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 コンビニエンスストアを出たら、星が見えた。午後九時。

 指先にレジスターのキーの感触が残ってた。

 今日もお釣りを間違えずにすんだ。今日のクルーはインテリ崩れと私の二人。デヴはいなかった。店長の對馬さんももう一台のレジに入ってくれた。インテリ崩れは品出しと、ふとっちょデヴが乗り移ったみたいにバックルームにこもってた。帰り、インテリ崩れが私に賞味期限が切れたおにぎりをくれた。突っ返そうと思ったけど、もらった。

 自転車に跨った。

 メガネのことは、意外にも誰も何も言わなかった。それで思い出した。前にも一度、メガネをかけてバイトをしたことがあったんだっけ。コンビニの制服がちょっと汗くさかったから、丸めて小脇に抱え、自転車のかごに入れた。コンビニの制服より、学校の制服の方が汗くさかった。

 私には、見上げた星の名前が分からなかった。何となく北を向く。飛行場の滑走路は北を向いている。街の区画とちょっとずれている。北を意識するとき、私はスリーシックスを思い出すことにしてる。滑走路にでかでかと書いてあるナンバは、方位を三六〇度で割った頭二桁の表示。ランウェイ36Rといえば、北向きの右側って意味になる。

 街は静かだった。飛行機が飛んでないからだ。ときどき電車が走る音とか、トレーラが国道を走る音が聞こえるんだけど、午後九時を過ぎた街はけっこう静かだ。それは、この街が田舎町だからだ。北海道でいちばん大きな空港があるっていっても、ほかに目立った産業なんかなくて、空港と自衛隊と鮭を捕る水車と、あんまり知られてないけど、支笏湖とかの大自然がこの街の売りなんだ。

 家に帰ると、私の分の夕食が残っていた。ちょっと嬉しかった。母は食卓で本を読んでいた。私の顔を見ると、「早く着替えて食べちゃってね」。一瞬私の目を射ると、すぐに視線は手許の文庫本に戻った。母が何を読んでるかっていうと、藤沢周平。食卓にときどき置き去りになっているから、背表紙にある作者の名前だけ覚えてしまった。どんな本かは知らないけど。

 夕食はカレーだった。今日は金曜日だっけ? 金曜日だった。居間にはソファに父がいて、弟もいた。夕食を終えてテレビを見たら、タカフミがゲームをやっていた。なんのゲームかとのぞいたら、飛行機もののゲームだった。めずらしい。タカフミはRPGとかサッカーのゲームはやるけど、乗り物のゲームなんてやってるのを見たことがない。テレビの画面には、ヘッドアップディスプレイが映ってた。隣に父がいて、何も言わないでタカフミと一緒にゲーム画面を見ていた。私も何となく父の隣に座った。

 テーブルの上にゲームのタイトルが書かれた説明書が置いてあったから、私は手に取った。ちょっとリアル系のフライトシューティングゲームだった。F-16、F/A-18,F-15。アメリカの飛行機ばかり。

「なにこれ」

 離陸し、上昇中の機体を操っているタカフミに訊いた。タカフミは水平飛行に移ってから答えた。

「ゲーム」

「見れば分かるって」

 私が言ったが、タカフミは答えない。父はだまって画面を見ていた。この二人はただ寡黙なだけで、必要以外のことをしゃべるのを無駄だって思ってる。それは正しいと私も感じるから、私も返事が来ないときはしゃべらない。ページをめくる音が背中越しに聞こえる。母が本を読んでいる。

 弟がコントローラを操作すると、画面が傾く。私は頭の中に操縦桿とスロットルレバーとラダーペダルを思い描いて、画面の動きに合わせてみた。ヘッドアップディスプレイの表示を読みながら。機体をバンクさせてラダーを入れないと、高度が下がってる。タカフミの左手の親指が動いた。とたんに画面が動く。思いっきり機首上げ。ずいぶん反応がいい。本物のF-16もこんなに機敏なのかな。

