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 チャキは地味を絵に描いて額縁に入れてそれを広間のいちばん目立つところに飾ったような、私から見ればそう見える部活をやっていた。演劇部だ。ただ、私が演劇ってものをまったく知らなくて、見たことがあるのは、学祭のステージで、照明を浴びた舞台に立ち、やや大げさな身振りとセリフ回しで三十分ほどの物語を演じる部員たちの姿だけ。本当は地味なんかじゃなくて、過激なところもあるんだと思う。チャキに強引に貸し出された寺山修司を十ページくらい読んで、なんとなく思った。

 待ち合わせの時間より五分ほど早く、私は旧国道沿いの、学校のすぐ近くのハンバーグレストランに着いてしまった。C経路から十五分。ちょっと飛ばしすぎだ。息が切れた。私は店内に入らず、入り口そばに自転車を止めて待った。店の裏側がすぐに鉄道の高架なので、電車が通るたびにやかましい。時間が時間だから、もう戦闘機も飛んでいない。ときたま夜間訓練をやるときはあるけれど、それをいまやられたら、しかもウェストランウェイを使われたら、その延長線上に近いここは、電車と戦闘機でとてつもなく賑やかな場所になる。

 自転車を傍らに、私は携帯電話をいじりまわしていた。自分から通話することがあまりないから、せいぜいが誰かにメールを打つくらい。週に二、三日近所のコンビニでアルバイトをしているけれど、それっぽっちのバイト代じゃ、たいした稼ぎにならないから、「自分から電話しない」というのは、私の場合は正解かもしれない。だって、欲しいものはいっぱいある。本当は携帯電話は欲しくなかった。使わないのに「基本料金」を取られて、しかもどこにいようがお構いなしに電話がかかってくるなんて、道に迷ったり誰かとはぐれたときはそりゃ便利だけど、なんとなく過保護な気がする。私が知ってる奴で、こいつちょっとケイタイジャンキー入ってるなってのは、後ろの席のノッチだ。あれはヤバイ。授業中も下手したらマナーモードにしてメールを打ってる可能性がある。なんかそれっぽい。私は、いたってアナログで、きっといまははやんないんだろうけど、ノートの切れっ端に一言二言書き殴って、教師の死角を狙っては、ちょうど教室の対角線にいるチャキまでそれをまわしたりってくらい。届かなかったり、デリカシーゼロのバカが中身を改ざんするってのもご愛敬。授業中に携帯電話をいじくるよりはいいと思う。

 ためしにチャキにメールを打ってみた。

「Now arriving」

 英文の方が打ちにくい。「いまついたよー」にすればよかったと、送信ボタンを押してから思った。ついでにスペルを間違えていないか気になった。

 返事を待った。

 送信するから返事を待たなきゃならない。待つのが嫌だったら、送信しなきゃいい。なんて考えたら、哲学的だなぁとひとり考えにふけった。そもそもメールを打ってること自体、相手に返事を求めてる。過保護だなって思う。なんで過保護って? 用法間違ってるかもしれない。ようするに、自分はなにかを誰かに求めすぎてる。それはみんなそうだと思う。みんな、求めすぎてない?

 で、チャキからは返事が来ない。学校はかなりの至近距離なんだけど、まだ来ない。さっき電話が通じたってことは(チャキは授業中から部活中まで、絶対に電源を切るタイプだ)、たぶん部活が終わって帰ろうとしてるとこだったと思うんだけど。口ぶりからもそうだった。遅いなぁ。

 電車がゆっくり高架を走っていく。駅を出たぱっかの奴だ。私はあまり目がよくないけど、コンタクトレンズを入れていれば、1.0以上は見えてる。網棚に荷物、スーツ姿の人。きっと空港から来た列車だ。みんなどこから来たんだろう。全国に路線があるから、あの人たちがどこから来たのか、よく分からない。東京かな。

