第七十六話 トリシアーデの溜息
――どうしよう、これ。
通り魔的に渡された「無限の指輪」四つを前に、わたしは途方にくれた。
見た目には、ただのシンプルな鉄の指輪にしか見えない。
事情を聞いていなければ、単なる安物の指輪が四つ並んでいるとしか思わないだろう。
いや、たぶんレオっちが気を使って、一番目立たなさそうなのを選んでくれたんだろうけど……。
「トリシャ、それって……」
背後からおっかなびっくりかけられた声に、わたしはやっと我に返った。
振り返って、ルームメイトのレミナにぎこちない笑みを向ける。
「う、うん。全部無限の指輪、だって。たぶん、わたしたちの、分」
そう口に出して、その荒唐無稽さに泣きそうになる。
地味に恐ろしいのが、この指輪のデザインが鉄で統一されていること。
最下級の指輪から「無限」のエンチャントが見つかるのなら、指輪の種類は三種類、木と鉄と錆の指輪に分散されるはず。
そのうち鉄の無限指輪が、ここに四つもあるということは……。
(――たぶん、レオっちのもとには合計で十二個以上の「無限の指輪」がある)
知りたくない事実ばかりが増えていく。
思わず頭を抱えそうになるけれど、わたしの相棒はわたしよりも豪胆だった。
「あ、レオハルト様! 覚えててくれたんだ!」
そう嬉しそうに口にして、ぴょんと小さく飛び跳ねたのだ。
「つけてみてもいい?」
と自然に尋ねてきたレミナの勢いに押され、指輪を渡すと、レミナは躊躇いもなく指輪を指に通して、
「――〈ブリーズ〉」
即座に風の初級魔法をその場で唱えてみせる。
「わ、わ、すっごい! ほんとに魔力が減ってないみたい」
無邪気に喜ぶ彼女の姿を見て、やっと頭が追い付いてきた。
「って、何やってんのよ!」
「え……」
「何かダメだった?」とばかりにきょとんとした顔でわたしを見るレミナに、「はぁぁ」とため息をつく。
――普段は引っ込み思案なくせに、昔からここ一番というところでは妙に大胆になる奴なのだ、こいつは。
レミナを見る度に、自分がつくづく凡人なんだと思い知らされるが、世の中には凡人の方が多くて、だからこそ凡人の論理で世界は回っているのだ。
わたしがレミナと世界のギャップを埋めてやらないといけない。
「いい? 無限に魔法の練習が出来る指輪なんて、めっちゃくちゃ貴重品だからね。その指輪を持ってるって知られただけでも、身の危険にさらされる可能性があるのよ」
そりゃわたしたちはあの〈雷光のレオハルト〉のお手付きだと思われてるだろうし、その名前はきっと、ある程度の危険からは守ってくれる。
でも万が一指輪の存在が知られてしまえば、そのリスクを負ってでもバカな真似をしようという輩が現れる可能性がある。
「まず、その指輪は絶対部屋から持ち出さずに、他人に見せたりしないこと」
ファーリ様は見せびらかすレベルで着けているし、なんなら授業中とかでも嬉しそうに撫でたりしているが、あの人とわたしたちとでは地力も状況も違う。
まず、持っていると気付かれることから避けるべきだ。
「それに、そもそもこれを使うべきかも考えないと……」
たとえ、指輪の訓練で覚えた上位の魔法を使わなくたって、魔法の練度が上がってしまえば絶対に気付く人は気付く。
今だって十分目立ってるのに、それはかなりのリスクだ。
「最悪は、レオっちに返すことも考えて……レミナ?」
でも、そんなわたしを見て、レミナはクスクスと笑っていた。
「な、なんで笑ってるのよ」
「あ、ううん。ごめんね。またトリシャが心にもないこと言ってるな、って思って」
「心にもないことって……」
あまりの言いように、流石にムッとしてしまう。
「だって、自分では気付いてないと思うんだけど……」
頭に疑問符を浮かべるわたしを、レミナは指で指した。
「――指輪をもらってからのトリシャ、ずっと楽しそうだよ」
指摘されて、愕然とする。
思わず口元に手をやってしまうが、その動作がもう、答え合わせだった。
……分かってる。
ほんとはずっと、分かってた。
帝国貴族なら、いや、魔法使いだったら、こんなとんでもないものの誘惑に抗えるはずがない。
思う存分に魔法が使いたい、なんていうのは子供なら誰でも思う夢で、ちょっと形は違うけれど、それが実現出来る道具が目の前にある。
だったらそんなの、使わずに我慢なんて出来るはずがないのだ。
「……ちょっとだけ」
「ん?」
レミナに顔を見られないように顔を伏せながら、わたしは、
「ちょっとだけ練習、しよっか」
「……うん!」
そっと自分の手に、鉄の指輪をくぐらせたのだった。
※ ※ ※
「――〈トーチ〉! ………………〈トーチ〉! ………………〈トーチ〉! ふぅぅ」
まるで息継ぎのように、大きく息をつく。
ほんの十数分ほど魔法を、それも初級魔法を使っていただけなのに、頭がガンガンと痛んでいた。
(……集中、しすぎか)
普段は長くても十分、それも休み休み行うような魔法の詠唱を、休みなく続けざまに十数分もやったのだ。
それは疲れもする。
(昼休みのファーリ様、すごかったな)
よどみのない魔力の操作と、ごくごく短いスパンで繰り返される魔法の詠唱。
とてつもない集中力と魔力操作の上手さ。
あらためて、彼女がいかに規格外の化け物かを思い知らされる。
(でも……)
