おっさん、魔法使いの力になる
人物プロフィール
榊原恭介
三十五歳、独身男性。職業はブラック企業のサラリーマン。飄々とした性格で上司に対しても物怖じしないがガサツで不器用な男。病弱な母のために一生懸命働いていたが、母が亡くなってからは働く意味が見出せず心機一転し無職となる。体が傷ついても元に戻る謎めいた能力がある。
榊原多恵子
恭介の母。恭介が小さい頃から病弱で入院と退院を繰り返していた。歳を重ねる度に入退院の頻度は増えていき、謎の病状も徐々に進行していたが原因特定には至らなかった。夫とは恭介が生まれた頃に離婚しており、女で一つで育てていた。働いていた頃は入院費や生活費、学費などを一人で賄い、その上に貧しい子供達や被災地などへの募金も行っていたようだが、一体どんな仕事をしていたのか恭介に話したことはない。
「これが、異世界の食事……。このドロドロとしたものは何? こっちのはお肉かしら?」
「そっちがお粥で、こっちがピーマンとツナの和え物だ。ツナっていうのは魚の肉だ。嫌いなものがあったか?」
「い、いえ……。食べられるわ」
「食べてくれたら嬉しいが、別に無理する必要はないからな。それじゃあ、いただきます」
「いた……なんですって?」
「食事をありがたく食べますって意味だ。向こうはどうか知らんが、覚えておいて損はないぞ」
「い、いただきます」
こっちに倣って挨拶を済ませると、女はスプーンを手に取りお粥をひと掬い。未知の食べ物なんだろう、初めて口にするものというのは正体が分からないと口に入れるのを躊躇うものだ。
俺も社長に連れ回されて行った高級料理店でエスカルゴが出てきた時は目をひん剥いたもんだ。見た目の割に味は悪くなかったが、慣れない食べ物に胃がひっくり返ったのをよく覚えてる。
それでも、彼女は何とか料理を口の中に運んだ。最初は閉じた目に力が入り過ぎて眉間に皺を寄せながら咀嚼していたが、段々と力が抜けていき再びお粥と睨めっこをしていた。
そして二口、三口と食べる手は止まらなくなったようで最後は茶碗の中身をかき込み見事に平らげてしまった。
そして、流れを掴んだのかお摘みも躊躇うことなく口の中へ入れると、碧眼がゆらりと揺れ動きさっさと食べてしまった。
「むぐっ!?」
「おいおい、大丈夫か? あ、やべ。飲み物用意し忘れてた。今、水持ってきてやるから」
ガラスのコップに一杯の水を用意して渡してやると、すぐに全部飲み干してしまった。
「ふう、ありがとう。それにしても、美味しかったわ。料理もそうだけど、お水もね。加えてガラスの容器を持ってるなんて、あなたは貴族様か何かなの? こんなご馳走、普通は食べられないだろうし」
「これ、割と安価なものだぞ。むしろ、庶民的な料理と言っても過言じゃない」
「え、そうなの!?」
心底驚いているようだが、ここで生活するつもりなら慣れてもらわないと困る。いちいち驚かれていたら、こちらとしてもキリがないからな。
「あなたたちって、凄いのね。見たことない道具ばかりだし、食べ物も豊富なんて。よほど素晴らしい領主様か、王様がいるのでしょうね」
「そんなご立派なもんじゃない。ちょっと資源が豊富で、科学技術が発展してるだけさ。むしろ、これだけ豊富な資源がありながら赤字大国なんて不名誉を背負ってるのが不思議でならないくらいだ」
「そう、あなたたちも大変なのね。でも、羨ましいわ。そんな世界に生まれることができて」
それは、彼女の本心をありのまま言い表しているように聞こえた。隣の芝生は何とやらだ、俺が仮に異世界に転生できたら今の生活より良いと言い出す可能性もある。
まあ、そんな可能性は限りなくゼロに等しいわけだが。できれば社畜なんて言葉の存在しない世界に生まれたいものだ。