 東京。

 F-15が最大速度で飛んだら、三〇分くらい。その前に燃料が切れちゃうと思うけど。旅客機で一時間半かな。電車だったらどれくらいかかるんだろう。歩いたら、……見当もつかない。そもそも歩いていけるんだろうか。津軽海峡は船に乗ったとしても、青森から東京まで、どれくらいの距離があるんだろう。東京ドーム何個分、っていわれてもピンと来ないのと似てて、青森から東京までどれくらいあるのか、私はよく分からなかった。

 チャキ、どこにいるんだろう。

 すぐ横のゲームセンターにでも行っちゃうぞ、なんて考えてふっと首をまわしたら、すぐそばにチャキが立っていた。

「遅いよ」

 私の第一声はそれだった。

「待ったぁ? って言おうとしたのに」

 チャキが仏頂面でそう言った。似合わない。そのセリフ。

「時間かかったね」

「待った?」

「たぶん、五分くらい」

「ぜんぜん待ってないじゃない」

「チャキ時間ね。五分っていったら、結構だって」

「本返すの忘れててさ。図書室寄ってた」

 チャキも自転車通学。カゴにカバンが入ってた。パンパン。何が入ってるんだろう。私もカバン持ってるけど、チャキほどパンパンじゃない。

「こんな時間にまだ開いてた?」

「それはさ、アーチャンがいたから」

「ああそうか」

 アーチャン。彩香って名前のチャキの友達。去年同じクラスだったけど、私はそれほどうち解けなかった。タイプ的には、もうちょっと寡黙なチャキ。チャキと違って、言うべきことを言わないタイプかな。私はそんな風に思った。チャキは言わなくていいことも言うけど。

「何、本って」

「あんたに理解できない本」

「失礼な」

「私も理解できなかった」

 チャキがどんな本を読むのか、けっこう小難しい本を読むのは知ってるけど、その実推理小説に目がなくて、チャキの部屋の書棚には、古本屋で買ってきた文庫本がぎっちり詰まってる。大半が推理小説だ。和洋問わず。今昔問わず。私も何冊か借りた。あ、返してない本があったかも。返そう返そうと思いつつ、あわてて登校するといつも忘れた。

「お腹減ってる?」

 チャキ。自転車に鍵かけてる。うーん、そのU字ロック、パンタジャッキがあったらすぐぶっ壊されるよねぇ。

「まー減ってる。でもうちでご飯待ってるから、軽くね軽く」

「お金もないんで、それは」

「ストロベリーミルクだな」

「チャキ、好きだよね。あれ」

「あんたのヨーグルトサンデーほどじゃない」

 私も自転車に鍵をかける。向こうの高架を猛烈な音と猛烈なスピードで特急列車が走ってく。ゴー。やっぱり私はきっと、根本的に大きな音が好きじゃない。

 チャキと並んで店に入った。お二人様ですか。はいそうです。さすがにお煙草お吸いですかとは聞かれなかった。制服姿の私たちにそう聞いてくるアルバイトがいたら、良識を疑う。コンビニで、アイスを暖めますかって訊くようなもんだ。今度やってみようかな。

 私たちは窓際に通された。窓際っていっても、外は駐車場と旧国道とパチンコ屋が見えるだけで、これは旅客機に乗って、窓際を選んだのに主翼のつけ根だった、ってのと似てるかも。でも、私は主翼のつけ根の方がいい。駐車場は動かないから。

