44.ノアとララ
「目が覚めたら、あの家にいたの。頭から血を出していて、知らない女中にお医者を呼ばれたの。しばらくだけ寝込んで、元気になったわ」
「違う人になっていて、驚かなかった? わたしは悲鳴を上げたわ」
「ええ。わたしも。しばらくは死んだと思ったわ。でもそうじゃなくて…、嬉しかった。きれいな家もあって、お金も不自由なくて、友人も家族もいた。みんなわたしに優しかった」
ノアは頷いて相槌に代えた。
「あなたのお店でわたしも働いたの。何にも出来なくて、お酌だけだけれど。それくらいは出来るから。不器用なのも、怪我のせいだって、まわりは思ってくれたみたい」
「貴族のお嬢様にはすぐに無理よ。イーサンとはどこで? わたしは知事だってことくらいしか知らないの」
「怪我を知ってお見舞いに来てくれたの。それから、お店にも顔を出してくれるようになって…」
そこでララは頬を染めた。
「初恋だったのだって。すごく熱心に求婚されて、わたし、嬉しくて何も考えずに頷いていたの。立派な男性に申し込まれるなんて、初めてでのぼせ上がってしまって」
今もその興奮を抱いているようだ。
(イーサンの初恋がララだったなんて)
驚きだが、それ以外の感慨もない。娘を嫁がせ一人になったララは、独り身の彼が妻に迎えるには、ちょうどぴったりの存在だったのだろう。
「お似合いよ、あなたたち。よかったわね」
「ありがとう。こんな幸せが訪れるなんて、考えてもみなかった」
嬉しげに頬を染めて微笑むララを眺め、
「前にあなたに手紙を書いたのだけれど、ここに住んでいて行き違ってしまったのね」
出来事の答え合わせをこんな時に思う。
ふと、ララが瞳を下げた。気まずそうに上目遣いで彼女を見る。
「あの、それ、届いたわ。ピッパが届けてくれたの。でも、わたし、ノアの名前を見て、破ってしまったの、読まないで…。ごめんなさい」
「どうして?」
「だって、絶対、身体を返しに来ると思ったから…。嫌だったの」
ララは子供じみた仕草で首を振った。
ノアはちょっと呆れて吐息した。あの時抱えた大きな悩みを、少しでもララに助けてもらえないかと書いた手紙だった。もうそれも過去のことだ。
(まあ、いい。過ぎたこと)
さすがにジョシュの妹だけあって、身勝手なところはよく似ている。
替わって、ノアは自分に起きたことを、ごく短く簡単に伝えた。仕事をして、何とか大食いのジョシュを食べさせていることだ。
ジョシュの名前が出るまで、兄のことはすっかり失念していたらしい。
「お兄様。お元気?」
今更に聞いてくる。能天気なその問いに、彼女は笑みが出た。
「ええ、元気よ。大学の池を真緑にして、クビになりかけているけれど」
「まあ、大変」
今となっては、貴族令嬢らしい育ちの良さや大らかさが貫禄にもなって、知事夫人もうまく務まっているようだ。
ともかく、近況を交わし合い、互いに納得できた。当たり前だが、初対面であるのに深く知り合っている妙な絆を感じる。他人とは思えない。
「ねえ、ララ」
「なあに?」
「わたしね、あなたと会ったら、意識が瞬時に元の身体に戻っちゃうのじゃないかと考えていたの。そうじゃないみたいね。どうやったら、元に戻るのかしら?」
「ノアだったわたしは死んだの。嫌よ、戻るのは困るわ。…あなたには悪いけれど」
ララは迷惑そうに身を引く。腕を抱き、彼女から顔を背けた。
「わたし、お腹にイーサンの赤ちゃんがいるの。無理よ、元になんか戻れない」
「え。そうなの?」
「ええ。まだ目立たないけれど、イーサンもすごく喜んで、今から待ちわびているの」
先ほどの睦ましい二人の様子から、ララは夫にとても愛されているのは見て取れた。
ノアはララの方へ身を乗り出して、固く自分を抱く腕に触れた。
