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LAZULI番外編

LAZULI ~はじめましての時 エトワス編~

作者: 羽月

「LAZULI」本編開始時点より4年前の、メインキャラ達3人が初めて出会った頃のお話です。同タイトルのお話は、それぞれキャラの視点が違う話になっています。


ディートハルト13歳

エトワス15歳(16歳目前)

翠15歳


「ああ、良かった。もう一人のルームメイトだよな?遅いから、何かあったんじゃないかって心配してたんだ」

「……」

「俺は、エトワス・ジェイド・ラグルス。よろしく」

「……」

ここまで無反応な相手は珍しい。笑顔を作りフルネームで名乗った俺を、最高級の宝石のような澄んだ瑠璃色の瞳が完璧な無表情で見返した。”見返した”という表現すら不適切かもしれない。正しくは、視線を上げたら目の前に立っている俺が必然的に視界に入ったといった感じだろう。とにかく、今この瞬間から4年間を同じ部屋で過ごす事になる初めて見るルームメイトは、ファセリア帝国ウルセオリナ地方の次期領主”ロード・ウルセリオリナ”という俺の肩書きを示す名前にも、俺そのものにも全く興味を持ってはいないようだった。

 ウルセオリナは元々王国で、数百年前にアルベリックという男が大陸の南に興した国だった。そして、その双子の姉レウィシアは大陸の北にファセリア王国を建国した。その後、二人の初代の王から何代も後の時代、戦争ではなく平和的な事情でウルセオリナ王国とファセリア王国は一つの国――ファセリア帝国となった。ウルセオリナは王国ではなくなったけれど、帝国内の一つの地方ウルセオリナとなりアルベリックの血筋は公爵家となって、その長が領主としてウルセオリナ地方を現在に至るまで治め続けている。そして、俺の祖父、現領主シュヴァルツ・ローラント・ラグルスの妻……俺の祖母は、ファセリア帝国の先々代皇帝陛下の妹だ。お陰で、帝国内の各地方の中でウルセオリナは最も領地が広く領主の力も強い。その次期領主の俺には、黙っていても人が寄って来る。老若男女関係なく、何かしら期待して少しでも親しくなろうと近付いて来る。逆に、貴族の中には嫉妬や敵意をむき出しにしてくる者もいるし、庶民の中にも貴族というだけで拒否反応を示す者達もいる。とにかく、俺の顔を知らなくても、名前を聞けば何らかの感情を抱く者がほとんどだ。

 それなのに、現在目の前にいる人物は違った。驚く事もしなければ、肩書きに引くこともなく、好奇の目を向ける訳でもなければ、好感や嫌悪感を抱いている様子もない。全く何の感情も抱いていないようだ。もしかしたら、権力や金、有名人といった類のものには全く興味がないタイプなのかもしれないが、そうだとしても、目の前にいる相手が明らかに自分に向かって自己紹介しているというのに、完全無視というのは珍しい。

「おっ、やっと来たんだ?もう一人のルームメ……うはあぁっ!超美少女!?」

俺とは既に4年の付き合いがある、さらに同じくこれから4年間この寮でルームメイトになる スイ・キサラギが、扉を開けてからまだ1歩しか部屋に入っていない新しいルームメイトを見た途端、目を丸くする。彼も俺の肩書には全く興味はないといったタイプの人間だけど、初対面の時には先に名乗って、他の同級生達と全く同じような扱いでフレンドリーに接してくれている。

「マジでヤバッ!ホントにこの部屋であってんの??」

翠のように馬鹿正直に感想を口に出したりはしなかったけど、俺もこのルームメイトが姿を見せた瞬間、同性とは思えない……と言うより、人間離れした?容姿に息を呑んだ。彼は、ただ見た目が人並み外れて整っているというだけでなく、何か自分達とは違う別の世界の生き物であるかのような不思議な雰囲気を纏っていた。例えるなら、光の妖精とか精霊とか、天使といった類の存在だ。そして、少しだけクセのあるサラサラの金色の髪に同じ色の長い睫に縁取られた鮮やかな瑠璃色の大きな瞳、体も華奢で小柄というその容姿は、この場、ファセリア帝国学院騎士科(ナイトコース)の男子寮にはまるで不似合いだった。