 メニューを選んで、きっと私たちと同い年って感じのウェイトレスに、

「ヨーグルトサンデー」

「ストロベリーミルク」

 って頼んだ。

「いまの子さ、絶対私らと同じくらいだよね」

「たぶん」

「うちの学校かな」

「さすがにこんな至近距離でやんないと思うけど」

「わかんないよ」

「なに、あんたここで働きたいの? セブンイレブンやめるの?」

「いや、別に。あれはあれで楽だから」

「楽なの?」

「チャキもバイトすればいいのに。本いっぱい買えるよ」

「借りればいいから。別にいいよ」

「文庫本ぱっかじゃない」

「読みやすいからいい」

「新刊はどうするの」

「図書室で読む」

「買ってくれるの?」

「知らないの? 希望図書って書いて出したら、まあ変な本じゃなかったら買ってくれるよ」

「そうなの?」

「もうちょっと図書館利用したら?」

「希望図書って、けっこう入る?」

「入ってるんじゃない?」

「『ザ・ジェットエンジン』って買ってくれるかな。ロールスロイスの」

「はい? なに?」

「そういう本があるの。あれ、買ったら六千円くらいしたような気がする」

「あんたそんな本買ってもらったって、どうせ読まないでしょ」

「バカにして」

「読まないでしょ」

「あー、たぶん読まない。てか、たぶん父さんの部屋にありそう」

「ああ、ありそう」

 店内はやたら混んでた。煙草の煙がモワモワしてた。私は煙草に興味がなく、自宅でも父も母も、もちろん弟も煙草を喫わないから、どうにも煙草の煙が苦手。広司が煙草を喫いだしたら、絶対にキスしない。

「ねえねえ、チャキの家にはさ、魚の本とかあるの?」

 お冷やを飲んでるチャキに訊いた。

「はあ? なんで」

「お寿司屋さんだから」

「バカ」

「ないの?」

「あるわけないでしょ」

「前にも言ったじゃない。ヒラメとカレイと鯛とスズキってどう違うの?」

「見たまんまじゃない」

「いや、切り身にして皿にのっかった奴」

「食べたら分かるよ」

「カレイは煮付けなら食べたことあるなぁ」

「生でもおいしいよ」

「けっこう食べられるの? チャキの父さんのお寿司」

「金出せば」

「マジでか」

「なにが」

「家族でも金取るの?」

「微妙だね」

「えぇ」

「だったらさ」

 また一口、チャキはお冷やを飲む。私はまるで手をつけてなかったから、私の分のグラスをチャキの方へ押っつけた。

「ありがと。だったらさ、有理の家は、飛行機ただで乗れる?」

「うちは、だってほら、飛行機を作ってるわけじゃないから」

「商売なんて、似たようなもんでしょ。まあ、うちの場合はさ、本職だから、たまーに食べさしてくれるけど。たまーにね。誕生日とか、お正月とか。そういうとき」

「いいなぁー。十分うらやましい。回ってないお寿司、食べたい」

「回ってない?」

「うち、回転寿司ぱっかだから。行くとしたら」

「そう? 回転寿司も下手な店よりおいしいんじゃない?」

「チャキの場合舌が肥えてそう」

「あんたの飛行機ほどじゃないと思うわ」

「なにが?」

「あんたの飛行機ネタ、まあどっから拾ってくるのかって。まさかお父様のお部屋じゃないでしょ」

「お父様のお部屋には、プラモデルが並んでます」

「有理の父さん、そういうの好きなんだ」

「好きだと思う。休みの日、こんな、こんなでっかいの買ってきて、茶の間のテーブルの上で作ってるもん」

 そう。チャキにわかりやすい説明をすれば、新巻鮭みたいにバカでっかいF-15のプラモデルを買ってきて、家中接着剤の匂いをプンプンさせて、朝から晩まで組み立ててたりする。それが我が家の父。私以上に、根っから飛行機が好きなタイプだ。

