第百九十一話 計り知れぬ力
「――さ、この先ですよ」
フィルレシア皇女に先導され、僕たちは大きな扉をくぐった。
「う、わぁ……」
すぐ後ろを歩いていたセイリアから、感嘆の声が漏れる。
しかし、その気持ちは分かる。
中央に大きな「陣」が敷かれたその真っ白な部屋は、どこか俗世を超えたような、神聖で荘厳な雰囲気を備えていた。
「……ここが、皇室に認められた人間しか入れない、秘匿された〈精霊の御所〉」
一番そういったものについて詳しいであろうトリシャが、感動した面持ちで語る。
その様子を見て、フィルレシア皇女は上品に笑った。
「秘匿だなんて、大袈裟ですよ。機能は学園にあるものと同じ。もったいぶるようなものでもありません」
さらりと言ってのけるのは、僕らをここまで案内してくれたフィルレシア皇女だ。
『お礼を差し上げたいのですが、何が良いですか?』
という彼女の問いに対して、僕が思いついた答えがこの〈精霊の御所〉の使用権だった。
自分では手に入れられないもので、フィルレシア皇女に頼めるもの、と考えた時、この〈精霊の御所〉がちょうどよかったのだ。
ただ、
「本当に、お礼をこんなことに使って良かったのですか?」
本人としてはこのお礼は不服だったようで、僕に何度か投げかけた問いを、また口にしてくる。
とはいっても、こっちの答えも決まっている。
「いえ、普通であれば来られない場所ですし、十分すぎるくらいですよ」
僕がそう恐縮しても、フィルレシア皇女はいまだに納得いかない様子で小首を傾げる。
「そうですか? でも、これだけだと貴方にあまりにも益がなさすぎると思って」
「え?」
「だって……」
戸惑う僕に彼女は近づき、そして、
「――貴方自身は、新しい精霊を喚ぶつもりはないのでしょう?」
見透かすようなことを、僕にだけ聞こえるほどの声でささやいた。
「い、いや、それは……」
確かに僕は、ティータから別の精霊に乗り換えるつもりはない。
(まあ昨日、ティータ本人には「アタシを捨てるつもりなんだー!」って勘違いされて散々泣かれたけど……)
今さらティータと離れるなんて考えられないし、それを抜きにしても、ティータは明らかに訳アリ系な固有精霊。
原作への影響を考えても手放せないし、性能的な面を見ても、色々な魔法を使えるし、主要能力への成長補正もすさまじいしで、ほかの精霊に乗り換える理由が思いつかない。
そんな風に言葉を尽くして説得して、三時間もかけて泣き止ませたのは記憶に新しい。
けど……。
(でもそれを、どうしてフィルレシア皇女が知ってるのさ!)
対外的には、ティータはただの風の上級精霊。
普通に考えたら間違いなく乗り換え候補だ。
あいかわらずの底知れなさに、背筋がぞくぞくする。
「ふふ、ごめんなさい。契約精霊を随分と気に入られているようなので、そう思っただけですよ」
「あ、あはは……」
そんな僕のひきつった顔を見て満足したのか、彼女は楽しそうに微笑むと、
「……では、私はそろそろ失礼させていただきますね」
一礼し、そのままその場を離れようとする。
「えっ?」
皇女も〈精霊の儀〉に参加するものと思っていた僕は、思わず声を漏らしてしまうが、
(……でも、そうか)
考えてみれば、フィルレシア皇女の精霊は〈光の大精霊〉。
しかも、入学式の時に「見た」限りではレベル250もあるめちゃつよ精霊だ。
皇女自身はいつだって一人でここに来れる訳だし、今精霊を更新する必要なんて全くない。
引き留めようと手を伸ばした僕に対して、彼女はゆるゆると首を横に振った。
「私としても学友がどんな精霊を喚ぶかは興味がありますが、やはり私がいてはやりにくいこともあるでしょうから」
「そんなことは……」
僕が慌てて否定すると、彼女はまた、薄く笑って、
「ふふ。でも、考えてみてください。ここは学園の〈御所〉と違って面倒な申請や報告の義務がありません。だから、どんな珍しい精霊でも召喚し放題、ですよ?」
「ご、誤解ですって!」
妙に僕を買ってくれているようだけど、ここでやらかすつもりなんて一切ない。
とりあえず原作に角の立たない範囲でセイリアたちを強くしたいだけなのだ。
けれど、彼女は「なら、そういうことにしておきましょう」と言いたげな態度でうなずくと、
「では。……あ、何かほかに欲しいものを思いついたら気軽におっしゃってくださいね」
最後の最後までこちらをドキリとさせることを口にして、その場を離れていった。
(心臓に悪いよ、ほんと……)
嵐が去ったような気分で僕が息をついていると、複雑そうな顔をしたトリシャが僕を見ていた。
「……レオっちさぁ。しばらく見ないうちに皇女様にずいぶん気に入られたみたいだよねー」
