34.王宮
アシュレイが王妃のサロンに現れたのは、王が退室してからだった。
サロンには王妃とジュリ王女、弟のリアム王太子がいた。挨拶の後で、末席に彼が座った。王妃は彼の亡母の妹で、叔母に当たる。
お茶が供された。テーブルに並んだ茶菓子に見覚えがあった。王女に勧められて、また夕食を抜いていたため、遠慮なく手を伸ばした。口に入れるまでは、何も考えなかった。
食べてすぐだ。
(え)
思考が止まった。
以前、探偵からノアの作った菓子だと渡されたものと、形だけでなく味も同じだった。
「どう?」
王女に問われ、彼は狼狽えながら頷いた。彼が知らないだけで、ノアの作った菓子はよくあるものなのかもしれない。
「大変おいしいです」
「ね。お父様もたくさん召し上がったわ」
王妃主催の園遊会の話題が始まった。王宮の庭で開かれる大規模なものだ。ほぼ毎年開かれるそれに、彼は王太子の側に控えることが常だった。
王妃が彼へ小さな合図をした。彼はそれに応えて頷く。ジュリ王女の婿候補の最終調査の件だ。今夜やって来たのもそのためだった。
「夜も更けたわ。そろそろ部屋にお戻りなさい」
王妃の声に、王太子は素直に従った。病弱気味で若干幼いところがあるため、母親の言葉には従順だ。対して、健康な姉王女は子供扱いに不満のため息をもらした。
二人を立って見送った後、彼は王妃に報告を済ませた。
婿候補は三人にまで絞られていた。園遊会では内定した婚約の下披露が出来れば、との王宮の意向があった。
「どの方にも傷なんてないのに、粗探しのようで嫌だわ」
そこへ王が戻り、改めてアシュレイは調査の結果を報告した。王女の意向を聞くということで落ち着き、彼はほどなくして御前を辞した。
そのまま帰るつもりだったが、何となく気がかりで、王女の宮殿へ足を向けた。サロンへ向かう途中で、侍女長のクラリスに会った。王女への取次ぎを頼む。
「お休みだったら、構わないんだ。失礼するから。名前も残さなくていい」
九時を回っている。普段なら、クラリスは両親等王族以外の取次ぎはしない。所用でどうしても今日中に王女の意向を確認したいと迫る女官らにも、ニベない態度を取るのが常だった。
「少々お待ちになって。今、ジュリ様へ声をおかけして参りますから」
親しみを込め、微笑みを浮かべて応じる。
他の侍女らが見れば、アシュレイへの好意が露わなのだが、残念ながら彼は気づかない。
許可があり、サロンに通された。
彼の姿を見て、王女はちょっとうんざりとした表情を見せた。
「お母様から何かお言付け?」
王女にも、自分の婚約の内定が急がれている気配はわかる。母親から彼女に言い含める任を授けられ、彼がやって来たのだと勘繰っているらしい。
アシュレイは首を振った。
「そう、ならいいわ」
王女が座るのを待って、対面に掛けた。
「お飲み物をご用意致しましょうか?」
「いいよ、ありがとう」
「わたしにはワインをちょうだい。アシュレイもつき合って、いいでしょう?」
彼の返事も待たずに、クラリスへグラスを二つ用意するように命じた。ほどなく、クラリスが自ら盆にボトルとグラスを載せて戻ってくる。彼女からそれ受け取った彼が、王女のグラスを満たしながら、
「いつも姫のサロンは賑やかなのに、夜は静かだね。クラリス、君だけかい?」
と、声をかけた。
「ええ、若い者は晩餐の後には下がるようにしています。朝も早いですから」
「でも、朝が早いのは君も同じじゃないか」
彼の返しに、クラリスはしとやかに微笑で応えた。王女にもやっぱり侍女長の心が透けて見えるようで、さっさと彼女を下げた。
アシュレイは王女を前に、彼女への問いをためらった。
(知ってどうするんだ)
他愛もない偶然をわざわざ確かめる愚かさに、今頃気づいた。
(少しだけ酒につき合い、すぐ辞去しよう)
旨そうにグラスの酒を飲む王女が、妙なことを言い出した。
「叱らないって約束するのなら、打ち明けるわ」
「それはひどい。内容による」
「わたしに害はなかった。これでいいでしょう。誰も傷つけていない」
「何ですか? 姫の打ち明けごととは」
「今日ね、ある場所へ行ったの」
王女が続ける話に、彼は相槌を打つことを忘れた。瞳を下げ、テーブルに飾られた花を凝視していた。
侍女らと共に『ブルー・ティールーム』という店に出かけたと言った。知らない若い紳士とゲームをしたり話したりししたという。思い出を語りながら、午後の冒険がよみがえるのか、王女の表情は華やいで見えた。
「楽しかったわ。そこで食べたお菓子がとてもおいしかったから、買って来たの。さっきのお茶であなたも食べたでしょ、あれよ」
「…忠義者のクラリスが知れば、何と言うか」
言葉に困って、小言を口にしてしまった。王女が打ち明けてくれたのは、彼なら秘密を共有してくれるはずという信頼からだ。苦笑しながらも、微笑ましい冒険と見逃してくれると信じていたからだ。
王女は彼の苦言に、すぐ唇を尖らせた。
「嫌なアシュレイ。爺に似てきたわ」
爺とは王女の執事で、彼女を実質的に育てた人物だ。王夫妻からの信用も厚く、今も王女のお目付役として存在している。
王女の言葉通りだと思った。謹厳で堅くどこか時計を思わせる爺は、自分の将来の姿に思えた。
「確かに。僕はきっとああなる。リアム様にも、じき厄介がられるようになるんだろうな」
「嫌よ。止めて。どうかして?」
「何も」
儀礼的にワインに口をつけた。そろそろ辞去しようと思った。胸が騒いで、余計なことを口にしてしまいそうだったから。
「ねえ、聞いて」
「何を?」
「オードリーに会いたい?」
「え」
王女はまっすぐ彼を見ていた。
(オードリー)
亡妻の名を耳にするのはいつ振りだろう。邸の者も友人も、彼の前で決してその名を口にしなくなった。
音で聞くと不思議な気がした。ひどく他人行儀だ。かつては、失ってからも分身のような思いでいたのに。
久しぶりにその名を突きつけられて、平生でいられる自分に驚いた。
(もっと狼狽えたり、拒絶したくなると思ったのに)
それは意外な発見だった。
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