「オレは如月 翠。この国風に言えば、スイ・キサラギだけどね。君は?名前なんての?」

好奇心丸出しの翠の反応が気に障ったのか、彼は少し嫌そうな表情を見せた。

「……名乗る必用があるのか?」

見た目美少女は、少し強い視線で翠を見上げた。翠や俺よりは頭一つ分くらいは背が低いので、自然と見上げる姿勢になってしまっている。

「え?そりゃ、あるでしょ。オレら、今からルームメイトな訳だし?」

翠が呆気に取られたようにそう言った。

「……」

新しいルームメイトは、俺の時と同じでやはり何も答えない。何か、名乗りたくない理由でもあるんだろうか?俺はそう思いながら、口を閉ざしてしまった彼を部屋の中に招き入れた。

「まあ、立ち話もなんだし。入れば?個人スペースは何処がいい?好きな位置でいいよ。希望がある?」

3つ並んだベッドと机を指し示すと、彼は奥の壁際のベッドと机を選んだ。

「じゃあ、クローゼットはここを使って」

「……」

相変わらず無言の新しいルームメイトは、これから生活する事になる個人スペースの机の上に持ってきた荷物を広げ整理していたが、学院で使う事になる教科書や筆記用具、制服等以外の個人的な荷物はほとんど無かったようで、すぐに片付け終えると自分のベッドに疲れたように腰を下ろした。

「俺はウルセオリナ出身、翠は北ファセリアで生活してて、実家は国外なんだけど、君は?」

名乗りさえしないのだから出身地を答えるとは思えなかったが、とりあえずコミュニケーションを取ろうと話し掛けてみた。案の定、無言だ。

「オレはさー、珍しい名前だろ?ファセリアよりずっと南にあるシオン国っていう国出身なんだ。って言っても、母親がファセリア帝国出身だから母方の親戚は皆この国にいるんだけどね。エトワスが言った北ファセリアには爺ちゃん婆ちゃんちがあって、ガキの頃からそこで厄介になってたんだ」

「子供の頃、シオン国から家族でファセリアの祖父母の家に遊びに行ったら、気に入ってしまって住み着く事になったんだよな」


 新しいルームメイトが反応無しなので、代わりに俺が答える。

「そうそう。全然違っててカルチャーショック受けてさぁ」

「シオン国は、”ニンジャ”っていう暗殺者集団と、主君のために腹を斬る”サムライ”っていう騎士の国なんだよな」

「う~ん、微妙だけど、まあそうかな。君は、侍とか知ってる?」

「知らねえ」

俺と翠が話していても、自分からは全く口を開こうとせず、こちらから直接話し掛けても殆ど返事をしない。話すのが苦手なのかと思ったが、しばらくすると、俺たちの事を警戒しているのだという事が分かってきた。なるべく距離を置きたいと考えているらしく、自分のスペース(ベッド)の上で可能な限り距離を取れる、わざわざ端の隅の方に寄って座っている。


「これ、食べない?」

食料の入った紙袋を何気なく差し出してみると、窺うような瞳を俺に向けてきた。

「……」

もう少しで吹き出すところだった。何か人に馴なれていない動物にエサを差し出しているような錯覚に陥ってしまいかけたからだ。

『大丈夫、食べても安全だよ。ほら、怖くないから。安心していいんだよ』

そう言ってやりたい心境だ。だが、これ以上近付けば牙を剥いて全身で威嚇してきそうな雰囲気だった。

「いらねえ」

案の定、彼は冷めた声でそう答えた。

「遠慮しなくていいよ?余ってるから。このまま置いといても、どうせ賞味期限短いからすぐダメになるし。広場近くの角のパン屋のだから美味いよ?」

ファセリア帝国学院に近い場所にあり、リーズナブルで味も良いため学生達に人気のパン屋だった。俺の言葉には答えず、視線ごと顔もそむけてしまう。さっき会ったばかりなので仕方がないとはいえ、どうやら全く信用されていないらしい。結局、名前すら聞けていないルームメイトは、俺の差し出した食べ物には手を付けず、ベッドの端に座ったままウトウトしだした。しばらくは必死で眠気と戦っているようだったけど、睡魔には勝てなかったようで程なくしてそのまま横になると眠ってしまった。

