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4.雨上がりに


年の頃もその辺りだとノアは納得し、アシュレイというその男性へ微笑んだ。ちらりと目が合ったが、彼がすぐに逸らす。


「ご用意しますね」


カウンター内に戻る。飲み物を用意しながら、聞くとはなしに彼らの会話が耳に入ってくる。


キアヌとアシュレイは大学の理事会の帰りらしい。


「理事会の後によく飲まないでいられるな」


「試問の後で飲む。大してかからない」


「今頃誰が残ってる? えらく時期外れじゃないか」


「ニールだ」


アシュレイの返事に、二人は唸るような声を出した。ノアはテーブルにワインとコーヒーをそれぞれ置いた。ジークが空のグラスを振るので、お代わりを運ぶ。


厨房から帰り支度を終えたジムが、目顔で呼んだ。指差した先に、包みがあった。余った食材が詰まった袋だ。


「持って帰って、ジョシュに食べさせてやって」


「いつもありがとう」


「お先に」


「お疲れ様」


毎日ではないが、消費できなかった料理が出た日は彼女へ持たせてくれる。もちろんジョシュの夕飯にもなるが、彼女も邸の使用人もそれを食べる。


(『子鹿亭』様様だわ)


表に戻ると、テーブルではある学生の進退に絡む重い話が進んでいる。


「それで、譲歩したとして、万年落第生のニールに可はやれそうなのか?」


「かなり譲歩しても無理だ。初歩の数理の基礎を習得していないんだ」


「学位はやれないのか?」


「しょうがないだろう」


アシュレイは飲まないカップの中をスプーンでくるくるとかき混ぜている。それを受けて、キアヌが髪をかき上げた。


「うるさいぞ、父親が。寄付金が莫大だからな」


「よそにやっちまえばいいじゃないか。うちにはお手上げの放蕩者だ。他の可能性を探る時期だとか上手いこと褒め上げて、ごかまして推薦状を書いてやれよ」


「僕は署名しない。やるなら君がやれ」


「俺は学部が違う。担当教授が責任を持てよ」


「父親の方には随分打診してきたんだ。これ以上は責任は持てない」


そこでアシュレイが席を立った。懐中時計を開け、時刻を確かめている。椅子の動く音にノアが目を上げた。こちらを見る彼と目が合った。再びついっと彼が先に視線を逸らす。


(物言いたげというか、わたしに文句でもありそうな目をする人ね)


もちろんノアは表情には出さず、


「またお越し下さいね」


と微笑んだ。


彼はそのままドアへ向かわず、なぜかカウンターにやって来た。彼女の額あたりにを見ながら、


「この前はありがとう。おいしかった」


と告げ、返事も待たずに身を返した。そのまま店を出て行った。


テーブルには口をつけていないカップが残った。それをトレイに乗せると、キアヌが聞いた。


「アシュレイと会ったことがあるの?」


「露店販売で買ってもらったことがあるの。お二人のお友だちなのね」


「大学の同期だよ。キアヌは高等学校から一緒だな」


「一年だけ一緒だった。大学には飛び級で入学した秀才だよ。今は数理の教授をしている。渋々ながら、理事も引き受けてくれた。いいやつだよ、慣れるまではちょっととっつきにくいけど」


「まさに上流紳士って雰囲気。素敵な方ね」


ノアはまんざらお世辞でもなく口にした。ジークとキアヌは顔を見合わせた。


「ノアはいつまで大男の世話をするつもりなの? 自分のことは考えないのかい?」


キアヌの問いは、カウンターの端に置かれた店の余った食材の包みを見てのものだ。ジョシュのために彼女が持ち帰るのを知っているからだ。


「いつまでも何も…。貧乏男爵家の娘なんて、どこも貰い手がないの」


「まわりを見ろよ、ここほど資産家の子弟がウヨウヨしている場所はないぞ。『子鹿亭』の可愛いノアは人気者だ。簡単に相手は見つかるじゃないか」


カウンターに戻り、カップを洗う。


意識が本来の身体に戻れば、ノアの将来はノアだけのものだ。


(わたしは身体を借りているだけ。勝手なことはできないわ)


二人にそれぞれお代わりを注ぎながら、


「学生さんと恋に落ちても、ご両親に紹介、となったら破談になるのよね。持参金もないもの」


と肩をすくめた。


(実際、ノアはどうするつもりだったのかしら? あの大食いジョシュとの生活を続ける限り、古びた邸と共に朽ちていくばかり)



少しだけぱらついた雨が上がり、からりとした天気になった。


ノアはジョシュにサンドイッチを詰めたバスケットを持たせ、広場前に向かった。そこは時間のある学生が寛いでいるため、軽食の売り上げがいい。


「頼むよ、ノア。少しつき合うだけでいいから。お前を連れて来るって、学生に約束しちゃったんだ」


「勝手な約束しないで。大学内の舞踏会なんて面倒だわ。仕事が終わったら帰ってさっさと寝たいの」


「中年のおばさんみたいなことを言うなよ。頼むからさあ」


「学生さんから何か食べ物もらったんでしょ?」


「え。ステーキサンドをさ、大きいのくれたから…」


「もう! 十分食べさせてるのに。条件付きのもらい食いなんてしないで」


「だって、こんな分厚い肉がさ…」


ジョシュが彼女の顔の前で指で肉の厚さを示した。ノアはその手を押しのけ、バスケットを受け取る。


「来てくれるだろ? 舞踏会に。いいだろ?」


「ほんのちょっとだけ。それでいい?」


「うん、うん。わかった。ありがとう。伝えておくよ」


ジョシュと別れ、ノアは露店販売を開始する。


雨上がりだからか、いつもより学生が少ない。声を上げて客を引き、三十分ほど頑張ったが、半分も売れない。


(場所の選択を誤ったかしら? 校舎の中で売るべきだったかも)


ため息が出かけた時、通りを行く見覚えのある姿が目に入った。緋色のマントを腕に掛けたアシュレイだった。ちょっとためらったのち、彼女は声を出した。


「先生!」


と呼び、手を振る。声に彼女に気づいたアシュレイが立ち止まった。ノアを見て戸惑っている。しばらくして彼女の元へやって来た。


「ごめんなさい、お呼び立てして。お昼はお済みですか?」


「…いや、食べてない」


ベンチに置いたバスケットをのぞいている。隣りに並ぶと、ジョシュには及ばないが、彼も背が高いのだと気づく。


「全部もらうよ」


「え」


「学生に配ればいい」


「いいんですか? お声をかけて、却ってご迷惑だったわ」


彼はそれに答えず、ポケットからコインを出した。彼女へ差し出し、


「これで足りる?」


と尋ねた。


釣りを用意しようとして、彼がそれを封じた。


「要らない」


「え、でも…」


「僕がいいと言っている」


強めに返され、彼女はちょっとたじろいだ。端正で貴公子然とした、あまり接したことのないタイプの相手だった。少し腰が引け、やんわりと緊張もする。


「…ありがとうございます」


学生に分けてやると言ったのに、彼はマントを背もたれに掛け、上着を脱いだ。それをベンチの上にふわりと敷いた。手のひらで彼女へ差し示し、


「どうぞ」


と促した。


(座れってこと?)


問い返せばまたきつく返されそうで、彼女はおずおずと上着の上に腰を下ろした。バスケットを挟み、彼も隣りに座った。


お読み下さりまことにありがとうございます。

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