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#2



 美空はキッチンでホットミルクを飲んでいた。望みの父はまだ帰宅していない。交通機関が麻痺しているので、時間がかかっているのだろう。


「お父さん、早く戻ってこないかなぁ。それにしても……」


 美空はリビングのソファベッドで眠る少年を見つめた。結局、あのまま意識が戻らず、雪の中に放置しておくわけにもいかず、おぼつかない足取りで少年を背負って家まで連れ帰ってきたのである。成り行きとはいえ、異性を家に入れたのは初めてだった。緊張したが、状況が状況だけに今は一人より二人の方が心強い。


「……さん」


「気が付いた?」


 警戒しながら少年の顔を覗き込む。先刻のように突き飛ばされてはたまったものではない。しかし、少年はまだ眠っていた。その寝顔は苦痛に歪んでいる。


「母さん……母さん」


 うわ言で何度も母を呼んでいた。少年はどんな夢を見ているのだろうか。


 美空には母親の記憶というものがなかった。母、(かすみ)は美空を産んですぐに亡くなっている。『過去は振り返らない』という圭太郎の座右の銘のおかげで、母親に関するものは何ひとつ残っていなかった。だからといって母親がいないことを寂しいと思ったことは一度もなかった。それは圭太郎が美空のことを十二分に愛してくれたからだ。それがわかっているからこそ、美空も父の愛を疎ましく思うことはなかった。周囲の人間からファザコンと思われているのが難点だが。


「母さん……」


 涙が少年の頬を伝う。


「君のお母さんはどんな人なのかな?」


 美空が少年の涙をぬぐおうとして、手を伸ばした瞬間。


「!」


 またしても少年が目を覚まし、美空は突き飛ばされてしまう。


 少年はソファベッドから飛び出す。手負いの獣のような鋭い双眸が美空を睨みつけていた。顔の輪郭に若干の幼さを感じるが、年は美空とあまり変わらないだろう。


「ここはどこだ?」


「ここは私の家。君が雪の中で倒れていたから連れてきたのよ。覚えてない?」


 少年はしばし沈黙すると、何かを思い出したのか弾けるように駆け出し、リビングの窓を開ける。外から冷気と雪が入り込んでくる。


「ちょっと何やってるのよ?」


「俺に近付くな!」


「助けてもらっておいてその態度は何? 礼の一言ぐらい言っても罰は当たらないんじゃないの?」


「うるさい! 誰が人間になんか助けを頼んだ?」


「自分だって人間じゃないの!」


「俺は人間じゃ……」


 少年は目を大きく見開いて、両手で口を押さえた。そして、小刻みに震えだし、咳き込みながら庭に何かを吐き出した。それは小さな肉の塊のように見えた。肉塊は炎に包まれ、雪と一緒に融けていった。


 少年は片膝をついて、肩で大きく息をしていた。額ににじむ脂汗が只事ではないことを告げていた。


「大丈夫?」


「触る、な」


「そんなこと言っている場合じゃないでしょう!」


 美空は少年の背中をさすりながら、顔を覗き込む。


 少年が再び大きく咳き込み、また何かを吐き出した。


「何、あれ?」


「ふらり火の肉だ」


 美空の疑問に答えたのは、雪でびしょ濡れになったスーツ姿の圭太郎だった。門扉の前でぜえぜえと喘いでいる。


「お父さん」


「そうだろう、少年?」


 少年は何も答えなかった。いや、激痛に耐えるのが精一杯で答えることができなかったと言う方が正しいだろう。


「美空、無事か?」


「うん、私は。それよりもふらり火って?」


「火を操る妖怪だ。どこで手に入れたのかは知らないが、少年はふらり火の肉を食べたのだろう。これは妖怪も同じだが、種の違う妖怪の肉を食べると拒絶反応が出る。今のこの少年のように」 


