第七十七話 鳥の行く末
間に合ったな、ヨシ!
「――なるほど。そういうことですか」
自身の指の先を見つめながら、フィルレシア皇女は考え込むようにうなずいた。
その涼やかな視線の先に、「人間」はいない。
ただ、すらりと伸ばされたその指の上では、白く小さな鳥が「チチチ」と可愛らしい鳴き声をあげていた。
「――フィルレシア様!」
どこまでも落ち着き払った様子の皇女に、対照的に慌てた様子で詰め寄る者がいた。
「無限に魔法が使える指輪……! もしレオハルト家がそんな秘宝を手にしているとしたら、由々しき事態です! 至急、なんらかの働きかけを……」
「捨ておきなさい」
同級生であり、自身の腹心でもある少女の言葉に、フィルレシアは躊躇なく答えた。
「……は? し、しかし、初級魔法とはいえ、無制限に魔法訓練が出来るとすれば、その恩恵は計り知れなく……」
小さな情報提供者が「囀って」くれた内容は、スティカにとってはあまりに衝撃的に過ぎたようだ。
めずらしく主の意向に反して食い下がろうとする彼女を、しかし皇女は歯牙にもかけなかった。
「控えなさい、スティカ」
「ですが……!」
それでも納得出来ない様子の彼女に、フィルレシアの鋭い眼光が突き刺さる。
「私は控えなさい、と言ったのです。まさか、私に三度も同じ言葉を言わせるつもりですか?」
「……申し訳ございません」
その静かな圧力に、スティカは力なく首を垂れた。
「むしろ、これで種が割れたというなら大した脅威ではありません。レオハルト家への警戒は一段階下げましょう」
「そんな……」
思いがけない言葉に消沈する少女に対して、皇女はひたすらに冷淡だった。
「どちらにせよ、今日はこれ以上話すことはありません。貴方ももう戻りなさい」
「わかり、ました」
砂を噛むような顔で皇女の忠実なる家臣はうなずいて、精彩を欠く動きで部屋を出ていく。
それを見届けて、皇女は密かに息をついた。
「……困ったものですね」
スティカは誰よりも自分に対して忠実で、そして優秀だ。
皇女がもっとも信頼する部下はと聞かれたら、間違いなく彼女を挙げるだろう。
……けれど、その才覚も視座も、どこまでいっても只人のそれ。
英雄と呼ばれる領域にはほど遠く、皇女と並ぶこともまだ、出来てはいない。
(「もっと大局を見よ」と望むのは、彼女には酷かもしれませんが)
彼女と自分では、持っている資質が、手に入れている情報の質が、あまりに違いすぎる。
フィルレシアはそっと、自らの指に嵌まった指輪に目を落とす。
その瞳には三つの星を象った豪奢な指輪が映っているだけだったが、もしこの場にアルマがいたのなら、こんな文言を読み取っただろう。
《三ツ星の指輪(指輪):帝室に伝わる秘宝。凄まじい力を持つが、英雄の子孫にしか扱えないとされる。闇属性耐性、消費MP3減少。光属性の適性を持つ者しか装備出来ない》
熱のない、いっそ冷淡とすら言えるような眼つきで皇家の秘宝を見やった彼女は、首を振った。
(皇家の血筋にしか使えない秘宝と同様の効果をあのみすぼらしい指輪二つでもたらしたというのなら、それは確かに瞠目すべきこと。そして魔法習得の初期段階において、初期魔法が無限に使えることは確かに大きな優位ではある。けれど……)
――けれど、それがどうしたというのか。
この効果は、あくまでも「弱者」に対する恩恵。
皇女や、かの〈エレメンタルマスター〉のような生まれながらの天才にとっては、魔法訓練の期間をわずかに短縮出来る程度の効果しかない。
(この程度のもので、世界は変わらない。たとえ百万の民を兵士に変えたとて、それを瞬きの間に殺し尽くす怪物が、この世界には潜んでいる)
帝国の理念に対して、フィルレシアも思うところはある。
ただ、世界を変えるのは、変え得るのはやはり「英雄」だけ。
その認識についてだけは、彼女も同じ認識だった。
「――アルマ・レオハルト」
小さく、その名を呼ぶ。
フィルレシアにとって、彼は入学試験で初めて会った時から、奇妙に胸をざわつかせる存在だった。
自分の力に対して不思議なほどに無自覚で、全てがちぐはぐでアンバランス。
弱者でありながら強者の力をも備え、いまだにその底を見せない不可解な人物。
けれど、もっともフィルレシアを苛立たせるもの。
それは、その「目」だ。
――まるで、自分が光の下にいることを、自分が正しく進んだ道の先に、完全無欠のハッピーエンドが存在していることを微塵も疑っていないような、その瞳。
それがどうしても、フィルレシアには認められなかった。
(……いえ、あまり気にしていても、仕方がありませんね)
今回の一件で、アルマの底は割れた。
指輪の力があれば、一つの属性で十三階位まで到達することは可能かもしれないが、その程度ならどちらにせよ意味はない。
「アルマ・レオハルト。貴方は精々、光の道を進めばいい」
身の程知らずにも太陽に近付く鳥は、やがてその身を焼かれるだろう。
そこにどのような苦難が待っているか、そこでどのような挫折を味わうか、そんなものは自分の預かり知らぬところで、興味もない。
なぜなら、フィルレシアが歩む道は、もっと暗く、もっと険しく、絶望だけが棲む日陰の道だから。
それでも……。
「――私には、『彼』がいますから」
幼き日の思い出を胸に秘め、皇女はそっと、部屋の隅に伏せられていた写真立てを持ち上げる。
そこに映っていたのは、魔法具によって切り取られた、一人の人物。
――〈アルマ・レオハルト〉とよく似た顔立ちの、わずかに年かさの少年の似姿だった。
そんな相手(CV石影 明)で大丈夫か?
ということで、第三者視点は一区切り
ここから新章突入です!