12
期末試験が全部返ってきた。私は危うくエリミネートされるところで、まあようするに短期集中の試験勉強がなんとなく功を奏したのか、赤点はなかった。けど、理数系科目は、あまり人に見せられるような点数じゃなかった。英語と地理なら見せて自慢できるんだけどね。
試験が終わって、教室はだらだらしてた。浮き足立ってる雰囲気は、もうすぐ夏休みだから。夏休み、どこへ行こう? 私は行くところがない。どこへ行こうにもお金がかかるんだよ。海へ行くにしても、太平洋……苫小牧へ行くのがいちばん近いんだけど、気分的には日本海……石狩だとか小樽へ行きたい。でも遠い。
「そんなの、快速に乗ればすぐじゃない」
ミャーが笑った。
もともと私は出たがりじゃないのかもしれない。そのくせ空を飛びたがっているんだけど、電車に乗ってまで海で泳ぎたいってあんまり思わない。
「飛行機ならいいわけ?」
「飛行機ならね、乗りたい」
「乗ればいいじゃん」
「高いでしょ。しかも混むし。それにさ」
午後の教室。窓際の私の席。対面にミャー、隣にニャー。チャキは真っ先に演劇部の部室に行っちゃった。
「それに、なに?」
ミャー。
「旅客機って、なんか飛行機って気がしない」
「有理乗ったことあるんだもんねぇ、いいよねぇ」
「あれってさ、貨物機だよ貨物機」
「なにそれ」
「貨物を運ぶ飛行機」
「そのまんまじゃん」
「知ってた? ボーイング747ってさ、旅客機として採用されなかったら、あれ、輸送機にするつもりだったんだよ」
私が言ったら、ミャーがちょっと寂しそうな顔になった。
「また始まったもんなぁ。夢がないなぁ。私は飛行機乗りたいなぁ。その、有理が言うところの貨物機でいいからさぁ」
「C-130とかC-1なら、私も乗ってみたいけど」
と私。
「なにそのシーひゃくさんじゅうとか、シーワンって」
ミャー。
「輸送機」
ニャーが言う。
私はびっくりしてニャーのネコっぽい顔を見た。
「なんであんたそんなことしってんの?」
ミャーが訊く。
「まあ、有理んとこほどじゃないけどさ。うちの親もまあ、そういう仕事だからさ」
「ああそうだっけ」
ああそうだ。ニャーの父親も、航空団基地で働いてるんだった。知っててもおかしくないかな。でも、ニャーって、F-15とMiG-25の区別つく人だったかな。
「ニャーどうさ、輸送機だったら乗ってもよくない?」
私はなんとなく水を向けてみた。
「いいよ。私は快速で」
「?」
「海行きたいなぁ。有理、どう? ドリビー、今度一緒に行かない?」
小樽ドリームビーチ。どこで降りたら近いんだっけ。一回行ったっけ。銭函で降りるんだっけ。星置で降りるんだっけ。忘れた。
「遠いなぁ」
「遠くないって。快速で一時間くらいでしょ」
「一時間かけて海に行く気がしないんだって」
「なんだよ。つきあい悪いなぁ。夏休みもコー君コー君?」
「私はノッチとは違います」
ノッチは授業が終わるとさっさといなくなってしまった。ノッチの席にはユーカが座っていたけど、ずっと黙って観光雑誌を読んでる。「るるぶ京都」。
「ユーカさあ、いつまで読んでるのさ。それ、去年のでしょ」
ニャーがのぞき込む。
「しかも、まだ二ヶ月も先だし」
「いいじゃない別に。せっかく試験も終わったんだからさ」
「ユーカ夏休みどこ行くの? どっか行くの?」
ユーカは京都の飲食店がずらずら並んだページから顔を上げた。
「釧路」
「釧路?」
「なんで釧路?」
ミャーとニャーがたたみかける。
「おばあちゃんの家があるから。ってもお盆だけどさ、行くのはさ」
「ずっと先の話じゃん」
「ねぇ海行こうよ。海海」
「苫小牧じゃダメなの?」
ユーカが訊いた。
「せっかくだからさ、ドリビー行って、帰りは札幌の街寄っていこうよ」
「あんた体力あるよね」
ミャー。
「全然平気だって。あたし去年平気だったもん」
「朝何時から出るの」
「ええ、七時くらい」
「えっ、ダメダメそんな早い時間。疲れるって」
「疲れないって。行こうよぉ」
ニャーがだんだんだだっ子みたいになってきた。
「あんたバイトとかはしないの?」
私が訊いてみた。
「短期がね、なかなかないのよ」