気のなさそうな口調ながら、どことなく咎めるような響きのトリシャの言葉に、僕は首を傾げる。
「そう? フィルレシア皇女は誰とでも仲がいいと思うけど」
「んー。なんか、空気感というか。態度が違うんだよね。普段はもっと余所行きというか……」
そう言われると、確かに最初よりも少し、砕けた雰囲気があった気はする。
心当たりがあるだけに、僕が返答に困っていると、
「ん。やっぱりあやしい。これは〈雷光のエロハルト〉」
儀式場の方に行っていたはずのファーリまでが、こちらになんとも冷めた視線を向けていた。
「ま、前に〈ホワイトドラゴンリング〉を渡したから、感謝してくれてるだけだって。それに……」
何も考えずに口にしかけた言葉を、慌てて飲み込む。
(僕が主人公だから、っていうのもありえるんだよね)
彼女が原作での恋愛対象なら、なにかしらの補正があってもおかしくはない。
ただ、それを説明することは出来ないので、
「と、とにかく気のせいだよ。……ほら、それより早く〈精霊の儀〉をやろう!」
僕はファーリたちの背中を押して、無理やりに儀式場へと向かわせたのだった。
※ ※ ※
「……むぅ、残念」
「んー。あと少し、って感じはしたんだけど」
儀式の場まで僕が引っ張っていた流れで、まずはトリシャとファーリが挑戦したが、残念ながら前よりも有用な精霊を得ることは出来なかった。
……ただし、ここまではある意味では予想通り。
おさらいをすると、精霊のランクは下から「基礎、下級、中級、上級、超級、大精霊、神霊」。
学園においては、卒業までに上級精霊と契約出来たら優秀で、超級精霊と契約出来たら天才みたいな扱いになるらしい。
そんな中、ファーリは学園では最高峰と言える超級精霊と契約済みで、それよりレベルの低いトリシャもすでに上級精霊と契約している。
むしろ、それ以上の精霊がほいほいと出てくる方が異常なのだ。
特に、大精霊以上は全てがユニーク個体らしく、その契約難易度は超級とレベルが違う。
例えば、火の中級精霊である〈サラマンダー〉と契約している生徒は学園に何人もいるけれど、実際には〈サラマンダー〉という種族の別個体と契約している。
要するに、一口に〈サラマンダー〉と言っても実際にはサラ太とかサラ美とかサラ金太郎とかサラザールとかいったたくさんの個体がいる感じらしい。
(でも、〈大精霊〉と〈神霊〉は違う)
身近な大精霊と言えば、フィルレシア皇女の契約する〈光の大精霊リフィキール〉が思い浮かぶけれど、この精霊は世界でたった一体。
同じ精霊が一度に複数の人間と契約することはないため、大精霊と契約するというのはそれだけ大変なことなのだ。
(レベルが125のレイヴァン兄さんだって、まだ超級精霊だしね)
流石に光の大精霊が〈リフィキール〉一体だけということはないようなので、枠自体は複数あるようだけど、それでも希少なのは間違いない。
大精霊以上は、実質的にストーリーキャラ専用だと考えてもいいのかもしれない。
(だから、ここからだ)
呼び出される精霊は、本人の資質と能力、それから触媒の質によって決定されるという。
本人の資質についてはどうにもならないにしても、残り二つは環境によって左右される。
伝手とお金が不足していたせいでまともな触媒が用意出来なかったセイリアと、入学後に倍近くまでレベルを伸ばし、いまやトリシャを超えるレベルになったレミナはまだ望みがある。
「な、なら次は、ボクの番だね!」
その期待を、本人も自覚しているのだろう。
いつになく緊張した面持ちで、セイリアが〈精霊の儀〉に挑む。
使う触媒は、僕が入学後に〈終焉の封印窟〉から手に入れた、〈創世の塵〉という触媒アイテム。
火属性に強い適性のある〈炎竜の牙〉と迷ったのだけれど、こちらの〈創世の塵〉の方が、説明を見る限り高位の触媒のようなので、使ってみないかと提案してみたのだ。
トリシャすら知らないと言った知名度のない触媒なのに、セイリアは僕を信じると言って、すぐに〈創世の塵〉を使うと決断してくれた。
「じゃ、じゃあ行くよ!」
セイリアは〈創世の塵〉を陣に供えると、目をつぶって一心に祈り始める。
そして、
「――来た!」
変化は、すぐに訪れた。
儀式場に舞い降りるように顕現したのは、真っ赤に燃える羽を持った、巨大な鳥。
――〈火の超級精霊フェニックス〉。
兄さんが手に入れたものと同じ精霊と、ゆっくりと目を開けたセイリアが対面し、
「や、やったああああああああああああああ!!」
彼女は飛び上がるようにして、喜びを爆発させた。
「やったね、セイリアっち!」
「ん。セイリアならこのくらい当然。……でも、おめでとう」
口々にお祝いの言葉をかける。
そして、最後に、
「よかったね。おめでとう、セイリア!」
僕も近寄って声をかけると、
