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彼女はいなかった。  作者: 豆狸


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最終話 仮面の花婿

 マルティネス公爵令息とゴメス伯爵令息、そしてモラレス子爵令息。

 王太子の三人の学友を喪った王家に、ルビオ辺境伯家は友好を続けるための条件を出した。

 辺境伯令嬢を突き落とした犯人はいなかったものとする。三人の令息は事故で亡くなったことにして名誉を回復させたので構わない。その代わり──


 今日は王都の神殿で、ペルデドル王子と男爵令嬢ブルヘリアの結婚式が催されている。

 ペルデドルは廃太子となったが、王族籍からは抜かれていない。

 男爵家に婿入りして、初めて王子ではなくなるのだ。


 その彼は、花婿であるにもかかわらず頭部をすっぽり包む仮面を被っていた。

 美しい金髪は仮面の下から覗いておらず、高い襟で首も隠されている。

 ペルデドルとブルヘリアの結婚が、辺境伯家の出した王家との友好を続けるための条件だった。


 仮面の花婿の隣に立つブルヘリアは涙を堪えていた。

 王太子妃になれないのなら、ペルデドルに擦り寄る意味はない。

 それにもともとブルヘリアは逞しいトライシオンのほうが好きだったのだ。彼と野望を巡らせるのが楽しかったから、自分よりも高位の辺境伯令嬢の嘆く顔を見られるのが嬉しかったから、ペルデドルを好きな振りをしていたにすぎない。


 死に際のモラレス子爵令息からペルデドルに守ってもらっても、ブルヘリアの気持ちは変わらなかった。

 いや、むしろ、わずかにあった好意も消え去っていた。

 あのときからペルデドルは変わったのだ。


 廃太子になったからではない。

 男爵家に婿入りすることになったからではない。

 ブルヘリアとトライシオンの関係に薄々勘付いているからではない。


 仮面の下のペルデドルは、しゅーしゅーと息の音を響かせている。


★ ★ ★ ★ ★


 ペルデドルは後悔していた。

 ルビオ辺境伯令嬢アドリアーナを裏切って、男爵令嬢ブルヘリアと不貞を働いたことを。

 アドリアーナが嫌いなわけではなかった。ただ両親である国王夫妻に政略結婚を憐れまれていたことで、自分が可哀相だと思い込んでいたのだ。不貞を働くのではなく、アドリアーナと向き合って愛し合っていれば政略結婚であっても幸せになれたはずなのに。


(今ごろ気づいても遅い……)


 仮面の下でしゅーしゅーと響く、自分の息の音が嫌だった。

 そんなつもりはないのに、息をすると細く長い舌が口から伸びていく。

 ペルデドルは呪われて人間の形の蛇になっていた。モラレス子爵令息に呪われたのだ。


 モラレス子爵令息は自分が生け贄になるのなら呪いもあるに違いないと考えて、命を懸けて古代の魔術を蘇らせたのだった。

 とはいえ、彼もゴメス伯爵のように家族や領民を愛していた。

 廃太子となっていても王子であるペルデドルを呪ったりしたら大切な人達に累が及んでしまう。そんなことは望んでいなかった。


 モラレス子爵令息が呪いたかったのは男爵令嬢ブルヘリアである。

 彼女がいなかったことになったせいで、自分が辺境伯家への生け贄にされるかもしれないのを恨んでの犯行ではない。

 男爵令嬢を呪えば、ペルデドルに対する魅了の効果が消えるのではないかと思っての行動であった。彼には学友としてペルデドルを守ろうという気持ちが残っていたのだ。しかし女性は守らなくてはならないという教育をされたペルデドルが、それを邪魔して自分が呪いを受けてしまった。


 唯一の救いは、自分の命を振り絞って呪いをかけたモラレス子爵令息が、呪いを受けたのはペルデドルだと気づかぬまま死んでしまったことだろうか。


(私は学友達を犠牲にしてまで、この女……白クテ(マぁル)イ顔ノ……が欲しかったのか?)


 今にして思えば、政略結婚への反発で恋愛ごっこに溺れていただけだった。


(ただの不貞だったではないか。この女……白クテ(マぁル)イ顔ノ……は婚約者のいる男に擦り寄るような……?)


 神殿の中、厳かに待つ大神官のもとへ向かっていたペルデドルは違和感を覚えた。

 自分の思考のはずなのに、なにか異物が紛れ込んでいるような気がする。

 意識を澄ませてみても、自分自身の出すしゅーしゅーという息の音が耳朶を打つだけだ。


(この女……白クテ(マぁル)イ顔ノ……この女……白クテ(マぁル)イ顔ノ……この女……白クテ(マぁル)イ卵ミタイナ顔ノ……)


 狭い仮面の中、しゅーしゅーと自分の息の音が響いている。


(ルビオ辺境伯家の出した条件は、私がブルヘリア(男爵令嬢)と結婚することだけだ。結婚した後どうするかまでは言われていない。あのとき、私はこの女……白クテ(マぁル)イ卵ミタイナ顔ノ……はあの場にいなかったと言った。あのときいなかったのだから、これからいなくなっても良いだろう)


 隣を歩く男爵令嬢が怯えているのがわかる。

 エスピリトの呪いから守ってやったのに、と怒りを覚えていたこともあったけれど、今のペルデドルの心は落ち着いていた。

 いや、少し浮かれていたかもしれない。


(……白クテ(マぁル)イ卵ミタイナ顔ノ……卵……卵食ベル……結婚式が終わったら、私は卵を食べるのだ……)


 ペルデドルはしゅーしゅーと息をしながら、仮面の中で微笑んだ。


★ ★ ★ ★ ★


 今日は王都の神殿で、廃太子となったペルデドル殿下と男爵令嬢ブルヘリア様の結婚式が催されています。


「殿下達のことが気になりますか、義姉上」


 隣を歩く義弟に言われて、私は微笑みました。


「いいえ、私達のことのほうが大切ですもの」

「そうですね」


 今日はルビオ辺境伯領の神殿でも結婚式です。

 私と義弟……いつまでもそう言っていてはいけませんね……ガナドルとの結婚式です。

 もともと彼は、ひとり娘の私の婿候補として養子に迎えられていたのです。王家がペルデドル殿下と私の婚約を望んだために、その話は無かったことにされていました。


 私が階段から落ちてから、そろそろ一年が経つでしょうか。

 いろいろなことがあった一年でした。

 父やガナドルを始めとする辺境伯家の面々は王家に対して怒りを感じていましたが、ペルデドル殿下のご学友方を犠牲にして欲しいとは思っていませんでした。けれど彼らが犠牲になった以上、どこかで剣を鞘に納める必要がありました。


 男爵令嬢と呪われたペルデドル殿下の結婚というのは、良い落としどころでした。

 ですが……本当に呪いなんてあるのでしょうか。

 王家との交渉に行った父とガナドルに殿下が仮面を被っていたことは聞きましたけれど、私の目では見ていません。それに呪いだなんて……おとぎ話だったのではないでしょうか。亡きエスピリト様が天才だったのは存じていますが。


「義姉上……アドリアーナ。もう考えごとはやめて?」

「え、あ、はい!」


 彼らのことを考えていても仕方がありません。

 彼女はいなかったと証言することで、彼らはこの未来を選んでしまったのですから。

 大神官様の前に立った私は、ガナドルの優しい瞳に見つめられながら愛を誓い、彼の口付けを受けたのです。

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