「何で、あんな隅っこで丸くなってんだろ?ああいう習性?それとも、初対面でもういきなりオレらの事嫌ってんのか?」

翠が呆気に取られた様に言う。

「少なくとも、好きじゃないみたいだな」

テーブルを挟み翠の向かい側に座っていた俺は、席を立つと毛布を掛けてやろうと眠る彼の傍らまで行った。

「!」

突然、ガバッと身を起こした彼は、警戒心と怯えの混ざった瞳で俺を見上げた。しかし、すぐにそれは敵意のこもった強い視線へと塗り替えられ、なりを潜める。まるで、就寝中に命でも狙われたかのような過剰な反応だった。

「起こして悪かった。そのまま寝たら、寒いだろうと思ったから」

動揺しなかった訳ではないけれど、さり気なさを装って手にしたままの広げた掛け布団を見せると、彼は無言で左手を伸ばしてそれを受け取った。というより、引ったくった。

「じゃあ、おやすみ」

俺の言葉に対して、彼は全く反応を示さなかった。『早くあっちに行け』とでも言いたげに、警戒した冷たい視線をジッと投げている。

「……」

彼の側を離れると、警戒しながらも横になって布団の中に潜り込んだ。やはり、身を護る様に壁の方を向いて蹲った姿勢だ。何とも言いようのない気分になった。理由もなく激しい敵対心を持たれたのは初めてで、警戒されているという事も心外だった。


 それから一週間程して入学式があり学院での生活が始まって、出席確認で生徒達全員が呼ばれた事でようやく新しいルームメイトの名前は判明した。


ディートハルト・フレイク


翠は初対面の時から、もしかしたら新しいルームメイトは女の子なのではないだろうかと少し疑っていたみたいだけど、名前を聞く限りは男子学生の様だった。

 入学式から数日経つと、同級生達はお互いの名前と顔を覚えて少しずつ打ち解けていき、仲の良いグループも出来つつあった中、ディートハルトだけはいつも一人だった。ルームメイトの俺達だけでなく、誰もそばに寄せ付けようとはしないからだ。初めは、生理的に俺や翠のことを気に入らないのだと思っていたけど、彼は誰ともほとんど口をきく事もなければ、不機嫌そうな態度を変える事もなく、常に一人で行動し冷たい空気を纏って生きている。自分以外の全ての人間を敵とみなしているかのようだった。彼は、孤独を感じてはいないのだろうか?

 そんな態度では、余計な敵を作って目を付けられるかもしれないと心配していたら、案の定、意地の悪い絡み方をする奴らも出て来た。いわゆる苛めという奴だ。これは彼を守ってやらないといけない、なんて思ったのに、その隙もなく、ディートハルトは毅然と対応していた。と言うより、やられたら倍にしてやり返すといった反撃の仕方をしていた。悪口には言葉での攻撃プラス暴力で対抗して、たちの悪い苛めにも暴力で対処した上で、しっかり責任を取らせるといった感じだ。


 ディートハルトに、掃除の後のモップを洗った汚れた水を浴びせた奴はバカだった。

『あ!シマッタァ!』

と、クラスメイトの男子学生の一人が、バケツを手にわざとらしくぶつかったフリをしてバケツの水をディートハルトに勢いよく掛けた。予想外の出来事に避ける事が出来なかったディートハルトは、髪も顔も、制服も汚れた水でびしょ濡れになってしまっていた。

『何だお前、そんなところにいたのか?小さすぎて見えなかったぞ。お前が悪いんだ。ちゃんと床も拭いて掃除しとけよ』

その男子学生は、呆然として無言で立ち尽くしているディートハルトにニヤけてそう言った。クラスメイト達も無言で見守る中、俺は反射的にディートハルトに駆け寄ろうと足を踏み出した。その瞬間……。

瑠璃色の瞳に、ギンッと一瞬で恐ろしく冷たい光が灯った様に見えた。

『テメェ、この野郎!ナメた真似してんじゃねえぞ!』

ディートハルトはそう吐き捨てて、ほぼ同時に、笑っていた学生の腹を思いっきり蹴り飛ばした。

『!』

その学生は勢い余って並んだ机にぶつかると、派手になぎ倒して床に倒れた。ディートハルトはすぐに腹部を抑えて蹲っている学生のところに行くと、グイっと胸倉を右手で掴み上げて全く躊躇わずに今度は顔を殴る。平手打ちじゃなく、拳で殴った。そして、胸倉をきつく掴んだまま、左手は拳を握って引き、再び殴る態勢に入っている。

