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目覚めたら貧乏な男爵令嬢でした〜他人の世界の歩き方〜  作者: 帆々


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18.贈られたドレス


その日の仕事を終え、ノアは店じまいをしていた。


売り上げはマスターが持ち帰宅している。その後の掃除や明日の準備などを行う。


カウンターを拭き上げたふきんを洗い、それを広げながらため息をつく。


(マスター、大丈夫かしら?)


このところ、老齢に近づいたマスターの足の具合が思わしくない。元々悪くしていた膝が、年々悪化し、最近特にひどく痛み出したという。


「近いうち、店を閉めることになるかもしれない」


とほっそりもらされている。マスターの体調がまず心配だが、その他に『子鹿亭』が消えたら、自分はどこで働けばいいのかと、不安があふれてくる。


マスターはコックのジムに店の権利を売ろうと持ちかけたが、彼にはその気も資金もない。


誰かが継いでくれれば、何とか次のオーナーに売り込んで働かせてもらうつもりだが、店自体が消えるのなら、どうしようもない。


ため息の原因は先行きの悩みだ。


(いい場所だったのにな)


ジョシュにたっぷり食べさせてくれるような働き口は、きっともう見つからないのではないか。


ふきんを干した時、ドアベルが鳴った。慣れた足音に顔を上げなくても、それが彼女を迎えに来たアシュレイだとわかる。


「いつもありがとうございます」


彼女の声に、アシュレイは聞いているのかそうでないのか、あちらを向いている。


店を閉めて、二人で車寄せで待つ馬車に向かう。彼女が乗り込むのを手伝ってくれてから彼が遅れて乗る。


(いつだって、絶対にそう)


ジョシュと乗合馬車に乗る時など、さっさと彼女を置いて自分だけ先にジョシュは乗ってしまう。その時は気にも留めないが、アシュレイの紳士的な仕草を目にすると、その差が浮き立って感じられる。


彼のそれはごく自然で、生活習慣というより人格にすら見える。


(幼い頃からきっとそうなのね。幼なじみの女の子にも席を譲るような。自分より先におやつを渡してあげたに違いないわ)


馬車が走り出し、彼が傍らの箱を彼女に渡した。明らかに贈り物めいた大きな箱で、リボンがかかり、更に彼女には中身まで想像できた。


(ドレスだわ、きっと)


「受け取ってほしい」


「どうしてですか?」


彼女は彼をまじまじと見つめた。いつものことで、目が合うと彼はすっと視線を外す。彼から贈り物をされる理由がない。


「君に詫びなければならないから」


「え?」


いつまでも詫びる理由を言ってくれないので、彼女から聞く。


「先生がわたしに詫びるって、一体何のこと?」


「…僕は遅きに失した。出遅れたんだ」


「何に?」


彼女は意味がわからない。いつもそう遅れなく迎えに現れてくれている。


「僕がすべきだったことをやり遂げられなかった。他の者に巧く先を越された。それを君に詫びたいんだ」


「先生のすべきことって?」


彼はそれ以上説明をしなかった。


よくわからないが、


(あの事件に関わることかしら?)


と推測はつく。彼女が暴行を受けたことを知る者は、犯人の他、彼女自身とアシュレイのみだ。事件から二月ほど経ち、身体の傷はすでに癒え、心の傷も忘れていられることも増えた。


それは、やはり知る者が少なく、彼女にその件を意識させなかったことが大きいと思う。周囲が普段通りに彼女に接することで、彼女も普段の自分でいられるのだった。


(もしかしたら、先生はそれを詫びているのかも…)


彼自身はこうやって彼女を送り届ける任を受け持ってくれるが、そのこと自体がやはり彼女に事件を忘れさせない。


(だからかも…)


だとしたら、彼の思いはお門違いだ。負った傷は、彼女自身が自ら時間をかけて癒していくしかないのだから。


(たまたま居合わせた先生には何の責任もない)


何となく悄然として見えるアシュレイへ、彼女は手を伸ばした。膝に落ちた手を取り、軽く握った。


驚いた彼が彼女を見た。


「わたしは大丈夫。身体を傷つけられたからって、心まで奪われた訳じゃないから」


ちょっとだけそうして、すぐに手を放した。


「だから、そんなに可哀想がらないで。わたしはもう平気です」


「迷惑なのか? 君はそう…、自立心が強いから」


「迷惑だなんて、贈り物は嬉しいわ。けど、過剰な物はいただけないわ。その理由がないもの」


「僕に理由があるんだ」


「え」


頑なに告げるアシュレイに、彼女は戸惑った。


(だから、その理由を聞いているのだけれど、教えてくれないし…)


彼はついっと顔を窓へ向けた。話を打ち切るようだった。


「とにかく、受け取ってほしい。そうでないと、困る」


「はあ」


邸に帰ってから、もらった箱を開けた。中にはしっとりとした生地の淡い緑のドレスが入っていた。


(素敵な色)


思わず取り出し、胸に当てる。一目で高価な品だとわかる。


(こんな上等なドレス、着たことがないわ)


優雅なレディがちょっとした社交で身に着けるのにちょうどいいような衣装だ。目見当でも、彼女の小柄な体型に合うように仕立てられている。


(あの人、どうやって、わたしのサイズがわかったのかしら?)


抱きかかえられたことがあるから、その時の感触か、と。


(見かけによらず、女性に贈り物をし慣れている人なのかも)


彼がほぼ強引に受け取らせた品であった。しかし、一人になりじっくりと眺めてみると、しみじみと嬉しい。


そして、贈られた優美なドレスにときめく自分がいるのを知る。


(まるで上流のレディになったみたい。もったいなくてなかなか着られそうにないけれど)


お読み下さりまことにありがとうございます。

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