「今度見せてよ」

「私のじゃないもん」

「どこに飾ってるの?」

「だいたいは、父さんの部屋かなぁ。玄関にもあるし、茶の間のテレビの上にもあるし」

「そのこーんなでっかい奴は、どこにあるの?」

「あれは、あれはね。まだできてないよ。確か」

「できてない?」

「なんかねぇ、夜中に爪楊枝片手にね、アクセスパネルの番号はっ付けたりしてる。あれまだ完成してないと思う」

「好きなんだね。分かるよ。うちの親もさ、店閉めてからも、なんかすごい恐い顔して、調理場に腕組みして立ってたりするからさ」

「うわー、それなんか画が見える」

「見えるしょ」

「見える見える。ちょっとおっかないかも」

「あれは恐いって。私でも近づけないもん」

「お待たせしました。ストロベリーミルクのお客様」

「はい」

「ヨーグルトサンデーのお客様」

 一人しかいないだろう。訊くな。

 注文を取りに来たのと同じ子だった。身長は私とあんまり変わらないと思うけど、お店の制服がよく似合っててかわいらしいと思った。

「チャキ、チャキ」

 ストローをグラスに刺して、ぐるぐるやってるチャキに声をかける。

「私さ、ここの制服似合うかな」

 ズッと一口ストロベリーミルクを飲んで、

「あんたそういう趣味あったっけ」

「なにが」

「コスプレ」

「は」

「違うの?」

「違うって」

「なんだ。似合うんじゃない? 私よりは似合うと思うよ」

「そう言えばさ、演劇部って、結構衣装あるんでしょ?」

「あるように見える?」

「見えるけど。ないの?」

「弱小だもの。けっこう自腹。てか、衣装必要ないような芝居しかやってないし」

「なんだ」

「何、やっぱりコスプレ?」

「違うって」

「コー君、そういうのがお好き?」

 やっと本題だ。チャキの目がギラギラしていた。

「いや、そういうのじゃなくって」

「コスプレってか、まあセーラー服だしね」

「違うって」

「こないだも午後から抜けてさ、どうせコー君でしょ」

「あれは違うって。本当に飛行機見に行ってたの」

「それで日焼け?」

「まあね」

「健康的なんだか素行不良なんだか、あんたはよくわからんよ」

「チャキは優等生ですから」

「優等生が演劇やったりしません」

「そうなの?」

「高校生は知らないけど。大学生で演劇やってる先輩いるけどさ、なんかこう、ダメ人間なんだよね」

「なんで」

「夢見すぎ」

「いいじゃん別に」

「二十歳過ぎた大人がさぁ、芝居で食っていこうってさ、思う?」

「私、まだ十六なんですけど」

「だれもあんたの話してないから」

「ああ。その先輩」

「そう」

 チャキのグラスはもう半分以上空っぽ。氷に付着したイチゴのつぶれた奴をストローとスプーンでかき集めている。

「夢っていいんじゃないの?」

「寝てから見て欲しい」

「チャキはなんだかなぁ」

「なにさ」

「なんでもない」

「あんたは?」

「私が?」

「夢」

「空飛びたい」

 即答してしまった。あまりこの場にはふさわしくない返答だったような気がする。

「スチュワーデス?」

「キャビンアテンダント。客室乗務員」

「呼び方はなんでもいいけど」

「どうもあれってさ、空飛んでるってイメージが湧かないのね」

「飛んでるじゃない。職場が」

「やっぱり、パイロット、ってか」

「コンタクトレンズでパイロットになれるの?」

 無理です。

「だよね」

「不運というか。気付いたら近眼だったもんな」

「コー君は?」

「あのバカ? あれは目がいいの。むかつくくらい」

「パイロットになってもらえば?」

 私のヨーグルトサンデーも、話をしながらの割にもうほとんどなくなった。

「広司に?」

「そう。パイロット。いいじゃない。自慢できるよ」

 違う。それは違う。

「私が、飛びたいの。あいつに飛んでもらわなくってもいいの」

「そういうもん? どうしても自分が飛びたいの?」

「飛びたくない?」

「私は、乗り物ってみんな酔うからダメ」

「ロマンがないなぁ」

「有理さ、なんでそんなに飛行機が好きなの?」

 面と向かって言われる。けっこう言われる。色んな人から言われる。

「さあ。目とおんなじ」

「何?」

「気付いたら、って話」

「答えになってないなぁ。でも、そんなもんか。好きになるって」

「たぶん」

「コー君も?」

「わかったって」

「普段何話してるの? コー君、別に飛行機好きじゃないんでしょ?」

「車の話。わたしよくわかんないけど」

「免許取ってもらって、助手席でドライブだね」

「いいよ、自分で運転するから」

 私が言うと、チャキが首をかしげた。

「ねえ、あんた、なんで付き合ってるの?」

 さあ。

 たぶん、好きだからだと思う。

 私はカップの残りを全部スプーンに載せて、食べた。


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