第百六十九話 分岐する過去
今回は演習編の最後の話で、かつ答え合わせ回になります!
「――フィルレシア様。例の魔法陣、解析出来たそうです」
自らの側近、スティカの押し殺したような声に、フィルレシアは顔を上げた。
スティカは手にした書類を渡すと、
「やはり、あれは転移魔法陣。それも、光属性の魔力をトリガーとするものだったようです」
どこか強張った顔でそう報告した。
「……そう」
ただ、対するフィルレシアの反応は、そっけないもの。
「だとすると、狙いは間違いなく私ね」
平然と、分かり切ったことを聞いたとでもいう態度で、そう断定する。
ただ、スティカは目の前の皇女ほどには落ち着いていられなかった。
演習のルート上に仕掛けられた、「光魔法使いを狙って転移させる」罠。
そして、あのメンバーの中で「光の魔法を使う」ことが公になっているのは、フィルレシア皇女ただ一人。
その罠によって実際に転移させられたのは〈アルマ・レオハルト〉と〈レミナ・フォールランド〉という生徒たちだったが、もしそれが本当は皇女を狙ったものなら……。
「目的は、やはりフィルレシア様の殺害でしょうか?」
緊張の隠しきれない声でそう問いかけるが、フィルレシアは首を横に振った。
「それなら話は早いのだけれど、おそらくは違うでしょう。たぶんこれは、私に対する警告、でしょうね」
「警告、ですか?」
理解出来ない、という顔をしているスティカに、フィルレシアはふっと笑った。
「――だって、私が〈常闇の森〉の魔物程度に殺されるはずがないでしょう?」
飛ばされた先が、浅層であっても中層であっても、仮に深層であっても関係がない。
たとえ深層の魔物が百や二百、いや、千匹襲ってきたとしても、フィルレシアはそれを撃退しただろう。
しかし……。
「その場合、襲撃の間に本隊に戻ることは、出来なかったでしょうね」
そう漏らした皇女の言葉に、ようやくスティカの頭が追いついてくる。
「まさか、じゃああの転移魔法陣の目的は……」
「ええ。あれは『本隊から私を孤立させて殺す』ための仕掛けではなく、『私を本隊から引き離して、生徒たちを殺す』ための罠。そう考えた方が妥当でしょう」
その言葉に、信じられない、とばかりにスティカが食ってかかる。
「で、ですが、どうしてそんな……」
「言ったでしょう、警告だと。安穏とした学生生活を送っている私に釘を刺しに来た、というところかしら」
「そん、な……。そんなことで……」
あまりのことに、スティカは言葉も出ない。
「落ち着きなさい」
そんな彼女に皇女は一声だけかけると、思考を巡らす。
……本隊に対する襲撃があった時、フィルレシアは「最悪ではチームが半壊してAクラス以外がほぼ全滅。楽観視した場合でも、最低十人程度の死者は出る」と予測を立てた。
実際にはその予想は大きく外れ、生徒たちには一人の被害も出なかった訳だけれど、それはいくつもの要素が重なって生まれた結果だ。
どうしてそんな結果が生まれたのか、それを突き詰めて考えようとすると、どうあっても一人の人物に行きつく。
「……アルマ・レオハルト」
もし、あのとびきりのイレギュラーが、〈アルマ・レオハルト〉がいなかったらどうなっていたか、もしもの可能性を考える。
(まず間違いないのは……)
彼がいなければ、フィルレシアはあの転移魔法陣にかかり、どこか別の場所に飛ばされていただろう、ということ。
あのメンバーの中にフィルレシアとアルマ以外に光魔法を使える人間はいなかったはずだし、万が一にそんな存在がいたとしても、アルマたちが前に出てきていなければ、皇女としてとっさの対応が出来るように先頭集団に留まり続ける予定だった。
その場合、真っ先にあの魔法陣を踏むのはフィルレシアだったはず。
そうなれば、フィルレシア本人は無事だったとしても、本隊の戦力は確実に落ちていた。
もう一つは、彼のチームメンバー。
セイリア・レッドハウトとファーリ・レヴァンティン、トリシアーデ・シーカーの成長だ。
