秋の地球の祭典、終焉の奈落にて
秋の地球の祭典、終焉の奈落にて
暗黒の瘴気が渦巻き、天を突く尖塔がそびえ立つラストダンジョン『終焉の奈落』。
その地下九十九階、ボス部屋の真ん前にある唯一のセーフエリアに、カランコロンと場違いな風鈴の音が響いていた。
「いらっしゃいませー、『湯守亭』へようこそ」
暖簾をくぐってきたのは、神剣を杖代わりに引きずり、甲冑をボロボロにした勇者レオンだった。背後には、魔力切れで白目を剥きかけた聖女と、弓を放ちすぎて指の感覚がなさそうなエルフの射手がへたり込んでいる。
「……な、なんだここは。幻覚か? 結界の中に、なぜ木造の家屋が……?」
「幻覚じゃないよ。極楽温泉旅館『湯守亭』。俺は店主のトール。武器の手入れもできるし、美味い飯も風呂もあるぞ」
俺は前世の記憶を持ったまま、この危険極まりないダンジョン最深部に放り出された転生者だ。戦闘力は正真正銘のゼロ。だが、神様から授かったチートスキル【創造建築】は、素材さえあれば木造建築から近代的な配管、さらには魔石駆動の自動販売機まで作れてしまう万能クラフト能力だった。
死にたくない一心でセーフエリアを強固に改装し、魔脈の熱を利用して温泉を掘り当てた。気がつけば立派な和風旅館が完成し、今では俺の数少ない楽しみとして、故郷――地球の季節を思い出す飾りつけまでしている。
ちょうど今は秋。玄関先には紅葉した木々を並べ、石畳には赤や黄色の葉が舞い落ちていた。障子越しの灯りはやわらかく、軒先には色とりどりの提灯。旅館の奥からは、炊きたての新米と焼き栗の香りが漂ってくる。
「ひとまず、靴を脱いで上がってくれ。脱衣所はあっち。湯上がりに飲むと飛ぶぞ」
俺は入り口に設置した自販機を指差した。魔石を入れると『ガタン!』と音を立てて、冷えた瓶が出てくる魔法の箱だ。脇には秋限定の『焼き芋牛乳』の札も貼ってある。
半信半疑のまま、泥と血にまみれた装備を脱ぎ捨てて大浴場へ向かった勇者一行。数分後、男湯から「あ゛あ゛ぁぁぁ……っ!」という、人間の尊厳が溶け出したような野太い歓声が轟いた。
檜の香りが漂う露天風呂。湯船の向こうには、【創造建築】でこしらえた小さな庭があり、紅葉した木々の葉が湯面にひらひらと浮かんでいる。地下水でキンキンに冷やした水風呂とサウナも完備。激戦で擦り切れた神経を、極上の温もりが解きほぐしていく。
風呂から上がってきたレオンは、すっかり表情の引き締まりを失い、腰に手を当てて自販機のフルーツ牛乳を一気に喉へ流し込んでいた。
「な、なんだこの甘露は……! 筋肉の芯に染み渡る……!」
「こちらは秋限定の焼き芋牛乳もおすすめだよ」
「焼き芋を飲むのか……?」
「飲むんだ」
レオンは恐る恐る瓶を開け、一口飲んだ。目を見開いたあと、無言で追加の魔石を自販機に入れる。
だが、至福の時間は唐突に凍りついた。
ガラリと玄関の引き戸が開き、漆黒の外套をまとった長身の男が姿を現したのだ。頭部からは禍々しい二本の角。全身から立ち上る底知れぬ魔力。
――魔王軍四天王筆頭、漆黒のヴァルザード。
「き、貴様ッ! ここまで待ち伏せに来たか!」
レオンが咄嗟に素手で構え、ヴァルザードもまた鋭い爪を光らせて睨み返す。
「抜かせ人間め! 貴様ら下等生物を迎え撃つため、三日三晩不眠不休で防衛陣を敷いておったのだぞ! ……ん? なんの匂いだ、これは」
殺気立つ二人の間に、俺はすまし顔で割って入り、湯気の立つどんぶりを二つ、囲炉裏のテーブルにドンと置いた。
「はいお待ち。揚げたてサクサクの特製カツ丼。喧嘩は敷地外でやってくれ。うちの畳を血で汚したら、出禁にするからね」
黄金色に揚がった分厚い豚肉に、甘辛い割り下と絶妙な半熟卵がとろりと絡んでいる。立ち上る出汁と醤油の香ばしい匂いが、紅葉の庭から漂う焚き火の煙に混じった。