『ふざけんじゃねえぞ!あぁ?わざと水ぶっかけたんだろうが。テメェが掃除するのが筋じゃねぇのか?』

可愛い顔とのギャップが凄いセリフだ。凄まれた学生は、予想外だったようで硬直していて何も答えない。

『ンだよ、返事はどうした、口付いてんだろ!?さっきはペラペラ喋ってたよな?殴れば話せる様になるか?どうする?歯と鼻と、どっちを折られたくねえか選べよ』

と、冷たい瑠璃色の瞳をスッと細める。顔立ちが整っている分余計に怖い。可愛い人形に襲われるというホラー作品のワンシーンの様だった。

『……いや、オレが悪かった!掃除はオレがする!』

ディートハルトに水を掛けた学生がそう言うと、ディートハルトは恐ろしく不機嫌そうに言った。

『当然だろ。テメェ、放課後おれに付き合え。逃げられると思うなよ』

そう言い残し、ディートハルトは教室から出て行った。その後、着替えてきたディートハルトは、午後の授業は戦闘の実戦訓練で着る野戦服を着ていた。いつの間にか誰かが報告したのか、教師はそのことについて特に触れる事も無く通常通り授業を進め、そのまま放課後になった。


『おい、お前、付いて来い』

宣言通り、席を立ったディートハルトは真っ直ぐにバケツで水を掛けた男子学生のところへ行くとそう言った。バケツ男以外の何人かの学生が、ディートハルトに敵意剥き出しの嫌な視線を投げている。バケツ男の加勢をするかもしれない。そう思った俺は、ディートハルトを守ろうと彼に声を掛けた。

『ディートハルト、もういいじゃないか。ちゃんと謝ったし掃除もしただろ?』

バケツ男の肩を持つ気は全くないのに、バケツ男は自分を助けてくれるつもりだと思ったみたいで、俺に縋るような視線を向けている。

『いい訳ねえだろ!汚れた制服はちゃんと弁償して貰う』

瑠璃色の瞳が、不機嫌そうにギロリと俺を睨んだ。

『え?』

と、俺だけじゃなく、バケツ男も周囲の学生達も意表を突かれた顔をする。皆、俺も含めて、ディートハルトが先程の続きでバケツ男に暴行を加えるつもりなのだと思っていたからだ。

『弁償?』

バケツ男がポカンとした顔でそう言った。

『そうだ。これからクリーニングに出すから、お前が支払え』

さらに皆が目を瞬かせる。“弁償”と言ったので、新しい制服を買わせるのかと思いきや、堅実な言葉が返って来た。

『あ、ああ。分かった。そんな事なら』

バケツ男はホッとした様に頷いた。

 それから、ディートハルトは、学生寮の1階にあるクリーニング店にバケツ男を連れて行ったので、俺も、どうなるか心配だったので付いて行った。

『制服の上着とズボンとシャツで、3日後の仕上がりになるよ』

人の良さそうな年配の店主が、ノンビリとそう告げた。そして、ディートハルトに言われた通りバケツ男が支払いを済ませる。学内のクリーニング店という事もあり、とても安かった。町に出て食べるランチ代よりもずっと安い。

『じゃあ、もういいよな』

支払いが済み、ホッとした様子でバケツ男が自分の部屋に帰ろうとすると、またもやディートハルトは予想外の事を言った。

『よくねえよ。今着てる制服を、ここで全部脱げ』

『え?』

俺もバケツ男も、訳が分からずディートハルトに注目する。

『おれが3日間着る制服がねえだろ。だから、おれのが戻ってくるまでお前のを貸せ』

ああ、なるほど。俺は納得した。初対面の日に、ディートハルトの所持品を見ているからだ。多分、制服のシャツはともかく上着とズボンの冬服は一式しかなかったんじゃないかと思う。

