第二百六話 奇跡の一手
突然のリスティア視点です!
「――ふ、ふざっ、ふざけるんじゃありませんわよ!」
ロブライト侯爵家の娘、リスティア・ロブライトは荒れていた。
それもこれも、原因は一つ。
「なんなんですのあの化け物は!! フィルレシア以外にあんな怪物がいるなんて、聞いていませんわよ!」
先ほどの試合で見た〈アルマ・レオハルト〉という帝国の選手の持つ、圧倒的な力。
あんな奴がいると知っていたら、もっと念入りに対策を立てた。
(まさか、あの情報が嘘ではなかったというんですの?)
入学直後に十三階位の魔法を使えたとか、位階が25しかないのに武闘大会で優勝したとか、討伐演習で一人で魔物を千匹倒したとか、とにかく〈アルマ・レオハルト〉周りの情報には荒唐無稽なものが多かった。
もともと情報の精度があまり高くなかったこともあり、ゴシップの類か、貴族家が箔付のために大げさな噂を流したか、どちらにせよまともに取り合う必要はないと切り捨ててしまったのだが、ここへ来てそれが裏目に出た形だ。
(こんなところでつまずいている余裕なんて、ありませんのに!)
憎きフィルレシアを対戦にて下し、同時に〈聖女〉としての地位を確立する。
その千載一遇のチャンスが、目の前に転がっているのだ。
よく分からないぽっと出の男なんかに負けて、その機会を奪われる訳にはいかない。
(街一個を覆う鑑定妨害、各種の魔道具開発に、特区で一番だという魔術師を借り受けた費用。ここまで投資して、今さら成果はありませんでした、じゃ済みませんのよ!)
リスティアはギリギリ、とレースのハンカチを噛み締めると、先ほどよりは少しだけクリアになった頭で、考える。
(確かにあの力は脅威。けれど、対応策が全くない訳ではありませんわ)
アルマが使った魔法については、魔法名から風の第十一階位魔法だろうというところまでは割れた。
(〈サンダーフラッシュ〉、でしたかしら。あそこまで高位の魔法になると、手元に資料もありませんのが厳しいところですけれど)
帝国なら話は別だが、いまだ高位の魔法の使い手が少ないリスティアの陣営には、十階位より上の魔法の情報などあるはずがない。
(ただ、資料などなくとも、試合結果が明白に物語っていますわ。あの魔法は間違いなく、純粋に破壊力だけに特化した、追加効果のない範囲攻撃魔法!)
そして、何より重要なのは、あの魔法を撃ち終わった時、アルマの青いプレートの魔力は半分以上が失われていたということ。
いや、あの威力を考えるならむしろ破格と言える魔力効率だけれど、とにかくこの情報は値千金の価値を持つ。
(――つまり、一度。一度だけあの魔法を防げれば、二発目は撃てない、ということ)
あの〈サンダーフラッシュ〉という魔法が、あの男の切り札ということも疑う余地はないだろう。
なぜなら魔法というのは、ただボタンをポンと押すだけで飛び出る便利な道具ではない。
高位の魔法ともなれば通常は相応のタメの時間が必要になるはずが、あの男の魔法には、恐ろしいことにそれが一切なかった。
(想像するだけで、震えがくるほどの才覚! けれど!!)
第十一階位という高位魔法をあの速度で撃てるようになるまでは、血のにじむような修練が必要だったはず。
なればそれと同じだけの努力を、ほかの魔法に対しても払うことが出来たとは到底思えない。
だからこそ、〈サンダーフラッシュ〉を防ぐだけの耐久力。
それを捻出さえ出来れば、活路はある。
リスティアは手早く考えをまとめると、部屋の隅に視線を向け、叫んだ。
「エリック!!」
「は、はいっ!?」
リスティアに名前を呼ばれ、ビクッと身体を揺らしたのは、気弱そうな眼鏡の少年だ。
いつまで経っても変わらない、怯えた小動物のようなその反応に内心イラつきながらも彼女は指示を出す。
「今すぐわたくしたち用のプレートを改造なさい! 耐久を十倍、いえ、可能な限り高めるのよ!」
リスティアの言葉に、エリックは困惑したように言葉を返す。
「え? で、ですけど、三倍以上の改造は不正がバレるリスクが高まるから、やらないって……」
「もう露見がどうのと言っていられる状況ではありませんのよ!! いいから今すぐとりかかりなさい!」
「は、はいぃぃ!」
卑屈な態度の少年に侮蔑の視線を送りながらも、リスティアの苛立ちは収まらなかった。
観客席にいたリスティアの目を焼いたあの閃光。
あのアルマという男が撃ち放った魔法の残像が、どうしても目に焼き付いて離れないのだ。
(あの、時……)
決闘場には特殊なフィールドが張られているため、どんな威力の攻撃が中から放たれても観客席にダメージが届くことはないし、選手についても同様、内部でどんなに強いダメージを受けても怪我一つ負うことはない。
それなのにリスティアは、あの鮮烈な光を見た瞬間に、明確に自身の敗北を、死をイメージしてしまった。
胸の中にわだかまるような苛立ちを抑え切れず、リスティアが自らの拳を握り締めた時、
