20
エレメント・リーダー・プラクティス。
ELP。
NLPだとナイト・ランディング・プラクティスになっちゃう。私の街にも移転してくるかもしれないとかなんとか、けっこう騒いでる話。ELPはそうじゃなくて、2機編隊長になるならないの話。
でも果たして私がエレメントリーダーなのかどうか怪しい。
ウィングマン?
私の隣で暑い暑いと文句をたれている。ゴメンね広司君。朝七時から起こして。夏休みだもん、もっと寝ていたいよね。私は奴を連れて航空団基地の正門をくぐった。くぐるってのはちょっと違うかもしれないけど。朝から国道は大渋滞だった。
広司に聞いた。航空祭を見るのは初めてだって。信じられない。って顔をしたら、広司も信じられないって顔をした。私が三年連続五回目、なんて言ったからだ。
旅客機と違って、やっぱり戦闘機は身近じゃない。それは、毎日のように街の上をゴーゴー飛び回って、空港からも離着陸が見えて、さらにラストチャンスまで行けば、石油ストーブの匂いを嗅ぐことができてもだ。
私は、ニャーやミャーやユーカに、間違いなくミリタリーオタクだと思われてる。違うんだって。私は飛行機が好きなだけ。
なんで戦闘機なの?
エアラインじゃダメなの?
どうしてJALじゃなくてJASDFなの?
誰だ、そんな略語を持ち出したの。ニャーだったかもしれない。何せ、C-130を知ってる子だから。関係ないか。
朝から晴れている。
私は数日前から天気予報を見ていた。雨、降るなって。雨が降ると、プルーインパルスが飛んでくれない。軌道飛行も見られない。格納庫で油圧作動展示を見るくらいしかなくなっちゃう。それはちょっと寂しい。私は航空祭の予行演習までラストチャンスから見上げていたんだ。
やっぱりマニアかもしれない。
でも、私は飛行機が好きなんだ。
そこで、さっきの質問にぶち当たるんだ。
なんで戦闘機なの?
私は思う。
戦うとか、武器だとか、戦争だとか兵器だとかやかましいとか(エアラインも十分にやかましいけど)、そういうのを抜きにして、なんだろう、空を自由に、より速く、より高く飛ぶために作られたのが戦闘機で、空を飛ぶ以前に、安全で、大量に、ゆったりと飛ぶことを求められるエアライナーとは、そのへんが違うと思うんだ。
747とかトリプルセブンとかA320とか。
エアライナーは、なんだろう、空を飛ぶにしては、一緒に舞い上がってる意識の数が多すぎるっていうか。ごめん、語弊を恐れずいうなら、純じゃない。
小さい頃見たF-15戦闘機は、ただ空を飛ぶためだけに作られたような、そんな純粋さが溢れていたと思うんだ。だから、戦闘機が好きになった。
「バスとスポーツカーと、どっちがいい?」
隣でだらだら歩いている広司に聞いた。私の言いつけを守って、長袖のシャツに、キャップをかぶっている。私も同じ格好。色気のかけらもないんだけど、小学生の頃、半袖にショートパンツという格好で一日航空祭を見て、結果肌が露出している部分にひどい日焼けをして以来、私はこの格好をすることにした。あ、でも、かぶってるキャップは、「201SQ」とか、そんなロゴは入ってないよ。
「なんの話よ」
「なんで戦闘機なんだって訊いたでしょ」
「なんでだよ」
「だから、バスとスポーツカーと、どっちがいい? って訊いたの」
「意味わかんない」
「乗るんだったら」
「運転するなら?」
「うん」
「そりゃあ」
「バス運転して支笏湖に行きたいとは思わないけど」
「でしょでしょ」
「それが、戦闘機が好きな理由?」
「近いと思うけど」
「乗ればいいじゃない」
「何に」
「戦闘機」
「簡単に」
流れる人、人、人、人。どこまでも人。どっから湧いてきたんだこの人人人。絶対に千歳市民じゃない。どっから来たんだ。その脚立はどうするんだ。そのカメラ、なんかの武器?