「――やった! やったよ、アルマくーん!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたセイリアが、僕に飛びついてきたのだった。
※ ※ ※
――〈ファイブスターズ〉の中で一人だけ、中級精霊と契約してしまったことを気に病んでいたセイリアにとって、今回のことはよっぽど嬉しかったらしい。
「ありがどう、アルマぐん。あいがどう……」
感極まり、僕に感謝の言葉をささやき続けるボットのようになってしまったセイリアをなんとか落ち着かせ、トリを飾るのはレミナだ。
「じゃ、じゃあ、行きます、ね」
歓喜に身を震わすセイリアに感情移入したのか、もらい泣きしていた彼女も、今は表情を引き締め、〈精霊の儀〉に挑む。
彼女は淀みない動きで陣に〈創世の塵〉を供えると、ゆっくりと目を閉じる。
前にレミナが召喚したのは〈風の上級精霊エアリアル〉。
僕のティータと同じ種族……かは今となっては若干怪しいが、とにかく風の精霊シルフと同ランクの精霊だ。
今ならそれより上を、超級風精霊を狙えるポテンシャルはあるはず。
「――来て、ください」
両手を胸の前で組み、つぶやいた彼女の前方に、強い光。
「なっ……!」
想像もしていなかった光景に、しばし皆の時が止まる。
激しい光が収まった時、レミナに傅くかのように彼女の前に浮かんでいたのは、羽を生やした光の球。
「な、んだ、あれ?」
入学の時の儀式でも、一度も見たことのない精霊。
誰もが固まる中で、普段は眠たげな眼を大きく見開いたファーリだけがぽつりとつぶやいた。
「――〈光の超級精霊ルミナス〉」
彼女の言葉に、呼び出された精霊を二度見してしまった。
「え、光のって……ええ!?」
確かに、演習で森に迷い込んだ時、レミナは自分が光の魔法を使えると告白してくれた。
でも、だからって……。
(これは流石に、モブが喚んでいいものじゃ、ないんじゃ……)
暑くもないのに、汗がしたたり落ちる。
今までどんな現場でも「原作とちょっと違うかもしれないけどたぶん大筋は変わらないからヨシ!」と判定してくれていた僕の心の中の審判も、心なしか戸惑っている。
けれど、
「す、すっごいじゃん! レミナって聖女様!? 聖女様なの!?」
「ん。レミナは魔法が均一すぎるから、光適性だと思ってた」
そんな僕の葛藤なんて置いてけぼりに、すぐにセイリアとファーリが寄って行って、レミナを褒め称える。
それを見て、僕は自分の了見の狭さを恥じる。
まずは友達が頑張ったことを褒めるべきだった。
正直に言えば、まだ〈光の超級精霊〉というインパクトには思うところはある。
(……でもまあ、超級ならまだギリギリセーフ、だよね?)
大精霊じゃないということは、レミナが精霊を得たことで、原作の誰かが精霊をもらえなくなる、みたいな事故は起きないはず。
何より……。
「も、もう! 光属性のことは隠せって言ったのに! ……でも、でもさ。レミナの力が認められたみたいで、わたしも嬉しいよ。おめでとう、レミナ」
「トリシャ……」
そう言って抱き合うレミナとトリシャを見ていると、あまり無粋なことばかり考えるのも憚られた。
なんとなく出ていくタイミングを失ってしまった僕は、青春の一ページにふさわしい光景を、遠巻きに見守る。
「……あ、そうだ」
とは言っても、原作を、ひいては世界の崩壊を防ぐためには、きちんとした現状把握は不可欠だ。
(せめて、今僕に出来ることをしないとね)
呼び出されたあの光の球が本当に〈光の超級精霊〉なのか、ついでに大精霊とのレベル差がどのくらいあるのかを確かめようと、僕は〈ディテクトアイ〉を起動させる。
そのまま、レミナの上で輝き続ける光の球をレンズが捉える……が、
「あ、れ……?」
確かに、〈ディテクトアイ〉がその姿を捉えているはずなのに、何も反応しない。
故障かと思ったけれど、その隣のレミナに視点を合わせると、問題なく機能している。
僕が不可解な状況に首を傾げていると、僕の陰から僕の契約精霊であるティータがひょいっと顔を覗かせた。
「……ね、さっきから目をパチパチして何やってるの?」
普段は人前で出てこないティータが表に出てくるなんて、僕はよっぽど変な顔をしていたんだろう。
だけど今は、それを気にしている余裕はなかった。
「い、いや、さっきから〈ディテクトアイ〉であの精霊の名前を確かめようとしてるんだけど、全然見えなくて」
混乱をそのまま伝えるようにそう口にすると、ティータは一瞬だけ、きょとん、とした顔をした。
それから彼女は、まるで面白い冗談でも聞いたかのように相好を崩し、
「――精霊が、そんなものに映るワケないじゃない」
と言って、クスクスと笑ったのだった。