「さて、ご馳走様でした」
「ご馳走、でした。えっと、それで……」
「分かってる。まずはお前の名前と、何で異世界からこっちにやってきたのかって事情を聞きたい。ちなみに俺は、榊原恭介だ」
「サカキバラ? 変な名前ね」
「そっちじゃなくて、恭介が名前だ」
「そうだったのね。ごめんなさい、キョウスケ」
いや、名前で呼ぶのかよ。俺は全然構わないが、あまり下の名前で呼ばれないから落ち着かない感じがするな。
「私は、ナターシャ・ユミル・エヴィルルルーシカ。親しい人は、ナタって呼ぶわ」
「そうか、エヴィルルルーシカ」
「申し訳ないけど、そっちでは呼ばないで。一応家名は名乗ったけど、それは追放者の烙印なの」
「追放者の烙印? その家名を名乗ること自体、私は故郷を追い出されましたって宣言するのと同じ意味なのか?」
「ええ。本来の名前は、もう名乗ってはいけない決まりなの。だから、できればナタって呼んで。本来、こうしてフルネームを名乗ることもないの」
「それはどうしてなんだ?」
「それは、私がエルフの一族だからよ」
エルフ……。ファンタジー世界で長寿、美男美女、魔法に長けているといった特徴を持つ有名な種族だ。
何かと制約が多くて、作品の設定ごとにもいろんなパターンがあるのは知ってる。名前云々も、その辺りの制約に当たるものなのかもしれない。
「エルフは名前を名乗るとまずいのか?」
「名を名乗る時、真名を教えるのは信頼や敬意の証なの。同族以外が相手の場合は特に、自分たちの名を汚されないように不用意な名乗りはしないのよ」
「なるほどな。少なくとも、俺には敬意を払ってくれてるわけだ」
「わ、わざわざ言葉にしないでくれるかしら!? 恥ずかしい……。助けてくれたのだから、これくらいは当然よ!」
何というか、こいつがというより種族全体が気難しい性格をしているように見える。まさかだが、他のエルフもこんなツンケンした性格じゃないだろうな?
「しかし、エルフというのは耳が長いイメージがあるのだが、そうは見えないな」
「何でそんなイメージがあるのかは知らないけれど、他のエルフの前でそれは言わない方が良いわ」
「それはまたどうしてだ?」
「耳が長いエルフはハイエルフという種族で、エルフとは違うものなの。エルフの耳は耳の先の方が少し尖っている程度のものよ。それに、ハイエルフは私たちエルフとは昔から折り合いが悪いせいもあって、間違えられることに侮辱を感じる子もいるから」
「そ、そうか。それはすまなかったな」
ハイエルフとエルフ、ぶっちゃけ何が違うのかは分からないが覚えておこう。世の中、偏見や先入観で物事を話しても事実とは異なるものなのだと改めて思い知った。
「私がここに来た理由なのだけれど……。名前の件からも察せるとは思うけれど、集落から追い出されたの」
「それはまた難儀だな。髪の件と何か関係があるのか?」
「少なからず、ね。でも、それならこんなに大きくなるまで育てたりしないわ。私、生贄にされたのよ。森の神様の」
「森の神?」
「ええ。エルフの森を守護しているヴァルドヴェラッティ様。私たちエルフが崇める唯一神なの」
異世界にも宗教みたいなのがあるのか。しかし、存在するかも分からない神の生贄にされるためだけに育てられるっていうのは、如何にもどっかの集落の慣習って感じがするな。
「それで? その唯一神様には会えたのか?」
その問いの答えは、彼女が静かに首を横へ振ったことで十分だった。なら、どうして彼女がこの世界に迷い込んだのか余計に気になる話だ。
俺は黙って、彼女の紡ぐ言葉の続きに耳を傾けることにした。
「この銀色の神は、昔からエルフ族に災いをもたらす悪魔の子の証なの。集落の人間どころか、親からも良くは思われていなかったけれど、それでも最低限の生活は保障されていた。それも全ては、100歳になったエルフをヴァルドヴェラッティ様の生贄にするためだったの」
