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黒炎の王太子と、真面目な婚約者の平和な一日

作者: くるみ
掲載日:2026/05/12

王太子アルヴィン殿下は、誰もが認める優秀な人物である。


剣を取れば近衛騎士にも引けを取らず、政務では若いながらも鋭い意見を述べる。王族としての礼儀作法も完璧で、舞踏会では一度微笑むだけで令嬢たちの視線を集めた。

将来の王として、これほど頼もしい人物はいない。

ただし、ひとつだけ問題があった。


「……来たか、暁を告げる銀の小鳥よ」


朝、王太子宮の応接室に入ったクラリスは、扉の前で一瞬だけ足を止めた。

窓辺に立つアルヴィン殿下が、朝日を背に受け、黒いマントを肩にかけていたからである。


室内である。

しかも朝食前である。


「おはようございます、殿下」


クラリスは深く礼をした。


「今日もよい朝ですね」

「よい朝……か。そうだな。世界はまだ滅びていない」

「はい。滅びていないので、朝食を召し上がってください」

「だが、クラリスよ。この胸の奥に疼く予兆が告げている。今日という日は、ただの一日ではない」

「本日は午前に歴史学の講義、午後に城下町の視察、夕方にダンスの稽古です」

「つまり、古の記憶を紐解き、民の大地へ降り立ち、夜には運命の円舞を」

「歴史学、視察、ダンスです」


クラリスはいつものように訂正した。

慣れたものである。


本人いわく、右腕には黒炎の魔竜が封じられており、左目は真実を見抜く蒼き魔眼であり、王家の血には古代神との契約が眠っているらしい。

もちろん、実際には右腕は普通に利き腕で、左目の視力は少し悪く、王家の血統も古代神ではなく、代々少し胃が弱いだけである。


クラリスは真面目な婚約者だった。

幼いころから王太子妃となるための教育を受け、政治、外交、礼法、歴史、経済、文学、すべてを誠実に学んできた。


そして、婚約者となってから新たに身につけた技能がある。

アルヴィン殿下の発言を、現実に翻訳する能力である。


「クラリス、今日は黒き正装でよいだろうか」

「視察なので、民の方々に威圧感を与えない服装がよろしいかと」

「では、漆黒の外套は」

「置いていきます」

「闇色の手袋は」

「片方だけなら許可します」

「なぜ片方だけなのだ」

「両方つけると、殿下がその気になりすぎますので」


アルヴィンは黙った。

図星だった。


朝食の席につくと、侍女たちがパンとスープと果物を並べた。

アルヴィンは銀のスプーンを手に取り、スープをじっと見つめた。


「これは……封印の湖か」

「かぼちゃのポタージュです」

「黄金に濁りし、沈黙の湖」

「かぼちゃのポタージュです」

「この中に眠るものは何だ」

「栄養です」


クラリスはパンにバターを塗りながら、淡々と答えた。


「殿下、昨日も昼食を抜かれましたね」

「抜いたのではない。我が魂が糧を拒んだのだ」

「書類仕事に夢中で忘れていただけです」

「そうとも言う」

「そうとしか言いません」


クラリスは小皿を殿下の前に置いた。


「今日は午後に城下町を歩きます。倒れられては困りますので、きちんと召し上がってください」

「私を案じているのか」

「はい」

「それは、王太子だからか」


クラリスは少しだけ手を止めた。

それから、何事もないように答えた。


「王太子でなくてもです」


アルヴィンは、スプーンを持ったまま固まった。


「……今の言葉は、古代の誓約として受け取っても」

「朝食として受け取ってください」


アルヴィンはおとなしくスープを飲んだ。

クラリスはその様子を見て、ほんの少しだけ笑った。



午前の歴史学の講義では、老教授が分厚い本を開いていた。


「本日は三百年前の王位継承戦争について学びます」

「血と運命が交錯せし時代か」


アルヴィンが静かに呟く。

老教授は慣れているので、特に動じなかった。


「まあ、概ねその通りです」


クラリスは横から小声で言った。


「教授が受け入れてしまいました」

「理解者が増えたな」

「違います。諦められています」


講義が進むにつれ、アルヴィンの表情は真剣になっていった。

学ぶ姿勢はまじめである。


「つまり、当時の失敗は、貴族間の対立を放置したことだけではなく、民の不安を軽視した点にもあるのだな」


アルヴィンがそう言うと、教授は満足そうに頷いた。


「その通りでございます、殿下」

「王位とは、玉座に座る権利ではなく、民の不安を背負う覚悟である、と」


クラリスは静かに顔を上げた。

こういう時のアルヴィンは、本当に王太子らしい。

誰よりも国を見ている。

誰よりも民のことを考えている。

ただし、その後がいけなかった。


「ゆえに私は、この身に宿る黒炎をもって、未来を焼き照らす」


教授は眼鏡を外して、布で拭いた。

クラリスはそっと言った。


「殿下、そこは普通に『尽力します』でよろしいです」

「尽力します」

「はい」

「黒炎をもって」

「不要です」


教授は眼鏡をかけ直しながら、小さく咳払いをした。


「……仲がよろしいですな」


クラリスは一瞬だけ頬を赤くした。

アルヴィンはなぜか満足そうに頷いていた。



午後になると、二人は城下町へ視察に向かった。

護衛の騎士は数名だけ。王太子と婚約者が街の様子を直接見るための、定期的な外出である。


春の城下町は活気に満ちていた。市場には果物や焼き菓子が並び、花売りの少女が明るい声で客を呼んでいる。鍛冶屋の槌の音、馬車の車輪の音、子どもたちの笑い声が混ざり合っていた。


