12.続・親切
馬車の影になって人が立っていた。男性で帽子をかぶり、タバコをくわえている。顔を見なくても、それがアシュレイだと彼女にはわかった。
学生たちは彼へ彼女を引き渡した。そこでお役御免のようだ。
「ありがとう。助かったよ」
彼がねぎらった後で二人は礼をして去った。
まだ長いタバコを捨て、ちらりと彼女を見た。
「怖がらせて申し訳ない。僕が一人で探し回るには効率が悪いから学生に頼んだ」
「二人も?」
「いや、三人だ」
ジョシュの方へも学生をやったらしい。
(まあ)
彼女は言葉が返せなくなる。
なぜ彼がそこまで自分を探すのかわからない。彼を前にした気まずさを味わいながら尋ねた。
「何かわたしにご用ですか?」
「用も何も。君を送る約束じゃないか」
「え」
彼女は気まずさを忘れて彼を見つめた。彼は一瞬彼女の視線を受け止めた後で、やはり目を逸らす。
ひどい事件があり、二人の約束事は消滅したように思っていた。彼女の安全のための策だったはず。しかしその配慮も虚しく、暴行を受けてしまった。
(何もかも、もう手遅れなのに)
彼は彼女の手から包みを取り、馬車に乗るように促した。
「もう先生にはご迷惑では?」
「確かに。君が約束通りに部屋に来ないから、学生を使う羽目になった」
「そうではなくて」
車内で向かい合わせに座る。彼が御者に向けて、指の節で壁をかんと打った。馬車が走り出す。密室に二人だ。羞恥と気まずさが、彼を前に濃くなる。
それを壊したくて口を開いた。
「お花をたくさん、ありがとうござました」
「いや、元気そうで良かった」
「もう帰りを送っていただかなくて結構です」
「どうして?」
「気をつけるつもりですし、一人で大丈夫です。先生にこれ以上の迷惑は心苦しいから」
「迷惑じゃない」
「そんな簡単に…」
「君が複雑にしているだけだ。僕がいいと言っている」
「わたしが嫌なんです」
彼女の声に、彼は表情を硬くした。それに彼女も気づいた。
失礼であり、無礼だったろう。彼は目を伏せた。怒った様子はない。
(傷つけた?)
と、彼女は自分の胸が痛んだ。
「憐れんでして下さっているのは、わかるんです。ご親切で下の者に施して下さっているのも。それが嫌なんです」
そこでふと思い出した。娘のピッパの幼なじみで、家の貧しい女の子がいた。衣服の用意が難しく、決まって誰かのお下がりだった。似合っているのに、その子は少しも嬉しそうにしていなかった。
身体の大きなピッパの物を、親切で押し付けたことも幾度もある。実際、それは少女の役に立ったし、母親も助かっただろうと思う。
でもそんなことは、関係ない。
(小さなあの子の自尊心を、みんなで傷つけていたのね)
アシュレイに送られることは、以前は平気だった。楽しみに感じていた自分も意識していた。けれども事件以降、同じ彼の親切が別の色味に染まって見える。
(わたしは、彼が慈愛でもって施さなくてはならない領民ではない)
重い車内の沈黙を破ったのは彼だった。
「僕は、女性を助けるのに理由を考えたことはない」
「え」
「だから…」
その時、音がした。
(え? まさか?)
彼女には空腹の腹の音に聞こえた。自分ではないのなら、彼だ。
「先生、お腹が空いているの?」
「そう。気分が悪いくらい空腹だ。朝から食べていない」
「どうして?」
「学長式典があるのに寝坊した」
「お昼を食べたらいいじゃない」
「大学の食べ物は汚い」
そういえば、彼女は、彼が昼を食べない習慣のようなことをことを以前聞いた気がした。その時は、そういう人もいるのだろうと納得したが、
(理由はそれなの?!)
と驚いた。
(潔癖症なのかしら)
でも、と思う。
「『子鹿亭』のサンドイッチは食べて下さったわ」
「君が作るのだろうと思ったから。大学で男が作った物は口にしたくない」
彼がまだ学生の頃、金に詰まった学生がカフェテリアの厨房で働くことがあったという。そのふざけた様子を見て以来、二度と食事をしなくなったと言った。
「今は偉そうにしているジークも、手も洗わずぐちゃぐちゃした物を味見しながら作って客に出していた。見てぞっとした」
「あの方はご立派なお家柄なのにどうして?」
「あいつの場合は懲罰のための勤労奉仕だ。恩賜の鳥に庭で酔って暴れた報いだ」
彼女は紙袋の中の、紙ナフキンで包んだサンドイッチを彼へ差し出した。閉店間際、余った時間で余った食材をもらって作ったものだ。帰ったら卵液に浸して焼こうと考えていたが、そのままでもおいしいはずだ。
「ナッツとクリームチーズ入りなの。どうぞ」
「ありがとう」
素直に受け取り、すぐに口に運んだ。旨そうに食べ終え、ちょっと笑った。それを眺めて、
(ジョシュも食べながらこんな顔になることがあるな)
とほのぼのと思った。
そして、やや冷静になった心で計ってみる。空腹な人に食事を差し出した自分の行為と、彼が困った様子の彼女へ親切を申し出るのと。
どこが違うのだろうか。彼が言った「君が複雑にしているだけだ」がふと腑に落ちた。
「おいしかった」
ノアの親切への彼の単純な返しの言葉だ。
それを聞いて、彼女は考えた。それらをまとめてから声にした。
「わたしをこうして送って下さるのは、先生、本当に面倒でも迷惑でもない?」
「どちらも違う。ただ、君が消えるのは迷惑だ。学生に探させないといけなくなる」
「じゃあそのお礼に、わたしが先生のお昼をご用意します。前みたいにお部屋にお届けするわ。そのお約束でなら」
彼はちょっと瞬きをして彼女を見る。視線がしばし絡まり、彼が先に外す。
「ジョシュはそれに触らない?」
その返しに、彼女は笑いを噛み殺した。いつも清潔とは言い難い指で食事に触られるのは、彼には我慢出来ないだろう。
「それは大丈夫。人の食べ物は羨ましがるけど手を出したりしないの」
今度は彼が彼女の言葉に笑った。
「しつけがいいね」
(ちょっと表現が犬みたいだったかしら)
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