14.証拠
アシュレイの教え子で、もう八回も落第している学生がいた。父親は彼も知る資産家の貴族で、大学への多額の寄付は毎年トップクラスだった。
本来は、三回落第した時点で、大学は除籍になる。しかし、その学生は親の寄付金のご利益で「特待生」待遇だった。
(特待生は学費を払わないはずだが)
と、彼は皮肉に思ってきた。
八回落第し、追試がやはり失格で、九回目の落第を本人に突きつける役目が、担当教授の彼の今日朝一の仕事だった。
通常の三倍の猶予を親の寄付金のおかげで与えられてきた。それなのに一向に学力の改善も見受けられない。すこぶる付きの優遇は学生間でも噂になっていた。まともな学生らの大学運営への非難の目も避けたい。これ以上の留年は認めることが出来なくなった。
そこで、本人に自発的な進路変更を促すのことも彼の役目になった。
「君は教授である理事の中で最も若い。つまりは学生の立場に立ち易いということだ。加えて担当教授でもある」。
役目を押し付けられた理由を苦々しく思う。
実際のところ、彼はその学生の担当教授ではない。大学は一年次で一般的な課程の単位を習得する。その後、適性や好みで二年次から専攻課程へ進む。学生は一般課程の必要最低単位を習得できていなかった。
たまたま面接で二年次以降の専攻希望を聞いた際、彼の担当する学科を口にしただけだ。確かに、幾度か追試を行ったこともある。それも父親の方と知り合いという理由だけだ。
大学に着いた。
馬車を下り、自身の教授室のある棟へ向かう際、見覚えのある姿を見かけた。やや距離があり、声をかけることはしなかった。元々が、急用がなければ友人でも大声で呼んだりしない。
(ノアだ)
大きな兄を、小柄な彼女が引っ張るようにして連れ歩いている。兄の方はそれにふらふら従っている。長年大学に通うのに、道を間違えるようだ。
二人を見るたびに、
(サーカスのクマを少女が調教しているようだ)
とおかしくなる。ジョシュはそう太ってもいないが、とにかく背が高い。アシュレイも高い方だが、その彼がジョシュは見上げるのだから、相当だ。
そんな大きな兄と小柄な妹の取り合わせは、彼ばかりでなく周囲の目も引く。ジョシュは変わり者で有名だったし、妹のノアはその愛らしい容姿からカフェテリアの看板娘になっている。
「おはよう、ノア」
「ノア、昼に寄るよ」
学生も職員も彼女に声をかける。
人生であまり人を羨んで来なかった彼だが、こういう光景は少しばかり妬ましく思った。彼女へ気軽に声を掛ける気質にない自分が、恨めしい。
(親しくなったのに)
ただ、彼女を前にするとどうしても上手く言葉が出てこない。思考が固まり、狼狽えるのがわかる。挙動不審な自分も意識していたが、
(ノアはそれを素知らぬ風に接してくれる)
と、感激していた。
言葉を探して黙り込む彼に対し、いつも優しくそれを見守ってくれるような様子でいる。
その仕草になぜだか彼は余裕を感じる。大人びた女性なのだと思った。
頼りがいのない兄に代わって、彼女は忙しく働いている。境遇を恨む風もない。自分に出来ることをこつこつと積み上げていた。そんな彼女の姿やたたずまいを、彼は美しい花のように感じていた。
(ジョシュが隣りにいなければ、目に映える)
大男を眺める趣味をアシュレイは持たない。
教授室に入る。秘書が熱いお茶と一緒に手紙を運んできた。宛名をざっと眺め、秘書が去ってから、カップにブランデーを多めに垂らした。
香気とアルコールが喉を通り、朝からちょっと弛緩した気分になる。手紙を読んでいる時、ドアがノックされた。
「ニール・ウィスリーさんがお見えです」
秘書の声に、頷いた。朝一面談予定の学生だった。
入って来た学生は、ブロンドの髪を指で摘むように額からかきやった。彼が椅子を勧め、デスクの前の一人掛けの椅子に座った。
面談の意味がわかっているようで、ニールは開き直った態度で不貞腐れたような表情をしている。
「教務からの知らせ通り、理事会の学位審査会で、君の留年がこれ以上は認められない決定となった。残念だが…」
「本当に残念ですよ。父など、苦虫を噛み潰した顔をしていましたから」
「お父上と今後の相談はしたのかい?」
「そうですね、どこか学位を売ってくれる大学に潜り込めと、背中をどやしつけられました」
そのセリフに、アシュレイはわずかに唇を歪ませた。致命的な単位未修が理由の退学では、どこの大学も拾ってはくれない。
「遠回りと思うかもしれないが、家庭教師を付けて学び、基礎学力の定着を図ることを勧める。君のお父上にも話したことがある。今のままでは、どこの大学へ移っても結果は同じではないか?」
ニールは笑って顔の前で手を振った。
「ちょっと止めて下さいよ、グレイ先生。今更そんな、家庭教師だなんて。幼年学校の子供じゃないんだから。僕は二十三なんですよ、まったく。冗談じゃない」
まだどうにか慇懃な態度は崩していないが、「あんたら教授がさっさと推薦状を書けば済む話だろ」といった本音が透けて見えた。
「僕は成績は振わなかったかもしれませんが、父を通して大学には随分尽くした自負はありますよ。それを徳とみなしていただけないのかな」
承知していたはずだが、やはり度し難い態度に、アシュレイは怒りを感じるより前におかしさが込み上げてくる。
「君が求めているのは、教授の署名の入った推薦状だろうが、僕は書かない」
「どうしてですか?」
「なぜなら、君の学力の資料が何もない。わかっているのは一般課程の基礎数理に九回不可を付けられたことだけだ。これでは推薦しようにも、何を理由にすればいい?」
アシュレイの言葉に、ニールはさすがにぐっと詰まった。天を仰ぐようにややのけぞり、
「そういう意味ではないんだけれどなあ」
と、ぼやく。
アシュレイだって、彼の意図を知っていて敢えて正当な返事を返した。義理や義務で結局推薦状を書かされる羽目になるとしても、易く手渡したくない。
(家柄と父親の資産のことのみの推薦状だけれども)
と、ニールを眺める彼の目が、ある一点に吸い付いた。シャツのタイを締めた首元の上部分だ。隠れないそこに、赤く線を引いたような傷跡が走るのが見えた。髭をあたるなどの刃物傷には見えない。何かで引っかいて出来たものに思えた。
(爪ではないか)
アシュレイは咳払いの後で、なるべく平静を装い、自分の首元を指してから、
「そこ、どうしたの?」
と尋ねた。
姿勢を戻したニールが、傷にちょっと触れ、ああ、と応じた。
「先日の園遊会で、レディのお供で歩いた際に薮で引っかけたのですよ。そう、その会には先生の姉君のルディア様のお姿もお見かけしましたよ」
「ふうん。…痛くないの? 深そうだけれど」
「いいえ、見た目ほどは」
「推薦状の件は他の理事とも図って、善処してみよう」
口の中が苦くなるようなセリフを告げれば、ニールは「してやったり」とばかりに微笑んだ。
辞去の礼は非常に丁寧に振る舞い、部屋を出て行った。
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