13.親切の訳
再び、アシュレイに帰りを送られる日々が始まった。ノアが仕事を終えた後で彼の元へ足を運んでいたが、逆に『子鹿亭』に迎えに来てくれるようになった。
「最初からこうすれば良かった」
と彼は彼女が店を閉めるのを、気長に待ってくれる。
毎日二人で連れ立って帰るのだから、やはり人目につく。店の客にも、
「グレイ先生と一緒のところを見たけれど、仲がいいの?」
などと尋ねられることも増えた。
(仲は良くないけれど)
親しいことは否定し、
「方向が一緒だからって、ご親切に送って下さるの」
と返した。
「へえ、意外だな。人づき合いを避けている変わった人らしいからね」
「社交はしないって、ご自分でもおっしゃっていたわ。学者の方って、そういう感じじゃないの?」
ノアはアシュレイの他、ジョシュを思い浮かべてそう聞いた。二人とも研究者で没社交的だ。
(ジョシュの場合は貧乏と大食いが理由に加わるけれど)
相手の職員は首を振った。
「社交家の先生はいっぱいいるよ。単純に個人の趣向だね。グレイ先生は気難しそうで陰気な感じだから、そういう性格なんだろう」
「お優しくていい方よ」
「だから、ノアみたいな女性なら気楽なのじゃないか?」
「わたしみたい?」
「お高く留まっていなくて、接し易い女性って意味だよ」
「貧乏娘で気を遣わなくていい相手ってことね」
「そうは言っていないよ。僕らはノアみたいな子は本当に好きだよ。気さくだし、楽しい」
慌てて否定されたが、彼女はちっとも傷ついてなどいない。むしろ、ひどく腑に落ちていた。
アシュレイが自分に過剰に親切を施す理由がわかった気がした。
(わたしは、あの人が意識するほどの令嬢じゃないからだ)
厳然として身分制度がある以上、互いが同じほどの階級でなければ、対等な関係ではあり得ない。
社交嫌いなアシュレイは、彼女を見る仕草が表すように、女性も苦手なようだ。それでも彼女との時間が過ごせるのは、彼にとってまだ気楽な対象だからなのだろう。
噂を聞いたのか、店にやって来たキアヌもアシュレイとの話題を出した。ノアは大学である程度噂になっているのだと実感する。
その噂だけで防犯の意味はあると思った。大学内で教授と親しいように見える女性を再び襲う愚か者はいないはず。
(でも)
と思う。
(噂だから、尾ひれがついて広がったりすることもあるかも。社交嫌いなら、人の話題に上るのも嫌なのじゃないかしら?)
と申し訳なく感じる。
「そもそも社交嫌いっていうのも、真実じゃない。あいつなりに無駄なつき合いをしないだけだよ」
「無駄なつき合いって?」
「晩餐会だの舞踏会だのの、いわゆる派手な社交だよ。それはずっと嫌っている。王太子様の従兄弟で後見も務めている。ご迷惑が及ばないよう不穏当な交際を断つ意味もあるだろうしね」
「そう」
と相槌を打ったが、内心は心臓が跳ねるほど驚いていた。
(王太子様の従兄弟?!)