「父さん」

 説明書をテーブルに放って、隣の父に声をかけた。

「本物ってこんな感じなの?」

「俺は本物飛ばしたことないから、わからん」

 わからん、と言いながら、知ってる顔だった。でも、知ってるとしても旅客機の動きなんだろうな、なんて思う。

「767でこんなにバンク取ったらどうなるの」

 訊いてみた。

「戻らなくなる」

「そうなの?」

「たぶん」

 父はパイロットではなくて整備。空よりも機体に興味がある人。私はなんとなくそう思ってる。

「旅客機で4ポイントロール、できないの?」

 私は訊いてみる。知ってて訊いてみる。小さいときから私にはそういう癖がある。

「見たことあるか?」

「ない」

「ないってことは、できないってことだ」

「デモンストレーションとか」

「エアバスの奴、見たのか」

「4ポイントロールはやってなかった」

「あたりまえだ。……タカフミ、そんなに機首上げたら失速しないのか」

 父は画面にぼそぼそつぶやく。画面を見ると、タカフミの操作する戦闘機は、あまりスロットルも開けず、大きな迎え角を取っていた。タカフミ、失速って何か分かってるんだろうか。

「タカが買ったの?」

 私は二人に向かって訊いたつもり。プラモデルのことがあるから、下手するとこのソフトが父のものである可能性も考えられた。

「中古」

 タカフミがぼそっと言った。タカフミの所有物らしい。どっちみち、タカフミはゲームソフトを中古でしか買わない。新品で買うお金がないからだ。

「いくら」

「一四八〇円」

「ふうん」

 ふだんゲームなんてやらないから、それが高いのか安いのか分からない。なんとなく相づちを打った。

「姉ちゃん、やる?」

 こっちも見ずに、タカフミが言う。

「いいよ」

「あそう」

 どうせ私にコントローラを渡す気なんかないに違いない。それに、渡されてもコントローラのボタン配置が私にはよく分からない。あのスティックが操縦桿の機能をもってそうなことくらいしか、想像できない。ねえタカフミ、どれがスロットルで、どれがラダーなの? トリムはどれ?

「いつからやってんの」

「一時間くらい前」

 父が答えた。もしかしたら、なにか見たいテレビがあるのかもしれない。でも、我が家でテレビがあるのはここだけ。

「十時になったらやめろよ」

 父が低く言った。ニュースを見たいのかな。テレビ画面から、ギョーって変な音が聞こえた。不覚にも私にはその音が何か分かってしまう。赤外線型ミサイルのシーカーヘッドの音だ。でも、画面のどこにも相手の飛行機は映ってなかった。タカ、距離が遠すぎるんじゃない?

 遠すぎる。

 近すぎる。

 私は、店を出たときに見えた星を思い出す。

 旅客機でも戦闘機でもいい。コクピットから見える星空は、地上で見えるそれと違って、はっきりと、くっきりと見えるらしい。雲の上まで上がってしまえば、街の光が余計に拡散することもないから、きっと星空はきれいなんだろうって思う。見てみたいって思う。

 遠いけど、近い。近くに見える。

 タカフミがやっているみたいに、手軽に戦闘機を飛ばすゲームはいっぱいある。

 フライトシミュレータなんかだと、もっとリアルに飛行機を飛ばすこともできる。

 いつだったか、広司に言われた。

(そんなに飛行機好きなのに、ゲームって興味ないんだね)

 広司の家にもプレイステーションがあって(1だか2だか忘れた。両方だったかもしれない)、広司は車のゲームばっかりやってた。私もやらせてもらった。カーブの手前でブレーキをかけろって広司に言われたけど、傾くの私の身体ばかりで、車はちっとも曲がってくれず、全然ダメだった。

 父の車でどこかへ行くのは好きだった。

 近場だと支笏湖だとか、ちょっと離れて小樽だとか、登別の温泉だとか。

 でも、私は車に乗るのが好きなのではなくて、乗っているあいだに見られる風景が好きで、乗っているときの、あの移動している感覚が好きだった。自転車に乗るのは好きだけど、自転車を操作することより、ペダルを踏み込んで、道を走るのが好きで、流れていく風景が好きだ。

 だからゲームに興味がないのかな。

 車のゲームでも、本物の車に乗っているときみたいに、流れる風景をきれいだって思ったり、目的地へ向かうときのワクワクだったり、そういうのを再現してくれるんだった、私も面白いって思えるかもしれない。

 タカフミがいまやっている戦闘機ゲームだって、敵の戦闘機を撃ち墜としたり、地上物にミサイルを撃ったりするんじゃなくて、その旅客機とは比べものにならないパワーとか機敏性を駆使して、紺色に近い雲の上の世界を垣間見させてくれるんだったら、私もやってみたいって思うかもしれない。敵の戦闘機をロックオンしてミサイルを撃つのはどうでもいいんだ。F-15でいうなら、あのキャノピー、腰から上はみんな空っていう、あの感覚を、私に疑似体験させてくれるゲームがあるんだったら、定価で買ってもいいよ。