『え、いや、だけど、サイズが合わないんじゃ……』

しどろもどろにバケツ男が言う。ディートハルトの所持品の事情は知らないので、ただ嫌がらせされていると思っているのだろう。

『ンだよテメェ、またおれを馬鹿にしてんのか?』

再び、ディートハルトの瑠璃色の瞳が剣呑な色を帯びる。今回は、バケツ男も馬鹿にしている訳じゃなくて事実を言っただけだと思うけど、ディートハルトは怒ったようだった。

『いいから、さっさと全部脱げ!』

バケツ男が、助けてくれと言う様に俺の方を見た。

『なあ、ディートハルト。俺が予備の一度も着てない制服を持ってるから、それを貸すよ』

『テメェもこいつの味方すんなら、ただじゃおかねえぞ』

ディートハルトが、ギロリと俺を睨む。

『味方する訳じゃなくてさ、どうせ人の服を着なきゃならいなら新品の方がよくないか?』

俺がそう言うと、バケツ男もコクコクと頷いた。

『その方がいいと思うぞ!これは、汗とかかいてて匂うと思うし。今日は学食でニンニク料理も食ったし』

バケツ男が言うと、ディートハルトはキュッと眉を顰めた。俺に借りを作りたくないのか迷っているみたいだったけど、もう一度バケツ男が『3日間、俺の匂いがする服を纏っていたいか?』と尋ねると思いっきり嫌そうな顔をして、決心が付いたようで俺の顔を見上げて言った。

『じゃあ、お前のを貸してくれ』


 部屋に戻ると、俺は早速クローゼットから予備の制服を取り出してディートハルトに渡した。予備だけで5着もあるので返さなくても良いんだけど、バケツ男の制服以上にサイズが合わない。俺は身長が182センチで、ディートハルトは多分160センチいかないくらいだからだ。でも……。

『少し、大きいか……』

試しに着てみて呟いているディートハルトに、危うく吹き出すところだった。まずはシャツを着てみていたが、少しどころじゃない。明らかにオーバーサイズで手がほとんど指先まですっぽりと隠れてしまってワンピースの様になっている。

『彼シャツ』

翠がボソリと呟くのが聞こえて、笑わない様に慌てて口を押えた。確かに、そんな感じに見える。袖口を困ったように見ている姿が可愛すぎて、正直キュンとしてしまった。でも、ディートハルトの方はその単語の意味を知らなかったのか、それとも聞こえていなかったのか無反応だ。

 しばらくして、袖を曲げれば良いと気付いたディートハルトは、ズボンもはいてみていた。でも、当然裾が長い。すると、ディートハルトは不満そうに口を尖らせていた。それもまた可愛い……。

『エトワス君は、無駄にデカイからね』

自分も俺と変わらない身長で180センチ以上あるクセに、翠がそう言った。でも、いい事を言った。ディートハルトが納得した様で不満そうな表情が消えたからだ。最後に上着を着ると、分かっていた事だけど、やっぱりまたブカブカで萌え服というかコートの様になっている。これは俺の服なんだと思うと、またキュンとしてしまった。本当に可愛いと思うけど、これはもう、学校に事情を話して3日間は制服じゃなくてもいいように許可を貰った方がいいかもしれない。そう思っていると、鏡を見ていたディートハルトの声が聞こえて来た。

『ま、大丈夫か。大は小を兼ねるって言うしな』

翠も俺も、慌てて顔を背けた。目が合うと吹き出してしまいそうだったからだ。納得している様な話し方だったけど、大丈夫な訳がない。多分、翠も同じことを心の中でツッコんでいると思った。


 その後も、バケツ男の事件に学ばずに別の男がディートハルトにちょっかいを出していたけど、その時の加害者はバケツ男のように殴られて、学校指定の靴を今度はちゃんと”弁償”させられていた。そんな訳で、それ以来ディートハルトにいわゆる苛めを仕掛ける奴はいなくなっていたんだけど……。


 騎士科での学生生活が始まって一ヶ月くらい経って大分気温も温かくなって来た頃、遅い時間に部屋に戻ってきたディートハルトの顔を見て驚いた。

「どうしたんだ!?」

彼の口元には血がこびりつき、痛々しげに腫れていた。

「……」

もちろん、彼からの答えはない。俺の方を見ようともせず、完全に無視して不機嫌そうにバスルームへと姿を消した。


 その2日後、彼はまた新しい傷を作って帰ってきた。今度は右頬と右手を大きく擦りむいている。泥に汚れた制服に隠れている部分は分からないけれど、動作が不自然なところを見ると、体の方も怪我をしているのかもしれない。


「ディートハルト、誰がやったんだ?」

さらに次の日、またディートハルトが怪我をして帰ってくると、とうとう俺は彼に暴行を加えているらしい相手を尋ねずにはいられなかった。

「……」

昨日擦り傷の出来ていた頬とは逆の、左目近くに痣を作ったディートハルトは、やはり何の言葉も返さなかった。

「誰に暴行されてる?」

国の兵士を養成するという特殊な学科に所属しているため、生徒同士の殴り合いは実は珍しくはない。上級生から下級生へ与えられる、ある意味手荒な洗礼のようなものでもある。しかし、標的を一人に絞り短期間内に執拗に繰り返すという悪質なものは普通ではない。