「――お、遅くなりました!」
メイド服の少女が、部屋に飛び込んでくる。
「遅いですわよ、メイ! 買い出しすら満足に出来ないなんて、本当に使えませんわね!」
「も、申し訳ありません!」
部屋に入るや否や飛んでくる叱責の言葉に、メイド服姿の少女は身体を縮めるようにして頭を下げるが、リスティアはこれみよがしにため息をついてみせる。
「はぁ。本当に無能で嫌になりますわ! 栄えある学園生の身でありながら、いまだに位階2で止まっている落ちこぼれなら、さもありなんというところですが……」
「そ、それはっ! リスティア様が、わたしが誰とも組めないように妨害して……」
あまりの言い種に、少女は一瞬だけ反論しようとするが、
「あら? あなたはわたくしが悪いと言いたいんですの?」
「……い、え」
リスティアににらまれると、すぐに顔を伏せてしまった。
そんな彼女の耳元に、リスティアはそっと顔を寄せ、ささやいた。
「そうですわよねぇ。あなたのご両親がやっていたパン屋。不審火で全焼でしたっけ? 親切な貴族家が支援してくれなければ、立て直しは絶望的だとか」
「は、い……」
蛇がチロチロと獲物を舐めるかのように、リスティアの手がざわりと少女のほおをなぞる。
少女は屈辱に震えながらも、目を閉じて必死にリスティアの横暴をやり過ごそうとしていた。
その様子に、リスティアは恍惚を抑え切れなかった。
(――あぁ、これですわ! 高貴なるわたくしが上に立って、有象無象共を支配する。これこそが正しい世界の構図ですのよ!)
内心の昂揚を隠し、さらに少女を苛むべく、リスティアは言葉を飾る。
「しかし困りましたわね。当てにしていた〈ブラインポーション〉が手に入らないなんて。まったく、無能のせいで計画が台無しですわ」
わざとらしく渋面を作って口を尖らせながらも、リスティアは格好のストレス発散先が出来たことで機嫌をよくしていた。
なぜなら、彼女の遅刻は想定内どころか、リスティア本人が仕組んだもの。
何しろリスティアがこのメイド服の少女、メイに申しつけた用事は、「絶対に成功するはずのないおつかい」だったからだ。
(……本当に、馬鹿な娘)
リスティアはメイに対して、「さっきの閃光でまだ目が痛いから、会場の売店でブラインポーションを買ってこい」と言って送り出したが、ブラインポーションはHPと暗闇の状態異常を同時に治す貴重品。
売店などに置いてあるはずがないのだ。
これは失敗を前提としたおつかいで、それを口実にメイを責め立てるという、ただの憂さ晴らしのお遊びだった。
こんなことを話せば、眉をひそめる者もいるだろうが……。
(卑しい庶民が、高貴なわたくしのサンドバッグとして役に立てるのです。むしろ感謝してほしいくらいでしてよ)
当の本人に、罪悪感は一切ない。
衝動のままに、さらにメイの責任を追及しようとした時だった。
「――あ、あの! 〈ブラインポーション〉なら、持ってきました、けど」
「はぁ!?」
メイの意外過ぎる言葉が、気分良くしゃべっていたリスティアの神経を逆なでする。
だが、
「こ、これを……」
そう言って、おずおずと差し出されたのは、確かに本物の〈ブラインポーション〉だった。
「売店には置いていなかったんですけど、その時に偶然通りかかった親切な方が、『たくさん余っているから分けてあげる』と言ってくださって……」
「そんっ……!」
そんなバカな話があるか、と怒鳴りそうになって、直前で口をつぐんだ。
メイには伏せているが、〈ブラインポーション〉は一部の強力な魔物しか落とさない貴重品。
それが「余っている」など、常識で考えればありえるはずがない。
怒りを直前で押しとどめて、感情を殺して尋ねる。
「誰、ですの? 誰がそんな、提案を?」
「それは、帝国の選手の方で、確か名前は、〈アルマ・レオハルト〉と……」
その名前を聞いた瞬間、リスティアは衝動的に椅子から立ち上がっていた。
ギリギリギリ、と、歯が欠けるほどの強さで、食いしばる。
(あの男、どこまでわたくしを馬鹿にすれば……)
怒りが溢れ出す。
癇癪のままに机を殴りつけ、頑丈なはずの机がたわむ。
だが、不意に……。
「……リスティア、さま?」
その怒りが、湧きあがった以上の唐突さで、ピタリと収まった。
「ひっ!?」
不思議に思ったメイがその顔を覗き込むと、リスティアは、笑っていた。
(――アルマ・レオハルト。あなたがことごとくわたくしの邪魔をするというのなら、わたくしも、わたくしの「道具」を使って戦わせていただきますわ)
彼女はグリンと首を回転させると、悪魔のような笑みを浮かべたまま、口を開く。
リスティアの目には暗い炎が宿り、その瞳にはもう悲嘆の色はない。
なぜなら……。
「――メイ。特別に、あなたに挽回のチャンスを与えて差し上げますわ」
地獄への道は、善意で舗装されている。
そして、無敵の英雄を殺すのはいつだって、「女と毒」だと、そう相場が決まっているのだから。
悪役令嬢、動く!