23.『小鹿亭』の夜
久しぶりの大学だった。
ノアは新しいドレスに身を包み、目的の場所へ向かった。この日はキアヌの結婚パーティーだった。彼女も招待を受け、やって来た。
(大学で催すなんて)
と彼女には意外だった。場所は旧『子鹿亭』で、親しい友人らが招かれているという。ジョシュも招かれたが、研究室に用があり、遅れての参加になった。
店の前は花が飾られ、パーティー会場らしい華やかな雰囲気だった。薄暮時で店内の照明がまばゆく窓からもれていた。すでに賑わいだ様子がうかがえる。
なじみあるドアに手をかけた時、背後に人の気配があった。招待客だろう、と振り返ると、アシュレイだった。
その姿に、彼女は胸がどきんと鳴るほど驚いた。
しかし、当たり前だ。キアヌと彼は古い友人だ。この会に招かれて至極当然だった。
彼は彼女に、帽子に手をやり挨拶した。代わって、ドアを開きかけた手を彼女が抑えるように止めた。
彼には伝えなくてはならないことがある。店に入ってしまっては、会話の機会もないかもしれない。
「先生、少しだけいいですか?」
「え」
先に立って、店からやや離れた場所に行った。彼はその後をついて来る。
彼を前に、彼女はまず以前贈られたドレスの礼を口にした。今日着ているのがそれで、これがなければパーティーに着てくるものがなかった。
(ノアの亡くなったお母様のものがあったけれど、傷みもひどかったし)
彼はそれに瞬くだけで、返事もしなかった。
「あの…」
彼はためらった彼女の言葉を急かさなかった。たっぷりの間があったが、丁寧に待ってくれた。
「前にお話しした…、あの…」
「え?」
彼女は彼の腕をそっと引き、背伸びをして彼の耳に唇を寄せた。それでも届かず、意図をくんだ彼がやや屈んでくれる。
心は逞しい彼女も、往来で口にするのはさすがに羞恥があった。
「妊娠していなかったの」
それだけを告げ、すぐに彼から離れた。
「先生にはお伝えしないと、と思って。お騒がせして、ごめんなさい」
「そう…」
あきらめ切った頃に月経があり、それも十日ほど前に終わった。顛末のあっけなさに、一人慌てまくった自分が恥ずかしい。
本物のノアに宛てて書いた支援を申し出た手紙も、返事が来ずじまいだが、改めて書き直すこともしなかった。
(あんな手紙をもらって、ノアだって、返事を迷ったのかもしれないわ。郵便の事故だってないことはないし)
「それじゃあ」
店に向かおうと、身を翻した彼女の手を彼が取った。自分の手の中に包むように握った。
(え!?)
彼を見ると、前を向いたままだ。
「どうしているのだろうと考えていた。よかった、本当に」
「…ありがとう」
彼は手を離さなかった。ドアを開けるためにやっと手が解かれた。何となく連れ立って店に入る。
懐かしい『子鹿亭』はパーティーのため美しく飾られ、見違えるようだった。至るところに花があふれ、結婚を祝う場にふさわしく見えた。お仕着せの給仕も何人もいる。テーブルには様々な料理がいっぱいに並んでいた。照明に磨かれたグラス類が輝いている。
(これはお金をかけたわね)
場所は学内のカフェテリアだが、内装ももてなしも豪勢だ。この場を選んだのは、理事であるキアヌの大学への愛着と趣味からだろう。
新郎新婦に挨拶をして、気づく。場にはマスターの姿もあった。嬉しくなって、彼女はすぐに側に行った。元気そうだ。軽く抱き合って再会を喜んだ。
ジークもいる。手を振ると、アシュレイと何か話しながら応じてくれた。店内だけでは狭く、客が揃う頃にはドアを開け放し、店の前にもテーブル席を設けた。
移動する時、彼らの話がふと耳に入った。
「それで、ニールの父親は納得しているのか? ひどい怪我なんだろう?」
「納得も何も、事実なのだから。銃に不慣れな息子がしでかした自損事故だ。親父殿も矛を納めるしかない。容体は深刻らしい。花を送っておいた」
「もう家を継ぐのも難しいだろ」
「下に弟がいて、こっちはおとなしくて出来がいい。父親の関心はすでにそっちに移っているようだ」
「世を舐めた気にくわないやつだったが、何とも哀れだな」
ニールという男が大怪我を負ったことを話していた。彼女は同じ名の学生に危うく騙されるところだった。
(まさかあの彼?)
ジークの嫌悪感丸出しの言葉が、彼女の知るニールを指すように思えた。ジークは彼女が騙されかけたその場にいて、厳しい口調で叱責していたのだから。
彼らのその話はそこで途絶え、それ以上を知ることが出来ない。聞き耳を立てていたと思われるのも嫌で、彼女は知らん顔で二人から離れた。
(そういえば)
と、アシュレイからニールについて尋ねられたことがあるのを思い出した。紹介状を書くから人となりを知りたいのだと。
(よく考えれば、あれも少し妙だったわ)
他大学への推薦状を書くのなら、教師や学生にその人物を聞くのが順当な気がした。単なるカフェテリアの店員の自分から噂話を集める必要などあるのか。
互いに教授の彼らが、それぞれ学生のニールには関わりを持っていた。そして、その後二人が共通の知人「ニール」について話すのなら、それはもう、彼女の知るあのニールの可能性はとても高い。
取り返しのつかないような大怪我をしたような話だった。
(好かない人だったけれど、だからといって、ざまあみろとは思えない。将来性のある青年だったのだし)
恐ろしい事故に遭ったニールの話は、後味の悪い怪談でも聞くようだった。
その時、開いたドアの向こうにジョシュの大きな姿が見えた。今やって来たようだ。店に入るや、テーブルの料理に手を伸ばしている。
(嫌だ、新郎新婦へ挨拶もしていないのに)
彼女は兄の元へ急いだ。
(それと、がっついて食べないように注意しないと)
ジョシュをつかまえてキアヌとその花嫁の元へ引っ張って行く頃には、彼女の頭からニールのことは消えていた。
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