表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/47

7.舞踏会の終わりに


雨が降った後か、路面がぬれていた。


靴音をさせ、ノアは歩いた。帰りはいつも大学を出て通りまで行き、そこから行き合えば乗合馬車に乗る。この日はいつもの帰宅時間からずっと遅れた。都合のいい馬車は来ないかもしれない。


(一時間も歩くのか…)


仕事の後でダンスにつき合い、徒歩での帰宅だ。歩く前から足が重くなるのを感じた。


背後から馬車が彼女を追い越していく。何台か過ぎた後で、ある一台が脇に停まった。彼女はそれを避けて歩く。


その時、馬車の扉が開いた。誰かが降りるのが見えた。街灯に照らされ、背の高い影が出来た。


「ノア、君か?」


はっきりと自分へ掛けられた声に、彼女はどきりとした。答えるより前に、声の主が彼女の側に足早にやって来る。


そこでようやくその人がアシュレイだと気づいた。ほっとする。一人の夜道で声をかけられれば、気丈な彼女もやはり怖い。


「一人です。舞踏会に誘われて、今帰りなんです」


「送ろう。来なさい」


促されて、馬車に乗る。彼女を乗せた後で乗り込んだ彼が扉を閉めた。指の節で壁を叩く。それが合図で、馬車が走り出す。


「ありがとうございます。助かりました。いつもと時間が違って、歩くしかないと思っていたんです」

返事がない。


暗い密室の沈黙に、ノアはじんわりと緊張する。


(居丈高ではないけれど、静かに威圧的なのよね、この人って)


けれど、自分を拾ってくれるなど非常に親切だ。


膝に置いた指を組んで窓の外を眺めた。


「ジョシュは何をしているの?」


「さあ。研究室らしいですけど」


「妹を夜一人で歩かせて?」


きつい声にノアはわずかに身をすくませた。たたでさえ硬い空気だ。送ってくれる厚意はありがたいが、非常に居心地が悪い。


「何を考えているんだ、あの男は」


「ジョシュは何も考えていないの。たくさん食べることと古い土から固い虫を取り出すことだけ」


「大学は変人揃いだが、彼も極めつきだ」


「まともな人ばかりに見えますけど?」


「レディの前で取り繕うくらいの知恵は働く」


ノアはちょっときょとんとなる。アシュレイの使った「レディ」が誰を指すのか、咄嗟に分からなかった。


(まさか、わたしのこと?)


しかし、それ以外はない。


驚いて彼を見た。視線が合い、いつかのようにまた彼がついっと目を逸らす。


「君に自覚はないかもしれないが、貴族令嬢だ。それなりの尊敬を受け取って然るべきじゃなかいか」


「先生もそれで送って下さるのですか?」


「え」


ノアが何気なくした問いに、アシュレイは絶句した。口元に手をやり、夜目にもわかるほど狼狽している。


(何かいけないことを聞いちゃったのかしら?)


しばらくの沈黙の後で、彼が低い声で返した。


「知った女性が夜分一人で歩くなど、放っておけないじゃないか」


理想的な外見だけでなく、根っから紳士な人なのだろうと、ノアは納得した。


「先生の妹さんはお幸せでしょうね。頼りになるお兄様が守って下さるのですもの」


「妹はいない」


「あら、残念」


「…姉がいるが、もう他家に嫁いだ」


「ご結婚は?」


彼は首を振って返事に代えた。


これ以上の私的なことを尋ねるのはためらわれた。


会話が尽きた。


(まだつかないのかしら?)


半分廃墟になっている邸だが、今夜は恋しい。意思のある大きな岩とでも同席しているような妙な気分だった。


「一人歩きは止めなさい。特に夜分は絶対にいけない」


急にお説教が始まり、彼女は気取られないよう細くため息をついた。普段はこんなに遅くなることはない。ジョシュの研究室に寄って、都合が合えば一緒に帰るようにしていた。出来る限りの安全は図っているつもりだった。


(こっちは、専用の馬車がお迎えに来るような身分ではないもの)


ひっそり腕を抱いた。


「女性が、あまりにも不用心じゃないか」


「しようと思った訳では…。どうしようもない時もあるんです」


「どうしようもないでは済まない」


「でも、ジョシュは研究室に入ったら、なかなか出ようとしないもの。連れ帰るのも大変なんです。いつもご飯で釣って…」


「ジョシュなんかどうでもいい。あんな大男、放っておきなさい」


「じゃあ、どうすれば?」


それでノアは口をつぐんだ。不毛なやり取りだと思った。


さっき、アシュレイは「大学は変人揃い」と言ったが、


(この人だって、そうかも)


と感じ始めている。彼の意に適う答えをこちらが出さないと満足しない。それをノアに強いているのではないか。


(お偉い人にありがちな、独善的な人なのかも)


彼女が彼へそんな印象を持ったのとほぼ同時だった。


「僕が君を送ることにしよう」


「え」


言葉の意味わからなかった。ノアはアシュレイをまじまじと見つめた。


「それはどういう…」


「ジョシュなど関係ない。僕が君を送れば済む話だ」


「先生がわたしを送って下さるのですか? どうして?」


そこで彼は顔を窓へ背けた。重ねた問いに、少し気分を害したようにも見えた。


そこからは会話が途絶え、ほどなく彼女の邸へ着いた。馬車を下りる際、彼が先に下り彼女が下りるのに手を貸した。


「ありがとうございます」


「明日、君の仕事が終わったら送る。僕の部屋に来てくれないか」


本気だったのか、とまた驚いた。


「そこまでしていただかなくても…」


遠慮や恐縮というより、正直なところ面倒だなという気持ちが大きい。


彼女の反応に構わず、彼は身を翻した。


「待っているから」


そう言葉を返し、馬車に乗り込んだ。すぐに走り去って行く。


お読み下さりまことにありがとうございます。

「続きが気になる」など思われましたら、↓の☆☆☆☆☆から作品への応援をお願いいたします。

ブックマークもいただけましたらとってもうれしいです。

更新の励みになります。何卒、よろしくお願い申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