 それでも私はしばらく、タカフミの飛びっぷりを見ていた。上手いのか下手なのか、私はよくわからなかったけど、タカフミはゲームの中の味方が叫び、ゲームの中の地平線がくるくる回り、敵にミサイルを撃ち込む前に、どかーんって墜落してしまった。

「そろそろ十時だぞ」

 父が低く言った。

 タカフミは小さく嘆息して、ゲームをセーブしてから電源を切った。

 一瞬、居間が静かになった。

 父がリモコンでチャンネルを変えた。NHKが映った。北海道地方の天気予報をやっていた。ローカルニュースの天気予報でも、私の街の天気は載らない。

 明日の札幌は、晴れ。

 まだ、しばらくは、夏。

 まだ、ちょっとは、七月。

 でも、あと二日で、夏休み。

 私はソファから腰を上げた。

 タカフミがゲームマシン……プレイステーション2だった……を片つけていた。

 私とタカフミと入れ違うようにして、母がソファに移ってきた。文庫本を片手に。

「さっさと着替えなさいよ」

 母に言われた。

 いまだに私は、汗くさい制服を着たままだった。

 居間から洗濯して乾くかな。

 自室に戻る前、ハンガーに予備の制服が掛かっていたかどうかを思い出してみた。

 思い出せなかった。


 空飛ぶ夢を見ることがある。

 本で読んだ。墜ちる夢があるって。

 私は、墜ちる夢を見たことはない。

 だいたいが、空を飛ぶ夢。

 趣味が反映してか、いつも飛行機に乗ってる。旅客機じゃない、けど、きっと戦闘機でもない、グライダーのような、とっても見晴らしのいい飛行機。

 頭の中で、私は「空を飛ぶには飛行機に乗らないとダメ」だって思ってるんだ。だからいつも飛行機に乗ってる。

 音は、聞こえない。っていうか、覚えてない。

 飛ぶのはいつも街の上で、旅客機みたいに雲の上までは飛ばない。走る車だとか、電車が見えるくらいの高さ。

 ただ飛ぶだけ。

 地上を見るより、飛んでる私は空を見ている。

 青くて、ずっと高いところは紺色。

 そういう空を、私は飛ぶ。

 ときどきそういう夢を見る。

 飛行機に乗らないで空を飛ぶこともある。

 別にホウキに乗ったり、デッキブラシに乗ったりするわけじゃない。月面歩行をしているニール・アームストロングみたいに、地面をぴょんぴょん跳ねて歩いていたら、ずっと高くまで飛び上がってしまうような、そんな感じ。

 けっこう気持ちがいい。

 墜ちる夢は見ないって言ったけど、飛行機を使わないで空を飛ぶとき、私は落ちる。

 墜ちるんじゃなくて、落ちる。

 エレベーターが下りていくときのような、マイナスGも感じる。

 けっこう気持ちがいい。

 物理の授業で習ったような、最初の一秒に五メートル落下して、あとは九.八m×経過時間(秒)の二乗とか、そういう法則を無視して、やっぱり月面歩行をしているバズ・オルドリンみたいに、フワフワと落ちていく。落ちるっていうより、降りるって感じ。

 でも、飛行機に乗って飛ぶ夢より、ずっと低くを飛ぶ。家の軒先とか、電線とか、そういうものが目の前に見えるくらいの高さ。だから、もしかするとそういうのは、「空を飛ぶ夢」には入らないのかもしれない。

 ちょっと前に観た映画で、「夢を日記につけていると死んじゃう」ってフレーズがあった。信じてないけど、私は夢を記憶の中だけに止めておくのが好きだ。なにかに書き出したり、絵を描いたりすることはなかった。そもそも私は日記が苦手。夏休みの絵日記も二日くらいで書いちゃうタイプで、一年の計は元旦にあり、その元旦に「今年は日記を」なんて思ったこともない。

 チャキが小学生の頃から日記をつけているのを知っている。

 もちろん中身はみせてくれないし、他人の日記を読みたいって思ったこともあんまりないんだけど、聞いたら小学二年生の頃から毎日、恐るべきことに一日も欠かさず、一行でも何ページでも書いているんだって。チャキの日記は、日記帳に書かれていない。ただのノートに書かれていた。感化されやすい私は、それを見たとき、ノートに一日の出来事とか、一日に感じたことを書くくらいなら私にもできるかな、なんて思った。でも思っただけ。家に帰ったらそんなこと忘れて寝てしまう。

