26.拒絶の言葉
朝、ノアは目覚めた。
時計を見ると、七時をいくらか過ぎている。ベッドを飛び出した。急いで身支度を整えた。必要ないのだろうが、ベッドの乱れや部屋の様子をチェックする。
検めてから、部屋を出た。もうすでに人の気配があった。使用人らの仕事がもう始まっているのだろう。
階下に下りたところで、メイドに見つかった。
「お朝食をご用意いたしました。朝の間へどうぞ」
「いいわ。もう帰ります。ご迷惑だから」
「お嬢様にはご朝食を召し上がっていただくように、セレストさんからしっかり言い含められております」
若いメイドは彼女の目を見て言う。その目は懇願するようでもある。彼女が朝食を食べずに帰ると、このメイドがセレストからお叱りを受けるのだと、わかる。
(セレストさんって、きっと昨夜のあの年配の家政婦ね)
家格の高い家柄では、客への歓待が邸のルールなのかもしれない。と、彼女は思った。
「でも、わたしはアシュレイ先生が寝ぼけてご招待下さった客だから、いいのよ。起きられる前にお暇しないと」
「旦那様はこんな早くには、絶対にお目覚めになりません」
「そうなの…」
「はい」
押し切られる形で彼女はメイドの案内で、朝の間に入った。朝食用の小食堂で、窓から明るい陽の光が燦々と差し込んでいる。椅子を引かれて、席の一つに座った。
コーヒーが運ばれる。香りのいいそれは嬉しく、つい手が伸びた。
食事が進んでも、確かにアシュレイのやって来る様子はない。
すぐに満腹になり、席を立った。
「ごちそうさま。もう帰るわ」
給仕をしてくれたさっきのメイドに声をかけた。これ以上の長居は出来ない。
そこへ昨夜の家政婦が現れた。
「おはようございます。ご朝食はお口に合いましたでしょうか?」
「ありがとう。とてもおいしかったわ。もう失礼しないと」
「さようでございますか。では、馬車を用意いたしますので、少々お待ちを」
「あら、いいの。明るいのだし、歩いて帰るわ」
「それは…」
なぜか家政婦は表情を硬くした。
「お嬢様を歩かせてお帰ししたなど知れば、旦那様はきっとお怒りになります」
「黙っていればいいいのではない?」
「いえ、なりません」
頑なに首を振り、彼女を部屋の外へ促した。
「庭の花が美しい時期でございます。ご覧になって、ほんの少々お待ち下さいませ。直ちに馬車を正面に回しますので」
「本当いいのよ。歩くことは慣れているの」
「そうでございましても、ここはお譲りいただかなくては」
揺らがない調子で、やや強引なほどに彼女を庭へ導いて行く。彼女はあきれながらも、この頑固な親切はアシュレイにも通うようでおかしくなる。
(こういう人の側で育ったのならば、頷けるわ)
通された庭は、緑の中に花があふれる美しい風情だった。
「あちらが温室になっております」
家政婦の指す方には、邸の一部と接したガラス張りの建物が見えた。丹精された庭の花々に目を留める。以前、彼女が暴行を受け、養生していた際、アシュレイは日々大きな花束を邸に送り届けてくれた。
(あれは、この庭に咲いたものなのかも)
清々しい庭の風に頬をなぶられながら思った。
「一時、旦那様が花束を贈られることがございました。ノア・ブルー様とおっしゃるご令嬢で。もしや、あなた様はそのノア様では?」
自分の思いを読まれたような問いだった。彼女の胸がざわめいた。だが、その花の手配などをしたのがこの家政婦なのだとすれば、尋ねてみたくなるのもおかしくないだろう。
「ええ、ノア・ブルーです」
「そうでございましたか。やはり…」
「具合を悪くしていた頃のことで、いただいたお花がとても嬉しかったわ。アシュレイ先生はとてもご親切な方ね」
「具合とは、ご病気でも?」
「いえ、わたしは先生のいらっしゃる大学で働いているの。貧しいものだから。カフェテリアの店員よ。そこで怪我をして…」
彼女は彼の邸の家政婦の前で、困窮した暮らしぶりを打ち明ける体裁の悪さを感じた。黙り込んだ家政婦の佇まいにも、無言の威圧を感じてしまう。おそらく、彼の周囲の女性の中で、一番自分がみすぼらしい。
そんな自虐な思いに、小さくため息が出る。
(早く帰りたいわ。望まれない珍客の相手など放っておいてくれたらいいのに。何で、つき添っているのかしら)
そこへ、不意の雨が降り出した。
「ああ、いけません」
家政婦は素早く動き、温室からレインコートを持って来た。彼女へ着せかけてくれながら、
「にわか雨ですわ。ほらもう、雲から日がのぞき始めて…」
コートはゆき丈が驚くほどぴったりだった。庭の散策用のもので、身幅から女性用とわかる。
使用人が使うものではないだろうから、
(彼のお姉様がわたしみたいな小柄な方なのかもね)
とちらりと思った。
ふと視線を感じた。家政婦が彼女じっと眺めている。敵意こそ感じないが強い眼差しで、居心地が悪い。
「あの、何か?」
「…失礼致します。馬車の用意を見て参りますから」
彼女の返事も待たず、家政婦は身を翻した。
一人になり、彼女はぶらぶらと広い庭を歩いた。少し足首がくたびれるほどそうしていた。
(まだかしら? これ以上は待てないのだけれど)
先ほど家政婦が去った方を焦れる気持ちで見る。落ちた枝を拾い、何となく振りながら歩いた。飽きて下に放った。
顔を上げた先に彼がいた。アシュレイだ。着替えもせず、パジャマにガウンを羽織ったままの姿で、髪も寝癖だらけだった。更には足は裸足だった。
そんな様子で、立ったまま彼女を見ていた。
(いつからいたの?)
彼女は驚いたがすぐにお辞儀をした。
「おはようございます」
「君は…」
「覚えていらっしゃらない? 先生、馬車で眠ってしまって、起きなかったの。寝ぼけていたと思うけど、泊まっていけとおっしゃるから、ご厄介になったんです」
彼は返事なのか、何かつぶやいたが、彼女に聞こえなかった。
それにしても、だ。
(振る舞いが極端な人ね)
彼女の知るアシュレイは、完璧な紳士の装いを崩さない。なのに、邸ではパジャマ姿で裸足のまま外を歩く人だとは。
そちらは見ないようにして、彼女は花に目をやった。
「とてもきれいなお庭ね。こんな場所なら歩くのも気持ちがいいでしょうね」
「帰ってくれないか」
「え」
突然そう突きつけられて、彼女はまず面食らった。今までの彼の態度とは違い、驚いた。すぐに返事を出来ずにいると、
「君がいていい場所じゃない。出て行ってくれ」
被せるように冷たい言葉が降って来る。さすがのそれに、彼女は頬を打たれたように感じ、思わず身がすくんだ。
視線が下がる。
「ごめんなさい。ご迷惑ね、すぐお暇するわ」
それを挨拶に、身を翻した。
彼の言う通りだと思った。
(わたしがいていい場所ではない)
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