「ここが、民の息づく大地か」

「前回も来ました」

「何度来ても、世界は姿を変える」

「それはそうですね」


クラリスは少し微笑んだ。

アルヴィンの言葉は大げさだが、時々、妙に本質を突いている。そこが少し厄介で、少し面白い。

市場を歩いていると、小さな男の子がアルヴィンを見上げた。


「お兄ちゃん、その手袋かっこいい!」


アルヴィンは目を輝かせた。


「わかるか、幼き勇者よ」

「わかんないけど、かっこいい!」

「そうか。この右腕には、古の黒炎が」

「殿下」


クラリスの声が静かに飛んだ。

アルヴィンは咳払いをした。


「……転ばないように守る力が宿っている」


男の子はぱっと笑った。


「じゃあ、ぼくも転ばない!」

「うむ。強くあれ」


アルヴィンは男の子の頭を優しく撫でた。

クラリスはその様子を見て、目元を少し和らげた。

子どもに合わせるときの殿下は、不思議と優しい。いや、いつも優しいのだ。ただ、表現がたいへん面倒なだけである。


次に二人は、古い橋の修繕現場へ向かった。

役人が慌てて頭を下げる。


「殿下、クラリス様。こちらは来月には修繕が完了する予定でございます」


アルヴィンは橋を見つめた。


「この橋は、民の日々をつなぐ命脈だ。遅れは許されぬ」

「はい。職人の数を増やし、安全確認も徹底しております」

「職人たちに無理はさせていないか」


役人は少し驚いたように顔を上げた。


「は、はい。休憩時間と賃金についても、先日ご指示いただいた基準を守っております」

「ならばよい」


アルヴィンは頷いた。


「国は石でできているのではない。人でできている」


クラリスは黙って彼を見た。

その横顔は、とても真面目だった。

先ほどまで黒炎だの古の契約だの言っていた人物とは思えないほどに。

役人が去った後、クラリスは言った。


「殿下は、よく見ておられますね」

「当然だ。我が魔眼はすべてを見通す」

「そこは普通に喜べばよろしいのに」

「……褒められると、どう返せばいいかわからぬ」


クラリスは少し驚いた。

アルヴィンは市場の方を見ながら、小さく続けた。


「王太子として評価されることには慣れている。だが、そなたに褒められると、少し困る」

「なぜですか」

「嬉しすぎて、格好がつかない」


クラリスは言葉に詰まった。

それは反則である。

普段あれほど大げさなことばかり言うくせに、たまにこうして素直な言葉を落としてくる。

クラリスは視線をそらした。


「……では、格好をつけなくてよろしいのでは」

「王太子としてか」

「婚約者の前では、です」


アルヴィンもまた、少し黙った。

春の風が、二人の間をゆっくり通り抜けた。


「クラリス」

「はい」

「今の言葉を、私の心の聖典に」

「記録しなくていいです」

「しかし」

「覚えてくださるだけで十分です」

「……わかった」


アルヴィンはいつになく静かに頷いた。


視察の帰り道、少しした事件が起きた。

花売りの少女が、クラリスに小さな花束を差し出したのである。


「お姉さま、これ、どうぞ!」


クラリスは驚いてしゃがみ込んだ。


「まあ、よろしいのですか?」

「うん! お姉さま、きれいだから!」


クラリスは柔らかく微笑んだ。


「ありがとうございます。とても嬉しいです」


その時、近くにいた若い商人が軽い調子で言った。


「いやあ、本当にお美しい。王都の花もかすみますね」


クラリスは礼儀正しく微笑んだだけだった。

しかし、アルヴィンは一瞬で反応した。


「今、何と言った」


クラリスは嫌な予感がした。


「殿下」

「我が婚約者を花と比べるとは、なかなかの胆力だな」


商人は真っ青になった。


「い、いえ、決して失礼な意味では」

「知っている。褒め言葉だろう」

「は、はい」

「だが、覚えておくがよい」


アルヴィンは黒い手袋の右手を胸に当てた。


「クラリスは花ではない。彼女は、嵐の夜にも折れぬ白銀の剣であり、迷える王太子を導く北辰の光であり」