 夢の日記をつけたら面白いかもしれない。

 私はけっこう、見た夢を覚えているんだ。

 眠りが浅いのかもしれない。

 テレビでやってた。

 睡眠には、REM睡眠とノンREM睡眠があって、REMはRapid Eye Movementの略で、REM睡眠の間に夢を見てるって。REM睡眠の最中に目が覚めたら、そのとき見ていた夢を覚えているんだって。

 私が見た夢をけっこう覚えてるのは、REM睡眠の真っ最中に目が覚めることが多いからかもしれない。でも、私は別に脳波を取られながら眠ったことはないので、単に私の脳がどうでもいいことまで記憶しているのかもしれない。

 夢を日記につけたらどうしよう。

 空を飛ぶ夢をどれくらいの頻度で見ているのか、きっとわかると思う。

 どこまで飛んだのか、わかると思う。

 なにも使わずに飛んでいるつもりが、実はホウキに跨っていたら大変だ。

 なんで夢を見るんだろう。

 ニャーあたりだと、夢占いとかそういう方向へかっとんで行くんだろうけど、実は夢に暗示的ななにかはほとんどないってのもどっかで読んだ。だから占ったり診断したところで、たいした意味はないみたい。そういうことをいうと、またニャーがふてくされるから言わないけど。チャキならわかってくれるかな。でも、小学二年生の頃から毎日欠かさず日記をつけるようなチャキにこの話をしても、なんとなくその日のチャキの日記の埋め草にされそうで寂しい。いや、チャキはそういう子じゃないってわかってるけど。

 たとえば夢の日記を書いたとして。

 私は描いた日記を読み返すだろうか。

 何となく、読み返さないような気がする。

 チャキに訊いてみようかな。

 書いた日記、読み返してるの?

 誰かを好きになったら。

 たぶん日記は好きな人のことで埋め尽くされてしまいそう。こんな私でも、人を好きになった経験くらいはあるから、想像してしまう。

 好きな人の名前を字に書いただけでドキドキしてしまう。

 まるっきり少女マンガの世界だ。だけど事実だから仕方ない。

 でもごめん。広司の名前を字で書いても、ドキドキしない。

 慣れちゃったってことにしておいて。

 たとえば、猛烈に恋に狂っている時期に、狂った状態で日記を書いて、後に狂ってない私が狂った私の乱筆乱文を目の当たりにしたら、そのまま衝動的に日記帳を焚書してしまうような気がする。しちゃうと思う。

 チャキもさすがに一回くらいは恋をしたことがあるはずだ。

 恋するチャキ。

 あんまり想像できないけど、かわいらしい容姿のクリオネだって、お腹が空いて目の前にエサがフワフワ漂ってきたら、天使の羽根みたいな胴体からタコみたいな腕だか足だかを飛び出させて、ばっくり食べちゃう。回りくどいけど、見た目によらないってことを言いたかったわけで、まじめなチャキが恋に狂っても、それはそれ。なんとなく見てみたい気もする。実際にそういう場に出くわして、でもチャキの場合、冷静に対処しそうでそれも恐い。そんなチャキの恋する日記があるとしたら、どんなことが書いてあるんだろう。読んでみたい気もする。読んだら殺されそうな気もする。

 空を飛ぶ夢と並んで、私は知らない街の夢を見る。

 夢の中で、私はその街に住んでいる。旅行者じゃなくて、その街の住人。

 夢から覚めたら、その街は知らない街。けれど、夢の中で私は、その街に慣れ親しんでいて、私の部屋もちゃんとある。私の家族もいる。ときどき家族構成が変わったりするんだけど、家族もいる。友達もいる。現実の世界の友達とは違う人たちだけど、いる。

 これも本かなにかで読んだ。読書家じゃないのに、どうでもいい本は読んでる私。夢に出てくる「知らない人」は、実は自分がかつてどこかであったことのある人なんだそうだ。知り合いじゃなくても、街ですれ違った人、テレビの街頭インタビューに出てた人、写真で見た人。私自身は忘れちゃってるつもりでも、律儀な脳はちゃんと覚えていて、夢を見たときにエキストラとして呼び出してくるんだって。だからもしかしたら、私が知らない街だって思ってる夢の街も、実はどこかで見たことのある、知っている街なのかもしれない。ジグソーパズルか、モンタージュみたいに、私がいつか見た風景を紡ぎ合わせて作られた、架空の街。

