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1.ノア・ブルー


「見失ってはいけない」



遠い声に呼び覚まされて、彼女は覚醒する。


胸にいっぱい何かが詰まっていた。意識が戻ると同時に、吐き出すように咳が続けさまに出た。


大きくむせる感覚で、ララはひとしきり咳をした。涙のにじむ目をこすり、瞼を開けると周囲は明るい。

すぐに誰かの手が伸び、彼女の腕を取り脈を測った。白衣を着ているから、医者だなとわかる。


(ああ、強盗に襲われて、手当を受けているのだわ。良かった。助かったみたい)


寝かされているのは大きなベッドで、天蓋が垂れている。自分の寝室ではないから、病院なのだと思った。しわの寄った男が近づき、彼女の顔を見ている。


「あの、ここはどこの病院?」


か細い声で尋ねると、医者は目を見開いた。驚いた様子で、熱を見たり目の中をのぞく。彼女から離れ、部屋の外へ誰かを呼びに行った。


伴われて来たのは大きな若い男だ。よれたシャツによれたベストを重ねた、くたびれた身なりの若い男だった。


「ノア、僕だ。ジョシュだ」


ララの手を取り、ぶんぶんと振りながら言う。医者に静止され、詫びながら手を離した。可愛い顔立ちだ。泣いているのか、目を袖でこすっている。


「良かった。お前がいなくなったら、と思うと…。僕に家族はお前だけなのに」


男の言葉の意味がわからない。そもそもララには初対面だ。


「あなたは…?」


「まだ寝ぼけてるんだな、長い間寝込んでいたから。しょうがないな」


ジョシュと名乗った男は泣き笑いしながら、彼女の腕をなぜた。大きな手だった。逆に、彼に触れられる彼女の手はひどくほっそりとして見えた。


「ノア様は、十日ほど前に高熱を出して倒れられ、ずっと昏睡状態が続いていました。これ以上はお身体も保たないため、昨夜強いカンフルを用いました。危険な薬ですが、功を奏した」


医者の話は理解できた。しかし、彼女には意味がわからない。


(ノア? ジョシュ?)


医者は看護の注意をメイドに言いつけ、帰り支度を始めた。部屋を出しなに、ジョシュへ治療費の催促をしている。かなり滞納している様子だ。


「え。でも、すぐには無理だよ。わかるでしょ。でも、何とかするよ。誰かに助けてもらったりして」


へらへらした調子で返され、医者は不満顔だ。渋々と帰って行く。


(ここはどこだろう)


ララは身を起こした。医者の様子では病院ではないようだ。天蓋のレース越しでは、豪奢な部屋なようだった。質素な彼女の寝室とはまるで違う。


それに、さっきジョシュが触れた手にも違和感があった。自分は太ってはいないが、もっと強い腕をしていた。あんな折れそうな手は知らない。


髪に手をやった。指に絡めたそれは自分のものとは違っていた。彼女は金髪だった。なのに、指がつまむ髪は黒に近い深い茶色をしていた。


「ひぃっ」


喉から悲鳴がもれた。


「どうした? ノア」


「鏡を見せて」


ララはジョシュへ手を差し伸べた。ほどなく、メイドが彼女に手鏡を持たせてやる。鏡の中を見るのが怖かった。見たくないものが映りそうで怖いのだ。


意を決した彼女が鏡に顔を近づけた。小さく白い顔だ。藍色の瞳、ちんまりとした鼻も唇も愛らしく整っている。


そこに映ったのは、ララの知らない顔だった。


気が遠くなりそうだ。


(これは誰? 夢を見ているの?)



ノア・ブルー、男爵令嬢。二十歳。これが新しい彼女だった。


娘を嫁がせた一人の夜に、強盗に襲われた。そして目が覚めた時、別人になっていた。夢かと思い、何度も眠り直しても、ちっとも覚めない。


背も高かったはずが、ごく小柄で華奢に様変わりだ。


(生まれ変わったとか、そういうのかしら?)


そうであれば、ララの自分は死んだことになる。それもゾッとしない考えで、彼女は首を振る。


そして、ジョシュと言ったあの大男はノアの兄だという。二十三歳で、大学で研究員をしているらしい。家族と言えるのはその兄のみのようだった。


ノアに意識が入ってから、すぐに身体は元気になった。ジョシュもメイドも止めるが、すぐに起き出した。ずるずる寝ているのは、彼女の性に合わない。


ノアの身体で、ララの目で邸を眺めた。豪奢に見えたそこは、荒れていた。カーテンも色褪せ、絨毯はところどころ剥げて床がのぞいている。調度類は高価な物がそろうが、修繕が必要なようだ。広々とした庭も、手入れが行き届かず鬱蒼としていた。


(男爵家は貧乏なのね)


丹念に調べるまでもなく知れた。しかし、ノアでいるのなら詳しく知った方がいい。そう思った彼女は、兄に尋ねた。


男爵家の収入を聞かれて、ジョシュは半笑いで頭をかいた。


「女がそんなことを知らなくてもいいと思うな。金の管理は男の仕事だろう」


「ジョシュは大学の仕事もあるでしょう。大変だと思うから」


「呼び捨てにするなよ」


「ねえ、この家の主な収入は何?」


「え。それは…。多分、領地の作物収入だけど。あと、小作料とか…」


ノアは兄の言葉に手元の台帳をめくった。そこには所有する領地が先代の借財のため、抵当に取られていることが記してあった。借金を返していないため、領地から出る利益は見込めないことになる。


「現金は?」


「そんなのあったら、とっくに医者に払っているよ」


そう返されれば、彼女は切なくなった。自分が病んだせいで、貧しい家に余計な負担を強いたようだった。


「領地からの収入は無理よ。ジョシュ、他に何かないの?」


「そうだ。庭の半分を貸しているよ。資材置き場に丁度いいらしいからさ」


その収入でもって、生活費にしているらしい。しかし、それでは借金返済の目処には遠い。それどころか、急な出費などにより借金が増えていく一方だ。


(働かないと…)


唇に指を当て、彼女は考えた。少なくとも、日々の食べる分くらいは働くことで賄いたい。


しかし、貴族の令嬢が働くなどできるのか。ララの知識では、貴族のお嬢様は優雅に暮らしているものだった。


(後は、お行儀見習いのために王宮にお仕えに行くとか…)


しかし、それは花嫁修行のようなもので、給金は出ないだろう。ただ働きでは意味がない。


使用人はメイドが二人の下男が一人。使わない部屋は閉めてしまっていた。そこから雨がもるのか、一部が朽ちていた。


背に腹は変えられない。令嬢だの言っていられる状況ではないようだ。


以前のノアは、外出も稀な深窓のお嬢様だった。貧乏ゆえにか、社交らしいこともしていなかったという。社会への窓は大学に勤める兄のみだ。


「ジョシュ、大学に連れて行って」


「え。女が大学に来てどうするんだよ。ノアは女だから入学出来ないんだぞ」


「いいの」


彼女は首を振った。


大学で仕事を探そうと思ったのだ。


お読み下さりまことにありがとうございます。

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