今日は地球の秋祭りを思い出して、旅館で小さな祭りを開くつもりだった。軒先には提灯を飾り、囲炉裏では焼き栗ときのこを用意してある。戦いに疲れた誰かが迷い込んできても、温かく迎えられるように。
ぐぅぅぅぅぅ――。
盛大な腹の虫が、勇者と魔王幹部の腹から同時に鳴り響いた。
二人は顔を見合わせ、気まずそうに視線を逸らすと、吸い寄せられるように席へついた。
「……毒など入っておるまいな」
「文句があるなら食うな。いただくぞ!」
レオンが木箸でカツを一切れ掴み、飯とともに口へ放り込む。
サクッ、ジュワッ。
心地よい咀嚼音の直後、勇者の瞳が見開かれた。
「う、美味い……ッ! カリッとした衣の中から溢れる肉汁……甘辛いタレと濃厚な卵が白米をどこまでも加速させる……! なんだこの暴力的かつ完璧な調和は!」
ヴァルザードもプライドをかなぐり捨てて丼をかきこんでいた。
「はふっ、あふっ……! なんたる濃厚な旨味……! 我が魔界の猛毒茸のスープなど足元にも及ばん! 飯だ、飯が止まらんぞ貴様ァ!」
二人は無言でがっつき、最後の一粒まで米を平らげると、丼を置いて深く息を吐き出した。窓の外では、風に舞った赤い葉がひとひら、縁側に落ちる。
そこへ俺がすかさず、よく冷えた緑茶を差し出した。
「ふぅ……」
「ふぅ……」
完全に毒気を抜かれ、穏やかな顔で茶をすする勇者と魔王幹部。さっきまでの殺気は完全に霧散していた。
「……おい、ヴァルザード」
「なんだ、勇者」
「俺たち……なんで命懸けで殺し合ってるんだっけ?」
「知らん……。吾輩はただ、魔王城の書類仕事と防衛当番の激務から逃げ出したかっただけかもしれん……」
「だよな。戦うの、もう明日でよくないか?」
「うむ。吾輩も今宵は、あの『さうな』とやらで整いたい気分だ」
その夜、旅館では小さな秋祭りが開かれた。勇者たちは魔族と並んで焼き栗を頬張り、聖女は月見団子を三つもおかわりした。エルフの射手は射的の的を次々に射抜いて景品を山ほど持ち帰り、ヴァルザードは金魚すくいの屋台で真剣な顔をしていた。
大浴場のサウナ室では、並んで汗を流しながら「魔王様は現場の苦労を分かってくれない」「うちの国王も兵站を軽視しすぎだ」と愚痴を語り合う勇者と魔王幹部の姿があったという。
◇
それから一年。
ラストダンジョン地下九十九階は、世界で最も平和で、最も賑やかな場所へと変貌を遂げていた。
噂を聞きつけた魔王軍のモンスターたちと人類側の冒険者たちが続々と押し寄せ、俺の【創造建築】によって宿場町『ユモリ・ベース』として巨大化。温泉街にはラーメン屋、居酒屋、マッサージ店、ゲームコーナーが立ち並び、今や魔族と人間が肩を並べて自販機の缶コーヒーを飲んでいる。
秋になると、街の中央通りは紅葉の並木道になる。魔族の子どもたちは落ち葉を集めて山を作り、人間の冒険者たちはその中に飛び込んで大笑いする。軒先には提灯が灯り、広場には焼き栗やきのこ汁、新米のおにぎりを売る屋台が並ぶ。夜には大きな満月の下で、湯上がりの客たちが音楽に合わせて踊る。
地球で俺が見てきた秋祭りを、この世界にも根づかせたのだ。
街の中央には、魔王と人間の国王が連名で調印した石碑が建てられた。
『湯守亭の敷地内における一切の武力行使を禁ず。破りし者は、両軍総力を挙げて即座に叩き潰すものとする(※温泉出禁の刑を含む)』
「トールさーん! 露天風呂の拡張用木材、魔王城から運んできました!」
「店主! 王都から最高級の味噌と醤油が届いたぞ、今夜は味噌ラーメン頼む!」
「トールさん、焼き栗の屋台が売り切れです! 追加をお願いします!」
今日も両陣営から届く物資と、祭りの準備に追われながら、俺は笑ってエプロンの紐を締め直す。
世界を救うのに、剣も魔法もいらない。必要なのは、熱い湯と冷えた自販機、美味い飯。それから、紅葉の下で誰もが笑える祭りなのかもしれない。




