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#6




「何を騒いでおる?」


 突然、洞窟内に凛とした声が響いた。


 さらに奥から白髪白髭の老人が現れた。長く伸びた髭がどことなく仙人を連想させる。窪んだ瞳の中に隠された眼光は鋭く、風貌にも威厳がある。螺雪が即座に老人の前に平伏した。


 美空は老人が豪雪であると確信した。幸弥の話では、妖力を使い果たして倒れたということだったが、そんな様子は微塵も感じられない。


「豪雪様、お起きになられて大丈夫なのですか?」


「お前らがやかましゅうてのんびりと寝ておれんわい」


 豪雪は美空たちを一瞥すると、静かに目を伏せた。


「螺雪、儂が眠っておる間に何やら勝手なことをしておったようじゃのう」


「私はただ一族の仇を討ちたかっただけで」


「おぬしの気持ちはわからんでもない。儂とて人間たちが憎くて憎くてたまらなんだ。娘の命を奪ったようなものじゃからのう。しかし、儂はもう憎み続けることに疲れたんじゃよ」


 豪雪がゆっくりと右掌を眼前にかざし、軽く息を吹きかけた。すると、百々目鬼を封じ込めていた氷柱に大きな亀裂が入っていく。氷の結晶が煌びやかに崩壊し、氷柱から解放された百々目鬼はその場に倒れ伏す。微かに動く指先で百々目鬼の生存を確認することができる。


「母さん! 母さん!」


 郁巳は這いつくばりながら母のもとへと急ぐ。


「アタシなんかのためにこんなに傷だらけになって……本当にバカな子だよ。辛かっただろうに」


「母さん、母さん!」


 やっと母親を見つけた迷子の子供のように、郁巳は百々目鬼の胸の中で泣きじゃくっていた。


「よかった」


 美空も思わずつられて泣いていた。そんな美空の前に、豪雪が腰を下ろした。プライドが高いと聞いていた雪妖の長を前にして、全身の細胞が委縮する。


「確かに霞によく似ておる。こんなに傷だらけになっては美人が台無しじゃがのう」


 豪雪は美空の頭をやさしく撫でた。最初の印象を払拭するような、温かくて大きな手だった。


「どうした? そんなに怯えずとも取って食うたりはせんぞ」


「雪妖ってプライドが高い妖怪だって聞いていたので」


 美空の物怖じしない発言に、さすがの幸弥も顔面蒼白になっていた。螺雪が何か言おうとしたが、豪雪がそれを手で制した。


 豪雪は長い顎鬚を弄びながら豪快に笑った。


「確かに儂も螺雪同様、気位ばかりが高い雪妖じゃった。長を継承してからは一族を守ることだけに躍起になった。しかし、肝心な娘は守ってやることもできず、死に追いやった」


「豪雪様に落ち度はございません。悪いのはすべて人間です」


「黙れ、螺雪」


 螺雪は納得のいかない顔をしていたが、沈黙する。長である豪雪の言葉には従わざるを得ないのだろう。


「悲しみや憎みという感情は長い歳月と共に消えていく。お嬢さんや、この年寄りの顔に免じて螺雪たちがやったことを許してやってくれんか? この者たちも自分の家族を守るためにやったことなのだ」


「許すも何も。あの雪さえ何とかしてくれれば、私はそれで」


 美空は正直に今の気持ちを述べた。


「そうか、ありがとう」


 豪雪は「よっこらしょっ」と掛け声をかけると、螺雪の手を借りて立ち上がる。すると、幸弥が豪雪の前に平伏した。


「あの豪雪様、お願いがあります。長の妖力をどうか美空様に継承していただけないでしょうか?」

「お前たちはそんなに早く儂に死んでもらいたいのか?」


「そんなことはありません。ただ豪雪様のお体が心配で」


「心配はいらん。儂はそう簡単にはくたばりはせん。まだ百年二百年と生きながらえてみせるぞ。一族のためにも、孫のためにものう」


「それじゃあ、私は長にならなくてもいいんですね?」


 思わず顔がほころぶ美空だった。


「そんな嬉しそうな顔をされるのも寂しいのう」


「あ、ごめんなさい」


「ええんじゃよ。お前には霞のような悲しい思いはさせとうない。しばらくは自分が納得のいく人生を生きるがよい。それからでも遅くはあるまい」


「ありがとう、ござ……」


 急に視界が狭くなった。


 緊張の糸が切れた美空は、全身を襲う激痛に気を失った。



















 一週間後。


「苦しい……」


 詰襟学生服を着た郁巳は、窮屈そうに何度も詰襟を広げていた。


「すぐ慣れると思うから、たぶん」


 美空は苦笑した。


 郁巳に人間社会の勉強をさせてやってほしいと百々目鬼に頼まれた美空は、郁巳を藍川家に居候させることにしたのだった。最初は反対していた圭太郎だったが、郁巳の生い立ちを知ると、一転して快く了解してくれた。


 今日から郁巳は高校一年生として美空と同じ高校に通うことになった。


 そして。


「美空様、体の具合はもうよろしいのですか?」


 幸弥もまた郁巳と同じ詰襟学生服を着て、美空の傍らを歩いていた。元来より人間の生活に興味があった幸弥は、美空の護衛と称して豪雪の許しをもらい人里で生活を送るようになったのだった。居候先はもちろん藍川家である。こちらも圭太郎の反対があったが、美空の命の恩人ということで渋々了解をもらった。


 普通の高校生活を送るため、美空と幸弥は銀色の髪を黒く染めた。


「大丈夫ですよ、葉子からもらった塗り薬が効いたみたいですから」


 セーラー服のスカートを翻して、美空はガッツポーズを見せる。


「おはよ、美空! 両手に花とは羨ましいねー」


「うっ」


 いきなり背中を叩かれる。


 振り向くと、葉子が細い眼を更に細めて皮肉な笑みを浮かべていた。淡いピンク色のシュシュで長い髪をひとつに束ねている。どこから見ても今時の女子高校生である。狐の妖怪と知った今でも、以前と変わらぬ友好関係が続いている。やはり腐れ縁なのだろう。もっとも美空自身も妖怪なわけだが、まだ雪妖であるという自覚が持てなかった。


 郁巳はバツが悪そうに葉子から距離を取る。火事で住居を失った葉子は、別の妖怪仲間の家に居候している。しかし、そんなことを気にする葉子ではない。


「まだ完治してないんだから少しは手加減してよね、この若作り狐め」


「あら、失礼なこと言ってくれるわね。これでも年相応に化けているんだからね」


 事情をすべて把握している葉子にあえて弁明する必要もない。正体を知ったせいか、葉子の口調が妙におばさん臭く感じるのは気のせいだろうか。


「化けるって葉子のためにあるような言葉だね」


「子供の頃からそうだけど、相変わらず口の減らない子だね。私があげた秘薬のおかげで乙女のやわ肌に傷跡ひとつ残らずにすむんだから感謝しなさい。ところでさ」


 葉子が美空の手を引っ張り、そっと耳打ちする。


「どっちが本命なわけ?」


「なっ?」


 葉子の突拍子もない質問に、美空は赤面する。


「美空様、顔が赤いですが、お体の具合が悪いのではないですか?」


「まだ、傷が痛むのか?」


 心配そうに見つめ返してくる幸弥と郁巳。


「な、何でもない! 何でもないから。あ、ほら、早く行かないと新学期早々遅刻しちゃうよ」


 美空は先頭を切って走り出す。


 通学路にある満開の桜が暖かな春の風に乗って花びらを散らしていた。






                                おわり












最後まで読んでくださってありがとうございます。

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