30.オードリー
ハークレイは小さく笑って、アシュレイの返答を流した。それから求められていた報告を済ます。邸に関わるものが一つと、そうでないものが一つ。
「今回いただいた三名のうち、この子爵家の方だけはちょっと…」
「何か問題が?」
「ご本人はいたって真面目です。ただ、父上がよろしくない。借財も多く、王女様とのご婚約は、王室からの下賜金を目論んでではないでしょうか。降嫁なされてのち、王女様が金の蔓になっては大変です」
「そうか。本人は優秀なのにな」
王女の婚約者候補の調査だった。王室が先に済ましているが、それを更に精査するのが彼の役目だった。邸内のトラブルは表面化しにくく、根が深いものもあり再調査は怠れない。
身辺を厳しく洗い、その合格者の中から両親が選び、周囲にもはかる。最後に事後報告のように王女の意見を聞く。ほとんど否やはない。これが王族の結婚だった。
調査書を受け取り、彼がそれを鍵のかかるキャビネットにしまう。ハークレイの調査は念が入り正確だが、その分際どいことも行なっている。銀行残高など、普通は知り得ない。人目に触れることは絶対にあってはならない。のち再読し、燃やしてしまうことが常だ。
「…その、元気なのか?」
鍵を胸の内ポケットにしまい、彼はそっけなく尋ねた。
「何と?」
ハークレイはカップのお茶を飲み、楽しげな目で彼を見返している。その表情に、アシュレイは内心むっとする。
(わかっているくせに、こいつ)
黙っていると、探偵も黙ったままだ。根負けして、彼がもう一度聞いた。
「彼女は、ジョシュの妹のノアは元気なのか?」
「ジョシュの妹…」
ハークレイはうつむいて笑いを噛み殺している。
彼がむっつりと腕を組んでいると、笑いを収めたハークレイが頬に笑みを残したまま言う。
「あのお嬢様は実に面白い方ですね。閣下が特にお気に入りになるのも頷けますよ」
彼はもうそれには応じなかった。何か言えば、すべてが「お気に入り」につながる。そうからかわれるのが、彼にはひどくくすぐったい。照れ臭くてたまらない。
「出会い茶屋を始められましたよ」
「出会い茶屋? 何だそれは」
「ああ、上つ方にはおわかりにならないか。男女が色恋目的で出会う店ですよ」
「は?!」
「店がオープンして三月になりますが、なかなか評判のようですよ。ご心配なく、いかがわしい店ではありません。男女それぞれが数人で入店し、中でグループを作って他愛ないゲームをするだけです」
彼はいつしか手で口元をおおっていた。狼狽えたり、焦ったりした時の癖だ。
「ただのティールームでは資金の無駄になると、老婆心ながら苦言するつもりでしたが、そんな必要もなかった。生き生きと、実に楽しそうに過ごしていらっしゃいますよ」
「そうか…」
「見た目はごく可憐なご令嬢なのに、何とも逞しくてしたたかなところもある方だ。閣下への近づき方も自然で、作為臭さがない。実に巧いやり口だ」
ハークレイに言葉に、心の弱い部分を踏まれたかのような不快さが走った。ついかっとなり、普段になく、低い怒鳴り声が出た。
「彼女を侮辱するな」
そうしてしまってから、
(しまった)
と悔やんだ。目の端に、またも嬉しそうに微笑む探偵の顔が映る。
「もういい。彼女のことは」
顔を背けた。
報告を終えて、ハークレイが下がった。
一人になり、タバコをくわえてマントルピースにもたれた。その彼の視線のちょうど先に、壁一面の書棚がある。ぎっしりと並ぶ本の背に混じり、あるものが目に入る。それは銀製の鳥だ。くちばしに金の小枝をくわえ、羽と目に宝石を使ってある。
それを彼はハークレイを通じ、ノアの家から買い取った。敢えて市価より倍以上の値を提示させた。祖父の代から市場に出た家宝の収集は行なっていた。裕福な貴族の行いとして、尋常なことだ。
しかし、彼にはその趣味もなかった。あるものを適当に所有しているだけで、把握もろくにしていない。
