24傷
「……喉が渇いた。」
水汲み場へと行こう。……やっぱり面倒だから、洗面所の水でいいや。
こぽこぽ
「……っ。」
渇いた舌に潤いが蘇る。冷たい水が齒の上を滑ってゆく。喉仏が動く。首筋の汗が伝う。
「はっー……。生き返る……。」
ふと、鏡を見た。
「…………。」
そこには自分が映っていた。
「……暑い。」
下を向く。前髪が垂れた。
そうだ。顔を洗おう。そしたらマシになるかもしれない。
「誰もいない……よな。」
周りを見渡して愼重に面を外した。いつ誰が來てもいいように、手元に置く。
じゃー
冷たい。じわじわと手の平の血液が流れていくのを感じる。手の隙間から水が垂れていく。その水も冷たく、氣持ちが良い。
バシャ
「……、」
キュ
「あ、手拭い……ない。」
仕方ないので、寝ぼけ眼のような視界の中ごしごしと手で目を拭った。
「……、」
仲介が鏡に映っている。
「こんな目なんて。」
水で赫くなった目を見つめた。
「こんな目のせいで。」
――――――――――――
「仲介ー。」
サッといつものように襖を開けて雑用は部屋へと踏み入れた。
「おい、勝手に入って來るな。」
「……!ごめん。着替え中だとは。」
雑用はスーッと元に戻ると思いきや、ずんずん中に入ってきた。
「やめろ。出て行け。」
「仲介、どうしたの。その傷。」
仲介の躰には殘酷な傷跡が刻まれていた。
「お前が知って何になる。」
「いいから、教えてよ。」
仲介は着物に袖を通す。
「教えない。」
「まさか、自分でっ」
バタッ
雑用は大胆に転んだ。仲介が雑用を押し除けた。
こんなにも転ぶとは思っても見なかった。一瞬心配する。
「……。違う。客にやられたんだ。」
帯を結んでいく。
「なんで言ってくれなかったのさ。」
「これはお前と会う前の話だ。」
今日はなんだか、仲介は僕に対して冷たい。
「ふぅん。」
――――――――――
「…………。」
部屋で小説を読んでいた。
ごて
「なんだ……?!」
後のする方を振り向くと、雑用が壁に寢そべっているではないか。
「何してるんだよ。」
「でんぐり返し、失敗した。」
私を見上げたまま答えた。
「仲介、どこ行くの。」
雑用は体勢を直して、ぐしゃぐしゃの頭で問いた。
「長のとこ。」
――――――――――
「…………。」
仲介について行く。今日の仲介、なんだか冷たい。
「…………。」
雑用がさっきからしゅんと俯いている。これでいい。これでいい。
「――、來來、樂樂」
「……?!」
誰だ……こいつ。上等な着物を着ていた。これは客だ。
「お客様、ここは本館ではございません。」
相手を刺激しないよう、愼重に話す。雑用は私の後ろに隠れてじっとしていた。
「出口までご案内しますのでっ……!」
「來來。」
手、手に刃物。きらりと光る。相手は刃物を持っていた。
どうしようどうしよう。こちらに近づいて來る。雑用は强器に氣付いているのか、私に触れる手が震えていた。
「雑用、逃げろ。逃げて長に報告だ。」
「でも、」
「早く。」
仲介が、仲介が。
「いつもやってる事だろう?」
仲介は少し目を見せて笑った。無理に笑ってる。怖いけど行かなくちゃ。
「……ぅ、」
足がすくんで動けない。動け、動け、
動け!
ダッダッ
「………お客さん、その刃物、しまってくれやしませんか。」
「來來。」
藁にもすがる思いで言ってみたが、案の定、駄目みたいだ。
「樂樂!!」
「……っ!!」
急に襲ってきた。一寸でもずれていたら、スパリと切れていたところだ。
「來樂!」
なんの言葉だ。外の國のやつか?それより長、長早く!
「い゙っっ……だ!!」
肩を切られた。深い。血が、血が。
「う、」
己れは身体能力が良くない。心臓も弱い。この際いっそ、
「死なせて下さい。」
―――――――――――
「仲介!」
おさだ。あいてがはものをふり、
ピシャ
「…………!!」
相手の首がはね、辺り一面眞っ赤に染まった。
赫い赫い。生臭い。痛い。
「う、」
「仲介!大丈夫か……!」
「おさ、ざつようは、」
「今、ここにはおらん。安心せい。」
雑用に場所だけを聞き、來るなと告げた。こういう場面になってしまうから。
長の肩を借りる。独特な香りがして安堵した。
「うぅ、おさ、」
「大丈夫だ。待てよ。今直ぐに無薬のところへ……」
仲介を抱っこしようとすると、强く袖を握られた。
「……。大丈夫。仲介、大丈夫だから。」
長の高貴な着物も赫くなってしまった。
「大丈夫。もう怖いもんはいない。わしが守ってやる。大丈夫。」
仲介の背中をとんとんと摩る。
「仲介、よお頑張ったな。」
仲介は俺が守るさ。
――――――――――
「…………」
天井。
「起きたか……。」
と、無薬。
「いてて、」
「おい、あまり躰を動かすな。傷が広がるだろう。」
無薬の忠告を無視し、躰を起こす。無薬は鼻からため息をついた。
「長は、」
「今はいない……。仕事があると。」
よく見ると、自分の部屋ではなかった。無薬の部屋だ。藥の匂いがする。
「雑用は。」
「知らん。」
「そうか……。」
そんな悲しくなるなよ。こっちまで伝染するだろう。
「……見たら報告するから三日三晩、ここで生活しろ。」
「え、」
「…………。」
無薬は何も言わずに去って行く。
「あ、」
「……?」
戻ってきた。
「何も触るなよ。」
――――――――――
夜。結局、雑用は來なかった。
「…………。」
ずっと天井を見ていたら、頭がおかしくなった。無薬は机に向かって何か書いているようだ。
「おい、入るぞ。」
「……!」
「や、仲介。大丈夫かえ。」
長だ。顔が疲れているが、笑顔を貼っている。
「長。」
「うんうん。意識はあるみたいだな。ごめんな。仲介。今後から旅館の警備を强化するよ。」
口調は軽いが、言葉は重かった。
無薬はまだカリカリと何か書いている。
「最近、ちとこの辺の治安が来惡いらしくての。ここに來る客も荒っぽくなった。」
「前からそうじゃありませんか。」
「くはは。そうじゃな。」
長はいつもとは違って優しく頭を撫でた。
「無薬、お前も会話に參加しろ。なーに書いとるんかえ?」
「……。覗くな。」
無薬は話し相手にならなくて、つまらない。
「おぉ。なんやら難しいな。これは藥草の事かえ。眞面目だなぁ。」
今夜はなんだか賑やかだ。
「あ、そうだ。仲介。雑用の子な、仲介を心配しておったぞ。」
「……本当ですか。」
「ほんと、ですよ。」
長はからからった目で笑った。
「だから早よお治せな。わしのためにも、雑用のためにも。」
「分かりました。」
また長は子守唄をうたうように、頭を撫でた。
「仲介、」
顔を近付けこう囁いた。
「おやすみ。」
「と、無薬もおやすみなぁ。」
「あぁ。」