「私の視力を知ってて、そう言うんだから」
「お前、視力いくつだっけ?」
「○、○二。くらい」
「どんだけ悪いんだ?」
「コンタクトなしでは、本も読めません」
「そういや、メガネやめたの?」
「なんで」
「しばらくメガネだった」
「アレルギー性結膜炎」
「聞いた」
「あんた目ぇ、いいよね」
「別にそういう認識はないんだけど」
すでに広司の首筋に汗が浮いていた。確かにもう暑い。家を出てくるときは、涼しかったけど。エンジンをくりぬかれたF-104が私たちを出迎える。
「近眼ってさ」
F104を広司越しにぼーっと見ていたら、いきなり目があった。
「なに」
「どんな感じ?」
誰かにも聞かれたような気がする。
「どんな感じって言われても」
私はこういう状態しか知らないから、説明のしようがない。
「ぼやけてるの?」
私は歩くスピードを緩める。ベースレグからファイナルレグに入るときのような、緩やかな旋回をしながら。
悪意のない広司の顔をロックオンしながら。
この距離なら、そして目標がひとつなら、私の目もずっと追尾し続けられる。
広司の顔も、じっと私を追ってくる。瞬きもしないで。結局、人間の目がもっとも役に立つセンサーなんだっていうような。広司、きれいな目をしている。
「輪郭のない世界」
私は一瞬だけ立ち止まり、また歩き出す。タッチ・アンド・ゴー。ちょっと違う。
「輪郭?」
「ものの形が、空気に溶けてるような感じ」
私。敷地内のスピーカーから、BGM。ATCでも聞かせてくれればいいのに。
「わかんないでしょ」
「ごめん。わかんない」
広司が苦笑する。
「知らない方がいいんだよ」
「そう?」
「疲れるから」
「お前肩こりだよな」
「まあね。関係あるのかな」
「さあ」
広司の首筋で汗が流れてる。私も、同じかな。
カップルが私たちを追い越していく。サングラスをかけた彼氏。大学生より年上に見折る。その左手にぶら下がった彼女。私と同じくらいの歳に見える。でも私は童顔だ。年齢は近いかも。だけど、見た目は五歳くらい、左手にぶら下がった彼女の放火上に見えた。ノースリーブ。日焼けするよ。
人人人人。
私は、広司のやや右前方に占位する。
エレメント・リーダーはこの位置なんだ。
手なんかつながない。
つながなくても、がっちりと編隊を組んでやる。
離れないように。
だけど。
私にも、広司にも、エレクトロ・ルミネッセンス・ライトによる編隊表示がない。
離れたら、つかまるかな。
「ねえ」
「なに」
「ケータイ持ってきた?」
広司は、無言でポケットから傷だらけの携帯電話を取り出した。
アンテナ、三本。
無線で誘導してね。よろしく。
地上展示機にはそれほど興味がなかった。飛行機は飛ぶから飛行機なんだ。だから、ごめん、展示されてたF-104を見て、父さんのプラモデルを思い出したけど、あんまり興味が湧かなかった。噂に違わず、ペラペラの主翼を眺めたりした。触れたらよかったのに。近くにいた隊員さんに訊いた。もう飛べないってことだった。
F-15の機動飛行が始まるころ、いよいよ私のウィングマンが喉が渇いたと救難信号を発しはじめていた。私は機動飛行を見たかったから、その時点で一度編隊を解いた。
私は一人になった。
蓬田君のことを思った。
私は彼と待ち合わせまでしたのだ。
あの屋上で。
八時ね。
基地正門に八時。
私はその時間、広司の手を引っ張って、日航ホテルの前あたりにいた。
本当は蓬田君に連絡しようと思った。ゴメン、君とは行けないよ、って。
けど、蓬田君の連絡先がわからなかった。学校はもう夏休みだし、蓬田君がいる三組には、私が気安く電話をできるような、あるいはメールを打てるような友達がいなかった。まして広司に蓬田君の連絡先を訊くわけにもいかず、正門で待ち受けていそうな蓬田君をどうやって回避するかが課題になった。
けど。
八時十五分ごろ、私が基地正門を通過したとき、そのあたりに蓬田君はいなかった。
ほっとしたけど、ちょっと複雑な気分だった。
たった十五分。
もしかしたら、蓬田君はその程度の時間も待てない人なのかな。
あるいは。
人の列に、私じゃなくて、アホみたいに背の高い広司を見つけたのかもしれない。
ようするに、蓬田君は、彼氏持ちの私を誘ったのだ。
広司がどんなにアホで、コーラ好きで、無駄に背がでかくて、私の身体ばっかりほしがったとしても、やっぱり広司は私の彼氏で、私にとって一年に一度のイベントである航空祭に、たとえ趣味が合うからといって、彼氏である広司以外の男の子と来ることは許されない気がした。
ノッチと話をしたからかもしれない。
音楽隊の演奏。
スピーカーから流れる無遠慮で時代遅れのBGM。
雑踏。
人人人人。
たぶん街の人。
たぶんマニアの人。
たぶん彼氏がマニアで、彼女は連れてこられただけのカップル。
私は蓬田君のことを考えて、ちょっと浮かれていた気分が冷めた。
そして、どうして私がこんな気分にならなきゃいけないんだって思った。
ヘリコプターがバラバラ飛ぶ音。
救難隊がデモンストレーションをやっている。
私は陽射しを避けて、格納庫に入った。
毎年おなじみの油圧作動展示をやっていた。
若い隊員がマイクの前で、油圧の説明をやっていた。
たぶん、この基地の中に、蓬田君がいる。
八時十五分。
待ち合わせは、もっとも彼が一方的に言ったんだけれど、八時だった。
連絡すればよかった。
私は格納庫の床に座り込んだ。
冷たかった。どこかからかオイルの匂いがした。
私のすぐ前で油圧作動展示が続いている。サイレンのような音。ジェット・フュエル・スターターの起動音。ジェット・フュエル・スターターを回しているのに、エンジンはかからない。エンジンがかからないから、この飛行機は飛ばない。飛べるのに、飛ばない。
私はふと思う。
飛べるのに飛ばないのと、飛ぼうとしても飛べないのではずいぶん違う。
私は言い換えてみる。ちょっとこじつけだけど。
会おうと思えば会えるけど会わないのと、会えるのに会わないのと。
どっちが冷たいかな、なんて思ったりした。
で、広司と一緒にいるところで蓬田君に会ったりしたら、そのときはどういう顔をすればいいんだろうって。
だったら最初から、あの屋上で蓬田君に誘われたとき、言えばよかったんだ。
ノッチのことを考えた。
こんなに雑念ばっかりの航空祭は初めてだ。
なんだかちっとも心が楽しくない。
救難隊のUH-60がバラバラと飛んでいる。何かぶら下げてる。外はまぶしい。広司は帰ってこない。私は広司にメールを打つ。
どこにいるの?
