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 終業式。

 さすがに体育館にまで空調は付いてなくて、ドアってドアが開け放たれているから、悲しいくらい飛行機の爆音が轟いて、生徒指導のイワサキだとか、真夏なのにスーツをびしっと着こなしてる校長のワカサの声も、離陸機が通過するたびに(今日は風向きの関係か、北向きにみんな離陸していくんだ)遮られた。

 私は首筋をつたっていく汗が不愉快で不愉快で、しきりにハンカチでそれをぬぐった。本当はハンカチじゃなくてフェイスタオルが欲しかった。今年の夏は暑い。喉も渇いた。

 成績表がまるで最後通牒に見えた。私は両腕で自分を隠してのぞき込んだ。サーマルとダウンバーストが交互に襲ってくるような、ようするに乱高下著しい成績だった。まあいいや。英語の成績はやたらめったらよかった。たいして勉強してないのに。たぶん好きだからだ。

 好き嫌いが激しいのは、たぶん自己管理ができていないからだと思う。つくづく思う。

 勉強だけじゃなくて、食べ物もそうだし、人間関係も。

 あけっぴろげに主張はしないけど、私はそういう好き嫌いが猛烈にはっきりしてるんだ。しかも食わず嫌いだったり。ごめんねノッチ。あのお昼以来、私はなんとなく、ノッチのことを大きく曲解していたような気がしていた。まあ確かに、あの甘ったるいアニメ声にはなじめないんだけど、声ばっかりは持って生まれたものだから、仕方ないよ。私ももうちょっと女の子らしい声だったらよかったのに。

 大掃除をしたから、鼻がむずむずしていた。なんでわざわざ終業式の日に掃除までしなければならないんだ。毎日やってるのに。って思いながら、ブツブツ文句をたれて私は視聴覚教室の掃除をやった。防音もしっかりしてて、空調もしっかりしてて、どうせならここで映画とかみせてくれた方がいいのに。そんなことを考えながら、ホウキを振り回していた。一緒にいたのはニャーで、私の雑なホウキがけをしきりに叱りつけてきた。見かけによらない。私は正直そう思った。思ったけど、口にしなかった。考えてみると、私はニャーの家に行ったことがない。どんな部屋に住んでいるんだろう。ちょっと気になった。

 終業式が終わり、最後のホームルームを待つ教室で、私は外を見ていた。アスファルトの照り返しがまぶしくて、通りを挟んだ向かい、背の低いビルの外壁がまぶしくて、私は目を細める。目は、残念ながらまだメガネだ。水平がやっぱりときどき狂う。でも慣れた。家に帰ったら、だいたいコンタクトレンズもすぐにはずしてしまうから、ほんとうはメガネで過ごしてる時間も結構長いんだ。ただ、外に出る機会が少ないだけ。目薬のお陰で、もう赤い目じゃない。涙も出ないし、目やにも出ない。よかった。でもまぶしい。

 くしゃみが出た。まぶしいからだ。

 背中を突っつかれた。

 振り向くと、ノッチのちょっと潤んだ目が私を見ていた。

「なに」

 訊いた。

「風邪?」

 なんだ、そんなことで私を呼んだのか。

「大丈夫?」

 言いながら、小首をかしげる。計算したような仕草だけど、たぶんなんの計算もないんだ。最近私も気付いた。最初は絶対に狙ってると思ってた。

「なにが?」

「くしゃみしてるから。風邪かなぁって」

「そう見える?」

「汗いっぱいかいてるし」

「汗っかきなんだ。私」

「そう?」

「なんで」

「いや、ならいいんだ」

 ノッチは色も白い。髪は黒い。目も大きい。お人形さんみたいだ。ニャーも目が大きくて、それがまたネコみたいな感じだけど、ニャーは悪いけど猫娘っぽい。ノッチはもっとこう、人形みたいだ。どうしてそんな目をしていられる?

「心配してくれてるの?」

 半身を後ろに向けたままだったので、ちょっとつらかった。私は座り直して、後ろを向いた。

「夏休みだし」

「うん」

「風邪引いたらつまらないでしょ」

「まあね」

「どっか、行くの?」

「私?」

「うん、加苅さん」

 苗字で呼ばれた。そうだ、ノッチはクラスメイトを苗字で呼ぶんだ。私など、ときどきニャーのフルネームを忘れてしまうのに。ノッチ。綾乃って名前。あやのっち。ノッチ。誰が呼び始めたのか知らない。同じ中学の子が呼んでたのが広まったんだっけ。そんな感じ。苗字は大野。私の出席番号の一個前。オオノアヤノって、なかか語呂がよくないなぁ。私のフルネームよりはいいかも知れないけど。フルネームのことを考えると、私は父をちょっと恨む。加苅有理。ひっくり返して読んでくれればいい。