雰囲気から上流貴族と感じていたが、王家とそこまで近い関係を持つ人だったとは。ノアはすぐに声を出せなかった。
彼女の沈黙をキアヌはどう取ったのか、
「だから、周囲が見るほどの変人でもないよ。安心して送ってもらったらいい」
と、とりなすように言う。
「迷惑になっていないかしら? そうじゃないっておっしゃるのだけれど。ほら、紳士的な方だから、一度言い出したことは、自分から引っ込めにくいのじゃないかって思って…」
「迷惑でもいいじゃない」
「え?」
キアヌはグラスのワインを旨そうに飲んだ。
「閉じこもりがちなあいつにはいい変化だよ。ともかく、自分から動き出したんだ。いい兆候だよ」
アシュレイの長いつき合いの友人からのせりふに、ノアはちょっと気持ちが軽くなった。
ただ、王太子の従兄弟という高貴な身分を知り、更に彼との距離を感じるようになった。
(住む世界が違うって、こういうことだわ)
(しまった)
朝日を感じて目が覚め、アシュレイはすぐに思った。日光の差し具合から、早朝ではない。ベッドサイドに置いた時計を見ると、すでに出かける予定の時刻になっていた。
髪をかき回しながらベッドを抜け出す。その隅で寝ていた猫が、彼を見ながらあくびをした。
厚手のカーテンが引かれているということは、従僕が開けて行ったことになる。彼付きの者で、明日の予定も心得ている。その際、声をかけないはずがないから、半分眠りながら適当に答えた彼が、
(二度寝をしたんだな)
となる。再度声をかけるなどして、しつこく主人を起こすような使用人は邸にはいない。
ベルを鳴らして人を呼んだ。出かける時間に起きたのだから、時間もない。身なりを整えれば、すぐに出なくてはならない。
従僕は主人の二度寝を防ぐことはしないが、身支度を手伝う手腕は素晴らしい。十分後には、アシュレイは完璧な紳士の姿に整っている。
階下におり、帽子を受け取る。玄関の辺りで不意に嫌気がさした。朝一番にこなす仕事を考えて気が滅入った。
見送りを受けて馬車に乗った。壮麗なグレイ侯爵邸を背に馬車は走り出す。
アシュレイが侯爵位を継いだのは、父母が事故死に遭った六歳の時だ。当初は祖母が後見を務め、その祖母も彼が大学に入る年に亡くなった。五つ上の姉が嫁いだ邸で、家族と言えるのは、前妻の遺した変な色の猫だけだ。
空腹に腹が鳴った。朝食を抜いたのだから、当然だった。
以前なら、この空腹を夕食まで耐えなくてはならなかった。彼は大学で食事をしない。不潔な学生が厨房に混じる不衛生な場で調理されたものは、生理的に受け付けないからだ。
しかし、今は事情が違っていた。もう十年以上も続いた習慣が変わったのは、ある女性のおかげだった。
大学に幾つもあるカフェテリアの中の『子鹿亭』という店に、女性が働き出した。友人のジークらが常連の店だが、彼はほとんど行ったことがない。偏見が進み、飲み物さえも口にしたくなかったからだ。大学では、秘書の淹れたお茶か自身が注いだ酒しか絶対に飲まない。
『子鹿亭』で働く女性が、店の物を外で売り始めた。学生らが、彼女の作る物が旨いと噂していた。興味本位だった。女性が作るのなら衛生的に違いない。そう思い、買ったのが始まりだ。
そこからつき合いが出来、彼女の帰りを送るようになった。その礼に、彼女が彼へ食事を届けてくれるようになった。
だから、朝食を抜いても以前ほど悲壮感はない。悪癖の二度寝で朝食を食べ損ね、偏見で昼食を抜き、気力が萎えて午後を休講にしたこともあった。
そんな彼は大学の理事の一人だ。自身がそんな風なだから、少々の自堕落さは目をつむる柔軟さはあった。
(学力が水準を満たすなら、学位はやるべきだ)
と思う。
年嵩の理事には、大学の名誉にかけて、学生の品位と自律をうるさく求める者もある。知性と良識の備わった紳士を輩出することこそ大学の使命と譲らない。
しかし、彼の友人のジークは学生時代に不品行で何度も懲罰を喰らったが、軽い罪で済んでいる。それは優秀なのもあるが、母親が王族の出だからだ。若くして空席を埋め教授を拝命したのも、やはりその出自がものを言ったはずだ。
(僕もそうだろう)
自分も含めて、身分や王家との近さが大学では大きな意味を持つ、と彼は認識していた。
そして、そればかりではなく、寄付金の多さも成績に作用する生々しさは、理事になって初めて肌で知ったことだった。
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