第三十六話;偽りの指きり
――・・・美術室が、闇に飲み込まれ始める・・・。
日もだいぶ沈み、辺りが赤色というよりも濃い紺色となっている。
「・・・よく、分かったね・・・」
春花がボソッとつぶたいた。
今まで闇に体を預けていた愛が、驚いたように見つめる。
「私が・・・美術室にいるって、なんで分かったの・・・?」
春花の声が美術室内に響き渡った。
愛は思わず目を反らす。
<そ、そんなの・・・>
<私にだって分からないよ・・・>
愛は声に出さずにそうつぶやく。
でも、春花ならその気持ちが分かったと思う。
なんの確証もなかったがそんな感じがした。
春花は哀しい笑みを浮かべ「そっか・・・」とただつぶやいた。
・・・再び、長い沈黙が流れた・・・。
お互い、何を話せばいいのかよく分からない。
少し気を抜くと激情が言葉となって出てきそうだ。
「・・・あの、さ」
再び春花の口が開く。
愛はそっと春花を見た。
「愛と、私って・・・何が違うのかな・・・」
ドクン・・・愛の心に震えが走る。
なんでこんな事を話すのか、春花が何を考えているのか、まったく読み取れない。
ただ・・・伝わってくるのは―――
春花の痛々しく、哀しい心の叫び。
「そ、そりゃ・・・今までにも性格が正反対とかよく言われてたけどさ・・・。でも楽しい時は一緒に笑って・・・つらい時は一緒に泣いて・・・怒って・・・どこも違わなかった。だけど、涼蘭<すらん>に襲われた時・・・思ったの・・」
春花は包帯で巻かれた手を見た。
そして・・・疲れ切ったように笑う。
「愛は私より強いんだ・・・って。誰よりも大きいんだ・・・って。あの時の愛・・・いつもならおどおどして泣き出すくせに、、目はしっかり涼蘭を見てて・・・・何かカッコよかったよ。私の助けなんて・・・いらなかった」
「そ、そんな事ないッ!わ、私は・・・――ッ」
愛が声を荒げる。
しっかりしているのなら春花を守れたはずだった・・・
なのに、守り・・・切れなかった。
「私は・・強くなんかない。春花は私のせいで何人犠牲になったか知らないからッ」
愛は歯を噛み締め、体を震わせる。
今でも、目を閉じれば思い出せた。
リニアの死・・・邪魂<じゃこん>の餌食になった軍人・・・瀕死状態におちいった諒・・・
すべて自分のせいだ。
自分の非力さがあの惨事を呼んだ。
・・・覚悟が足りなかった。
「私は・・・今のままじゃいけないの。もっと、もっと強くなって・・・もう、諒も・・・涼蘭も・・・・春花も巻き込みたくない・・」
愛の瞳が春花の瞳を見た。
黒くすんだ瞳に、愛が映ってる。
「・・・――だから・・・」
春花が愛から目を反らす。
「そうやって抱え込んで・・・私の、知らない所に行くの・・・?」
・・・春花の言葉に愛が固まった。
<な、なんで・・・知ってんの・・・>
感情が表に出ないように必死に心を押さえた。
<まだ、光の国へ帰るなんて話してないのに・・・>
様々な疑問が頭をよぎった。
すると愛が動揺している事に気づき、春花は言葉を続ける。
「き、聞いちゃったんだ・・・そ、そのォ・・・明日帰るって話・・・」
「き、聞いた?」
愛が思わず聞き返した。
「お、屋上で・・・。聞くつもりはなかったんだけど・・・・ご、ごめん」
春花はそっと謝ると、一人美術室の奥へ歩き出す。
そして窓辺に行き、愛に背を向ける。
春花の体が、闇に包まれている・・・。
「そう・・・だよね。愛だって、大変なんだ・・・私ばっか、わがまま言えないよね・・・」
春花はブツブツとつぶやく。
一瞬春花の背中が縮んだように見えたが・・・すっと背筋を伸ばし、かすかに笑みを浮かべる。
「い、行ってきなよ・・・」
「――― え?」
「明日、行くんでしょ?・・・私は・・・止めないから」
春花の声に、愛は身を震わせた。
春花の声が笑ってる・・・だけど、暗い窓に映る春花は・・・――
――泣いているッ。
「涼蘭の事も・・・今までの事も・・・愛がまたここに帰ってきたら謝るッ。だから・・・帰ってきて・・・」
―― また、愛と笑いあえるように・・・
春花は窓辺に眼鏡を置き、両手で顔を覆う。
指の隙間から、一筋の涙が伝う。