「ひゃ、ひゃく……!?」
「な、何かしら?」
「いや、そんな歳には全然見えなかったもんだから驚いて……」
エルフは長寿なんて聞いていたが、まさかこんな麗人が俺より65歳も年上だと!? 何か、今更敬語を使う気にもなれんし年齢のことにはもう触れないでおこう。
「す、すまんな話の腰を折って。しかし、忌み嫌われていると言われていた割には、ちゃんと生活はできていたんだな」
「ヴァルドヴェラッティ様の生贄の条件は、女であること、健康的であること、そして魔法の才に優れていることなの。私は、生まれて間もなく強い魔法を行使したことがあるらしくて、長老の判断で魔法を教えたら50にも満たない年齢で集落一番の魔法使いになっていたの」
「え゛っ」
長生きするエルフの集落で、齢50というのはまだ子供なのでは……。いやしかし、俺たちの世界でも子供が博士号を取ったような事例もあるわけだし、おかしなことは無いのかもしれない。
しかも、魔法の才を見極めるのに五十年も使うっていうのもおかしな話だ。思うに、長寿の生き物というのは自分たちと流れている時間の感覚が根本的に異なるのかもしれない。
「それで、生贄にされたのか。森を守護している神の生贄っていうくらいだから、他にもなりたいやつがゴロゴロ居そうなもんだがな」
「そんなわけないじゃない。誰もやりたくないから、私に押し付けたのよ」
「そこは嫌々なのかよ! 森の神に感謝を~みたいな感じでやりたがらないのか!?」
「逆に、どうしてそんなものが居るって信じられるのよ。あんな慣習、耄碌したお爺ちゃんたちの集まりが今でも信じてる迷信に決まってるじゃない。全く、この”#”#$$#」
え、今なんて言ったんだ? 俺が聞いてはならないような、とんでもなく汚い言葉を使ったような気がしたんだが?
「まあ、そんなことは良いのよ。私はどの道、あの集落で生きていくには生贄になるしかなかったのだから。しかも、私を捨てる良い機会だと思った長老は私を追放扱いにして土地や資産、身ぐるみも剥いで森の奥地に放り出したの。生贄になるのなら何でもいいって」
「それであんな恰好だったわけか。完全に他人事だが、大変だったんだな」
「そうよ、凄い大変だったの。でも、本当に大変だったのは追放されてからよ。食料はないし、夜は寒いし、お風呂にも入れないから臭いし……。それでも何とか、森の助けを借りながら生活はしていたわ。でも、すぐ限界が来ることなんて分かっていたわ。だって、生贄になるために生きてきたのだもの。そこからどうすれば良いのか分からなくて、もう死んでも良いのかなって思ったりもして」
顔を俯かせながら語っていたナタの気持ちは、痛いほどによく分かった。何かのために必死になっていても、その支えが突然無くなったら目的を見失って、いずれ苦しくなって息ができなくなる。
もがこうにも掴まれるようなものが周囲に無くて、見つけようにも視界は一寸先も闇で……。時間が経てば経つほど心は疲弊し、周囲の闇が心の中へと侵食していく。
そうして勝手に世界に絶望し、いつしか生きることすらどうでも良くなりそうになる。俺の場合はしがらみが仕事だった故に手放せば何とかなったが、彼女の場合は人生を手放さない限りの無間地獄だ。
そんなの、俺だったらとっくに命を絶っているかもしれない。むしろ、よく何の支えもなく生きてこれたものだと敬意すら覚えるレベルだ。
「でも……。そんなとき、私はこっちに来ていたの」
「ああ。何かの召喚にでも巻き込まれたのか?」
「いいえ。普通に瞬きをしたら、この見知らぬ世界に来ていたの」
「……」
