表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第1章「沈黙の南西諸島」


午後四時を回った編集局内に、突如としてポーンという電子音が響いた。


「全バラだ! 全バラ、組み直し!」

社会部デスクの怒号が、一気にフロアを震わせる。フラッシュ速報が走った。

〈石垣島沖・領海接近:中国船籍の不明船複数・第十一管区が警告発報〉――。


運動面の紙面整理をしていた久保田真一は、瞬時に頭を切り替えた。

これが“戦場”に戻る合図だ。公安の担当デスクが無言で手招きしてくる。

「夜討ち、行ってこい。公安筋。あと、できれば与那国方面の海保にも当たれ」


背中で相槌を打ちながら、久保田は自席から私物のモールスキン手帳と

SONYのICレコーダーをつかみ取った。ネクタイを外し、上着だけ羽織る。


【本文続く→】

久保田の足はそのまま、新橋にある《SUBTEXT》と呼ばれる、記者と情報屋、

時に公安や外交官までが出入りする場末のバーへと向かった。

そこは、「裏」を語る人間たちの“待合室”だった。


夜の気配が路地に滲み出していた。

SUBTEXTのマスターは、新聞を畳みながら目だけで久保田を迎えた。


「また“南西”だね」


「ええ。石垣の海保が動いたようです。テレグラフは?」


「奥の席。もう来てる。米の人だよ」


久保田はカウンターをすり抜け、奥の黒革のボックス席に目を向けた。

そこには、CIA東アジア課所属のアレックス・ダンが、

ライムを落としたバーボンを前に静かに座っていた。


「久保田さん。あなたの政府は、今夜も“静か”ですね」


「黙っているということは、事実だということですか?」


「沈黙は時に、国益です。だが、あなたはそれを嫌う」


アレックスはスーツの内ポケットから、1枚の写真を差し出した。

カラーではなかった。低解像の衛星画像――石垣港近辺の岸壁。

夜間。貨物バースに、人影がある。1隻の漁船のようなシルエット。

だが、その甲板には、肩に構えられた銃器らしき物体が確認できた。


「これは……海保の画像じゃないですね。NSAの衛星?」


「……想像にお任せします。ただ、日本は、これを“なかったこと”にしようとするでしょう」


久保田は、黙って画像を受け取ると、バッグの中にしまった。

それを見ていたマスターが、そっとバーボンを彼の前に置く。


「うちの氷は、溶けにくい。今夜は、長くなるよ」


警察庁庁舎前。午後十時五十二分。


久保田は、県警担当時代に鍛えられた“張り込み姿勢”を再び取り戻していた。

公安調査庁の特命係長・佐藤圭吾は、定時の退庁をせず、

裏口から私服姿で姿を現す。


「まだ、やってるのか」


「尖閣ですよ。石垣港に不審船。警告発報済み。貴方の知る何かがあるでしょう?」


佐藤は足を止める。口元に煙草を咥えたまま、静かに火をつける。


「久保田、お前、紙面のトップに載せたいんだろ?」


「それが仕事です。公安が情報を握っていて、国民が知らない状況なら尚更です」


「お前が記事を出したあと、漁民が海に出なくなる。与那国の港は封鎖される。

それでも、お前は“伝える”のが仕事か?」


久保田は、かすかに唇を噛んだ。


「それを“国益”と言うなら、俺はそれと戦いますよ」


佐藤の目が一瞬、揺れた。


「……キム・ジフンに会え。お前が信じる情報源があるなら、彼だ」


深夜零時、新大久保・地下室の貸し会議室。


韓国国家情報院、通称NISの東アジア分析室室長・キム・ジフンは、

一枚のスライドを壁に投影していた。


「この2週間で、尖閣をめぐる法的・実効支配の動きが顕在化している。

中国側は、正式な上陸命令は出していない。しかし、“個別行動”は別だ」


「漁民を偽装した部隊?」


「その通り。そして、日米間では“尖閣は領土だが、戦場にしない”という

非文書協定が交わされているという話もある」


「つまり、放棄?」


「戦わずして失うこと。これを日本政府は“国益”と言う」


久保田は、メモを取る手を止めた。


「ジフンさん。もしこの情報が本当なら、日本の領土が、情報の中で既に消えていることになる」


「だから君に託す。私はここで止まるが、君は活字で先に進める」


その夜、久保田は編集部に戻り、社会部デスクに電話した。


「記事にします。“尖閣に上陸の兆候”で一面、張らせてください」


相手はしばし沈黙ののち、こう答えた。


「お前が責任を持つなら、いい。紙面のレイアウトを全バラにするぞ。

これは、“報道”の戦争だ」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