「いつも同じ相手なのか?」

一対一ならディートハルトが負けるとは思えないので、相手は複数いるんだと考えた。きっと、大勢で一度に襲われて人数負けしているんだろう。

「うるせえな」

しつこく尋ねると、ディートハルトは露骨に嫌そうな表情を見せた。

「いくらなんでも、これは酷すぎる。……口止めされてるのか?」

脅されているのだろうか。そう懸念して尋ねると、ディートハルトは一瞬呆れたような表情を見せた。

「関係ねえだろ」

冷たい視線を投げ、少しでも早くこの場を立ち去りたいとでもいうようにクルリと背中を向け、いつものようにバスルームに姿を消した。


 翌日、俺は朝から彼の行動を気付かれないよう観察していた。登校してから下校時間になるまでは何事もなく一日が過ぎていく。その間、相変わらずディートハルトは必用な時以外全く口もきかず、一人でひっそりと過ごしていた。昼の休憩時間も、いつもの事だけれど学食にも行かず、教室でチョコレートや売店のパンを食べている。今日は、俺も学食には行かないで、売店で買ってきたサンドイッチとコーヒーで済ませた。正直、午後の授業は体が持たないと思ったけれど、俺より小食のディートハルトは平然と過ごしている。


 放課後になり学校を出たところで動きがあった。寮への近道になっている林の中を歩いていると、複数の人影がディートハルトをすっと取り囲んだ。同じ学年の者が3名、そして2名の上級生。気付かれないよう距離を取っているので相手が何を言っているのか聞き取れないけれど、明らかに不穏な空気が漂い始めていた。そして、僅かな時間言葉を交わした後、すぐに殴り合いが始まった。

「……」

それまで俺は、ディートハルトの方が一方的に暴行を受けているのだと思っていたけれど、意外にも彼はしっかりと応戦していた。体格や腕力では明らかに劣っているけれど、身軽な分動きが早い。飛びかかってきた相手をかわし、間髪入れず手加減無しに腹部を蹴り上げる。背後からの攻撃に気を取られて体勢を崩しかけたけれど、すかさず反撃して敵の顔面を殴る。

『……歯が折れたかな』

格闘技というものとはほど遠く無駄な動きが多い戦い方ながら、素質の方は申し分ない。しばらく俺は、予想外に戦い馴れしたディートハルトの動きに見入ってしまっていたけれど、彼が劣勢になってくると、自分がわざわざ彼の後をずっと追って眺めていた理由を思い出して、我に返った。

「エトワス!」

いきなり姿を現した俺に、ディートハルトの胸ぐらを掴んでいた学生を始め全員が動きを止めた。こういった場合には、俺の肩書きはかなり役に立つ。

「一人を相手に、何をやってるんだ?」

非難しているような口調で声を掛けると、怯んだように同級生達は後退りした。

「お前には関係ない!邪魔をするな!」

上級生の方は、突然現れた下級生に窘められ激怒しているらしく強い口調で言い放ったけれど、決して向かってこようとはしない。興奮していながらも、”ロード・ウルセオリナ”を敵に回すのは得策ではないという理性は働いているようだ。騎士科の学生であるならなおさらだろう。将来帝国兵になる事を目指しているのに、その主である皇帝の再従兄弟の俺からの印象が悪くなれば、進路に響くかもしれないからだ。

「そこをどけ!」

「俺も相手になる」

そう言ってディートハルトの傍らに立つと、5人の学生達は動揺したように目配せし合った。

「何故、そいつの肩を持つんだ?」

リカルドが不満そうに尋ねる。

「俺が見ていた限り、お前らの方が彼に絡んで、先に手を出したからだ。それに、1対5だぞ?卑怯だと思わないのか?」

認めているのか、5人は無言だった。

「ウルセオリナ卿に感謝するんだな、クソガキ!」

ディートハルトに向かいそう吐き捨てて、他の学生達も口々に捨て台詞を残し5人は去って行った。


「大丈夫か?」

5人の姿が見えなくなると気が抜けたのか、ディートハルトはフラリと地面にしゃがみ込んだ。

「毎日どんどん新しい傷が増えていくな……」

思わず小さな溜息を吐いてしまう。綺麗な顔や体に、これ以上痛々しい生傷が増えていくのを見るのは忍びない。体を屈めて、出来たばかりの目元の傷に何気なく触れようとすると、大きく身を引かれた。痛むだろうから、当然の反応だ。