「ノッチはどっか行くの?」

 私が訊くと、ちょっと嬉しそうに、「うーん」と唸った。

「彼とどっか行くの?」

 たぶん訊いて欲しいんだろうなぁなんて思ったから、訊いた。そしたらノッチは、なんと頬を染めやがったのだ。まじか。

「へー、ほんと、どっか行くんだ?」

「ダメ、誰にも言わないでよ」

「言わないって。明日から夏休みだし」

「ホントだよ」

「わかったって。で、どこ行くの?」

 ノッチは頬を染めたままもじもじしている。この仕草、まあ、好きな男は多いんだろうなぁ。

「お泊まりで?」

 水を向けてみた。まあノッチが彼氏とどこへ行くのかはどうでもいいんだけど、なんだかノッチの仕草が、今日は面白かった。素直だなぁなんて思ったりした。

「うん。ねぇ、誰にも言わないでよ」

「言わないよ」

「倉岡さんとか、仁和さんとかにも」

「言わないってば」

 言わないと思う。別にノッチが嫌いとか好きとかじゃなくて、他人がどこへ旅行に行こうが、彼氏とお泊まりしようが、それを第三者にしゃべったところで私になんの利益もないから。だから言わない。言う必要がないから。でもそれを正直にノッチに言ったら、せっかく好意を見せてくれてるのを台無しにしちゃうから、言わなかった。これも言う必要がないから。

「へぇ、いいね。彼氏とお泊まり」

 気負いもなく言えたような気がした。本当に気負いがなかった。その分感情も抜けてたかもしれない。言われたノッチは照れて笑ってた。

「加苅さんも、彼、いるでしょ」

「ああ、あのコーラ人間?」

「コーラ人間?」

「コーラぱっか飲んでるから」

「四組だよね。えっと、河野君」

「まあね」

「仲いいよね」

「誰が?」

「加苅さんと河野君」

「え?」

「ときどき、一緒に帰ってるでしょ」

「見たことあるの?」

「何回か。仲いいよね」

 知らなかった。見られていたんだ。ノッチの口ぶりだと、「見えた」のではなくて「見ていた」ような感じだ。

「仲良く見えた?」

「見えるよ」

「ウソ」

「手をつないだりとかしてるでしょ」

 私は絶句してしまった。そんなことをした記憶がない。でも、したかも。してるかも。

「どっか行かないの?」

 ノッチに主導権、握られた。

 そんな気がした。

「別に、なんの予定も」

「いつも一緒だから、かなぁ」

「いや、そりゃ、あれ、ほら、ノッチの方が、仲いいじゃない」

「そう?」

「いっつも一緒じゃない」

「そう?」

「違う?」

「んん、アツシ君ねぇ、部活部活であんまりねぇ、相手してくれないんだよねぇ」

 と、ノッチはちょっとだけ、口をとがらせた。

「試験勉強、ずっと一緒だったんでしょ」

「試験期間は、ほら、部活がないから」

 ああそうか。

「あたしも、加苅さんみたいに、いつもアツシ君といられたらいいのになぁなんて、思って」

 私はノッチの視線からちょっとはずれた。

「部活が終わるの、図書室とか、ホールとかで待ってるんだけど、やっぱりなかなかお椀なくて」

「へぇ。ノッチ、いっつも待ってるの?」

「だいたい」

「へぇ」

 やっぱり、私はノッチのこと、かなり誤解曲解してたのかな。なんだかノッチの目をまっすぐ見られなくて、メガネを外した。こういうとき、私の超激悪近視は便利なんだ。メガネはずしちゃえば、相手の顔も見えないから。

「加苅さん、やっぱりメガネかけてない方がかわいいね」

 いたたまれなくなってきた。

 ノッチごめん。

「航空祭」

「えっ?」

「航空祭、行くよ」

「基地の?」

「うん」

「河野君と?」

 屋上の風景が浮かぶ。ほんの一瞬。蓬田。夢で見たあの顔も。夢で、私は蓬田君と一緒に航空祭に行ってた。ブルーインパルスを二人で見上げてた。

 広司、ごめん。

「あいつ、ついてくるかどうかわかんないけど」

「うん」

「連れてく」

「いいね」

「ノッチも。アツシ君と、楽しんできて」

「うん。ありがと」

 ざわめき。爆音。踊る陽射し。私は笑おうとして失敗して、代わりにノッチの肩をぽんと叩いた。社交辞令じゃなく、ノッチに親しみを覚えた。ありがとう。

 担任が教室に戻ってきた。

 夏休み。

 夏至を過ぎると、ちょっと寂しくなる。

 冬に向かって、日が短くなっていく。

 でも、まだ、外は夏だ。

 これから、夏だ。

 陽射しがそう言っている。

 窓の外をもう一度向くと、やっぱりアスファルトの照り返しと、背の低いビルの外壁がまぶしくて、またくしゃみが出た。

 風邪じゃないよね。

 そうだよ。

 こんなに暑いのに、風邪なんか引くはずがない。

 くしゃみのせいだ。

 またちょっと涙が出た。


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