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#1




 藍川(あいかわ)美空(みそら)は走っていた。


 暴風と積雪に足を取られて何度も転びそうになりながらも、一心不乱に走っていた。


「あっ」


 慣れない雪道に体力を奪われていた美空の足はからまり、ついに転倒してしまう。五十センチほどの積雪にか細い体が沈んでいく。


 体を仰向けにして、深呼吸する。冷たい空気が肺の中に一気に浸透していき、思わず咳きこむ。


「いったい……何が、どう、なって、るのよ?」


 途切れながらも言葉を何とか発する。


 灰色の空から舞い落ちる雪の結晶が、紅潮した頬に融けていく。


 三月三十一日。暦の上でも春である。東北地方ならまだしも、瀬戸内海に面している()()市ではこの時期に降雪など考えられないことだった。いきなり降り始めた雪は、一時間ほどで尾仁市を白銀の街並みへと変貌させていった。


「と、とりあえず落ち着け、藍川美空!」


 自分にそう言いきかせて、ゆっくりと呼吸を整える。さすがは現役高校生といったところだろう。破裂しそうだった心臓はすぐに落ち着きを取り戻す。半身を起し、頭髪についた雪を払い落す。繊細な指先は寒さで真っ赤になっていた。


「まず今日の出来事を思い出すのよ」


 春物のニットコートを羽織り自転車に乗って、友人の雨宮(あまみや)葉子(ようこ)の家に向かったのは十時前。春休み前に葉子に貸した恋愛映画のDVDが急に見たくなったのだった。葉子は一度借りたものは自分からは返さない。しかし、回収に行けば素直に返してくれる。とはいえ、その度に葉子の家に行くのは面倒なので美空としては貸したくはないのだが、「これ借りていくわね」と言って勝手に持って帰ってしまうのだから仕方がない。それでも友好が絶えないのは、腐れ縁なのだろう。


「いきなり雪が降り始めたから急いで葉子の家に向かって、それから……」


 出掛ける時点では降雪など微塵も感じさせない春らしい陽気な気候だった。


「葉子の家の方から煙が上がっているのが見えてきて」


 落ち着きを取り戻していた心臓が、再び早鐘を打つ。胸の前に両手をあてて、「大丈夫」と心の中で連呼する。


 美空は自分が走ってきた経路を見つめる。白銀の地面には、自分の足跡しかなかった。この町にはもう自分一人しかいないのではないだろうかという錯覚に陥ってしまいそうになる。実際ここまでの道中で何人かにぶつかってはいるのだが。


「夢、っていうオチであってほしいけど」


 頬をつねるというベタな確認方法で、痛みとともにこれが現実であることを実感する。


 銀髪の青年が燃え盛る雨宮邸を指先から放出するブリザードで凍らせていたのも、その家屋の中から「逃げて」という葉子の声が聞こえてきたのも、すべてが現実なのだ。


「あの人は誰? 人間、じゃない? 葉子はどうなっちゃったの?」


 美空は北西にある標高四〇二メートルの(めい)雪山(せつざん)を凝視した。


 その昔人間に恋をして裏切られた雪女が三日三晩泣き続けて凍った涙が山になったという伝説があり、山頂にある雪は真夏でも融けることがないのだという。その伝説のせいか、鳴雪山の山頂は立ち入り禁止になっている。


「そういえば、二月に鳴雪山の山頂が火事になったことがあったけど」


 ニュース番組のローカル枠では、放火の疑いがあると告げていた。それが事実なら、怒った雪女が放火犯に復讐しようとして、この雪を降らせているのではないだろうか。


「まさか今の人、雪女?」


 青年と思い込んでいたが、中性的な顔立ちは女性にも見てとれた。


 幼い頃から自称妖怪博士である父、圭太郎に妖怪の話ばかり聞かされていた美空は、いつの間にか妖怪の存在を認識していたのかもしれない。青年の存在が追い打ちをかけているのは言うまでもないが。


 恐怖という感情が美空の重くなった体を奮い起こさせる。


「こういうことはお父さんに聞くのが一番なんだけど」


 予想外の大雪のせいか、圭太郎の携帯電話に連絡がつかない。超過保護な圭太郎は美空を心配するあまり、仕事を放り出して家路を急いでいるに違いない。


「とにかく一度家に帰ろう」


 よく見ると、近所の公園まで戻ってきていた。南側の出入口を抜ければ家はすぐそこだ。


 美空は新雪を一歩踏み込む。


「?」


 むぎゅと何か柔らかいものを踏みつけた感覚が靴底から伝わってきた。足を上げると、半分雪に埋もれかけている人がいた。


「大変!」


 美空は慌てて積雪を払いのける。小さく丸まった少年が姿を現す。少年は半袖のTシャツと膝から下が破れたジーパンと素足にスニーカーという、軽装をしていた。褐色の肌が活発そうな性格をイメージさせたが、三月末とはいえその服装はあまりにも季節外れに思えた。突然の降雪と極寒で身動きがとれなくなったのかもしれない。


 美空は少年を抱き起こす。不思議と少年の体から冷たさは感じなかった。


「君、大丈夫?」


「!」


 少年は目を覚ますと、美空を突き飛ばした。


「ちょっと何するのよ?」


「俺に触るな!」


 少年の威嚇する双眸と鍛えられた四肢がまるで野生の獣のように思えた。しかし、少年は立ち上がることもなく、再びその場に倒れ伏した。


「もう勘弁してよねー」


 美空の呟きは吹雪と共にかき消されていった。











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