「手当してやるよ」

学院では、怪我をした時の対処の仕方や応急処置等も習う。そのため、鞄の中にちょっとした救急キットの様なものが入っていた。

「余計な真似するな!」

瑠璃色の瞳は、敵意を込めて俺を鋭く睨み付ける。彼にとっては、俺も今まで殴り合っていた相手と大差のない敵なのだろう。味方のつもりなんだけど……。

「じゃあ、帰ろう。立てるか?」

友達どころか完全に敵とみなされている事実を改めて痛感しながら、俺は立ち上がった。ディートハルトの方は座り込んだまま動こうとしない。どこか体が痛むのかもしれない。

「手を貸そうか?」

いくら嫌われているからといって、そのまま彼を置いて帰る事は出来ずに手を差し出すと、今度は大きく振り払われた。

「おれに触るな!」

彼は負傷した動物そのものだった。全身で警戒し、威嚇し、拒絶している。”おれに触るな”という言葉は、単純に体に触れるなという意味だけではなく、俺の領域に踏み込んでくるなという警告の意味合いにも取れた。

「……」


 俺は、しばらく無言でディートハルトの姿を眺めていた。呆気に取られていたという事もあるけど、同時に、強い敵意の籠もった瑠璃色の瞳に見惚れてしまっていた。何の表情も無い、他者に興味を示そうともしない冷たい作り物のように端麗な普段の顔も、確かに強く人を引きつけるものがあるけれど、激しい感情を窺わせる強く冷たい光を湛えた今の瞳にも、視線を外すことが出来ない程に惹かれてしまう。もちろん、敵意を向けられる事を心地よく感じている訳ではない。それは間違いなく残念だと思うし、純粋な善意からの言動に対しての反応なので多少傷つきもする。でも、彼の感情の窺える瞳はとても綺麗だと思った。瑠璃色に光の加減で鮮やかな水色が差した様に見えるその目は、造り自体はとても甘い印象を与える。長いまつ毛に縁取られたパッチリとした大きな目で、僅かに目元がタレ気味なせいだろう。普通にしていれば可愛いという形容しか当てはまらないのに、鋭く睨みつけて甘さとは無縁の冷たい敵意を湛えている。その強い光が、そして甘い造作とのギャップが、瑠璃色の宝石に彩を添えているように感じてしまっていた。当然、ディートハルトには迷惑この上ない事であるだろうけれど。

「どけよ!」

目と同様、元来の声質は爽やかで優し気な甘めのものなのに、話し方は非常にキツく強い口調で吐き捨てる。ディートハルトは不快げな表情のまま、勢いをつけて立ち上がった。そして振り向きもせず、投げ出されて汚れてしまった鞄を拾い、さっさと背を向け歩き始める。それでも、やはりどこか痛いのか足取りが怪しい。

「足下がふらついてるぞ」

見るに耐えかねて、肩を貸そうと歩み寄り再び手を差し出す。

「!」

噛まれた。

そう思った。実際には、振り向きざま殴りかかって来られたのだけれど、まるで野生の動物に噛みつかれ威嚇されたかのような気がしていた。

「ッ!」

俺に攻撃を受け流されたディートハルトは、少女の人形のように端正な顔を歪ませ心底腹立たしげに舌打ちすると、俺を鋭い視線で睨み付けた。

「おれに構うな!」

そう言われても……。到底無理だと思った。

だって、存在感がありすぎる。瑠璃色の瞳の印象が強すぎる。

何故、こうも他人を拒絶しているのか……。

ここに来る前に、何か余程酷い目にあったのだろうか?

誰かに傷つけられでもしたのだろうか?

彼に関する様々な事が気になって仕方がない。

「……」

俺は小さく溜息を吐き、それ以上怒らせない様にディートハルトから少し距離を取って歩き出す。目的地は同じだ。


もし、俺に出来るなら……。

まだ4年間は時間がある。

いつか、その澄んだ鮮やかな瑠璃色の瞳から、不安の色を取り除いてやりたいと思った。

そしていつか、彼の心からの笑顔を見たいと思った。


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