「殿下」

「そして、私の」


そこでアルヴィンは止まった。

クラリスがじっと見ていたからである。


「……大切な婚約者だ」


最後だけ、普通の言葉だった。

商人は何度も頭を下げ、花売りの少女は意味がわからないながらも拍手をした。


「お兄ちゃん、すごい!」


アルヴィンは満足げに頷いた。

クラリスは片手で額を押さえた。


「殿下」

「何だ」

「商人の方が怯えていました」

「すまない。少しだけ黒炎が漏れた」

「嫉妬が漏れたのでは」


アルヴィンは固まった。


「……嫉妬」

「違いましたか」

「いや」


アルヴィンは小さく咳払いをした。


「違わない」


今度はクラリスが黙る番だった。

顔が熱くなる。

周囲の騎士たちが露骨に遠くを見ている。


「殿下、そういうことを街中でおっしゃらないでください」

「すまない」

「それと、花と比べられるのは、嬉しいです」

「では、私も言ってよいか」

「内容によります」


アルヴィンはしばらく考えた後、真剣な顔で言った。


「そなたは、王宮の庭に咲く花より美しい」


クラリスは目を伏せた。


「……それは、まあ」

「そして、深淵に咲く幻花よりも」

「台無しです」

「難しいな」

「もう少し練習してください」

「付き合ってくれるか」


クラリスは花束を抱え直した。


「婚約者ですから」

「務めとしてか」

「……それだけではありません」


アルヴィンは、今度は何も言わなかった。

ただ、ほんの少し嬉しそうに笑った。



王宮へ戻ると、夕方のダンス稽古が待っていた。

広い練習室に音楽が流れ、二人は向かい合って立つ。

クラリスはダンスが得意だった。姿勢が美しく、動きに迷いがない。一方のアルヴィンも上手ではあるが、時折余計な演出を入れる癖があった。


「殿下、回転を増やさないでください」

「しかし、運命の渦が」

「振付にありません」

「では、この一歩は」

「普通に右足です」

「右足……封印されし」

「右足です」


アルヴィンは素直に右足を出した。

だが、次の瞬間、クラリスの靴底が床をわずかに滑った。


「クラリス!」


アルヴィンが反射的に手を伸ばす。

彼の腕がクラリスの背を支え、倒れかけた身体をそっと引き寄せた。

音楽だけが、ゆるやかに流れている。


「……申し訳ありません、殿下」

「謝ることではない」


アルヴィンの声は、いつになく静かだった。

クラリスはすぐに身を離そうとしたが、彼の手がほんの少しだけ、彼女を支えたままだった。


「殿下?」

「少しだけ、このままで」


クラリスは顔を上げる。

アルヴィンはいつものように大げさな表情ではなく、少し困ったように微笑んでいた。


「今日、街で思った」

「何をですか」

「そなたは、誰から見ても美しく、賢く、優しい。私の隣にいるのが当然のように扱われているが、本当は当然ではない」


クラリスは瞬きをした。


「殿下?」

「私は時々、不安になる」


アルヴィンは小さく息を吐いた。


「そなたは真面目で、正しくて、誰よりも王太子妃にふさわしい。だが、私はこの通り、妙なことばかり言う」

「自覚はおありなのですね」

「ある」

「あるのに続けておられるのですね」

「それは……魂が」

「はい」

「すまない」


クラリスは少し笑ってしまった。

だが、アルヴィンの手がまだわずかに緊張していることに気づき、表情を和らげた。


「殿下」

「何だ」

「私は、殿下のすべての発言を理解しているわけではありません」

「だろうな」

「正直に申し上げますと、八割ほどはよく分かりません」

「八割」

「少なく見積もって八割です」

「そうか……」


アルヴィンは少しだけ落ち込んだ。

クラリスは続けた。


「ですが、殿下が人を軽んじないことはわかっています。民の生活を大切にしていることも、周囲の者をよく見ていることも、ご自分の立場に誠実であろうとしていることも、ちゃんとわかっています」