「おめでとう。お産は大変だけれど、頑張ってね」
「ありがとう…。でも、あなたはいいの? 会いに来たのは、元に戻る方法を見つけたからではないの?」
彼女は首を振る。
意外な展開が続き、驚いた。
(てっきり、若いノアの身体を返せと迫ってくると思っていたのに)
と、拍子抜けした気分だ。
「わたしもララと同じよ。もうノアとして生きているの。会いに来たのは、身体を借りたままでいいのか、疑問に思ったから」
ララの意見は確認した。ノアだって反論はない。
ララの幸せは嬉しい。もっと本音を言えば、ほっとしてもいる。そもそも、戻りようがないのも事実だった。
「わたしは借りた意識もなかったわ。だって、生まれ変わったみたいに感じていたから…」
ララの言葉に彼女ははっとなる。「ノアのわたしは死んだ」とも言っていた。その意識でいるから、ララは望みのままに結婚もし、妊娠もした。彼女の意見を聞くなど、考えもしなかった。
それは自分本位なのではない。生まれ変わったつもりなのだから、自分の人生を好きにしたまでのことだ。
なら、
(わたしも、そうしてもいい)
入れ替わった時点で、それぞれの前の自分は消えた。単純に簡単に。その認識だけでいいのかもしれない。戻れるのなら、とうに戻っていてもおかしくはないはず。
(あるのは、これからの自分だけ)
もしかしたら、
(魂があるべき本来の身体に、還っただけのこと)
だから、ノアもララも互いに自分を生きていられている。
真実はわからないままでも、その思いはひどく腑に落ちた。心の重荷が外れ、肩から力が抜けそうになる。知らずに身体も心もこわばらせていた。
(このままでいい)
ほっと大きく息を吐いた彼女へ、ララが問う。
「自分のことばかりでごめんなさい。ノア、あなたは幸せなの? ブルーの家は貧しくて、大変でしょうに」
「働くことは好きだから、平気。ジョシュと相談して、家宝を売却して邸の借金を返したわ。残った費用を充ててティールームを開いたの。結構人気で、毎日が楽しいわ」
「まあ。すごいわ。あの環境を楽しめるだなんて。それに、お兄様がそんな頼りになるだなんて、知らなかった」
実際は、許可をもらっただけだ。後はアシュレイの計らいで、ハークレイがすべて処理をしてくれた。
その後、館を辞そうとした彼女に、ノアが泊まるように勧めてくれた。確かに宿の予定もなく、とても助かる。その夜は館に宿泊し、翌日はメイドの希望で観光に充てることにした。
イーサンが馬車を用意してくれ、それに乗り、オーブリーの城を観光客に交じり見学する。
昼食はピッパの店で取った。ノアが母の友人と知ると喜び、椅子にかけて話し込む。
「母ったら、怪我の後遺症かしら、人が変わったみたいにのんびりおっとりしちゃって。それがイーサン継父様にはかわゆいらしいの」
彼女はふうんと応じた。
イーサンは少年の頃、ララの容姿に恋をしたのだろう。再会し、彼が求婚するまで至ったのは、今のララが可憐でしとやかな性格であるからに違いない。そこに強く惹かれた。
(中身がわたしでは、そうはならない。今のララの魅力よ)
と、内心思う。
「二人が幸せならいいじゃない」
「だけどね、ノア。わたしが店の経営で悩んでも、「まあ、大変ね」しか返ってこないのだもの、気が抜けるわ。前の母なら、もっと気が利いたことを言ってくれたのに」
ピッパの軽いぼやきに、ノアは彼女の手の甲をぽんと軽く打った。
「あなたなら、もう大丈夫よ」
ふとピッパの視線を感じ、ノアは素知らぬ顔をして水を飲んだ。つい、母親の自分に戻ってしまった。
(本音がもれたわ)
楽しい食事を終え、馬車の人となった。
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