愛はその様子を複雑な気持ちで見つめるしかない。
<か、‘帰ってきて”って・・・>
<私はもう、この世界には・・・>
―― 帰ってこない
永遠の別れとなる。
だけど・・・春花にはそれが分かっていない。
しかし、だからと言ってその気持ちを裏切る勇気もなかった
「そう、だね・・・。またここに戻ってきたら・・・私も、春花に謝る・・・。早めに・・・こっちへ帰ってくるからッ」
心が、痛かった。
こんな嘘しかつけない自分が・・・憎い。
それでも・・・――
‘それ”を真実だと思い、自分を見つめる春花が・・・怖い・
「だ、だから・・・泣かないで?私は、春花の笑顔が大好きなんだよ?」
愛は春花の元へ歩み寄り、そっと頭をなでた。
春花の髪はまるで絹のようにサラサラしている。
そして・・・その手を春花に差出し、小指を立てる。
「指きり・・・ね?」
愛は必死に笑顔を作った。
春花をこれ以上悲しませたくないッ――
春花に、これ以上嘘をつきたくないッ――
・・・春花は、涙をこらえながら微笑み・・・それに答えた。
愛の指に、春花の指が巻きつく。
お互い微笑むと、すこし強めに指をにぎる・・・。
化け物の指――人間の指
姫の指――民の指
友の指――友の指
二つの指が示す、二つの立場。
だが・・・それらが誓ったのは・・・――
‘偽りの約束”
「‘約束”・・・だからね?」
二度と帰って来ない・・・
・・偽りの・・・約束――――――ッ
辺りはすっかり暗闇に沈んでいた。
路上にいくつかの電灯が点々としているが、暗いのには変わりはない。
その中を愛と春花は歩いていた・・・。
残りの時間を惜しむように、手をしっかりつなぎながら・・・。
「ねぇねぇ・・・」
春花が歩きながら愛の顔を覗き込んでくる。
その姿はまるで幼い子供だ。
「明日・・・市内の花火大会なんだって・・・。私も・・・今朝、聞いたんだけどね。」
「花火・・・大会?」
愛は呆然とするしかない。
知らずとよみがえるあの記憶・・・。
‘花火”・・・誰よりも優しかったリニアがくれたもの。
だけど・・・遊ぶ前にリニアは殺されて・・・・花火はぐちょぐちょで・・・。
血で汚れた剣を・・・リリースが――ッ。
「あ、愛?どうしたの?具合悪い?」
ハッ・・・。春花の声で愛が我に返る。
体がこわばり、喉が圧迫されている。
「な、なんでも・・・ない。それじゃあ、明日見に行こうね・・・。明日が楽しみだなぁ・・・」
愛が引きつった笑みをこぼす。
今は春花との時間を大切にしたいのに、なぜここまで来てリリースを思い出すのか・・・。
自分で自分が腹立しい・・・。
でも・・・
リニアは愛にとって最高に幸せになるはずだった日に殺された・・・。
もしかしたら、明日にかぎってリリースは攻めて来るのではないか・・・。
愛から幸せを、奪うために。
愛はそっと春花を見た・・・
リニアの死と春花の笑顔が重なる。
「は、春花・・・」
愛が震えた声で呼ぶ。
「何?」
「明日は・・・ずっと私の側にいて・・・。絶対・・・離れちゃだめだよ?」
愛はぎゅっとこぶしを握りしめた。
恐らく、これは心配しすぎなんだと思う。
でも・・・これ以上、誰も傷付けたくない。
「えぇ?まさか愛がそれを言うなんて・・・」
愛の思いと裏腹に、春花はくすくす笑い出す。
「それ、私の台詞だよぉ?愛って極度の方向オンチだから私から離れたらやばいでしょ?」
・・・。
春花の言葉に愛もつられて笑い出す・・・。
もし、愛も春花みたいにこの世界の人だったら、こう考えられたのかもしれない。
春花の微笑が、本当に優しく思えた。
でも――
<私は、この笑顔を裏切るんだ・・・>
<本当の事を話したら、春花はどうなるんだろう・・・>
罪悪感が、心に焼きつく。
ついさっきまでは・・・春花に真実を話すつもりだった。
だけど言えなかった。
‘知らない時の方が幸せな時がある”
まさにそれだ。
これ以上、春花を傷つけたくなかった。
悲しむ姿なんて見たくない。
しかし、愛がいなくなった後に残された春花が見るものは――
つらい現実と、愛が嘘をついていたと言う絶望だけ・・・
わかっていてもそれ以上でもそれ以下でもないのだ・・・。