#3
「幸弥くんは雪妖だ」
「雪妖?」
美空は自分の向かいに座る幸弥と呼ばれた青年に目線を向けた。ゆるいウェーブのかかった銀髪。庭に積もった雪のような白い肌。切れ長の双眸に見つめられると、思わずドキっとする。十八歳くらいの青年のように見えるが、外見は当てにならない。
「雪や氷などを操る妖怪のことだ。雪女も雪妖の一種だ。話したことなかったかな?」
「たぶん初めて聞いたと思う。雪妖って悪い妖怪なの?」
「まあ人間と同じでいろんな雪妖がいる。幸弥くんは我々の味方だよ」
「でも……」
美空は葉子の家を凍結させていた幸弥の姿を思い出す。
「美空様が見られたのは、消火活動です」
「消火活動?」
「はい、副長である螺雪様の命を受けた者たちが吹雪を起し、妖怪たちの家を燃やしているのです。僕はその者の気配を追って、消火に回っているのです。ここに来たのもその気配を追ってのことで」
「…………」
美空は幸弥の言葉が理解できなかった。
「妖怪の家って?」
「尾仁市には住処をなくした妖怪たちが人間に化けて暮らしています」
「尾仁市の人口の四分の一が妖怪だ。まあ元々ここは妖怪たちが暮らしていた土地だからな」
圭太郎が補足する。市役所の市民課に勤めている圭太郎が言うのだから間違いないだろう。
「葉子の家が燃えていたってことは、まさか葉子も?」
「彼女は孤の妖怪だ。ここに住むようになってかれこれ九十年くらい経つかな。そんな簡単には死んだりしないよ」
「そうなんだ」
「あまり驚かないんだな」
「伊達にお父さんの娘を十六年間やってないわよ。でも、幸弥さんが葉子の家を消火してくれていたのなら、なぜ葉子は逃げてなんて叫んだの?」
「それは美空様の身が危ないと思われたからです」
「危ないってどういうこと? それとさっきからずっと気になっていたんだけど、どうして私のことを美空様って呼ぶの?」
「それは……」
躊躇する幸弥。
「美空、自分の髪の毛を見てみなさい」
「私の?」
美空は圭太郎に言われた通りに、肩にかかる自分の頭髪を引っ張って見る。
「これ、何……?」
美空の頭髪が幸弥と同じ銀色になっていた。頭についた雪を払い落した時はまだ黒かった。ならば、いつ変化したのだろうか。そして、頭髪が変色した真意とは。
「心して聞いてくれ。美空、お前は人間と雪妖の間に生まれた子供だ。おそらく、雪妖が降らせているこの雪の影響でお前の中に眠る雪妖の血が目覚め始めたのだろう」
「私、お父さんの子供じゃないの?」
「いや、驚くポイントが違わないか?」
「何言っているのよ。私にとってはお父さんの子供じゃないことの方がよっぽどショックなんだからね」
「そうか」
圭太郎は苦笑した。
「安心しなさい。美空はお父さんの子供だよ」
「そっか。良かった。ということは、お母さんが雪妖?」
圭太郎は静かに頷いた。
美空は母の遺品が何一つないことの意味に初めて気付いた。写真は処分したのではなく、最初からなかったということなのだろう。
自分でも信じられないくらい冷静でいられた。いや、あまりにも非現実すぎて、現実として受けて止めていないのかもしれない。
「もしかして、お母さんは今も鳴雪山にいるの?」
「いや、霞は一族からお前を連れて逃げる時に死んだ。雪妖は元々プライドの高い妖怪で、他の種族と交わることを嫌う。ましてや、人間との間に生まれた子供は忌み嫌われて処分される。霞はお前を守るために、お前に見せかけた雪人形と共に自害した」
「そんな……」
「そして、生まれたばかりの美空をお父さんの所に届けてくれたのが幸弥くんだった」
「だったら幸弥さんは私の命の恩人ですね。ありがとうございます」
「いえ、僕は何も……。霞様をお助けすることはできませんでしたから」
「そんなことないですよ。きっとお母さんも幸弥さんに感謝していると思います」
美空は幸弥の手を握りしめた。ひんやりとした冷たい感触が心地よかった。赤ん坊の頃にこの手に抱かれていた記憶がそう思わせるのだろうか。
幸弥は白い頬を赤く染めていた。
「話を元に戻しますが、圭太郎さんが先ほど言われた通り、美空様は雪妖にとっては忌み嫌われる存在です。生きていることを知られたら、命を狙われます。しかし、状況が変わりました」
「どういうことですか?」
「先月鳴雪山が火事になったのはご存じでしょう? 原因は心ない人間による興味本位での放火でした。長である豪雪様は一族を守るため妖力を使いすぎて倒れてしまいました。豪雪様の妖力にも限界が来ています。本来ならその妖力は霞様が継承し、長になるはずだったのですが」
「長が死ぬと雪妖たちも消滅する。俺も霞もそのことを知りながら愛し合ってしまった」
霞は圭太郎と出会い愛というものを知り、美空を産んで自らの命を絶った。
「お父さん、自分を責めたりしないで。お父さんとお母さんが愛し合わなかったら私はこの世に存在してないんだから」
「ありがとう、美空」
圭太郎は美空を力強く抱きしめた。
「ねえ、他の人では長の妖力を受け継ぐことはできないの?」
「螺雪様が試みたのですが、継承することはできませんでした。同じ滅びるのなら人間たちに一矢報いたいと、螺雪様を筆頭にして報復が始まりました。しかし、自分たちだけでは無理だとわかると、何の関係もない人間の子供まで使って」
「人間の子供って、まさか郁巳くんのこと?」
「名前は知りませんが、鳴雪山の麓で百々目鬼と共に暮らしていました」
またしても聞きなれない名前が出てきた。圭太郎のうんちくによると、長い両腕に無数の鳥の目がある女の妖怪ということだった。しかし、百々目鬼が人間の子供と暮らしていることは、さすがの圭太郎も知らなかったらしい。郁巳が呼んでいた母親は、百々目鬼のことを意味していたのだろうか。
「螺雪様は百々目鬼を捕え、人間の子供にふらり火の肉を与え、人間たちの住処を焼き払うよう命じました」
「雪妖がよくふらり火の肉を手に入れたものだな」
「かなりの時間を要したみたいですが」
圭太郎の感嘆の声に、幸弥は悲しげに目を伏せた。火の属性を持つふらり火の肉を手に入れるためにどれだけ多くの仲間を失ったか、その表情が物語っていた。雪妖はそこまでの犠牲を払ってでも人間たちへの報復を切望したということだろう。
「美空様、僕はあなたを見て決めました。どうか我々の長になってください」
「私が? そんなの無理ですよ。第一、私は忌み嫌われる存在なのでしょう?」
「長の妖力の継承はやはり血族の者でないとできないのです。幼少の頃から人間の血が濃いと思ってあきらめていましたが、雪妖の血が目覚めた今の美空様なら継承できます。そうなれば、螺雪様も人間への報復を止めるはずです」
「いきなりそんなこと言われても……」
美空は圭太郎に助け船を求めた。
「残酷かもしれないが自分で決めるんだ、美空」
「お父さん……」
帰ってきたのは美空を突き放す答えだった。
「今は頭が混乱して考えられないよ。ちょっとだけ時間をちょうだい」
そう言って、美空は二階の自室へ上がっていった。