 そう。

 私が空の夢を、空飛ぶ夢を見るとき、眼下に広がる街は、私が知っている街じゃないんだ。架空の街。夢の街。

 私が現実に住んでいる街には、大きな空港があって、航空団基地があって、森があって、畑があって……。だから私が夢に見る街にも、大きな空港があって、航空団基地があって、森がある。けど、夢から覚めると、現実の街とは全然違う。夢の中で、学校が航空多段基地の中にあったりとか、畑と空港が繋がっていたりとか、空港の裏が海だったりとか、いろいろ。脈略もなく、すべてが破綻しているのに、夢の中の私はそれを指摘しない。受け入れてる。

 夢ってそういうものなのかなって思う。

 けっして思うようにならないんだけど、でも、行けるなら行ってみたい。あの街に。

 たとえば。

 好きな人ができたら。広司、ごめん。いまは広司の話じゃないんだ。

 好きな人ができたら、その人の夢を見る。そういうことも多いんだ。

 修学旅行で歩いた函館の街を、好きな人と歩く。そんな夢も、中学生の頃に見た。夢なんだから思い切って、って夢から覚めて思うんだけど、手もつなげない。ただ、一緒に函館の街(って頭の中では思ってるけど、夢から覚めたらそれは函館の街とは似ても似つかない)を歩く。夢から覚めて、近眼の製だけじゃなく、視界がぼやけていることもあった。

 私は滅多に泣かない。泣くのが女の子の武器だ、みたいに思われたら腹が立つ。猛烈に腹が立つ。そんなステロタイプで見て欲しくない。だから、小学校の高学年からこっち、私は人前で泣いたことがない。……室蘭のおじいちゃんが亡くなったときをのぞけば。

 好きな人と夢の街を歩いた朝、私は泣く。なせが、涙が止まらない。母が作るみそ汁の匂いが漂う中で、私は泣く。叶えられない何かのために、泣く。

 そうだ、おじいちゃんのこと。

 真夏。家族で室蘭の街まで車で行く。

 絵鞆の岬の近くにおじいちゃんの家があって、そこにはいまでもおばあちゃんが住んでる。いまでも夏と冬には家族で遊びに行く。

 おじいちゃんが亡くなってからしばらくして、私は夢で絵鞆のおじいちゃんの家に一人で行く夢を見た。めずらしく、家の形も街並みも、あんまり破綻がなかった。室蘭の街は製鉄所の錆色の風景が続いていて、港からは大きな吊り橋が見える。おじいちゃんは、バス停で私を待っている。気むずかしいおでこにしわが何本か寄っているけど、目は笑ってる。思い出すと、音が聞こえない。無声映画のワンシーンみたいに、おじいちゃんは絵鞆の家の前で、家の前にあるバス停で、私のことを待っている。おばあちゃんと二人で。

 その日の朝、やっぱり私は泣いた。

 声を上げて泣いた。

 朝っていっても、まだ旅客機も戦闘機も目覚める前。街は静かで、家中誰も起きていなくて、外がうっすらと明るくて、それくらいの時間。

 私は声を殺すこともできず、泣いた。

 頭って、本当に勝手だと思う。

 見たくないものも見る。

 見たいものもたまに見る。

 勝手なアレンジをして。

 本当に困る。

 やっぱり。

 私は夢の日記はつけられないよ。

 夢を見るだけでも疲れちゃうのに、それを日記につけたりしたら、もっと疲れちゃう。

 しかも、日記に書くことで、夢をアレンジしてしまうような気がする。

 とっても面白かった小説を、映画にしたら猛烈につまらなかったとか、その逆とか。

 残念ながら、私はチャキみたいに作文に自信はないんだ。

 夢は見るだけでいいと思う。

 できれば、見る夢も選びたいと思う。

 こんな日は。

 一学期最後の日。

 私は布団の中で目を覚ました。横も向かず、うつぶせにもならず、目を開けたら、白い天井が見えた。仰向けになったまま、私はぱっちり目を開けた。

 なぜだか知らないけど、その日の朝、私は蓬田君の夢を見たんだ。


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