規格外と言えば、もう一人。
「――〈トーチ〉! …………〈トーチ〉! …………〈トーチ〉! …………〈トーチ〉!」
隣で呪文を唱えるレミナもまた、わたしでは届かない才能の持ち主の一人だった。
流石にファーリ様ほどの速度は出ないが、魔法の詠唱のペースが乱れない。
何よりも、練習開始から十数分が経っても、実に楽しそうに魔法を使っていた。
(目を輝かせちゃって、もう……)
最初は風の初級魔法〈ブリーズ〉を唱えていた彼女だけれど、途中から土魔法の〈ストーン〉に移行。
テーブルにどんどんと積み重なっていく石の欠片に閉口したわたしに怒られてからは火属性の〈トーチ〉に移った。
わたしは得意魔法の火属性を使うのですらいっぱいいっぱいなのに、ほんと才能ある奴は、と思う。
(〈ストーン〉の練習場所は、ちょっと考えとかないとね)
生成物の対処に困る、というのは土魔法が魔法使いに嫌われる理由の一つだ。
レミナはいわゆる〈デュアル〉と言われる素質持ちで、得意な属性は風と土。
苦手属性がない上に火と水も人並み程度には使うことが出来るので、一応は全ての属性魔法が扱える……という触れ込みになっている。
そんな中、風の属性魔法だけが強いと不自然だから、土属性魔法も練習しない訳にはいかないけれど、練習の度に毎回大量の石ころを部屋に生み出されても迷惑だ。
早急に、何かしら手を打たないといけない。
そんなことを、わたしが考え始めた時だった。
「あ、あのね、トリシャ」
そこでようやく、わたしが練習を休んでいることに気付いたのか。
彼女もまた、無限に続いていた魔法の詠唱を切り上げて、わたしに向かっておずおずと口を開く。
「――やっぱりわたしって、これからも風と土を得意属性ってことにしなきゃ、ダメ?」
そう尋ねる妹分の上目遣いには、心を揺らされるものがある。
でも、彼女が口にした言葉だけは、到底うなずけないものだった。
「ダメ! 絶対に、ダメ! それがレミナの身を守る一番の安全策だって、そう教えたでしょ!?」
「う、うん……。ごめん、トリシャ」
わたしの剣幕に、彼女は耳を伏せた犬みたいな態度で、しゅんとなってうなずいた。
(う……)
その姿に、流石のわたしも罪悪感を刺激される。
レミナ自身は別に悪いことを言った訳じゃないのに、焦りに任せて一方的に怒鳴ってしまった。
レミナはさっきまでの楽しそうな雰囲気はどこへやら、肩を落として俯いてしまっている。
だから、
「……他人に、見せるのはダメだけど」
わたしはそっぽを向きながら、口を開いた。
「誰にも見られない場所だったら、練習くらいなら、してもいいと思うけど」
「え……」
振り返ったレミナとあえて視線を合わせないようにして、早口で告げる。
「だ、だから、浴室を締め切って、光が漏れないようにするなら、練習くらいはしてもいいって言ってるの!」
逆ギレ気味にそう言い放つと、ドンと、重い衝撃が胸に走った。
視線を落とすと、なんだか興奮した様子のレミナが、わたしに飛びついてきていた。
「ちょ、ちょっと、レミナ?」
「いつも迷惑ばっかりかけてごめんね! でも、この指輪で一生懸命練習して、絶対にトリシャを助けられるような、すごい魔法使いになるから!」
わたしの戸惑いなんて、ものともしない。
彼女はすぐにわたしから離れて、ムン、とばかりに気合を入れると、顔に似合わない素早い動きで浴室の方に消えていった。
それを見届けてから、まるでネリス教官がやるみたいに、ガリガリと頭をかいた。
(ああ、もう、まったく。レミナがあんなこと考えてたなんて……)
最初に見た時はあんなにちっちゃかったのに、子供の成長は早いな、なんてバカなことを考えながら、なんとはなしに、窓の方を見る。
そこで見つけたものに、わたしは目を見開いた。
「……ありゃ、めずらしいお客様だね」
言って、小さく笑う。
沈みかけた太陽を背にして、真っ白な小さな鳥が窓枠の上で踊るように毛づくろいをしていた。
「お前は、自由でいいね」
そう言って、手を伸ばす。
手が白い鳥に届こうかという瞬間、鳥は素早く飛び去ってしまった。
「あ……」
思わず、吐息が漏れる。
小さい羽を必死にはばたかせ、自由に空を駆けていくその姿が、なぜかレミナの背中と重なった。
「……きっと、いつかは」
わたしでは窺い知れないような翼を持ったあの子が、わたしのもとを巣立つ日が、きっと来る。
だけど、それまでは……。
「――わたしが、守らないと」
それが彼女を見出した者の義務であり、彼女の親友として、わたしが絶対にやり遂げたいことだから。
この役目だけは、絶対に誰にも譲れない。
(……そう、思っていたけれど)
けれど、今はふと、考えることがある。
「――アルマ・レオハルト様」
小さく、その名を呼ぶ。
わたしと同い年で、やることなすことちぐはぐで、常識なんて欠片も持ってなくて、だけどどこか親しみを感じる、わたしたちの盟主様。
――あなたになら、あの子が抱える本当の秘密を……。
――レミナの「本当の得意属性」を明かせる日が、いつかやってきますか?
空になされた問いかけに、答える者はなく……。
ただ、沈みかけた太陽だけが、傲然とわたしのことを見下ろしていた。
読者には到底想像もつかないレミナのとんでもない秘密!!