「うっ」


 激痛に苦しむ少年の体から炎が迸り始めた。


「妖力が暴走し始めているのか?」


「お父さんは妖怪博士なんでしょう? 何とかしてあげられないの?」


「残念だけど、これは他人がどうこうしてやれることではない。彼の精神力の問題だ」


「そんな……」


「ママ……」


「え?」


 いきなり少年が震える手で美空の手を握りしめてきた。その手は熱を帯び、暖かいを通り越して熱かった。


「ボクはいらない子なの? お願い、ママ。見捨てないで!」


「ちょ、ちょっとどうしちゃったの?」


「痛みのせいで記憶が混乱しているのかもしれないな」


 だからといって、母親に殺さないでと懇願するのは普通ではない。この少年は心にどんな傷を抱えているのだろう。母を呼びながら流した涙と関係があるのだろうか。


「ボク、お利口にするから……お願いだから殺さないで」


「殺したりなんかしないよ!」


 美空はいたたまれなくなって少年を抱きしめた。少年を包む炎が美空の体をむしばんでいく。まるで灼熱地獄にでも落とされたような感覚だった。


「美空、やめるんだ! そんなことをすればお前の体が」


「大丈夫、お父さん。私に任せて」


 とは言ったものの、勝算はない。美空はただ少年を抱きしめることしかできなかった。少年の苦痛を少しでも軽くしてやりたかった。


「痛いよ、ママ……」


「怖がらないで。痛いのが治まるまで、私がずっとこうしていてあげるから」


「ママ……」


 少年は子供のように泣きじゃくりながら目を閉じた。心なしか、熱さが和らいだ気がした。


 再び目を開けた少年は、唖然とした表情を見せた。


「何やってんだよ?」


「何って、君が泣いていたから」


「放せよ! お前もいっしょに死んじまうぞ!」


「大丈夫だよ」


 少年を安心させるために笑顔で応えるが、本当は大丈夫ではない。今にも体が燃え尽きて塵になってしまそうだった。


「ちくしょうっ! ふらり火……俺のものに……なれ―――――っ!」


 少年は絶叫した。


 刹那。


 美空と少年を取り巻いていた炎が一瞬にして消失した。まるで何事もなかったかのように。


 幻覚だったのだろうか。いや、熱さも痛みもあった。その証拠にニットコートの一部に焼け焦げた跡がある。だが、火傷の痕はない。


「た、助かった」


 拍子抜けした美空は全身の力が萎えていくのを感じながら倒れていく。圭太郎が慌てて支えてくれる。


「あまり無茶なことをしないでくれよ」


「ごめんなさい、お父さん」


「しかし、棚から牡丹餅とはこのことだな」


「どういうこと?」


「少年はふらり火の妖力を克服して自分のものにしたってことだ」


「へえ、すごい」


 と感心していると、いつの間にやら少年がブロック塀の上に移動していた。


「ちょっとどこへ行くつもりなの? 君の体は普通じゃないんだよ」


「死にたくなければ、この町から出ていけ」


「何わけのわからないことを言っているのよ。早く家の中に入りなさい。またさっきみたいなことになったらどうするの」


「あんたの親父さんが言っていただろう。妖力を克服したと」


「そんなのわかんないでしょ!」


「うるさい女だな。とにかく忠告したからな」


「ちょっと、待ちなさいよ。名前くらい教えていきなさいよね。私は藍川美空。君は?」


郁巳(いくみ)


 少年は短く答えると、ブロック塀の向こうに姿を消した。


「まったく今日は何て日なの。あ、そうだ! お父さん、大変なの! 葉子の家が」


 美空は言葉を切った。


 いつの間にか圭太郎の背後に銀髪の青年が立っていた。


 背筋が凍る思いとは、まさに今の心境のことを言うのだろう。先刻、妖怪の存在を目の当たりにしたばかりの美空は、眼前に立ち尽くす青年を凝視した。


 目撃者を殺しに来た?


 美空の脳裏にはそれしか思い浮かばなかった。


 美空は自分を支えてくれている圭太郎の腕にしがみついた。


「すみません。ここに来るつもりはなかったのですが」


 それが青年の第一声だった。しかも、美空にではなく、圭太郎に向けての謝罪のように感じられた。温厚な顔立ちと口調から敵意は感じられなかった。


「お父さんはこの人のこと知っているの?」


「あ、いや、彼は霞の妹の弟で、その」


 美空が疑惑の瞳で見つめると、圭太郎はあからさまに動揺した。


「もういいんです、圭太郎さん。妖力を使っているところを美空様に見られてしまいましたから」


「そうなのか?」


 青年が頷くと、圭太郎はあきらめにも似た吐息をもらす。この二人が顔見知りなのは明らかだった。


「お父さん、どういうことなの? ちゃんと説明して」


「なら、中で話そう」












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