アルヴィンがゆっくりと顔を上げる。


「それに」


クラリスは少しだけ視線をそらした。


「少し変わったところも含めて、殿下ですから」


練習室が静かになった。

音楽係の楽師が、空気を読んで演奏を少し優しくした。

アルヴィンは、真剣な顔でクラリスを見つめた。


「クラリス」

「はい」

「今、私は世界を救える気がする」

「救わなくていいので、次のステップを踏んでください」


二人は再び踊り始めた。

今度のアルヴィンは、余計な回転を入れなかった。

ただ、クラリスの歩幅に合わせ、手を取り、音楽に身を任せている。

そのダンスは派手ではなかったが、とても穏やかだった。



夜、クラリスは王太子宮の小さな書斎に呼ばれた。

机の上には、今日の視察で受け取った報告書が積まれている。


「殿下、まだお仕事ですか」

「少しだけだ」

「少しだけと言って、昨日は深夜までなさっていました」

「昨日の私は、過去の私だ」

「今日の殿下も同じことをしようとしています」


アルヴィンは黙った。

クラリスは椅子に座り、書類の一部を手に取った。


「お手伝いします」

「いや、そなたも疲れているだろう」

「婚約者として、未来の王妃として、必要なことです」

「また務めか」


アルヴィンの声が少しだけ沈んだ。

クラリスは書類から目を上げた。

昼間の問いが、まだ彼の中に残っているのだと気づいた。

王太子としてではなく、一人の人間として大切にされたい。

きっと殿下は、それをうまく言葉にできないのだ。だから黒炎だとか、契約だとか、大げさな言葉に隠してしまう。

クラリスは静かに立ち上がり、アルヴィンの前に歩み寄った。


「殿下」

「何だ」

「私は、務めだけでここにいるわけではありません」


アルヴィンが息を止める。

クラリスは少し迷ったが、勇気を出して言った。


「殿下が無理をなさると、心配です」

「……うむ」

「殿下がきちんと食事を召し上がると、安心します」

「うむ」

「殿下が真面目に国のことを考えておられる姿を見ると、誇らしく思います」

「うむ」

「それから」


クラリスは少し頬を赤らめた。


「殿下が楽しそうに黒炎の話をしていると、少し困りますが、少しだけ安心もします」

「安心?」

「はい。殿下が殿下らしくいられているのだと思いますから」


アルヴィンは目を見開いた。

クラリスはさらに続けた。


「ですから、私は殿下を正します。止めます。湿布も貼りますし、食事も勧めますし、式典で黒炎の話をしすぎないように注意します」

「うむ」

「でも、それは殿下を変えたいからではありません」


クラリスは柔らかく微笑んだ。


「殿下が、殿下のままで、ちゃんと大切なものを守れるようにです」


アルヴィンはしばらく何も言わなかった。

そして、ゆっくりと黒い手袋を外した。

その手を、少し不器用にクラリスへ差し出す。


「クラリス」

「はい」

「私は、そなたが隣にいてくれることに、何度も救われている」


いつもの大げさな言葉ではなかった。

静かで、まっすぐな言葉だった。


「そなたが私を現実に引き戻してくれるから、私は王太子でいられる」


