べが始まるだろう。そして長島刑事は呆けて座り込んでいる江上透の前に行き、彼を立ち上がらせると彼の手にも手錠をかけた。そしてそのまま彼も連行しようとする。すると江上透はいくらか落ち着きを取り戻したのか、部屋を出る前に隼人に向き直り、隼人に話しかけてきた。

「最後に1つ、朝倉探偵に聞いておきたいことがあるんだが」

「なんだ」

「あの遺留品、俺がストラップの話を自分からすると分かっていたのか」

「ああ、多分言うんじゃないかと思っていた」

「なぜそう思った」

「あんたの性格さ」

「俺の性格?」

「ああ、あんたは欲深く自信家だ。自分で自分の事を切れ者だと思っている。だが過ぎた自信は敢えて自分を見失わせるものだ。最初にあんたと江上グループの社長室で会った際に、俺が最後にこう質問したろ。江上佐知子、彼女が死んで良かったかと」

「ああ、覚えている」

「そうだ。そしてあんたは俺のこの質問が、自分に対する挑戦状でわざと自分を挑発していると感じたはずだ。そこであんたはこう答えた。愛情はもう無いと、死んでくれて良かったと。そして妻が死んで悲しいと建前を言えば良かったかと、私の挑発に対して挑発で返してきた」

「ああ」

「あんたは自分が挑発されていると認識しながらも、挑発で俺に返した。宣戦布告に堂々と答えたつもりだろうが。俺の経験からこういう突っかかって来るタイプは、ひょんなことからミスをしやすい、……なあ、おてあらい」

「てめえ、俺の名前は御手洗だと……」

  

ゴンッ


御手洗君は歩こうとした矢先、テーブルの角に足をぶつけた。

「くー……。」

うずくまって足を抱える御手洗君。

「なっ、こいつが良い例だ。足元の注意が怠る」

 江上透はそれを見て僅かに笑った。

「あのストラップが俺のだとわかった理由は?」

「本音を言えばただの偶然だった。この家のパソコンを調べた際に、活動記録なる写真を収めたファイルがあった。その中にあんたの携帯電話が写っている写真が何枚かあったが、どの写真の携帯電話にもこのストラップが付いていた。しかし、最初にあんたの社長室に話を聞きに行った際、あんたが携帯で話している時の、あんたの携帯にはストラップが付いていなかった。ただ無くしただけだとその時は思ったが、青柳康弘の父の死が、この事件に絡んでいると分かって調べた際に、その遺留品にそのストラップがあった。もちろんそれだけではこの遺留品があんたのものかどうかは分からない。時間が経ち過ぎて指紋も発見されなかったしな。だがその可能性は極めて高いと思った。しかし、はじめにそれを見せればまた惚けられるかもしれないと思ったんでな。罠を張って自分からストラップだと言うように仕向けたんだ。そうすれば言い逃れはできない」

 その話を聞き、江上透は大きくため息をついた。

「沖田の言った通りだったな」

 江上透は静かに呟く。

「相手が悪かった」

江上透はその後大人しく刑事達に連れられ部屋を出て行った。


*          *          *


 部屋に残されたのは佐上夫婦と、速水蘭、そして青柳康弘だ。佐上夫婦などは事件が解決した事に大喜びだ。

「これで安心して寝られます」

「警察を見直した」

 そう我々にお礼を言い、隼人に何度もお礼を言って家に帰って行った。だが心配なのは速水蘭と青柳康弘だ。青柳康弘はショックで俯いたままだ。自分の妻が江上透と不倫して、さらに殺人まで犯していたとあってはショックも大きいだろう。

「青柳さん……」

 私は俯いたままの青柳康弘に声をかける。

「心配いりません、刑事さん。私は意外に冷静です。むしろ妻があんなことをしたのは私のせいではないかとも思っています。妻の言う通り、私は裁判で負け続け、ギャンブルにはまった男です。私の弱さが、妻を犯行に駆り立てたともとれる」

「……私には何も言えません。とにかく残念なことです」

青柳康弘も立ち上がると静かに部屋を出て行った。当然その足取りは重い。ショックだろうが、なんとか立ち直ってもらいたいものだ。

そして速水蘭。彼女は暫く動こうとしなかった。しかし僅かに体が震えている。この事件の真相で一番ショックを受けたのは、もしかしたら彼女なのかもしれない。

結果として彼女は事件とは無関係だった。供述も本当の事を言っていた。しかし、自分の恋人が殺人犯だった事に変わりは無い。彼女は江上透のアリバイを知っていた事実もあるのだろうが、これまでしきりに江上透は江上佐知子を殺していない、無実だと言いはっていた。確かにそれは真実だった。江上佐知子の殺人はおいて彼は人を殺していない。しかし、共謀という形、さらに別の殺人の犯人という形でそれは裏切られた。その胸中はどんなものだろう。信じていた者に裏切られたのだ。結局私は彼女にかける言葉は最後まで見つからなかった。そして彼女も最後まで一言も話すことも無く、静かに立ち上がると、1人マンションへの帰宅の途についた。

「彼女、大丈夫かしら、青柳さんもそうだけど何とか立ち直ってもらいたいわ」

 私は隼人に話しかけたが、隼人から何も返事が無かった。隼人は彼女の去って行ったドアを見ながら何か考えていているようだ。

「隼人?」

「……ああ、呼んだか」

「何ぼーとしているのよ」

「すまない、ちょっと考え事をしていたんだ。それより今日はもう疲れた。早くホテルに帰って寝たい」

(あれ……?)

 私は隼人の態度がいつもと違う事に気づいた。いつもの隼人なら事件が解決すると、街に繰り出そうとか、飲みに行こうとか言うはずだ。どさくさにまぎれて私をホテルに連れて行こうとしたことも一度や二度ではない。そんな隼人が事件を解決して、疲れたからホテルに行って寝よう、などと言って来たのは初めての事だ。

隼人の態度は少し気になったが、とりあえずこの事件は解決した。私も今日はゆっくり眠れるはずだ。そう、事件はこれで解決したんだ……。


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