電話すればよかったかもしれない。だけど、ヘリコプターの音は結構大きくて、もし広司があの辺にいたら、電話が鳴っても気付かないかもしれなかった。そしたらメールがなっても気付かないかな。
夏空だ。
本当に夏空だ。
秋の空みたいに澄んでなくて、暑さが空から降りて来るみたい。
ウェストランウェイ。救難隊のヘリコプター。首をまわすと、旅客機がふわふわ浮かんでた。戦闘機の離陸に比べたら、たぶん大きさの関係もあるんだと思うけど、旅客機って空に止まってる見たいに見える。離陸上昇しているときも、そのまま後ろにずるずる落ちてくるんじゃないかって。そんなことはないんだけど。
携帯電話を開く。広司の奴からは返信が来てなかった。ちょっと寂しい。
バタン。
かなりでかい音がして、音の方を向くと、油圧作動展示のF-15、ランディングギアを出し入れしてた。けっこう大きな音がする。バタン。脚を格納するドアが閉まる音。
格納庫の床に座っていた私は立ち上がり、そうしたらちょっと頭がふらっとした。昨夜はユーカと長電話をしてしまった。だから本当は今日、寝不足なんだ。頭の中で眠気がざわざわ騒いで、それがちょっぴり痛かった。広司の奴、どこ行ったんだろう。
やっぱり連れてこない方がよかったのかなって思う。そうしていたら、肩を叩かれた。
蓬田君?
一瞬思った。
けど、振り返ると、もう汗を額に浮かべている広司がいた。
「捜したよ」
片手にコーラを二本持っていた。一本は私にくれるつもりのようだ。差し出された。コーラの缶もびっしり汗をかいていて、よく冷えていた。私はありがたくもらった。
「広いなぁ」
広司は、もしかしたら二本目のコーラなのかな。プルトップを引いて、一気に三回喉を鳴らした。CMみたい。私もカンをあおった。やっぱり喉が渇いていたみたい。
「暑い」
「朝からそればっかり」
「いや、本当に。日陰ないんだね」
広司はそう言って目を細めた。格納庫の中は確かに涼しい。
「あれが、F-15?」
広司は、スピードブレーキを広げたり閉じたりしているF-15を、コーラを持ったままの右手で指す。
「うん」
「大きいんだなぁ」
「大きいね」
「お前、大きさ言ってみろよ」
「大きさ?」
「長さとか、高さとか」
「覚えてない」
「本当かよ」
「二十メートルくらいだったかな」
「長さが?」
「確か」
「そんな大きいの?」
「大きいよね」
広司がまた喉を鳴らしてコーラを飲んだ。で、だまってエルロンをパタパタやってるF-15を見ていた。私も見ていた。
「いつ飛ぶの」
「なにが?」
「これ、飛ぶんじゃないの」
「これは、飛ばないよ」
「なんで」
「展示用」
「へえ。飛ぶのは別にいる?」
「うん。プログラムもらったでしょ」
「慣れてるね」
「早く来すぎたかな」
「なんで」
「もしかして、退屈?」
「そんなことないけど。暑い」
「ここにいてもいいよ」
「お前どうするんだよ」
「ほかの飛行機見てくる」
「解説してくれよ。詳しそうだから」
「あんたもさ、車はあーだこーだ詳しいのに、こういう、飛行機って興味ないの?」
「だって、乗れないじゃない」
「パイロットになって、って私が言ったら?」
「お前がなれよ」
「女で戦闘機乗りって、日本にはいないと思う」
「第一号」
言って、広司は真っ白い歯を見せた。本気で言ってるのかな。たぶんこいつは本気なんだ。とことんポジティヴなんだ。または、バカ。どっちだろう。
「彼女が戦闘機のパイロットなんて、滅多にいないよ」
「バカ」
日なた。エプロン。まぶしい。私は広司の手をまた引っ張って、エプロンに出た。
リクエスト・タクシー。
ここは本当にエプロンなんだ。タクシーウェイも見えてる。
リクエスト・クリアード・フォー・テイク・オフ。
胸の中でつぶやいてみる。