なのに、彼女から家宝を売りたいのだと相談を受けた際、すぐに自分が買おうと決めた。とびきり高く買ってやろう、と。彼にはそれが容易いことだし、まるで自分の義務かのようにも気負い込んだ。
売買が終わり、ハークレイから、彼女がひどく喜んでいたと聞いた。心が温かくなった。彼も嬉しかった。
「お名前を出されては? 恩に感じていただく方が、ノア様には印象深いでしょうに」
一言が余計な探偵はそう進言したが、彼は首を振った。自分の名を出すことは許さなかった。
(彼女との距離を詰めるべきではない。実際的にも心理的にも)
彼はそう戒めていた。
数ヶ月前の朝だ。家政婦のセレストに叩き起こされた。
「お庭へ。お早くお庭へお出まし下さい。一刻もお早く!」
叱りつけるように言葉を浴びせかけられ、寝ぼけた頭で、そのまま階下に下りた。休日の朝など、彼がパジャマでうろつくのは邸の者は見慣れている。ふらふらとセレステに急かされて、何も考えずに庭に出た。
ひんやりした芝の感触を直に足の裏に感じた。靴くらい履いて来ればよかった。そんなことをぼんやりと思った時だった。
温室から少し離れた邸側の庭に、彼女がいた。懐かしい、記憶のまま。そのままの姿で彼女がそこに立っていた。彼には子供用にも見える小さめのレインコートを羽織り、手の棒っ切れを振って遊んでいる。結わない髪が、朝日を浴びてきらきら輝いて揺れていた。
(オードリー)
彼が心の中で叫んだ時、彼女が彼を見た。目が合う。そこで彼は夢から覚めた。
(違う。オードリーじゃない。彼女だ、ノアだ)
何に怒っていたのか、わからない。彼女がオードリーではないこと。オードリーがいないこと。自分にオードリーの錯覚を見せ続ける彼女。
(そんなことをずっとずっと考えている自分)
朗らかに何か話した彼女へ、苛立ちで、彼はひどい言葉を投げつけた。
「帰ってくれないか」。
「君がいていい場所じゃない」。
彼女はその言葉に、傷ついたような表情をしていた。すぐにその場から消えた。
彼は悄然と立ち尽くした。
興奮した面持ちのセレステの言葉に我に返った。
「お庭でのご様子など、瓜二つでございます。あんなに似た方がいらっしゃるなんて」
どこか夢心地のセレステへ、彼は八つ当たりのように返した。
「それを僕に見せて、お前は何がしたいんだ? 似ているからどうなんだ? 彼女は別人だぞ」
「だからお好きなのでしょうが!」
家政婦も負けていない。
「馬鹿を言うな」
それきりで、邸に入った。休日に目覚めるのは早過ぎる。今頃二日酔いがやってきた。頭が痛んだ。
「お朝食はどうなさいます?」
「要らない」
「お昼前にはお起こし致しますからね!」
家政婦の言葉に返事をせず、もう一度寝室に引き込んで、ベッドに潜り込んだ。いつも一緒に寝る猫が、じゃれて彼の足を噛んだ。
「あっちへ行け、グリ」
亡妻の形見の猫は、不平げに鳴いてから彼の足元に丸まった。
のち、御者に尋ねれば、酔い潰れた彼が、困った彼女を無理やり邸に泊めたと説明された。
(その辺りは記憶がない)
彼の場合、酒を過ごしても寝入ってしまうだけだと知っていたため、
(まあいいだろう)
と、彼女の前での失態を深く考えずに済んだ。彼女の膝枕で眠り、手を握って離さなかったなど、彼は知らない。
きつい言葉を突きつけた罪悪感は残った。詫びようと、何度も花を贈りかけた。けれども、そうして何になるのか、と自問してしまう。
会うこともなくなった女性だ。彼女はきっと彼の言葉を拒絶と受け取ったはずだ。どうしようもない。
(それでいいじゃないか)
お読み下さりまことにありがとうございます。
「続きが気になる」など思われましたら、↓の☆☆☆☆☆から作品への応援をお願いいたします。
ブックマークもいただけましたらとってもうれしいです。
更新の励みになります。何卒、よろしくお願い申し上げます。