あの三人の異常とも言える急成長に、あの〈アルマ・レオハルト〉が関わっているのは疑う余地がない。
特に、彼が剣聖との仲を取り持ったことでセイリアの手に渡ったという刀。
アレがなければ、ああもたやすく魔物たちの襲撃を乗り切れなかったことだろう。
それから……。
(――まあ、こればかりは、「彼」とは無関係ですが)
あの黒の塔による、闇魔法の無効化。
被害が出なかったのは、この影響がもっとも大きい。
おそらくあの黒の塔は、「闇の魔力を集めて魔物を生み出す」副作用として、「闇の魔力が不足して闇魔法が無効化される」効果を生んだのではないかとフィルレシアはにらんでいる。
それが、この事態を起こした黒幕にとっても予想外の不具合だったとして、それがなければ……。
――フィルレシアですら胸が悪くなるような、惨たらしい虐殺が引き起こっていた可能性は、大いにある。
そうやって、彼女が思考の海に沈んでいると、
「フィルレシア、さま……」
かすれた声で、スティカが皇女の名前を呼んだ。
それに対して、フィルレシアはあくまで毅然とした態度を崩さずに応じる。
「胸を張りなさい。結果として、私たちは襲撃を乗り切った。それが全てです」
「で、ですが……」
それでも動揺の収まらないスティカに、フィルレシアは諭すように語りかける。
「心配せずとも、しばらくの間、生徒たちが一度に魔物の領域に向かう行事はありません。あちらは唯一のチャンスを逃したのです」
そう言ってスティカを安心させながらも、フィルレシアの脳はまた別の結論を出していた。
今回は、上手くいった。
ただ、今回の失敗は相手の痛手にはつながらず、こちらにはいまだ反撃の手立てはない。
……それに。
最上の結果で終わったと言える今回の一件にも、わずかながら懸念点はある。
(――「彼」が光魔法の使い手だという情報は、確実に向こうにも抜かれてしまったでしょうね)
あの転移魔法陣にかかったのは、〈アルマ・レオハルト〉と〈レミナ・フォールランド〉の二人。
どちらか片方が巻き込まれただけだとしても、どちらか片方は間違いなく光魔法の使い手だというのは、子供でも分かる理屈だ。
(レミナが上手くデコイになって、光の魔法使いなのは彼女の方だと誤認してくれればいいけれど……)
一瞬だけ考えて、すぐに首を横に振った。
確かに、〈レミナ・フォールランド〉は妙に小器用に魔法を使う平民で、興味深いと言えば興味深い。
もしアルマがいなければ、フィルレシアが演習中に「お話」をした相手が彼女になったかもしれない程度には、関心を持っていた。
けれど、
(――あの〈アルマ・レオハルト〉と比べれば、全てが霞んでしまう)
あの二人を並べ、「どちらが光の魔法使いだと思うか?」と尋ねられた時に、レミナの方を選ぶ人間はほとんどいないだろう。
そして実際に、〈アルマ・レオハルト〉こそが光の魔法使いなのだと、フィルレシアはすでに知っている。
(……もう一つ、借りが増えてしまいましたね)
与えられた屈辱も、受けた借りも、全てを余すことなくきっちりと返すのが、フィルレシアの信条だ。
(今度、徹底的に彼の好むものを調べさせる必要がありますね)
そんなことを考えながら、気分を変えるように窓を開け、夜空を見上げる。
なんの気なしに月を眺めていると、ふと、思い浮かぶものがあった。
(月……。そういえば彼は、〈ルナ焼き〉というお菓子が好きなのでしたっけ)
フィルレシア自身には理解出来ない嗜好だけれど、あの程度のものなら簡単に手に入る。
せっかくだから荷馬車一台分全てに〈ルナ焼き〉を詰め込んで、彼にプレゼントするのも面白いかもしれない。
フィルレシアは、部屋いっぱいの「贈り物」に溺れる彼を幻視しながら、
「――逃がしませんよ、アルマくん」
空に浮かぶ三日月とそっくりの形に、唇を歪めたのだった。
Q.原作の討伐演習とはどこからズレ始めたの?
A.最 初 か ら