冗談を交えて聞いたつもりだったが、俺はあまりの唐突さに言葉を失った。ほら、魔法陣が足元に現れるとか、急に異次元空間が現れて吸い込まれるとか、そういう分かりやすいものがあるならともかく瞬きの間に異世界へ迷い込むとは奇々怪々なことだ。
だが、むしろ「そういう分かりやすいイベント」がない分、むしろ現実味があるのは「事実は小説より奇なり」という言葉を体現しているからなのかもしれない。
「信じられない?」
「いや、むしろ信じられそうな話だと考えていたところだ。それで? こっちの世界に来てからはどうしていたんだ?」
「こっちに住む生き物はこちらの言葉を介さないし、通じもしない。だから、残った魔力で色々な人間に魔法をかけて最低限の常識を吸収してはいたわ。でも、それには限界がある。お金もなければ家もなく、知人もいないし、魔力はどんどん減る一方で回復もしない……。それで、力尽きて……」
「俺に出会ったと」
彼女の話はそれで一区切りらしく、会話はそこで打ち止めとなった。彼女の境遇が特殊過ぎて、同言葉をかけていいのかも分からない。
ただ、確実に言えるのはそれでも彼女は生きなければならないということだ。だって、本当に死ぬ気がある人間がこっちの世界にやってきて情報収集なんてするわけがない。
人は絶望に直面した際、悪戯に死にたいと思ったり言葉にしたりすることもある。俺なんかは特にメンタルが強い方じゃないから結構な回数口にしている気がする。
だが、それでも生きている。何故なら、本当はそんなこと望んではないし、楽しく生きられるのなら生きたいと心の底では望んでいるからだ。
「……まるで、鏡だな」
「鏡?」
「ああ。何だろうな、話を聞けば聞くほど自分を見ているような気分になる。だからってわけでもないが、俺にできることなら協力しよう。これも何かの縁だしな。叶えてやれることにも限度はあるが、ナタはどうしたいんだ?」
「どう、したい……」
ナタはただ静かに目を閉じて、ゆっくりと呼吸をし始めた。自分自身と向き合うために瞑想をするとは、これもまた珍しいものを見せられている。
さて、ナタはどんな答えを出すのだろうか。俺はただ黙って彼女の自問自答が終わるのを待った。
「私は……」
ようやく口を開いた彼女は、真っすぐに俺の目を見て言った。
「この世界で、ちゃんと生きていきたい。人生をやり直したい。まだ何をすれば良いのかは分からないけれど……。そのために、力を……貸してください」
彼女の誠心誠意の籠った、深々としたお辞儀だった。ここまでされて手を差し伸べなかったと知ったら、母さんは俺に怒るだろうな。
「構わない。こっちでの生活がちゃんとできるようになるまで、ここで暮らすと良い。幸い、貯金はたんまりあるし一人くらいなら何とかなる。まあ、贅沢はできないがな」
「ありがとう! あなたの言っていた礼を尽くす、というのはまだできないけど……」
「それは余裕ができてからで構わない。今は、気持ちだけ受け取っておこう」
これでひとまずは状況も落ち着く、と言いたいところだったが彼女の話はまだ終わっていたなかった。
「その、私からも一ついいかしら?」
「何だ? 答えられることなら、答えるぞ」
何となく質問の予想はできていたが、それでも覚悟して聞き入れることにした。何故なら、俺でも避けては通れない道だと思ったからだ。
「あなたの、その体のことについて。私も、知っておきたいの」
やっぱりな、と深いため息が自然と出た。そりゃ、これから一緒に住む隣人が他の人にはない特徴を持っていたら不安にもなるだろう。
さて、どう答えたものかな。俺はため息を吐いたり、天井を見上げたりする動作をして姑息な時間稼ぎをしながら彼女の疑問に答えるための言葉を頭の中で探すことになったのだった。