「ちゃんと探してんのあんた?」
「探してるよぉ」
「私のバイト先、紹介する? いま募集してるんだよね」
「短期じゃないでしょ」
「ああ、長期」
「無理だって。部活あるし」
「あんたほとんど幽霊じゃん」
ミャーがニャーの肩を叩く。ニャーが口をとがらせた。これがノッチだったらとてつもなく嫌悪感を抱くところだけど、ニャーが口をとがらせると、怒ったネコみたいだから許す。
「でさ、有理本当に海行かないの?」
ミャーが訊いてきた。海へ行かない? こんな話は、最初言い出したのはミャーなのだ。それにうまく乗っちゃったのがニャー。ユーカはずっと京都と奈良に意識が飛んでるみたいで、話に乗ってこなかった。
「いや、別にそこまでして行きたくないわけじゃないんだけど」
「じゃあ行こうよ」
「暑いじゃない」
「そりゃ夏だし」
「水着持ってないし」
「学校の授業で使ってる奴でいいじゃん」
「スクール水着で行けっての?」
「平気だって別に」
「一人で浮きそう」
「ああ浮くかもね」
「溺れなくていいんじゃない?」
「いやニャー、浮くってそういう意味じゃないし」
「いまの上手かった」
ユーカが雑誌を机において笑った。
「有理はどうすんの。夏休み。なんか予定あるの? コー君?」
ミャーが訊いてくる。
「別に、なんも予定はないけど」
「また」
「てか、お金ないし」
「ハイトしてるんでしょ。あたしより絶対金持ちだって」
ニャー。
「バイトすればいいじゃん」
「バイト先が見つからないんだって」
「探してないんじゃない」
「確かに探してないかも」
「素直だね」
「海行こうよ」
「分かったって」
「おっ、行くの?」
「行くの行くの?」
ニャーとミャーが同時に言う。
「分かったって」
「でもさ」
ニャー。
「有理さ、航空祭行くんでしょ、どうせ」
「ああ、航空祭ってのがあったなぁ」
ミャー。顔をしかめてる。
「行くと思う」
「思うっていうかさ、絶対行くでしょ」
ニャー。
「あんたは行かないの?」
「あたしは、あんな、暑いの嫌だから」
「海だって暑いじゃない」
「海ん中入れば暑くないでしょ」
「航空祭だって、格納庫の中は涼しいよ」
「いやぁ」
ニャー。
「涼しいっていっても、限度がねぇ。あれは暑いって」
「そんなに暑い?」
ミャー。あれ、ミャーは航空祭行ったことないのかな。
「ミャー、行ったことないの?」
「航空祭?」
「うん」
「ないよ」
「ないの?」
「ないねぇ。ニャーはあるの?」
「まあ、親の関係で」
「今年は行くの?」
「しばらく行ってないかなぁ」
「なんで」
「有理くらいさ、飛行機マニアならさあ、行ってもいいのかもしれないけど、あたしにはちょっとねぇ。だって暑いし」
「楽しいじゃない」
「それはあんただけだって」
「そうかな」
「まあ、ブルーインパルスくらいは」
「なにブルーインパルスって」
「見たことない? こう、スモーク曳いてさ、ごーって、アクロバット飛行」
「ああ、あるある。テレビで」
「あれはね、けっこういいと思うけど」
「ほかは?」
「暑いだけ」
私はなんとなく居心地が悪くなった。
「日陰ってものがないんだもの」
「だから格納庫があるじゃない」
「なんかさあ、仮にもあそこは仕事場でしょ。そういう場所で、なんかこう、休みづらいっていうか」
ニャーが言う。ちょっと伏し目がち。
「へぇ」
私。
「なによ」
ニャー。
「そういう考え方するんだ」
「なんかヘン?」
「ぜんぜん」
「ようするに、日陰がないわけね」
ミャー。
「確かに、まあ、日陰らしい日陰はないかなぁ」
私。
「でも、行くんでしょ」
ニャー。
「まあ、たぶん」
「いつだっけ」
ミャー。
「八月の第一日曜日」
私。
「八日だね」
ニャー。
「まだ先だぁ」
ミャー。
「うん」
私。
「それよか、海行くぞ海。有理、行くぞ」
ミャーがやたらでかい声で言った。
「わかったって」
「スクール水着でいいから、行くぞ。有理、海行くぞ」
「わかったよ」
「なんならみんなスクール水着で行くぞ」
「やめてよ」
ニャーがケタケタ笑った。
「ジャージで駅に集合だ」
ミャーがやけくそ気味に言う。
「絶対嫌だ」
ニャーが爆笑した。