クラリスはその手を取った。


「殿下は、ご自分でちゃんと立っておられます」

「そうか」

「はい。私は、少し袖を引いているだけです」


アルヴィンは小さく笑った。


「それが、とても助かる」


クラリスも笑った。

二人の間に、昼間のような騒がしさはなかった。ただ、互いの手の温かさだけが静かに伝わっていた。

しばらくして、アルヴィンが口を開いた。


「クラリス」

「はい」

「そなたは、我が魂を現世につなぎ留める白銀の鎖」


クラリスは手を離した。


「殿下」

「すまない」

「せっかくよい雰囲気でした」

「我慢できなかった」

「でしょうね」


アルヴィンは少し反省した顔をした。

クラリスはため息をつきながらも、もう一度その手を取った。


「でも、今日は許します」

「本当か」

「はい。殿下らしいので」


アルヴィンの表情が、ぱっと明るくなった。


「では、もう一つだけ」

「一つだけです」


「そなたを大切に思っている」


クラリスは動きを止めた。

今度は、黒炎も魔竜も深淵もなかった。

ただ一言だけ。

それが何よりもまっすぐだったので、クラリスは少し困ってしまった。


「……私もです」

「何をだ」

「言わせるのですか」

「聞きたい」


クラリスは視線を落としたまま、小さく言った。


「私も、殿下を大切に思っています」


アルヴィンは、世界の秘密を知ったかのような顔をした。


「そうか」

「はい」

「ならば、明日も生きられる」

「大げさです」

「大げさではない」

「では、明日の式典で黒炎の話は何回までですか」

「……三回」

「よろしいです」

「ただし、心の中では七回」

「心の中なら五回までです」


アルヴィンは真剣に頷いた。


「寛大な裁定に感謝する」

「どういたしまして」


夜の書斎に、二人の小さな笑い声が落ちた。



王太子は少し変わっている。

婚約者はとても真面目である。

けれど、彼が大げさな言葉の奥で不安を隠していることを、彼女は知っている。

彼女が厳しい言葉の奥で優しさを差し出していることを、彼も知っている。

だから二人は、明日もきっと同じように過ごすのだろう。


「クラリス、明日の朝も来てくれるか」

「婚約者ですから」

「務めとしてか」


クラリスは少し笑って、首を横に振った。


「殿下に朝食をきちんと召し上がっていただきたいからです」

「それは、愛か」

「食事管理です」

「愛では」

「食事管理です」

「……少しだけ愛では」


クラリスは答えなかった。

ただ、机の上の書類を整えながら、とても小さな声で言った。


「少しだけでは、ありません」


アルヴィンは固まった。



その夜、王太子宮の灯りはいつもより少し早く消えた。

翌日の式典で、アルヴィン殿下が黒炎の話を三回で抑えたことを、クラリスは密かに褒めた。


もっとも、殿下本人は心の中で七回どころか十三回ほど黒炎を燃やしていたらしい。

けれど、それはクラリスには秘密である。

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