6.舞踏会
舞踏会は七時から始まった。ノアは店の片付けもあり、遅れての参加になった。
大学の屋内の運動場をそれらしく設えて会が催されていた。会場は大勢の若者で賑わっている。
飛び抜けた頭がジョシュだ。こういう時は目立っていい。彼女は彼の元へ急いだ。
「やっと来た。来ないかと思ったよ」
「仕事だもの、しょうがないでしょう?」
早速彼はノアの手を引き、目当ての人物に紹介する。ジョシュの学部の学生たちと、挨拶を交わした。
仕立てのいいスーツを着ている学生たちだ。いつかジークが口にしていたが、大学は若い女性のお相手選びのいい場所だ。家柄がよく上品な若者がひしめいている。
(本物のノアにもこんなチャンスがあれば良かったのに)
会話をし、踊る約束を交わした。
ざっと眺めるが、男性は学生ばかり。職員はいないようだった。
「女性も多いのね」
「ほとんど学生の妹か姉でしょうね」
彼女と踊る学生が言う。
(そうなら良家の子女ばかりか)
確かにノアの目から見ても、皆素敵なドレスを身に着けている。彼女のようにソースの飛んだシミをショールで隠している者はいなさそうだ。
ジョシュを豪勢なステーキサンドで釣っただけあって、彼女を見る学生たちの目は憧れで熱っぽく感じられた。
請われるまま彼らの踊りのパートナーにつき合う。ジョシュはどうしているのかと目で探せば、設けられたカウンターでビールをうまそうに飲んでいた。
(誰かにダンスを申し込めばいいのに)
最近はノアが気を配り、服装も見苦しくないように整えてやっていた。髪はもさもさと長いが、風采はぐっと良くなった。顔立ちはノアに似て悪くはない。
(身分なんてどうでもいいから、素敵な人が見つかればいいのだけど。大男の大食いを優しく見守ってくれるような。…難しいか。わたしもいつまでここにいられるかわからないのに)
兄というより、大きな息子を持った気分になるのだった。
立ち仕事の後のダンスだ。元気な彼女も疲労を感じた。ジョシュに断って、帰ろうと思った。探すが、目立つ大男がいない。
「ねえ、ジョシュを知らない?」
「さっき、研究室に戻りましたよ」
「え」
学生の返しにちょっと呆れる。妹をダシにしてステーキサンドをもらっておいて、その彼女に一言もなく、さっさと自分だけ切り上げるのだから。
「別の機会にお誘いしてもいいですか?」
「僕も、従兄弟の展覧会にぜひご招待をしたくて」
デートらしい誘いを受けるが、彼女は返事を濁した。
こんな風に若い男女の交際は始まっていくのだろうと、想像はつく。自分が本物のノアであれば、とじれったく思うほどだ。
(だからといって、わたしがおつき合いをしたって…)
彼らに興味の持てない彼女が一緒に時間を過ごすことは、お互いに無駄だ。娘のピッパより若い彼らと恋愛など、おこがましくもあり、滑稽だった。
もう義務は十分果たした。
会場を出ようとした時、背中から声が掛かった。振り返ると、素敵なスーツを着た若い男性だった。まぶしい金髪がやや面長な整った顔を縁取っている。
「失礼します。『子鹿亭』のノアさんですよね」
「はい」
「僕はこちらの学生のニール・ウィスリーといいます。お願いが…」
またダンスの申し込みかとげんなりした。上品な挙措で彼女へ飲み物を手渡してくれた。何となく受け取ってしまったのは、もの慣れた雰囲気が、他の学生と違ったからだろうか。
拒否を許さないような押しの強さもある気がした。
グラスに形だけ口をつけながら、ノアはどう断ろうかと思案していた。
しかし、予想外の言葉がニールの口から出て、思わず聞き返した。
「何ですって?」
「ですから、あなたにドレスのモデルをお願いしたいのですよ。叔母がデザイナーをしていて、色んなタイプの女性を集めてほしいと頼まれているのです。ノアさんは小柄で華奢で、とても愛らしいから、これまでの女性とはタイプが違う」
「あの、モデルって、具体的には?」
ノアが興味を持ったのを知り、彼は嬉しげに微笑んだ。やはりもの慣れた口調で話を続ける。
身体の採寸をさせてくれれば、その後は叔母が弟子を使いドレスを仕立てる。
「出来上がったドレスをあなたが着て、叔母の催すお茶会に出てくれればそれでいいのです。その場には名流夫人や令嬢が多いから、ドレスの宣伝になります。叔母はその場を発表会と呼んでいます」
発表会で着たドレスは、彼女へくれるという。
彼女は聞き入った。
「もちろん報酬は別途いお渡ししています。ドレスを差し上げるからさほどはお支払い出来ませんが…」
金額を聞けば、『子鹿亭』での十日分にはなる。
労は少なくて、見返りは大きい。
別人格だから客観的にノアを眺めることができるが、確かに美人だと思う。繊細な印象すらある愛らしい見た目をしている。
(ノアならドレスのイメージモデルにぴったりかもしれないわ)
と、突然のオファーに納得できた。
しかし、知らない男性への警戒心もある。
十分心が揺らぎながらも、即答は避けた。
ニールはそれに頷き、深追いはしなかった。
「そうですよね。ゆっくり考えて下さい」
彼は彼女の前に指を示した。その先には可憐な装いの女性がいた。彼が軽く手を挙げると、相手の女性がにこやかに手を振り返した。
「あの女性も以前、叔母のモデルを務めてくれたのです。ちょうどあのドレスだ。文学部のリック・クリプトンの妹さんです。ね、きれいでしょう?」
「そうね、素敵な方。あ、もちろんドレスも」
「いや、いいのですよ。素敵な人にしか僕は声を掛けない。そうでないとドレスが映えないでしょう? だから、叔母に信用されているのです。まあ、小遣いももらっていますけれどね」
ニールは軽く笑って彼女から離れた。
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