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 結局、唇ががさがさになって、舌で舐めても舌が乾いてぱさぱさで、おまけに腕が日を浴びて火照って、ちょっと具合が悪くなるまで、私はそこにいた。近所のおばちゃんなみに暦にうるさいミャー(ニャーとは別人)によれば、今年の夏至はもう過ぎたんだと。すると、昼の時間は短くなっているはずなのに、午後四時を過ぎても太陽は高かった。

 身体が先に限界を訴えたので、まだ飛行機を見ていたいとねだる心の方を押さえつけて、私は自転車のペダルをこいだ。滑走路が見えるこの場所から国道までは、下り道だった。それで上り坂だったら、私は本当に行き倒れになっていたかもしれない。みんなが思うほど、私は体力ない。

 で、国道に出てからすぐのサンクスに飛び込んで、私は500ミリリットル入りのサイダーを買った。誰がコーラなんか飲むもんか。コーラを飲んだら、バカが伝染る。広司のバカ面、いまごろまだ学校にいるのかな。ランウェイエンドにいる間、いちども携帯電話は鳴らなかった。 ここって圏外だっけ?

 サンクスを出て、ゴミ箱前の舗道にちょっと腰を下ろした。で、店を出たのを後悔した。外がこんなに暑いなんて! だまされた! なんて自然に、なんて優しく、なんてそっと、店内のエアコンは心地よく効いていたんだろう。けど、キャップを勢いよく開け、さあこれから飲むぞってスタイルの私は、また店内に戻ることなどできるはずもない。ようやく傾きはじめて、コントラストがくっきりと浮き立つ街並みをバックに、私はサイダーを一気に半分くらい飲んでしまった。気泡が大暴れしながら喉の奥へ落ちていく。冷たくて気持ちいい。ここに水道があったら、その勢いで私は制服も着たまま、水を浴びたかもしれない。どうでもいいけど、身体中汗の臭いがしてたまらなかった。替えの制服があったかどうか、なんとなく不安になった。だって、私、夏服の替えは二着しか持ってない。懸命に自分の部屋のハンガーを思い出してみたけれど、確かに思い起こす私の部屋のハンガーには、真っ白なセーラー服が一着吊されているのだ。だけど、それが今朝のことなのか、昨日のことなのか、まるで分からない。下手すると、夏服だったのか冬服だったのかも怪しい。だから私は思い出すのをやめた。こういうのは得意だ。何かやりかけてやめるのは。

 部活帰りらしい中学生が、やたら騒がしいわめき声を上げながら店内に入っていった。どこの中学かな。わたしの出身中学は、もうちょっと駅寄りで、この辺ではなかった。私は水分を得たとたんに盛大にまたあふれ始めた汗を、スカートのポケットのハンカチでぬぐった。よかった、ハンカチ、入れておいて。ポケットティッシュで顔を拭くのは、ちょっと私の美意識に反する。なぜ? ティッシュは鼻をかんだりお尻を拭いたり、あと……まあ、そこでやめとく。

 私はどうやら午後の授業をすべてぶっちぎり、「放課後」のコンビニの前でひとり物思いにふける女子高生になってしまっていた。別に、学校が嫌いなわけでもないのに。でも、好きじゃない。嫌いじゃないってだけで、好きじゃない。こういう部分、なんて説明すればいいのか、うまく言葉が思いつかない。それはきっと、飛行機の音を聞いたとたんにそわそわして、お昼休みになったとたん学校を堂々と抜け出したりするからだ。そんなことばかりしているから、必要な知識が身に付かないんだ。

 けど。

 といいわけを考える。

 知識と知恵はどちらが大切ですか? なんて言葉を、私はどっかで読んだ。いい言葉だなぁなんて思ったけど、知識と知恵の区別がよく分からなくて、ここは博識のチャキに聞いた。チャキが登場するってことは、きっとその言葉を読んだのは学校なんだ。やっぱり大事な言葉は学校に転がってるんじゃないのかな? どう?

 で、チャキは確かこう言った。

 知識は、本を読んだりして頭で憶えるもの。

 知恵は、実地で経験を積んで、身体が憶えるもの。

 だったかな。

 まだ喉が渇いていて、口に出してしゃべってみようと思ったけど、唇の端がねばねばした。

 確かその本には、続きか前があって、「想像と創造ではどっちが大切ですか」みたいなことも書いてあった。ような気がする。

 ここまで行くともう私もチャキがなんて答えたのか憶えていない。でも、ここまで思い出して、その本は学校の図書室にあって、放課後に何でか知らないけど、私はチャキと図書室に行って、寒い寒いと言いながらスチームヒーターの近くの席に座って(ということはあれは冬か秋か春なんだ)、その本を読んだんだ。でも、私がその本を持ってきたのか、チャキが持ってきたのか迄は憶えてない。けっこう前の話だと思う。そんな前のことを憶えているのに、私は今朝の自分の部屋に、替えの制服があったのかどうかを憶えていない。これは深刻だ。このままじゃ、この汗染みだらけのセーラー服を明日も着ていかなければならない。ちょっとまずい。私は空き瓶になったペットボトルをゴミ箱に入れて、また湿っぽくなっている制服のことを考えていた。

 雨でも降ってくれば、ごまかせるのに。

 って何を?

 どんどん分裂していく。考えるってこういうことになるから、私は苦手。直感的な方がいい。飛行機は翼があって、滑走路を突っ走れば浮く。空を飛ぶ。みたいな。

 考えてみれば、私は理屈っぽいことが嫌いなわりに、理屈っぽいことを考える。でも、バスケットボールやバレーボールより、ただ百メートルを全力で走ったり、全速力で幅跳びをしたりする方が好き。わかりやすいから。誰かにパスをまわす必要も、アシストをする必要もなくて、「ただ速く走ればいい」って具合に、わかりやすいのが好き。

 だから、なのかな。

 私の友達には、直感的なのがけっこういる。だけど、チャキみたいなのもいる。でも、コーラばっかり飲んでるバカ男はどうなんだろう。男の子って子どもだな。

 私はようやく立ち上がる。汗がすこし引いている。もう一本飲みたかったけれど、家に帰ることにする。家に帰れば、冷蔵庫の中に冷えた麦茶が絶対ある。うまくいけば、弟のタカフミのスポーツドリンクを奪い取ることができるかもしれない。そういや、タカフミはサッカー部だっけ。私はオフサイドの意味が分からない。だったらタカフミがたまに夜中見ているF-1レースの方がいい。先頭を走ってる奴が勝つって奴。

 私はハンカチをポケットにしまった。これ、家に帰ったら忘れず洗濯機に入れなきゃ。でも、きっと忘れる。

 自転車の鍵をはずす。リクエスト・プッシュバック! 私は自転車に跨り、つま先でアスファルトを蹴る。リクエスト・タクシー! 私はハンドルで方向を変え、ゆっくりとペダルを踏み込む。ホールド・ショート・オブ・ランウェイ! 歩道に出る前、左右を確認。信号が、蒼だ。クリアード・クロス・ランウェイ! 私は交差点を渡る。

 空に、轟音。

 ちょっと見上げる。

 戦闘機じゃないのは分かってる。じゃ、なーんだ?

 主翼にエンジンポッドが四つ。

 747。


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