16線
「…………あ。」
雑用だ。向こうから来た。氣まずい。一日休んだからか、一層会いたくなかった。
「…………。」
挨拶……はいいか。前に無視された……いやこの言葉は適切ではないか。
「…………。」
目も合わせられない。
通り過ぎ
「あ、」
雑用がこちらに反応する。
うれしい。
「……!」
雑用はこちらに向かってにぱっと笑った。
――――――――――
「〜♩」
雑用が隣でうたう。今日は雲がありありと空に浮かんでいた。今日は寺の近くを歩いている。
「長のお香って独特だよね。」
「あぁ。そうだな。」
「すごく怪しそうなとこで買ってそう。」
「すごく怪しそうなとこ?」
仲介の語尾が上がる。
「うん。怪しい紫の煙がふわふわで、商品に勝手に触れると手が吹っ飛ぶみたいな。それで血がぶしゃーって。」
急な気味の惡いことを言いやがった。
「なんだぁ?それは。まぁ、長が言うには店の店主は狐らしい。」
雑用は日に日に口が惡くなっている。
「へぇ。狐にお寺?」
「あぁ。今日の行先。それは置いておいて、お前、口惡くなってないか?」
「そう?」
「まさか、あの敬語野郎に叩き込まれたのか?」
「違うよ。そんなわけ……」
雑用は不機嫌になった。
「はは、そんな顔をしかめるな。」
仲介は、長みたいに僕の頭をグリグリと撫でてくれた。
「おぉ。お客さんかい。」
「えぇ。長に頼まれていまして。」
狐の店主は良い人柄であった。老眼鏡をかけていて、背丈は一間三尺ほどあり、見上げるほど大きかった。
「あぁ、あの旅館の子らかい。ちょっと待ってな。」
いてて、と言いながら奥へお香を取りに行った。
「…………。」
店の中はお香の香りが充満していた。
「そう言えば、長は行きたそうにしていたな……。」
「ここに?」
「あぁ。」
やれ、忙しくて行けないんじゃ。と長に今朝、お香の調達を私に頼んだ。
「いてて。これだね。どうぞ。お代はもう君たちの長に貰っているから、帰ってもいいよ。」
コンコンと狐は咳払いをした。
「ありがとうございます。」
――――――――
寺の境内を歩く。お寺の人がサッサとほうきで葉を掃いていた。
「もみじ……。」
「奇麗だね。」
もみじは波のように、絹の布のように青い葉をなびかせていた。
「…………。」
ジャッジャッと砂利の上を歩いた。
――――――――
今度は寺の塀の外を周った。
「お前は親元に行きたいか?」
「うぅん。いい暮らしができるって言われてるけど、僕はこのままでもいいや。」
「……、そうか。」
「仲介は?」
「そうだな……。私ももういいや。諦めた。」
その諦めは、違う方だと勘づいた。
「なぁ、昨日、私が休んでいた理由、知ってるか。」
仲介は僕の顔を見なかった。ただ、遠くのどこかを見ていた。
「…………。ううん、知らないよ。」
「……知ってるくせに。」
「知らない。」
「知ってる。」
「知らない。」
「旅館中、噂されてるさ。だからお前も知ってて当然だ。」
「……言ったら仲介が傷つく。」
どこかで風鈴がチリンと鳴く。
「じゃあ、あの時の游郭って意味も知ってるなぁ?」
仲介は冗談っぽく笑いながら言った。けど本当は悲しいに違いない。
「知らないよ。游郭って意味"は"。」
「墓穴を掘ったな。やっぱり、私が休んでいた理由を知ってるんだ。」
「…………。」
雑用は私の先を越して歩いた。
「待てよ。」
――
汗が首筋から伝う。
「線香の匂いがするね。」
「あぁ。」
仲介は袖の中に手を入れ、僕の言葉に返事をした。
「お前は、」
僕の名前はお前じゃない。だけど僕は仲介を見た。
「お前は己れが死んだら、線香あげに來てくれるか。」
凮が吹いた。仲介からは死の香りが漂った。
「あげない。」
「なぜ。」
仲介は落胆や失望するのではなく、ただ、雑用に問いた。仲介は雑用に対して、期待もなにも無かったようだ。
「仲介が死ぬなら僕が先に死ぬ。」
小さい体で一生懸命歩いている。
「いや、己れが先に死ぬさ。」
「なんでそう言い切れるのさ。」
「…………。なんとなく。」
雑用は泣きそうな声だった。
「悲しいこと言わないでよ。」
「言ってもいいではないか。」
「仲介は、」
凮が暑い。
「仲介はこの世から居なくなりたいの。」
「…………。いや、もしって話だ。」
「仲介は運が惡いから、そのもしもがほんとになっちゃう。」
「はは、確かにな。」
「笑わないで。」
雑用は私の顔を見た。ひどく、醜い悲しい顔をしていた。眉をひそませて、潤んだ瞳でこちらを見て、ぐしゃっと着物を握って。
「ごめん。」
僕は仲介がいなくなったら。そんなこと、考えたくない。けど、いつか考えなくちゃ。生きているを考えなくちゃ。
「けどあげるよ。線香、仲介にあげる。」
「そうか。ありがとう。どうかそのもしもが來たら、」
仲介はさっきとは違って優しく微笑んだ。
「己れに線香、あげてくださいね。」