表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

第5章「伝える者たちへ」


午前6時15分。

東京湾を渡ってくる冷気が、築地市場の跡地に差し込んでいた。

新聞配達の軽バンが、まだ人通りのない街を滑っていく。

その荷台には、久保田の書いた最終見出しが、全国へと散っていた。


〈尖閣“放棄”の裏に日米交渉文書――国家の交戦回避と報道の責任〉


印字の黒が朝焼けに濃く浮かんでいた。


日報新聞・編集局。

社会部デスクの机の上には、抗議の電話メモが山積していた。


「あの記事は反日だ」


「国防機密を漏洩させたのか?」


「政府の立場を理解しているのか?」


「あの記者はどこにいる」


だがその一方で、社内イントラにはこんな声も流れていた。


「読者から激励の電話あり。『ようやく本当のことが出た』と」


「政治部・国際面の記者が、紙面連携に感謝」


「久保田を一面に戻せという署名、50人超」


そして最後に――


「新聞協会賞、推薦検討」


SUBTEXT。夜。


久保田はマスターの前に、静かに座っていた。

カウンターに置かれたロックグラスの中で、氷が鳴った。


「お前の書いたもの、CIAも中国も、“両方”怒ってたよ」


「それは、正解だったということですか?」


「……分からない。ただな、クボタ。

“正しい”ってのは、いつも“誰かにとって都合が悪い”もんだ」


久保田は小さく笑った。


「じゃあ、俺は、都合の悪い記者であり続けたいですね」


公安・佐藤圭吾は、霞が関の地下食堂で、テレビ中継を見ていた。


国会中継。防衛大臣が、答弁している。


「尖閣を交戦回避地帯とする協議は、存在していないと承知しています。

また、いかなる交渉文書も、公式には……」


その“行間”に、国会が騒然とした。


佐藤は静かに、久保田からもらった封筒をスーツの内ポケットに押し込んだ。

その中には、久保田の言葉で記された“録音起こし”が全文入っていた。


「これは、記録だ。誰にも渡す義務はないが、

いつか誰かが再び問い直すだろう。だから残す。それが記者だ」


夜、与那国島。


久保田は防波堤に立っていた。

その向こうは、もう海だった。


彼の右手には、誰も読まない私稿が綴られていた。

タイトルはなかった。見出しもない。リードもない。


ただ一行だけ、ノートに走り書きされていた。


「伝えた。たとえ、この国が黙っていても」


東京、翌朝。

編集局のホワイトボードに、一枚の紙が貼られていた。


【異動】

整理部・久保田真一 記者 → 社会部・特報班 復帰(即日)


その下に、誰かが走り書きしていた。


「ようこそ、再び修羅場へ」


新聞というメディアがまだ存在する限り、

その活字の隙間には、

誰かの声なき声と、名もなき記者の手が、確かに刻まれている。


[完]

『影の潮流:記者たちの島嶼戦線』

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