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アルファ・ランウェイとブラボーランウェイへ離着陸する飛行機は、私の家の上空を通過する。だから私の家の窓も、あの「立入禁止」の文字の下にあった役所とは別のお役所の配慮で、防音になっている。でも、やっぱり音は聞こえるわけで、そっちの滑走路は、もう一組の滑走路、イースト・ランウェイとウェスト・ランウェイと違って、ふだん旅客機が使ってる。空にラッシュアワーがあるのかどうかよくわかんないけど、ひっきりなしにゴーゴーゴーゴー言ってる時間と、比較的静かな時間帯っていうのがある。ついでに風向きによって離着陸する方角が変わるから、一番うるさいのは、戦闘機が36R/Lを使うのと同じ風向き。01R/Lから離陸されるとき。
旅客機は、食べ過ぎのデブが重い身体を引きずるようにして、おっかない犬に追いかけられてるみたいにして離陸する。こう言ったらエアライナーのパイロットさんは怒るかな。でも私からはそう見える。SRじゃない747が離陸するときは、おいおい、いったいいつまで滑走路を走るんだってくらい延々と突っ走り、しかも加速が鈍い。で、きっとキャプテンとコーパイが「V1」なんてコールしてるころ、ようやくシップはノーズギヤが浮いたくらいで、なんかブラインドみたいなスロッテッド・フラップをだらだらと下げて、四基のターボファンエンジンの爆音をとどろかせて、ゆっくりゆっくりと上昇してく。駅の階段を荷物抱えて上ってくおデブなオタクちゃんみたいに。なんて言ったら、エアライナーのパイロットさんに怒られるんだろうな。
でも、F-15の離陸と比べたら、歴然だから仕方ない。F-15の離陸は、一瞬排気音が上がったと思ったら、地面を嫌ってるのかなって思うくらいの勢いで駆け上がってく。メインギアは、滑走路を離れた瞬間にアップして、真っ赤なアフターバーナーの炎を焚いて、ロケットみたいに上昇する。あれは、何回見てもすごいと思う。できたら一回後部座席に乗せて欲しい。本当は操縦席に乗ってみたいけど。
話がそれちゃった。国道沿いのサンクスから自転車をこいで自宅へのベースレグに入った私は(ベースレグってことは、一度自宅を目の前にしてぐるっと近所をまわるってことね)、グライドスロープの角度があんましよくないような気がしたから勝手にゴーアラウンドを宣言して、家から五分くらいのところの本屋に行った。本屋の上空も航路になっているから、たまたま信号待ちで空を見上げたら、フラップをフルダウンにしたトリプルセブンが離陸していった。どこへ行くんだろう。東京、名古屋、伊丹、関空、福岡。なんとなく思いつく大きめの空港を挙げていった。成田行きってこの時間にあったかな。よくわかんないや。で、信号機が青になったから、クリアード・クロス・ランウェイ、交差点を渡った。夕焼けだった。町の西側に広がるのは山岳地帯と森林地帯で、心持ち日暮れが早い。海に沈む夕日ってのをたまには見てみたいけど、それは快速電車に一時間くらい揺られないとだめ。この町では、山に沈むのが夕日で、朝日は畑から昇ってくる。まことにド田舎である。
読みたい本があったわけではなく、定期的に読んでいる雑誌があるわけでもなく、参考書を買うわけでも(そんな気はさらさらないけど)なく、なんとなくまっすぐ家に帰りたくなくて、で、こういうちょうどいい距離に時間をつぶせる場所があるから、寄ってしまう。
音楽雑誌。ロックは好き。だけどカラオケに行っても歌えない。
芸能雑誌。好きな俳優はいるけど、残念ながらアイドルじゃない。
映画雑誌。この町には映画館がない。
週刊誌。父親が読んでるかもしれない。
マンガ誌。少女マンガより面白いと思う。
料理雑誌。料理は作るものじゃなくて食べるものだよね。
旅行雑誌。お金がない。
ゲーム雑誌。なんでキラキラお目々の女の子が表紙なのかな。アニメ雑誌?
陸上競技の雑誌。表紙はいつも見てるけど、読んだことがない。どんな人が読むんだろう。
バスケットボール誌。同じく。
教養コーナー。ロシア語は、ちょっと覚えてみたいかな。英語をマスターしたらね。
鉄道雑誌。マニアック。私には「快速エアポート」さえあればいいよ。
航空雑誌。同じくマニアック。これ、軍用機系と旅客機系でくっきりとファン層が分かれてるみたい。鉄道雑誌のことをマニアックって言っちゃったけど、こっちも負けてないよね。「航空ファン」なんてそのものズバリな名前の雑誌もあるし。ニャーに話したら、「そんな名前の雑誌があるなんて信じられない」といって信じてくれなかった。いや、本当にあるんだよね。ここにこうして。
で、何回目かになる立ち読みを開始。周囲から私がどういう風に見えるのか分からない。これで中学生のころみたいにメガネかけてたらそれなりに姿に見えるのかな。でもそういう子はゲームとかアニメ雑誌のコーナーにいる。
ページをめくると、アメリカ海軍の戦闘機が鮮やかに写っている。ヘルメットにバイザー、酸素マスク姿のパイロット。ちらっとのぞいてる首がたくましい。それよりも蒼い空、漂白したみたいな雲。なんてキレイなんだろう。写真でこれだけキレイなんだから、本物なんかを見たら卒倒しちゃうかもしれない。トリプルセブンの小さな窓から見た高度三万フィートの空も、紺色をしていた。キレイだった。眼下の雲海に、私が乗ってる飛行機の影が落ちてて、影のまわりに虹がかかってた。
私は思った。絶対、ここは人間の世界じゃないって。
だって、そもそも人間に羽は生えてない。
生物の授業で見た進化の歴史をたどっても、人間と鳥類が分岐するのは、恐竜が絶滅するよりもずっと前だった。進化の枝葉をずっとたどっていったら、きっと一個の単細胞生物になるんだろうけど、少なくとも人間と鳥は近親じゃない。だから人間に空を飛ぶ機能なんて備わってない。そんな人間が、ケミカル・ウィング、機械の翼で空を飛ぶ。
イカロスの話ってあったよね。小学生のころか中学生のころか、歌が教科書に載ってた。太陽を目指したイカロスの羽根は、やがて溶けて墜ちてしまう。
だから、人間は空に憧れるのかもしれない。そこが人間の世界じゃないって知ってる人は、憧憬と畏怖を持って。
私も空に憧れる。
なによりも、自由だ。
季節を巡って色を変えていく地上と違って、空はいつも気まま。蒼くて、澄んでいて、雲がかかったら向こうが見えない。隠れて出てこない。
私も、飛びたい。
雑誌のページをめくる手は、F/A-18戦闘機がエルロンロールを決めたカットで止まっていた。戦闘機に見とれていたのではなくて、私は空の青さと雲の白さに目を奪われていた。何回も見た写真なのに。
空って、こんなに、蒼いんだ。