43.ララ
テーブルにグラスが置かれた。
「わたしに何か?」
声に、彼女は顔を上げる。彼女が見たのは娘のピッパだ。ふっくらとした頬をした快活な美人で、ララによく似ていると評判だった。
「あの、ララさんは? お宅で、女中さんから奥様はこちらだって聞いたのよ」
「あら、母に会いにいらっしゃったの? 母はもう店に出ていないのです。代わりにわたしが。あの家はわたしが夫と住んでいるの」
「え」
瞬時、自分を襲った強盗を思い出す。あの怪我がひどく、どこか病院で療養しているのかと考えた。
「お元気なの?」
「はい。お会いになるのでしたら、店の通りをずっと古城の方へ…」
「オーブリーの城ね」
「あら、ご存知? この辺の方じゃないと思ったのに。母はその辺りの一番大きなお屋敷にいます」
傍目にもわかるほど彼女は怪訝な顔をした。オーブリーの城の辺りで一番大きな屋敷といえば、ノッティングの知事の館だ。大地主で資産家としても名を知られている。
ちなみにノッティングの知事はララの学校時代の同級生だった。向こうは格が一個も二個も上の家柄だったので、仲良くもならなかった。相手は卒業と同時に都市へ進学するし、ララは土地に残り、その後結婚という流れになる。
(そこでお手伝いでもしているのかしら?)
客に呼ばれたピッパがテーブルを離れ、ノアはメイドと一緒にビールを飲んだ。夕飯はここで取ろうかと考えた。
元気そうなピッパを眺め、それだけでも旅の意味はあったとしみじみ思う。
店を出て、教えられるまでもなく、知った道を歩く。二十分も歩いて館に着いた。お手伝いを訪ねるのは裏口の方がいいかと、庭を横切った。
そこで、ある紳士とぶつかりかけた。相手が距離を取って詫び、彼女もすぐに頭を下げた。それが、ノッティングの知事だった。
(イーサンだわ)
恰幅良くなり、威厳も備わったが、少年の頃の面影は残っている。
「失礼ですが、我が家のお客様ですか?」
「はい、何のお仕事をしているかわからないのですが、こちらの使用人の方に会いに」
「名前は?」
「ララですわ」
彼女がそう言うと、相手はくすっと笑った。何がおかしいのかと、彼女は不審に思う。
「失礼続きで申し訳ないが、あなたとララでは年が開いていますね。どんなお知り合いでしょう?」
「…旧友ですわ」
答えながら、彼はララを知っているのだと、胸がざわめいた。間違いなく、この館に本物のノアがいる。
「こちらへどうぞ。お連れしましょう」
思いがけず、イーサンが彼女を案内してくれる。子供の頃はろくに話もしなかったから、人となりをよく知らない。
(勉強ばっかりしている印象だった。お父様の後を継ぐのだもの、しょうがないわよね)
庭の露台から窓を開け、中へ導いた。照明が灯されるには早く、やや中は薄暗く感じた。しかし、その広々とした部屋は美しく整っていた。
彼女らをその部屋に置き、イーサンはドアを開け、廊下へ大きく呼ばわった。
「君! こっちへ来ないか」
勧められた椅子に掛け、おずおずと待つ。飲み物を聞かれたが、遠慮して首を振る。ビールを飲んだ後だ。
「なあに、あなた」
声がした。開いたままのドアから姿のいい女性が現れた。金髪の髪を緩く巻き上げ、ドレスの上には長い絹のショールを肩に流していた。
(ララ!)
相手の方でも彼女に気づいたはずだ。固まったように動かずにいた。
イーサンはララの手を引き、彼女の腰へ手を回した。
「お嬢さん、あなたのお探しのララはわたしの妻ですよ。使用人ではない」
ララは彼女を見ずに、夫へ向き、
「二人で話したいから、あなたは席を外して下さらない? 今夜の夜会の準備もなさって」
と優しく囁いた。
夫は頷き、妻の頬に口づけた。彼女らへ声をかけると部屋を出ていった。
ララと向き合って、どれだけか沈黙が続いた。
「お庭を見せていただいたら?」
と、メイドを外へ出した。
ノアはほっと息を吐く。対面したララは、落ち着かない様子でうつむいていた。
「あなたきれいね。わたしって、そんなにきれいだったかと思うほどよ。幸せなのね」
「え」
顔を上げた彼女がノアの目に会い、また瞳を下げた。
「そんな顔しないで。話が出来ないから」
「怒っているのじゃない? あなた」
「まさか。知りたいだけよ。ララにどんなことがあったか、先に聞いてもいいかしら?」
ララは頷いた。
ショールで自分を抱きながら話し出す。あまり彼女の目を見ない。ノアとは違い、かつての自分を凝視したくないのかもしれない。
(自分から死を選んだほどだもの)
殺したはずの自分の幽霊を前にした気分なのかも、とも思う。
見た目はともかく、中身はピッパと変わらない年齢だ。更に社会経験もない。逃げ場もなく、内に入り込んでしまった精神状況は、厳しいブルー家を知るノアなら理解もできる気がした。
お読み下さりまことにありがとうございます。
「続きが気になる」など思われましたら、↓の☆☆☆☆☆から作品への応援をお願いいたします。
ブックマークもいただけましたらとってもうれしいです。
更新の励みになります。何卒、よろしくお願い申し上げます。




